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6.ドッヂ

「そう、俺、人間社会で一度生活しみたくて」


 ヴィルンガ火山群に生息するゴリラ——、人間による識別ネームはジャックと言った——、その彼に紹介されたまだ年若いゴリラのドッヂは瞳を輝かせながらそう言った。


 派遣されているのは国連事実調査団で、彼らは「まずいことになった」と言う気持ちはお首にも出さず「そうですか」と返事をする。


 喋る霊長類の総意として受け取っていた「猿らしい生活を望む声」は文字通り彼ら全員の意見だと思っていたわけだが、彼は違うようだった。

 彼が言うには人間との会話が可能となったのはひと月前のことで、喋る霊長類の団体が国連を訪れてからだいぶ後のことだったのだ。


 人間社会は、実のところ彼らが彼らのしたいように、今まで通り森で生きるという自由意志を示してくれたことに胸を撫で下ろしていたのである。

 無理に共存する必要はない。人権や保護は押し付けるものではない——、などとポジティブな言い回しをしていたが、実際のところ人間社会に猿が介入することに恐怖を抱いていた者も少なくはなかったのである。


 困ったことになった。


 誰か一頭……、いや、一人の言うべきか。一人でも「人間社会で生きたい」と言う者がいたらそこに発生する人権について考えなくてはならなくなる。振り出しだ。


「具体的には、どんな風に……」


「動物園で働きたいんだよね」


「動物園ですか?」


 ゴリラが動物の飼育をするのだろうか。なんだか奇妙な光景だが、それそのものが展示の目玉になりそうだ。そこまで考え事実調査団は首を軽く振った。


「ええと、動物園っていうのは……」


「俺彼女がいてね」


「ん? 彼女?」


「そう。彼女。夫婦(めおと)になろうかって話になっててさ。あ、彼女は人間語話せないんだけど、俺とはゴリラ語で話していて。そんで、シルバーバックよりも人間と交流できる俺の方が面白いって言ってくれて。んで、プロポーズついでに動物園で雇ってもらえんかなぁって話したらあいつも『なにそれサイコーじゃん』って言ってて」


「はぁ……」


「開園から閉園まで檻で展示されているだけでいいんでしょ? 喋るゴリラって面白いと思うんだよね」


「あっ、そっち?」


「え?」


「あ、なんでもないです。続けて」 


 てっきり飼育員になるのだと思っていたが、どうやら彼らは展示物になるつもりらしい。

 果たしてそれは人間社会に参加すると言っていいのだろうか、と事実調査団は考えた。というか彼らに人権は必要なのだろうか。人権を認めた場合、檻での展示は適切なのだろうか。考えただけで胃が痛くなる。


「いずれは結婚したいって思ってたけど、彼女もどうせ子供を産むなら安全な場所がいいって言ってて。ワンルーム()で毎日食べ物があって健康管理もしてくれるっていいじゃんって彼女もノリノリで」


「ええと……一度その、持ち帰って話し合わないと……」


「ん? 俺に人権があるかどうかを?」


 事実調査団は首を左右に大きく振った。


「違います! ええと、あなたの意思は尊重されるべきものなのでそれは最初から話し合うことではなくて、そう、あれです、受け入れ先をですね」


「ああ、受け入れ先ね。どこでもいいよ。給料も林檎とバナナでいいよ。でも赤い林檎にしてな。青い林檎、彼女が好きじゃないんだよ。ところで子供も俺みたいに話せるのかな?」


 ドッヂは破顔して見せたが、事実調査団はそれどころではない。


 檻に彼らを入れてその生活をショーのように扱う行為が世間にどう見られるのか判らない。特に動物愛護団体からは強い非難が予想され、動物園を斡旋した国連に直接的な非難や抗議が為されるであろうことは想像に難くないだろう。


 事実調査団は口角を持ち上げてにこやかに会話を続けているが、その頭の中は目まぐるしく人権、労働環境、社会的保障、保険、尊重、などのワードがぐるりぐるりと駆け巡っていた。

 みんなまとめて「人間社会への参加は望まず猿らしく生きる」と望んでいた前提が崩れ去ってしまった。


「どうしよう……」 


「え、なにが?」


 思わず口をついて出た言葉をドッヂは零さず拾い、まるで人間のように首を傾げて見せた。


「あっ、いえ、奥様もご一緒だと、どれくらいの部屋が必要なのかなって……」


 慌てて誤魔化した言葉は、しかしドッヂに違和感なく受け入れられたようで、彼は事実調査団の態度を不審に思うこともなく「そうだなぁ」と要望を伝えていく。


 報告書への記載事項が増えてしまった。

 致し方なし。真実調査団はため息を飲み込むと次々と繰り出される彼の要望を一つ一つ書き留めていくのであった。

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