一か月
半年も何もあの人三年なんだからもうすぐ卒業するだろ。
そう思っていた時期が僕にもありました。
しかし、である。
「おっはよー。祐樹くん。春休みどうだった?」
そう、底抜けに明るい声をかけてくるのは見知った先輩だったはずの女子生徒。
「……なんでいるんすか」
春休み開け、クラス分けを見て三年五組の教室に入ると、なぜか品陀さんがいた。
いや、マジでなんでいんの?
じとっと視線を向けると、品陀さんはきゃぴるんっと答える。
「留年しちゃった」
「しちゃったじゃねぇよ……っつーか」
俺はそっと室内を見回す。案の定、クラスメイトたちの注目を集めていた。俺は声を潜めて言う。
「……あの、あんま教室で話しかけないで貰えますか?」
「? なんで?」
「なんでって……」
思わず言葉を濁した。それくらい察しろよ。
「いや、ほら、なんか、こういうの見られるとあれじゃないですか……」
「もしかして恥ずかしいの?」
「死ね」
「なんで!?」
ガビーンと、品陀さんは大仰にのけぞって見せる。しかしすぐに立ち直ってニヤニヤ笑いながらうりうりーと俺の頬を突いてきた。
「え? ほら、ほんとは恥ずかしいんだろ? 正直に言ってみ?」
あまりに鬱陶しいというか恥ずかしいというか周りの目が痛いので品陀さんの手を払いのける。
「むー。ケチ。いいじゃん、話すくらい」
むくれる姿があざと可愛いが、ダメなもんはダメである。
「……俺は気にするんすよ」
「そうなの?」
こっちが本気で嫌がっていることをわかってくれたのか、品陀さんはうんと頷く。
「じゃあいいよ。もう教室では話しかけないから」
「え、あ、はあ……じゃあ、お願いします」
要求が通ったものの、いまいち釈然としない。なんだろう、こう……突き放されるとなんかこう、……うん。
嘆息し、冷たい壁にもたれかかると、そっと肩に手が置かれた。耳元に吐息。首のあたりに長い黒髪がかかってこそばゆい。
払いのける間もなく、一言告げられた。
「じゃあ、お昼ね」
それだけ言うと、品陀さんは俺から離れて、自分の席に戻っていく。ちょうど始業のチャイムがなった。
……やばい、顔熱い。
午前中の授業が終わり、いつもの場所。俺は購買で買ったパンに口をつける。教室を出る前にさり気なく品陀さんのほうを見ると、何人かのクラスメイトに話しかけられていたのでしばらくは来ないだろう。さっさと食べてしまう。
……遅い。
別に待ってるわけじゃないし来て欲しいとか欠片も思わないんだけど遅い。とうにパンも食べ終わり、することもないのでひたすらぼーっとしていると、息を弾ませてこちらにかけてくる足音。
「ごめんごめん、ちょっと話し込んじゃって。もう食べちゃった?」
「とっくに」
「そっかー。ごめんね、一緒に食べたかったんだけど」
品陀さんはコンビニ袋片手に俺の隣に座る。それから俺の顔を覗き込んできた。
「なんか機嫌悪い?」
「別に」
視線を逸らして答えると、品陀さんはしばし俺の言葉を吟味し、そしてきゅぴーんと閃く。
「あ! もしかして私が来るの遅かったからいじけてる? え!? 嘘!? かわいい!!」
咄嗟に否定しようとしたが、その前に動きを封じられた。というか抱きしめられた。
「……えっ? あ、ちょ」
自分の喉から間抜けな声が出る。
どうしよう。思考回路が完全に停止している。柔らかいし気持ちいいしあったかいし、安心する……。
ひとしきり抱き着いて満足したのか、ようやく品陀さんは俺の体を放した。
「ふぅ……。って、あれ? 祐樹くん? 大丈夫!? 顔真っ赤!」
品陀さんが何か慌てているが、こっちはそれどころじゃない。頭ぽわぽわするし身体はふわふわするし多分脳みそとろけてると思う。
気分は夢心地。視界は定まらず、どれだけの時間が過ぎたのかもわからない。未だ甘い香りが鼻をつき、とろけた脳が再構築される頃には昼休みが終わっていた。
クラスが一緒なら帰る時間も当然一緒だ。
「ゆっうきくん、一緒に帰ろ」
まあなんというか予想通りこいつはそんな提案をしてきた。もう勝手にすればいいと思います。
小さく頷くと、品陀さんは「やったー」と小声で歓喜して俺の隣に並ぶ。
「ねえ、祐樹くん。この後さー」
「嫌です」
「せめて最後まで聞いてから断ろうよー」
「どうせ断るんだから一緒じゃないですか」
「でも、祐樹くん押しに弱いから、最後には折れるんでしょ?」
俺はちろっと先輩を睨みつけて足を速める。あ、今は同級生か。
「あ、ちょ、ごめんごめん! 待っててば!」
品陀さんはそう言って俺の腕を掴んできた。だからボディタッチはやめろと……。
俺の脳が性欲に支配された一瞬の隙を突いて、品陀さんは自分の要求を口にする。
「海行こっ」
「……は? まだ四月っすよ?」
「うん。でももう夏来ないし……。泳げはしないけど、なんかいいじゃん」
「何がいいんすか……。つーか、嫌ですよ、寒いですし」
