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18.正体、立場、或いは思想

(あ、やらかした)


 そうは思うがもう遅い。

 ドッヂはサトウの表情を的確に読み取り、サトウが何者であるかまでは判らないものの、しかし異質な存在——、つまり、普通の飼育員ではない、ということには気付いたようだった。


 困った、というより失敗したな、という感覚に近い。


 ドッヂがサトウを見つめている。

 サトウは暫く考え、そしてため息混じりに頷いた。


「……わたしは飼育員ではあるけれど、ドッヂが言うように普通の飼育員ではないよ」


 やっぱり、とでも言うようにドッヂも力強く頷いてみせる。


「サトウ、俺たちの権利、よく考える。俺たち権利得る結果、人間損失出ることある。でもちゃんと話すしてくれる。そういうところ、他の飼育員と違う考えた」


 組織にどやされそうである。

 まあ、バレてしまったのは仕方がない。パインの檻をチラと見るが、彼は絶賛お昼寝中だ。

 言葉を慎重に選ぶ必要があるが、サトウの立場をドッヂに話すべきであろう。

 サトウは箒を持ったまま生垣に腰を下ろした。


「……この動物園は、飼育環境がよくなかった。その改善のために、わたしはある組織から派遣された」


「ええと……、l'espionnage?」


「ああうん、そう。諜報活動中ってこと」


「でもこの動物園、あまり環境悪い感じない」


「改善したからね。前の園長から別の人になってから環境がかなり良くなった」


「サトウまだここいる。もっと改善必要?」


「ううん。どちらかというと組織は今、パインを心配している。ドッヂが住むようになったから心配はさらに増えているよ。つまり、パインととドッヂが不利益……、人間の都合で酷い扱いを受けたり権利を奪われたりしないかの観察をわたしは継続している」


「判った……、俺、サトウの正体、秘密にする。多分これ最適判断」


 ドッヂは二度、三度と頷いてみせた。強制したわけではないが、ドッヂに秘密を抱えさせてしまったのはあまりいい気分ではない。

 サトウはドッヂやパインを欺きたくないし、サトウにまつわる秘密も抱かせたくなかった。


 まったく迂闊であった。ただ、よくお喋りをする飼育員のままでありたかったのだが。


「サトウ、なんで動物助ける?」


「……なんで……、うーん……」


 ドッヂがサトウをじっと見ている。

 純粋——、に見える瞳が、サトウを見た。


 サトウは、動物が無垢な存在であるとは考えていない。個体差があることを理解しているし、人間を欺くもの出し抜くもの、様々だろうということも判っている。


 彼らは人間とそう変わりはない。

 人間的な知性を持つもの、持たぬのものに関わらず、彼ら動物には個性があるのだ。

 それを観測する人間の視点によって彼らの生物としての「格」が決められてしまっている。


 これはつまり「動物は純粋でか弱い立場だから守ってやらねばならぬ存在」と考えている人間はとても多い、という話だ。


 だがサトウはそうは思わなかった。


 賢い彼らも普通の彼らも、みんな優しくてずるくて、そして自分が一番大切で利己的だ。

 彼らはまったく純粋ではない。


 それでも、人が率先して動物を保護、あるいは手助けせねばならない局面はいくつもあるとサトウは考える。


 サトウとファルクは、「人類の営みや行動で動物が不利益を被った場合、それを改善するのは人類の義務」という思想を掲げている。


 動物の純粋さがどうのは関係なく、人間から齎された不利益を、彼らは自力で改善する能力に乏しいからだ。


 だから動物園やブリーダーなどが動物を極めて悪質な環境下に置いているのなら、動物を救出し環境改善を図り、悪環境の原因となった人間が二度と動物にそのような仕打ちを行うことがないよう社会的な制裁を受けるよう誘導している。

 なるべく穏便に、である。


 とは言えそれはひどく悪質な場合に限っており、ファルクは同時に「人にも優しく」を掲げているためにわざわざ「少しばかり難あり」と評される程度の人間を捕まえ吊し上げようなどとはしない。


