12.サトウ
方針を固めると同時に、ファルクからは数名の調査員がコンゴまで飛んだ。そしてそのうちの一人が早々に、あるジャーナリストとの接触に成功したのだ。
普段は野生動物の専門家たちのフィールドワークへと同行し、雑誌社へと記事を提供している記者のようだった。
調査員もまた、野生動物専門カメラマンの肩書きで現地へ潜入しており、そしてガイドによって引き合わされたのが彼だった。
現地のバーで、ボノボへの取材直後の彼に知り合えたのは運が良かった。
取材内容は詳しくは伝えられないとしつつも酒に酔った彼は口を滑らせ、いくつかの事柄を教えてくれた。
彼の発言から接触団体が判明するも、そこに思想介入と誘導があったかは確定しなかった。
誘導があったと決めつけるわけにはいかないが、誘導があったかもしれないという考えを基本にサトウたちは動いた。
廃倉庫群の中、その廃倉庫はある。煉瓦造りで壁面には蔦が張っている。ここがファルクだ。
鉄製の重い扉を開こうとしたところ、丁度スマホが震えた。
表示された名前は、サトウの部下にあたる人物のものだった。
手袋を外して通話ボタンを押すと、相手は『どもどもー』と底抜けに明るい声で会話を始めた。
『オトモダチになれましたよ。まあ、ターゲットは下っ端で、本丸はまだまだ遠いですけど』
部下は電話の向こうでそう言った。異常にコミュニケーション能力が高い彼は、スルリと人の懐に潜り込む。
ターゲットに選んだのはサークルで動物保護活動に取り組む大学生。大企業の創業一族に生まれた三男坊だ。
ターゲットが属するのは表向きの上では穏健派のサークルではあるが、上層部の数名に例の組織、サンクタス・ファウナとの関係が確認されていた。
まるで、誰かのようじゃないかとサトウは少しだけ笑った。
「気を抜くな」
『はいはーい。今日そいつの家に遊びに行く予定です』
「そうか、判った。慎重に動くように。わたしも動けたらいいんだが」
『無理っしょ、あんたは面が割れてるんスから。あんたはパインくんと……あとドッヂくん? のこと、ちゃんと見ていてくれてりゃいいんスよ』
「……とにかく、今はボンボンと行動を共にするだけでいい。現段階では無理に何かを調べようとしないように。ああ、自分の身の安全を最優先に」
『了解でーす。ではでは』
「……まったく」
サトウは通話を切った。
「——サンクタス・ファウナ」
忌々しい名前である。
奴らが喋る猿たちに接触し、何もしないわけがないが、確証は得られていない。
——サトウはその団体をよく知っていた。
「ゼノス……」
一人の白髪頭の男の顔が脳裏に浮かぶ。
サトウがその男と出会ったのも、大学生の頃だった。
獣医を志すサトウは大学のサークル、そう、穏健派のどこにでもある普通のサークルへと入ったのだ。
真っ当なサークルだった。動物保護活動を主として、清掃ボランティア、オリジナルTシャツの販売、その売上金をまた動物保護に充てる——、本当に普通の、どこにでもあるサークルだった。
ゼノスと名乗った男はサークルの出資者だった。
東洋人とも西洋人ともつかぬ、年齢さえもはっきりとしない、どこか神秘的な容貌はそれだけで人を惹きつけた。
投資で得た金の多くをいくつかの動物保護団体へと出資しているとのことだった。
いい人だと思った。
部員全員がそう思っていた。
本名さえ明かさぬ男を皆が皆信用したこと自体が異常だが、当時まだ一八歳だったサトウは暫くはその違和感に気づかなかったのだ。
サトウが大学二年になる頃、サークルの様子が変わりだした。
行き過ぎた動物至上主義思想、動物のためならば人間の命を軽んじる姿勢。
その中心にいるのはゼノスだった。
様変わりした部員の雰囲気についていけなくなり、サトウは勉学を理由にサークルを辞することにした。
そして三年になる頃には、ゼノスによるサークルの乗っ取りが完了していた。
同級生の何人かが過激な活動にのめり込み大学を辞めていくのを横目に、サトウはなるべく彼らと距離を置いた。
しかし人の口に戸は立てられぬものだ。
真の動物保護とは、人間社会と動物社会を完全に分つことである——、そんな主張をする男を、神と崇める部員たちの話題が頻繁に耳に入ってくるようになった。
人間と動物はすでに共に生きている。完全に両者を分つなど、どちらかが絶滅することでしか実現はできないだろう。
極端な深層生態学は最終的に人間そのものの存在を害とする思想に結びつきやすい。
サトウはその正義に酔いしれることなく、脱出することを選択できたのは幸運だったと今でも思う。
だが、ゼノスの中の何がそうまでさせるのか、サトウには判っていた。判ってしまったのだ。
サトウは、ゼノスと非常によく似ていたからだ。
『お前と俺は一緒だ』
ゼノスにかつて言われた言葉を思い出し、サトウは奥歯を噛み締めた。
「違う」
違う。サトウも人を憎んだが、その命を握り潰そうなどとは決して思わなかった。
だが、そう、サトウにはどうしても判ってしまったのだ。
サークルの思想についていけなくなったのは本当だ。
だがサトウは、ゼノスが怖くもあったのだ。
一緒ではないが、サトウは本当によく似ていた。
大量のペットフードやシートの山を通り抜け、オフィスに辿り着く。
一階には保護した犬猫の世話に明け暮れる者が数人居たが、サトウは先に着替えてくる旨を伝えて二階へと上がってきた。
ロッカーを開けてコートを放り込む。
シャツも脱いで、畳んであったトレーナーに着替えた。
扉に嵌め込まれた、備え付けの鏡に自身が映る。
明るい茶色い髪に、茶色い瞳。混血の証拠とも言える色合い。
サトウのアイデンティティを構成するこの色。
この血を何度憎んだだろう。何度。
——スマホが何事かを通知した。
内容は短くただ一言、「継続」。
それを確認すると、サトウはロッカーを閉じたのだった。




