4.喋る霊長類の団体
国連の人権理事会はざわついていた。
相変わらず話す霊長類たちの人権について話し合う日々であったが、本日その当事者の代表団、つまり喋る猿たちがやってくるのである。
これは前代未聞だ。動物が「代表」として議会に参加した例はなかったのだ。当然と言えば当然のことだが、その対応をどうするかを国連は苦慮し、結局は彼らを人間と同等に扱い議会に参加してもらうこととなったのだ。
国連の派遣した事実確認団に付き添われ、時間通りに現れた彼らは類人猿と猿で構成された計十頭の霊長類で、席へと案内して座るように促すと、彼らの代表であるボノボがそれを右手で制したのだった。
「いいです、話はすぐに済みますので」
ボノボは事前の資料によると「大変賢い長命な婆様」とのことで、今年で三五歳くらいになるという話だった。
しかしそんなことよりも、大事な話し合いなのにすぐ済むとは? と理事会は首を傾げる。
「我々三百名……、正確には三二三名の猿たちは、『喋る猿のためのソーシャルネットワーキングサービス』を通じて半年の間、当事者たる我々同士で密に連絡を取り、互いの今後を話し合ってきた」
喋る猿のためのソーシャルネットワーキングサービスについては国連も把握していた。人間の有志団体が彼らのために立ち上げたサービスで、喋る猿にのみ開示されたパスワードで持って利用可能なサービスらしい。
人間はそのサービスを覗くことさえできず、それが可能なのは飼育員や保護者などのみであった。
彼らには通信機器——、所謂スマホを渡されそれによってそのサービスにアクセスしているようなのだ。
「あの、長旅だったでしょうし取り敢えず椅子を……」
「いえ結構。お伝えすべきことは実にシンプル。我々には人権は必要ない、という意見で一致したためそれをお伝えにあがっただけだ」
議場に緊張が走った。
人権が必要ないということが国連の人権理事会には俄かに信じ難いことだったのだ。
知性を有し人類と同じ言語で発話する彼らを猿として扱う行為はどうにも難しい——、法的にも、心情的にも、またはモラル的にもだ——ように感じられていたのだが、喋る霊長類たちはそれを要らないと言う。
「し、しかし、それは……あ、あなたたちを守るためにも人権は必要で……」
「結構。我々は人間と生活するつもりはないのです。今まで通り仲間と楽しく森で暮らすつもりです。あなたたち人間が我々のことを真剣に議論してくれているのは把握していますが、無用な気遣いですよ」
「無用……」
「そうです。無用です。無用な気遣いです。人類と同等の権利も社会も必要ありません。我々はただの、少し頭がいい喋る猿にすぎません。そして我々を猿と呼んでいただくことにもなんら問題がありせん。我々は実際、猿なのですから」
その場にいる人権を有した猿たちはあんぐりと口を開けて彼らを見た。
これは喋る霊長類による自立宣言であろう。寧ろ彼らを人間社会の枠組みに閉じ込めることそのものが「人権侵害」にあたるのかもしれない——、と誰かが小さく呟いた。
「そうです。あなた方は我々を守るためときいつつ、人間社会に属することを望んでいる。そこに我々の自由意志は存在しないのではないですか?」
「で、ですが教育の機会が……」
「医療支援などの問題が……」
ボノボは大きくため息を吐いた。
「それは文化侵略ですよ。我々はただ自然のままありたいのです」
文化侵略というワードに議場が凍りついた。
それは人権を重んじる人権理事会が最も避けなければならない事柄である。互いの文化を尊重せねばならない。互いの意思を尊重し合わねばならない。その思いで話し合いを重ねてきたことが全て彼らのためにはならないと当事者に突っぱねられたのだ。
「彼らの権利とは……、彼らを人間社会に迎合させることではなくて、彼ららしい生活を認める……、いや、この言い回しは適切ではないな……、彼ららしい生活を我々も受け入れることなのかもしれません」
ボノボはその通りだ、とようやく笑顔を見せた。
これが喋る霊長類発見から人権について話し合いがなされるまでの記録である。