6.「天照」のキャラクター
「天照」は「アマテラス」と読むのが常識だ。多くの人はそう思うが、木嶋坐天照御魂神社(このしまにます あまてるみたま じんじゃ、通称が蚕ノ社)のように、「アマテル」と読む神社も存在する。アマテルの読みが使われる神社は主に近畿地方にある(が、遠く離れた対馬にもアマテル神社がある。)アマテルと読むのは主に「天照御魂」のときで、「天照大神」を「アマテル」と読むことはない。
祭神が「天火明命」、すなわち天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊との説もある。これは天照大神と明らかに別神である。
天照にはアマテラスとアマテルの二人がいるとの論の一つは、「時間探偵」による、「二人の天照の謎 「アマテラス」と「あまてる」」の記事である。
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スサノウが乱暴したときに、天照は岩戸に隠れた。そして踊りにつられて出てきた。これは素朴な乙女のような行動で、最高神の行動とは思えない。
一方、三大神勅の天照は心配性で、回りの意見に従いながら私を拝みなさいと念を押す、
気の利く人間的な女神の姿である。
この2つの天照は別神で、乙女の太陽神が「あまてる」、天孫降臨の天照は持統天皇をモデルとした「アマテラス」である。
このような論である。
9節でも取り上げるが、天照は倭姫との旅の最後、「景色がいいから」伊勢に留まることを決めた。令和神勅の天照は感情に正直で、神勅の最後を「吾は女神であり男神ではない ゆめゆめ間違わぬように」で締めるようなキャラクターである。このような天照の人となりは、天岩戸のエピソードの天照と同じである。
三大神勅の天照は立場上、しっかりとした女神に描かれているが、根が乙女なのが天照の本来のキャラクターではないか。
このような天照にとって、今の伊勢神宮での丁重な扱いは本意だろうか。天照はそもそも内宮にいるのだろうか。妻のいる外宮に入り浸っていてもおかしくない。
天照が厳格な最高神でないと困る人たちがいる。
その人たちが、乙女の天照の存在を排除し、最高神の天照大神を祀って、いや「担いで」いる。
以下は紛らわしいロジックであるが、筋は通る。
・三大神勅を出した者は「天照」で、一般的に「天照大神と呼ばれる者」である。
・しかし、自分は「最高神の天照大神」でないので、「天照大神」と自ら名乗りたくない。
・自分のアイデンティティを乗っ取り、「最高神の天照大神」を担いで悪さをしている者は、この上なく忌々しい。
全て、つじつまが合う。