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14.報酬と当然の義務

「ゴリラって何が好きなの?」


「葉っぱ、茎、髄。ゴリラ好物。仲間のほとんど、これが好き」


 動物園育ちのパインは野生()を知らない。

 ドッヂ夫婦到着直後から、二人は喋る猿同士、会話を続けていた。


 ドッヂの自由意志により、折角の新築の檻には別の動物が入居し、彼ら夫婦はパインが暮らす檻の横に越してきたのである。

 意思疎通が可能である以上、彼ら夫婦の意思は最大限に尊重されるのである。


 さて、ドッヂはこの通り日本語が少々覚束ないが、それでもそれなりの会話を楽しんでいるようだった。


 日本語は学習過程にあるのだろうが、それにしても驚異的な速さであった。何が彼の脳内で起きているのか判らないが、末恐ろしいことである。数日の間はリンガラ語、フランス語の混じった言葉を話していたようではあるが、それから更に数日経った今は、こうして日本語を話し始めている。


 サトウはフランス語は多少理解できたが、リンガラ語に関してはサッパリである。

 言語に関してドッヂは、人間のサトウよりもよほど達者だ。


 これはドッヂが特別に言語理解に長けた個体であるのか、喋る非ヒト霊長類全体の特性なのかはサトウには判断しかねた。

 なにせサトウにはパインとドッヂ以外の非ヒト霊長類との接触がない。また、接触があったとしても彼らの生態に関する研究はサトウの仕事の範囲外だ。つまり、調べる必要性は今のところ感じていなかった。


「パインは林檎とブドウ。ズイってなに?」


「木……、若い枝、真ん中部分。ソルゴーの髄、俺、一番好き」


 二頭の様子を見るに、動物としての発話でのは意思疎通は不可能なようだった。人間に置き換えればA語話者とB語話者がいて、会話が成立しないから互いにそこそこ話せるC語で話しましょう——、そんな感じだろうか。


「なんで日本を選んだの?」


 おっと急に核心を突いてきたな、とサトウは聞き耳を立てる。国連によるいくつかのピックアップの中から選ばれたことは知っているが詳細までは知らなかった。


「海見たい考えた。住んでたとこ、森。海見えない。ここ、海見える考えた。勘違い」


 あああ……とパインの声が沈む。

 故郷ではどのあたりに住んでいたのかは判らないが、海が見えない場所だったのだろう。海が見えると思いこの光が丘ズーワールドを選んだのなら気の毒なことである。


「でも毎日餌貰える、部屋綺麗。飼育員対応親切。満足。嫁、同じ気持ち。海見えない、小さいこと」


「そっか……、ここ、最新の設備なんだって。温度管理、パインの部屋とドッヂの部屋、違うんだってさ」


「パインここ好き?」


「判らない。サトウさんは好きだけどパインはここしか知らないから出て行きたいとは思わない。快適だし。でも比較対象はないから好きか嫌いか判らない。森は楽しい?」


「楽しい。でも危険多い。子供育てる、たくさん大変。密猟者危ない。病気で死ぬ可能性ある。食事集める、大変。だから俺、動物園働く。動物園、安全。子供無事育つ。これはたくさんいいこと。ケア、報酬、それで満足」


 なるほど、ドッヂの目的は安全な生活と安定した子育て環境のようだった。彼は自由な生活と不自由だが安全な環境を天秤にかけた結果、この光が丘ズーワールドで働くことにしたというわけなのだろう。

 同じ檻の中、ローズは二頭の会話に興味がなさげに、しかし檻の外は興味深げに見つめていた。


「報酬?」


「そう。俺、ケア、報酬、それで充分考えた。パイン、報酬、何貰ってる?」


「何も。でも餌はもらってるし掃除もしてもらってる」


「それはパインの……心?」


「心? あ、考えってこと? ううん。パインはずっとこう。今までも、これからも」


「パイン、それでいい?」


「? 不満はない」


「自分で考える、大事。パイン話せる。パイン展示されてる。考え伝えられない動物、違う。パイン、報酬必要。俺、生活のケア、報酬、考える。な、な……? 納得、してる。でもパイン、ケア以外欲しいものある? あるとき、伝える必要ある。それは……、正しい? ん? ええと、せい、せ、……フランス語、C'est ton droit légitime」


「セ トン ドロワ レジティム……ああ、正当な権利?」


 サトウの言葉にドッヂは頷いてみせた。 


「そう、正当、正当な権利。パイン、ちゃんと言う。大事」


 つまりドッヂは、動物園で働く見返りに生活全般の面倒を見てもらうことを報酬とする旨に納得をしているが、パインにもまた納得できるまで交渉する権利があると言っているのだろう。


 実に賢い。


 隣にいるオランウータンが不当な扱いを受けているようには見えないが、それでも賢い彼は疑問を抱き心配をしたのだろう。 


「パインの権利……ん? それは人権がなくてもお願いできるの?」


 パインの瞳がサトウに向けられた。それは当然である、とサトウは頷いてみせた。


「それが通るかどうかは内容にもよるけどね。人権とパインの要望は別の問題として考えるべきだ」


 言葉が通じないのなら人間は動物の気持ちを推測するしかない。しかし明確に意思を伝えられる個体に関しては、その限りではないだろう。

 彼らの要望はその都度精査し可か不可かは決めなければならないはずだ。また、何かしらの苦痛を感じているのなら動物福祉上、配慮や改善の必要も出てくるだろう。それは光が丘ズーワールドの、動物園としての義務だ。


