3.ロチル
二〇二五年秋、国連の人権理事会はもう数ヶ月の間、会話を始めた霊長類たちの人権について話し合いを続けていたが、しかし未だ話はまとまらずにいた。
現在把握されている「喋る霊長類」はそう頭数が多くなく、確認されている例は世界で三〇〇件ほどであった。
これ以後増えるのか減るのかも判らないが、彼らの人権については慎重に慎重を重ねてあらゆる面での検討が為されている最中だ。
「彼らにも人権は認めるべきだ! 人類と同等に会話し思考する彼らを「猿」として扱うのは人権侵害だ!」
「人権って……、そもそも彼らは人類ではない」
「人権とはただの言葉としての表現だろう。つまりは彼らの権利を人と同等とすべきという話だ。揚げ足取りはやめていただきたい」
「そもそも彼らを猿と称すること自体が差別的で……」
このような会話をテレビで見ていたニホンザルの「ロチル」はふぅんと言いながらカステラを食べた。
これはママのおやつを勝手に盗んだものだった。
バナナの絵が描かれた白いTシャツに赤いズボンはロチルのお気に入りの服装だ。この服でカステラを食べつつパサついた口の中を水で流すのが最高なのだ。
「あ、ロチル! またお菓子盗んだのね!」
ヤベッとロチルは残りのカステラを口に突っ込んだ。
ママのロチルに対する食事制限は厳しい。
なんでも、ロチルの健康のためにはちゃんと食事を管理しないと駄目なようだった。
パパもネーネも好きに食べているのになぁ、などとロチルは思った。
「もう! 暫くおやつはなし! 人間のお菓子はろっちゃんの体に悪いんだから!」
あ、超怒ってる。とロチルは慌てて水を飲み込みそして話題を変えることにした。
「ねえママさぁ、僕にも人権ってあった方がいいのかなぁ」
「えー人権? ママはろっちゃんにも人権欲しいよ」
「えーなんで? 僕別にママのペットでも全然問題ないんだけど」
洗濯物を抱えたママはやけに真剣な顔つきで「それはね」と言い出した。
ロチルがママのところに来たのは生後ひと月の頃。今はニホンザルを飼育することは禁止されているらしいが、ロチルがママのところに来た時はセーフだったらしい。
ことの発端はロチルの本当のママが事故死したことだ。
お腹を空かせたロチルは一人で彷徨っているところを、山道を散歩していた人間のママに拾われたのだ。思えばママの真剣な顔はその時以来かもしれない。
「ろっちゃんってママの所有物扱いなのね。法律的に」
「? うん。だから?」
なにがいけないのか判らなかった。
「ろっちゃんが他の人間に傷つけられても器物破損なのよ」
「あーつまりさ、僕が人間に傷つけられてもモノに対する補償で終わっちゃうってこと?」
「そう。ママはそれは悲しくて嫌」
「ママ、それじゃあ損しちゃうものね」
「ロチル」
「え?」
ママがすごく真剣な顔でロチルを見ていた。
「ママ?」
「違うよ。お金の問題じゃないの。ママはろっちゃんがモノとして扱われるのが悲しいの。ろっちゃんに人権があれはそんな風には扱われない」
「ママ?」
「ろっちゃん、ママはろっちゃんが可愛いのよ。大事なの」
「? うん……」
ママの言うことってよく判らないな、とロチルは思った。
喋れるようになる前もなった後も、ロチルの世界は安全で平和。本当のママが死んだのは悲しかったけど、少なくとも人間社会での生活は、人権なんてなくても毎日楽しいし幸せだ。
時々ネーネと喧嘩するけど二人は仲のいい姉と弟だったし、ご飯も毎日もらえる。パパもママも優しいし別にそれで幸せなのにな、と考えた。
「今は判らなくてもいいわ。でもママはろっちゃんのこと、世間のみんなにも大事にして欲しいの」
「ふうん……ねえママ」
「うん?」
「カステラもっと食べたい」
「駄目よ」
ママは瞬時にそう言って首を横に振った。駄目らしい。
「人権侵害だ……」
「人権ってそう言うことじゃないのよ! もう」