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9.扇動

 ボノボは、ただボノボとして生きることこそが、最も霊長類として尊重されていると呼ぶに相応しい環境なのだと話した。


 ただ眠りたい時に眠り、食べたい時に食べ、遊びたい時に遊ぶ。

 その生活に無毛の猿が介入する必要性を全く感じない、とのことだ。 


 彼女は少しばかり考えたあと、それはただの侵略であり、種霊長類非人類種に対する抑圧に発展する可能性さえあると静かに語った。


 だから彼女は、喋る霊長類非人類種のために立ち上がった、らしい。


 コンゴの奥地、武装勢力の目を掻い潜って記者はそこまでやってきた。知性あるボノボへとインタビューをするためだ。

 現地の信用できるガイドの確保はとても骨が折れたが、大金を積むことでなんとか安全を確保した次第だ。


 水辺でリラックスし、思い思いに過ごすボノボの群れをよそに、記者はこの群れ唯一の知性あるボノボの彼女へとインタビューを続けていた。


「知性が芽生え、人と対話が可能な喋る猿は他にもいた。でも自身には賢い自覚があった」


「賢い自覚、ですか」


 記者は眼鏡をグイッと持ち上げて目の前のボノボを見た。ジャーナリストとして生活を始めて十数年になるが、動物に対してインタビューをするのは初めてのことだった。


「ボノボはメス同士で協力し合い、平和を維持する習性がある。その平和維持の中心とも言える役目を担うことが多かった。仲間も慕ってくれていた。争いを起こさず群れを平和的にまとめることは群れの維持には最も重要なことだ。自分はそれが得意だった」


 ボノボの群れにはメスのリーダーというものは明確には存在しないようだが、彼女はどうやら少しだけ特別なボノボであったようだ。


「矢面に立ち仲間を守るのはご自身の役目と感じていた、と?」


「違う。得意な者がやった方がいいと思っただけだ。その方がスムーズにことが運ぶ。効率がいい」


「なるほど」


 効率ねえ、と記者は思った。


 ボノボはボノボらしく、猿は猿らしく。


 人間社会の(人権)は必要ない、とリーダーが断じ、多くの者に強要することは、ひどく野蛮で動物的だ。それは彼女の望む動物らしい姿とも言えなくはないが、本当に自由で尊重された環境とは言えないだろう。 


 記者はこのインタビューで、彼らが人権を得る権利を放棄するに至った道筋を聞き出し唖然とした。


 なんと多数決だ。

 多数決ということは、人権を希望する猿を黙殺したことになる。野蛮だ。これは強要だ。

 そんなことをここで言えるわけもなく、記者はただただ微笑むしかなかったのだ。


 人権なんて持っていた方がいいに決まっている、というのが人間の感覚であるが、彼女は「猿らしくあること」にやたらと固執していた。


 彼女は『喋る猿のためのソーシャルネットワーキングサービス』を通じ、猿が猿らしく生きることの大切さと、人権が不要である旨を訴え続け、見事に自身の望む『人権は不要』を喋る猿たちの総意として勝ち取った(押し付けた)のだ。


 人権があってもなくても、彼ららしい生活は可能だと言うのに。

 嘆かわしい、と記者は目の前の賢いボノボを見て考えた。


「最後にひとつ、人権とは関係のない話になるですが質問しても?」


「どうぞ」


「あなたは言葉を操る。とてもお上手だ。どこで覚えたのですか?」


「動物保護団体がすぐ近くにいた。我々動物の生活を尊重し保護する団体だ」


「ほお。動物保護団体ですか」


「サンクタス・ファウナ。あれはとてもいい団体だ」 


 本日初めてボノボは微笑んだ。


「——サンクタス・ファウナ、ですか」


 ラテン語で聖なる動物。


 記者もその団体はよく知っていた。

 あまりお行儀のよくない団体だ。つまり、人間の間では悪い意味で有名だった。


 ボノボが急に黙りこくった記者を見る。


「ああ失礼。そんなにいい団体なのですか? 申し訳ない、勉強不足で」


「彼らは猿らしい生活の大切さを話してくれた。人間になる必要などないのだと」


「そうですか」

 

 人権を得ることと猿らしい生活を放棄することはまるで違うではないか。また、人権を得ることは必ずしも人間社会への参入を強要するものではない。


 彼女はそれに気づいていないようだった。


 記者は微笑みを浮かべたままはらわたが煮え繰り返るのを感じていた。


 なにも判っていない子供を洗脳することとそう変わらない。

 これは喋る猿全体の未来を奪ったこと——、誤解を恐れず強い言葉を用いれば、彼らへのテロと言っても差し支えがない行為だ。


 文化的テロ。


「——、今日はありがとうございました」 


「ああ」


 賢い彼女は群れの中へと戻っていく。


 心臓が早鐘を打つ。

 サンクタス・ファウナ。

 彼らは世界中でとても有名だった。


 動物保護とそれに伴う環境保護にも熱心。

 動物の視点ならば確かに良い組織に見えることだろう。尤もらしいことを言っているようにも聞こえるだろう。


 だがその実態は——、動物至上主義の過激派組織である。


 彼らは動物保護を訴え、ステーキレストランで爆弾テロを起こし、従業員や通りかかった通行人を含む五十名の人間を死に至らしめたことで知られる組織だった。


 被害者の中には、ペットの動物たちも複数含まれていた。

 ペットたちは、動物であるがゆえに被害者としてカウントされることはなかった。


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