「例えばパインが『実は夕方一七時までの展示は体がキツい』と言うのなら、光が丘ズーワールドには対応の必要が出てくるだろうね。動物園は動物福祉上、動物の健康を守る義務があるから。なぜ疲れるのか、その原因も探ることになると思う」


「じゃあパインが『めんどくさいから展示されたくない』って言ったら?」


「パインの健康のために展示はある程度必要だよ。だから全ての条件を飲むことはできないかな。運動・日光浴はパインの健康維持には大切なんだ」


 ふうん、とパインは返事をした。


「ただ……、そうだね、『今日はめんどくさい』とか、『まだ十三時だけどもうめんどくさい』ならパインの要望を飲む必要はあるかも……、とわたしは考える。今日だけ、ならパインの健康が損なわれることはない。パインはドッヂと違って労働契約を結んでいる労働者ではないから、開園時間にずっと展示されていることをパインへと強制する権利は、動物園にはない……、と思う。これはわたしの意見であり、わたしには何の権限はないから、パインが話し合いが必要だと感じたら園長と話して欲しい。パインが望むならわたしも同席するよ」


 言葉を選びながら、あくまでもこれは飼育員であるサトウの考えだ、と慎重に伝えていく。


 トラブル回避のため、というより、パインに過剰な期待を寄せさせないためだ。


 免許取得に関して会話した時のように、パインが()()()になった後に「やっぱりダメだ」と梯子を外すようなことになってしまっては、あまりにも可哀想だと考えたのだ。

 あれは浅慮だった、とサトウは反省している。


「あれ、でももしパインのお願いが叶ったら、パインは得しちゃうよね? ドッヂが不公平になっちゃうよ」


「フコウヘ?」


「フコウヘイ。平等じゃないってことだね。ええと、フランス語だと……、l'iné(レネ)galité(ガリテ)、つまりね、パインの方が働く時間が短いのに同等のケアを受けることは問題なんじゃないか、ってパインは思っている」


 記憶の彼方の単語を引っ張り出して伝えると、パインは頷き、またドッヂはなるほど、と理解した顔で同じようなジェスチャーをした。


「大丈夫。俺、さっきも言った通り、待遇納得してる。問題ない。来日、自分の気持ち決めた。でもパイン、違う。パイン、赤ちゃんの時から動物園いる。俺とは待遇違くなる、当たり前。だって、パイン、自由意志なかった。俺は自分の気持ち来日。働く約束にケア、報酬に要求した。でもパインのケア、報酬違う。動物園、ケアすること義務。パイン、欲しいものは貰えるべき。それはパインを閉じ込めてお金もらうから、少し許されるべき要求考えた。だから俺、パイン要求言う大事、考えた」


 サトウは顔色ひとつ変えず、二人のやり取りに耳を澄ませる。要点をまとめると、ドッヂの主張はこうだ。


 ドッヂは自らの意思で来日し、雇用契約を望んだ。そのうえで、日々のケアを報酬と定め、十分な対価だと受け止めている。


 しかし、動物園で生まれたパインに同じケアが与えられるのは「報酬」ではない。それは光が丘ズーワールドが果たすべき当然の義務である。


 なぜならパインは言葉を持たぬ頃から、いや、幼少期から飼育されてきた。そこには雇用契約もなく、展示されるに至った経緯に自由意志は介在せず、ほとんど強制に近い。


 したがって、園がパインを檻に入れ、来園者から入場料を得ている現状を鑑みれば、その福祉を高める責務が光が丘ズーワールドにはある。 


(驚くほどに鋭い。自らの自由意志を起点とし、パインの非自発的な管理を終点とする——処遇の正当性をめぐる論理は一貫している。動物園が「自由を制限し、利益を得ている」という事実を、福祉向上の倫理的根拠として突きつける……。モラルエージェントとしての振る舞いが、あまりにも完璧だ)


 ドッヂがただの喋るゴリラではないことに、サトウは身震いした。


 これはパインとの会話では一度も感じなかったことである。パインが劣っているのでは決してない。ただ、ドッヂが特別優れているのだ。


「……でも、以前話したように、人権がなければできないことは残念ながらわたしも園長も叶えてあげられない」


「車の免許ね。パインもそれは判ってるよ」


「メンキョ?」


「んとね、車の運転に必要なんだって。許可証。でも人権がないからパインは免許は取れない。パインは車を運転してサトウさんの家に行きたいけど……」


「ああ……人権……、そう、俺たち人権ない。人権……」


 ドッヂはぐるぐるとその場を歩いた。ローズが何事かをドッヂに話しかけ、彼はそれに返事をする。そして夫婦は暫し話し合い、それが終わるとドッヂは再びパインとサトウの前へと近づいた。


「俺も人権、欲しい。子供が生まれた時、言葉話せる個体場合、学校行かせたい。人間と同じ勉強、させたい」


(学校……!?)


 学校、と言う単語にサトウは唖然とした。一度はサトウも考えたことがある。考えたことは確かにあるが——、彼らが自発的に学校へと通うこと、或いは子を通わせることを希望すると本気で考えたわけではなかったのだ。


 彼らは少し前までは発話のできない普通の非ヒト霊長類だったのだから。

 しかしドッヂには、人間社会に参加するその意味や権利を理解してる。


「……パイン、人権欲しい、言おう」


「……誰に?」


 パインが首を傾げた。

 ドッヂも首を傾げた。

 サトウは唖然とし続けた。


「もう一回、猿たち話し合う。どう?」


「え?」


「決定したこと、変えちゃ駄目? そんな決まりない」


 もう一度話し合えばいい。ドッヂは当たり前のようにそう言ってのけたのだった。


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