4.神託の概要(3)
「吾を担ぐ者はいといまいまし」
古語の「かたぐ(肩に乗せる意のかつぐ、負ける・参る)」でなく現代語の「かつぐ」の読みが指定されている。「天照を利用して利益を得ようとする者は」、との解釈はいかがだろうか。そのような者はかなりの数いるだろうが、その一例が12節にあげられる。
「いといまいまし」の「いと」は強調の意味の古語で、現代語の「ものすごく」「とても」「非常に」に相当する。
「いまいまし」は古語である。現代文の形容詞は「いまいましい」のように、「い」で終わる。一方、古文だと「し」で終わる。
現代誤の「いまいましい」は「腹立たしい」だが、古語の「いまいまし」はWeblioの学研全訳古語辞典によると、「(1)慎むべきだ。けがれを避けたい。(2)縁起が悪い。不吉だ。(3)癪にさわる。憎らしい。 」となっている。単に嫌悪感を表現しているのではない。存在自体が禍々しい災厄であり、同じ空気を吸っていると考えるだけでも反吐が出るような存在である。
「自ら去ぬか、吾が去ならしむか」
「自ら」は「みずから」でも「おのずから」でも変わらない。
「いぬ」は強い言葉で、現代語で相当する単語はなく、同じく強いネガティブな言葉である「死ぬ」とともに独特の活用(ナ行変格活用)をすることで知られている。
「いぬ」は漢字では「去ぬ」「往ぬ」の表記があり、「去る」「消える」の意である。「消え去れ」と最大限に強い言い方が「去ぬ」である。
「去ならしむ」は独特の表現である。「去ぬ」の未然形が「去な」、未然形に続く「しむ」は使役の助動詞である。(尊敬・謙譲の用法もあるが、明らかに違う。)「去ならしむ」は学校で習う古文だと「去な-しむ」((誰かに)去らせよう)、もしくは「去な-なら-しむ」となる。この「なら」は、 ラ行四段活用の動詞「成る」の未然形の「なら」である。
自ら去るか、それとも誰かに頼んで去らせるか、の意味であり、ものすごく強く拒絶していることがわかる。誰を使役するかについてだが、例えば妻の豊受の手勢の稲荷は動かしやすいだろう。雑な言い方をすると、「お稲荷さんの祟りが待っているぞ」となる。しかし、全く異なる解釈もできる。最後の16節参照。