表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/17

12.伊勢神宮の迷走

伊勢神道とは、伊勢神宮で唱えられた神道の考え方である。


伊勢神宮の内宮の禰宜は荒木田あらきだうじ、外宮は度会わたらい氏が世襲していた。内宮の天照と外宮の豊受では天照の神格が高い。これが気にならない渡会氏は、外宮の祭神を天御中主神(古事記で最初に登場する神)や国常立尊(日本書紀で最初に登場する神)と同一視し、外宮の地位が内宮より上だと主張した。(Wikipedia 「伊勢神道」より)


鎌倉時代(13世紀)に伊勢神道における、「倭姫命世記」を含む神道五部書が成立したとされる。度会氏は、当時の様々な思想をごちゃまぜにして、自分たちに都合のいい理論を構築した。「正直」と「清浄」を神道の二大徳目とするのは、現在の神道界に残る考え方である(Wikipedia 「伊勢神道」より)。現在の神職の階位は、上位から、浄階・明階・正階・権正階・直階となっており、浄明(清浄)と正直の徳目に由来する。


大きな疑問がある。乙女な天照は厳格な潔斎を伴う「清浄」を要求する性格だと到底思えない。11代垂仁天皇の時代に始まった、倭姫との伊勢に向かう旅で、果たして天照は倭姫に潔斎を求めただろうか。現代と違い、道路が整備されてない、旅人向けの宿もろくにない、埃まみれの厳しい旅で出る。いちいち潔斎しない限り倭姫と話しません、そんなことは考えられない。「沙織の部屋」の「女官について補足」の投稿でも、天照は潔斎を求めないと明記されている。


そんな天照が伊勢に呼んだトユケも、常に潔斎を要求する性格だとは到底思えない。神託において、天照が「妻」と明言したトユケが、天照と清浄さに対する要求が大きく違うとは考えれない。



考えてほしい。伊勢神宮は、御食津みけつ神、つまり食事の神として呼び寄せたトユケと天照に対し、何故、別の場所で食事を献上しているのだろう?同じ場所で献上するのが筋でないだろうか。



禰宜が別の氏で世襲だから互いに張り合っている、そんなつまらない理由だったりして。



祭神がより高貴(ここでは、人からの距離が遠い存在)であれば高貴であるほど、その仲介人である禰宜の価値が高まる。天照が「祀られることを望まない」なんてことは、禰宜の都合として、あってはいけないのである。この点では、大物主と利害関係が一致している。大物主としては、現状の伊勢神宮はこの上なく都合がよい。



祭神の都合より人のメンツの都合が重視されるのであれば、自分の利益のために祭神を「担ぐ」のであれば、そのような神社に果たして価値があるのだろうか。


このような神社が神に願うことは、「下卑」以外の何物でもない。


そして、天照にとっての大物主と伊勢神宮は、確かに「いといまいまし」である。より適切な現代語の表現は考えられない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