表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/17

9.大物主の反逆

大物主(国津神の一柱。大国主と別神である)は祀られることに固執している。


大物主は、10代崇神天皇の世で民の半分が死ぬほど疫病が蔓延したところ、「この疫病は私の意志である。今、意富多多泥古オオタタネコを連れてきて私を祀らせたならば祟りは止み、国も安らかに平らかになるであろう」と崇神に託宣した。


(日本書紀の記述より、 https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/about-kojiki/outline/ https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/about-kojiki/outline/ 参照)


大物主の祀られたがりにはもう一つエピソードがある。スクナビコナの国造りにて、大物主と考えられている「海を光して依り来る神」が現れ、自分を祀ったら国造りが成功する、「倭の青垣の東の山の上に伊都岐(斎)奉れ」、祀らなかったら国造りが失敗する、と言った。


(古事記の記述より、 https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/kojiki/%E5%B0%91%E5%90%8D%E6%AF%97%E5%8F%A4%E9%82%A3%E7%A5%9E%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%9B%BD%E4%BD%9C%E3%82%8A/ 参照)


俺を祀れ、さもないと甚大な被害が出るぞ、と周囲を人質にして祀らせる神なのである。



天津神の立場から見ると、せっかく作ってきた国を壊し、「やめてほしかったら俺を祀れ」と主張する大物主は、テロリスト、国家反逆者でしかない。その後、天津神である天照を追放し、後に天照は仮の住まいからも追放されている。


10代崇神天皇が追放した天照は、崇神の娘である豊鍬入姫命に託され、笠縫邑(場所不明)の「磯堅城しかたき神籬ひもろき」に祭られた。その後、11代垂仁天皇(崇神の子)の25年に、天照は豊鍬入姫から離され、垂仁の娘である倭姫命とともに巡幸の旅に出ることになった。文字通り、床を同くし殿を共にして。


天照が最終的に伊勢に落ち着く際、天照が倭姫に「この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の可怜国なり。この国に居らむと欲ふ。」と言ったとされる。


天照が伊勢を選んだ理由が単に「景色がいいから」。ともに旅をした倭姫に、直接意思を伝えた。この地を支配しようとか、祭ってくれる人がいそうだとか、敵に攻め込まれにくいとか、そういった動機は一切みられない。自分の感情に素直に動く性格がみてとれる。


天照が祀られたがりなら、神勅の最後は、「吾を末代まで丁重に祀るように、ゆめゆめ忘れぬように」のような趣旨になるのが自然である。男と間違えるな、で締めるはずがない。それに、潔斎が不要(「沙織の部屋」の「女官について補足」)というのも、ありえない。



大物主としては、天照を追い出すだけではなく、とことん利用したい。天照の「祀られたがらない」性格は、ものすごく都合悪い。だから、「天照大神」の存在を捏造し、徹底的に祀って権威主義的な高い神格に仕立て上げ、その威を借りたいのである。


国譲りの結果を否定するような大物主の行動は、天津神と、天津神に降った国津神の思いを踏みにじっている。今上天皇は126代だが、10代天皇の時代からずっと、日本はテロリストに乗っ取られ続けている。



この状況下で、本来の神格の天照が神託を出したことは、日本の在り方自体に大きな影響を与えることになる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