 人よって動物に対する思いは様々で、動物に関わる多くの人類は、自身の中で最善を導き出し、その上で動物たちに接しているためだ。 


「……わたしは、人間と動物を、同じ土俵に立つ生き物だと考えているんだ」 


「同じ土俵?」


「そう。例えば人間が、他者に危害を加えた場合は人間が償わなくてはならないよね? わたしは人間と動物は同じ土俵にあると考えている、とさっき言ったね。だから人間が動物に対して何か悪いことをしているのなら、それを改善するのは人間の義務だと思っているんだ」


 ふうん、とドッヂは返事をした。彼はそれから暫く、何かを考え込むような素振りで首を傾げた。


 ——動物保護は難しい。とても難しい。


 どこで線を引くべきか、どこで落とし所を決めるべきか。

 100%を目指すと破綻するか極端に思想が傾くかのどちらかになる。他人に対しても、自分に対してもだ。


 かく言うサトウも100%は目指していない。無理だと悟り、諦め、そして折り合いをつけた。


 例えばサトウは、必要とあらば蛇でも虫でも保護をする。しかしそれは彼らの生命が、人の営みによって危ぶまれている場合と決めていた。つまりファルクの方針と合致している。


 だが、その一方でサトウは不必要な自然への介入——、例えば鳥などが捕食のために小動物を襲っている場面で邪魔をすること——、それは寧ろ「悪」と考えていた。


 人間がその小動物を食べなければ生きられない状況、つまり捕食目的で小動物を奪うのならばその限りではないだろう。

 それは生存をかけた闘いであり、つまり自然の摂理だ。サトウも月に一度くらいは肉も食う。

 

 その一方で、サトウは人が動物からの脅威、それから身を守ることにも肯定的だ。

 動物は己の生命を守るために別種の動物の命が奪うことがある。それもまた自然の成り行きのひとつであろう。

 熊や猪などの獣の出没、それについての対処がそれに当たる。


 獣を殺さずに済む方法があるのならさいわいであるが、そうでない場合、または最善と思われる方法が現実的でない場合は多い。


 獣出没の理由が人間にあるのなら、人間は彼らのテリトリーを侵さぬよう、また彼らが人間のテリトリーを侵さぬよう調節を取るべきだとサトウも思う。


 だがそれは「無抵抗のまま被害者になれ」と言うことではない。


 被害は黙って受けるべきものではない。

 抵抗の果てに殺処分しか道が残されていないほどにその獣の振る舞いが「脅威」であるのなら、それは「脅威を振り払う」程度の抵抗で人間の身の安全が保たれなかった結果なのだから仕方がない。


 繰り返すが人間もまた、()()だ。

 動物が脅威から逃れるために抵抗する。それは批判されるべきことではまったくない。


 兎にも角にも、人間の営みは動物たちのそれに比べると恐ろしく発達しているが、しかしそれさえも結局のところ「人間という動物の生活」だということだ。

 だからファルクは「人にも優しく」を掲げているのである。


 ドッヂが不意にサトウを見上げた。


「サトウ、動物、人間に危害加えるした場合、償う必要ある考える?」


「責任能力があるならばそうすべきだとわたしは考えているよ。ただ、動物の場合それだけの能力がないケースが大多数だよね。その結果、多くの場合は……、命を奪われる、という形で落とし所をつけるしかないのが現状だと思う。飼育動物化させる、縄張りに戻ってもらう、彼らだけが住める場所を作る。そのどれかが可能ならそうした方がいいと思う。でも、」


「俺、それ難しい思う」


「……そうだね」


 その通りだ。リソースが足りない。なによりも——。


「動物はinstinctif《本能的》。お願いしても実行できる個体少ない」  


 そう、それが問題だ。


「悪いことして罪償う人間のルール、動物納得できない。人間ルール、理解ある動物も、自分がそのルールに入りたい思わない個体なら悪いことした時、罪償うしようと考えない思う」


