13.ドッヂ来日
ドッヂと妻のローズは本日午前、国際機関の職員に付き添われ成田空港へと降り立った。
光が丘ズーワールドの獣医によれば、幸い彼らに疲れは見えず、寧ろ日本の動物園という環境に大きな期待を寄せている様子である、とのことであった。
彼らの健康が最優先事項であることから、成田に詰めかけた報道陣には取材をご遠慮いただき、お披露目は後日、光が丘ズーワールドで行われる来日セレモニーで行われることが決定した。
何はともあれ、彼らは無事に到着した。
動物の輸送についての最大の懸念は、怪我や病気、体調不良なく到着するかどうかだろう。ひとまずそれらは現時点では確認されておらず、残されるは光が丘ズーワールドまでの道のりだけとなった。
何事もないことを願うばかりである。
しかしなあ、とサトウはしかめ面で画面を見ていた。
パインの発話が可能となった時も、マスコミが押しかけて大変だったのだ。事前の申請には、普段は動物園など見向きもしないようなメディアも多数含まれていた。
「負担にならなければいいけどな……」
ポツリと呟くと「お疲れ様です」という声が頭上から降ってきた。見上げるとそこにはジンジャークッキーのような顔をした男がいた。
確か、爬虫類担当の飼育員だ。あまりサトウと接点はない。プライベートでもヤモリを飼っていると言っていたと記憶している。
「お疲れ様です」
「ドッヂくんとローズちゃん、明日到着予定でしたっけ?」
「ですね」
サトウは短く返事をするとまた画面を見た。
トラックに乗っただの出発しただの、わざわざ公共の電波で実況するようなことか? と思いつつも目線は画面に向けたままだ。
「俺、さっき聞いたんですけど、もう取材申請来ているみたいですよ。検疫舎に入ってもらうからすぐには会えないのに」
「獣医師の診察もありますしね。早くて一週間後、通常なら二週間後くらいですね」
「ですよね。そういやサトウさんて獣医学部卒でしたっけ?」
尋ねられてサンドイッチを片手にサトウは頷いた。隠すほどのことでもない。
「獣医師の資格は持ってますけど、わたし臨床経験がゼロなんですよ。任意の卒後臨床研修制度も受けてませんし」
「あ、そうなんですか。珍しい」
「ですね。普通はそのまま病院で働くんでしょうけど」
だからわたし、獣医師資格を持つただの飼育員なんです、と付け加えたが相手は少しも笑わなかった。
「なんで獣医にならなかったんですか? 聞いていい事情ですか?」
「うーん……」
こちらはそこそこに隠したい事情である。
「あ、すいません」
現代の若者は相手が難色を示していると察すればそれ以上の深追いはしない。有難いことである。
「適性がないなぁって思っただけなんですけどね」
「へえ……なんかごめんなさい」
「いいえー」
それ以上、彼が何も尋ねてこないのをいいことに、サトウはサンドイッチを咀嚼した。
——六年の大学生活の中で、ゼノスから逃げるべくサークルや関係者と徹底して距離を置いていたサトウだが、五年生の春にファルクへと入った。いや、入らされたと言うべきか。
端的に述べればサトウは公安にマークされていた。テロリストと接触歴があればマークもやむし、当然のことであろう。
寧ろ、なんかご迷惑をおかけしてすみませんでした、と言いたいぐらいである。
そのマークの結果、幸いにもサトウへの嫌疑は早々に晴れたわけだが、なんとその公安警察官のうちの一人が、堂々とサトウと接触を図ってきた。その公安に紹介された先がファルクである。
公安の紹介というあたりで身綺麗な団体とは言い難いことは想像に容易い。そんな組織と接触など持ちたくないが、公安直々のお願いを拒否する権利がサトウにあるわけがなく……、そしてファルクに入り今に至るのだ。
湾曲的表現ではあったが、ようはファルクに入って内部事情を探れという話であった。
当時は世界各地で様々な団体による様々な「動物の権利を守るための過激な抗議活動」が勃発していたために、ニューヨーク、東京、パリと世界に拠点を置く、とりわけ巨大な組織であるファルクも過激派なのではないかと疑われていたようなのだ。
人に危害は加えない、嘘はつかない、動物には優しく、でも人にも優しく。
これが基本理念の団体ではあるが、公安はファルクがいつか道を外れるのではないかと危惧してマークを続けているのである。
サトウのファルクへの所属が五年目となったころ、突然に公安からの接触が途絶えた。
ファルクもサトウもどうやら無害と認定された——、わけではおそらくないだろう。
なにせ、動物に携わる問題のありそうな人物が軒並み自爆し社会的制裁を受けているとなれば、その直前に接触を図っているファルクの構成員がどうも怪しい、と判断するのが妥当であろう。
が、しかし、なぜか公安は手を引いたのである。
実際、ファルクはグレーゾーンの活動に手を出していた。
被虐待動物を保護の名目のもと盗み出している、らしい。その上対象の、あらゆるよくない側面を露呈させ自爆へと導いている。
サトウはファルクが何をしているのか詳細は知らない。知らないことになっている。
サトウの主な仕事は潜入とレポートの提出のみで、直接的に何かをしているわけではないため、対外的にはいくらでも言い訳が立つのである。
「……無責任だなぁ」
「ですよね。マスコミの人たち、動物の健康に全然配慮してくれない」
「……ですねえ……」
サトウは曖昧に返答するとサンドイッチを飲み込んだ。
こうして二重潜入状態であったサトウは、ファルクお抱えのただのスパイとなったわけである。