 動物を人間の裁きの枠組みに組み込むのは今の法律では難しいのだ。

 知性あるドッヂやパインでさえ、彼らに償いの意識があったとしてもどう裁くべきかで人類は悩まされるだろう。


「……人権ない俺たち、罪償えない。人間社会のルールに入れない。こう言う事件発生可能性、絶対ある。殺されないのためにも、人権必要考える。人権持つ、罪償うため殺される可能性減る。俺たち、子供、人権ない不安感じる。ローズも同じ考え」


 人権を得るということはその命が人と同じように慎重に扱われるということだ。

 人間的発話可能な非ヒト霊長類には、それが当然と判断されるだけの知力がある。人権を得て当然とされるだけの、人間社会に溶け込めるだけのポテンシャルがある、という話だ。


 だが初手が拙かった。

 人権を放棄してしまったのは彼らにとって手痛い失敗だ。


 ドッヂの人権再取得に向けた活動も上手くは行っていないようだった。


 人間による誘導によって彼らが人権を放棄したことが確定したのなら、ファルクはドッヂの手助けをすることも吝かでないと考えている。


 それは「ドッヂが人間の誘導により人権の喪失」という損害を負ったことになるからだ。


 しかし彼ら喋る非ヒト霊長類が話し合いの末に人権を放棄したのならそれはファルクがしゃしゃり出て手助けをすることではない。それは干渉だ。彼らの自治性を軽んじていることになる。


 コンゴに飛んだ調査員はまだ帰ってこない。調査によって介入と誘導が確定したのなら早急に動けるのだが。

 まったくややこしい。


「人間の脳みそが小さいままだったらこんなにややこしくないのかもなあ……」


「人間の……ん? なに?」


「脳、ええと、なんだったかな、頭の中」


「あ、Le cerveau」


「そうそう。ホモ・サピエンス脳が小さいままだったらわたしたちは猿のままだったし地球はジャングルのままだっただろうね、って話」


「? サトウ、人間、猿のままの方が良かった考える?」


「どうかな。種族内の本能的な序列はあっても、他種族同士の不平等はなかったのかな、とは思う。食うか食われるか。弱肉強食にニンゲンという猿が組み込まれて、存外地球はひどく平等で、理不尽で、でもみんな立場が同じということを疑うことはなかったかもしれないね、って話」


 人間はただの猿に過ぎない。ただ、知性を持ち過ぎたのだ。決して特別な存在ではない。

 人類と動物が共に歩んでいけることが理想だ。


「だけど俺、人間、俺たちより発達した文化持つこと助かる」


 ドッヂの目的は安全な環境の提供。それは確かに、発達した文明を持つ人類によってのみ提供されるものだろう。


「ごめんドッヂ、そろそろ行くよ。ミーティングがあるんだ」


「うん、またね」


 ミーティングまでにはまだ二十分あるが、それでもそろそろ移動しなければならないだろう。サトウはそれにしても、と考える。


 ドッヂは法の必要性を強く理解している。

 サトウの立場も理解し、どうすることが最善であるかも自発的に考えられる。

 彼のような個体が人間社会へと進出できないのは少々残念ではある。ドッヂの活動が上手く波に乗ればいいのだが——、現実問題、難しいのではないだろうかとサトウは判断していた。


 彼らが法のその先に何を得られるのかを知らないのだから仕方がない。ドッヂのような個体は稀なのだ。


 子供を学校へ行かせたい、とドッヂは言っていたが、それまでに法整備が追いつくことはないのではないかとサトウは考えていた。


 ドッヂたちをがっかりさせたくはないが、法の制定というのは非常に慎重に行われるのだ。だからローズがこの先の何年後に子を産むかは判らないが、それに間に合うだけの何かしらの後押しが必要だろう。

 上手くいけばいいのだが。

 サトウは小さくため息をついたのだった。

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