「だいじょーぶだって! 行こ!」
品陀さんの主張は激しい。ついでにボディタッチも激しい。
今や完全に俺の腕を抱きしめ、ぎゅうぎゅう身体に押し付けている。おっぱい柔らかいなぁ……。
「……水着ならワンチャンありましたけどね」
「ん? 何か言った?」
「なんでもないです」
ボディタッチのせいでおかしなことを口走ってしまった。が、小声だったのでセーフ。いや、アウトだろ。
けど、品陀さんの水着見れるんならマジであったな……。人混みも暑さもどうでもいい。おっぱいが見たい。
その後も俺は必死に抵抗を試みたが、結局最後には折れて相手の要求を呑んでしまった。
して、週末。
わりとマジでバックレたろかと悩んだのだが、約束を破る罪悪感に耐えられなかった。
時計の針が八時を指す。
「おはよー。先に来てたんだ。ていうか待った?」
「三十分くらい待ちました。凍え死にそうです」
「え? ……そんなに楽しみにしてたの?」
嫌味のつもりだったのだが、先輩は「祐樹くん、かわいい……」と恍惚の表情。もうお前どうしたらいいんだよ。
ぶるっと、身体を震わした。春先とはいえ、澄み切った空は熱を閉じ込めてはくれない。ていうかマジ寒い。
「ふふ。大丈夫?」
品陀さんは軽く口元に手を添えて笑い、羽織っていた上着を俺の肩にかぶせてくる。絹織物のような薄布は、しかし確かな熱を持って、俺の身体を包んだ。男女の役割が逆転しているような気がするが、男女同権が叫ばれているこのご時世、そんな頭の固いことを言っていては時代の寵児にはなれないと思います。
が、さすがに恥ずかしいので返したいのだがタイミングを逃した。品陀さんは「早く行こ?」と俺の手を引いて改札に向かう。
電車は暖房が効いている上に混んでいたのでちょうどいい温度を通り越してクソ熱い。が、上着を返せたのでそれだけはよかった。
電車に揺られることしばし。和歌山の海水浴場に到着する。大阪の海は汚いからな。
電車を降り、品陀さんの要求で近くのコンビニに寄った。俺は電車代しか持ってきていないので店には入らず海風に吹かれながら円周率を口ずさんで暇を潰す。
3,141592653589793238……。
ちょうど五百桁を数え終えた時、品陀さんが店を出てきた。
「なにぶつ言ってんの?」
「……いえ、なんでも」
円周率をたくさん暗記している自慢をした結果うっとうしがられて友達をなくした過去を持つ俺は咄嗟にごまかす。
「……なに買ったんすか?」
「おやつ」
言って、品陀さんはビニール袋を開けてアイスを二本取り出す。
「一本あげよう」
「……いりませんよ。このクソ寒い時に」
「えー。海と言えばアイスでしょ」
「知りませんけど」
品陀さんは頬を膨らまして自分の分を食べ始める。
「……もう買っちゃったんだけど」
「相手が必要としているかを確認せず買った品陀さんが悪いですね」
「わー、冷たーい」
「ああ、俺クールですからね」
「はいはい、かっこいいかっこいい」
品陀さんは諦めて歩き出す。なんだろう、このもやもやした気分。
俺は黙って品陀さんの後を歩く。が、なんか無性に気まずくなってきたので、品陀さんからアイスをひったくった。
海に辿り着くころには食べ終わり、アイスのゴミを持て余していた。
片手に木の棒をつまんで砂浜に降りる。品陀さんは靴を脱ぎ捨てて海にじゃばじゃば入って行った。あの人ほんと元気だよね。
「うぁー! つっめたーい! 祐樹くんも来ればー?」
冷たいと言っておきながらおいでおいでと手招く品陀さん。
「いや、そもそも俺、海嫌いなんで」
「え!? そうなの!?」
マジかー、と呟き、突然かがんで両手を水に沈め、俺のほうを見た。
「水飛ばして来たらマジで嫌いますからね」
「え、ちょ、冗談だよ!?」
ひしゃくにしていた両手を解いて弁解するが、この人ならやりかねないんだよなー……。
ていうか俺は何を言ってるんだ。
脅し文句にさしたる意味などないが、そこまで過剰に反応されるとなんだか気恥ずかしい。
「……そんなに、嫌われたくないんですか?」
そしてこの口はもっと恥ずかしいことを言っていた。ちょっと待って、何言ってんの、俺。
「えー、そりゃそうじゃん。嫌に決まってるよ」
「はあ……そうですか」
「うん」
さすがに寒くなってきたのか、品陀さんは水から上がる。その背中に、思わず、声をかけてしまった。
「なんで、……そんなに、俺に構うんすか? 嫌われたくない、とか……」
本当に何を言ってるんだと後悔するが、出た言葉は戻らない。けど、別にいいだろう。もうすぐ、全部終わるんだから。
世界が終われば、俺も彼女もいなくなる。だから、気が緩んでいたのだろう。言ってすぐに後悔したが。
どうしてこんなことを言ったんだと、自問自答が始まる。俺がずぶずぶ思考に沈んで行く中、品陀さんはあっけからんと言った。
「そりゃー、私、君のこと好きだもん。嫌わたく、ないし」
さすがの品陀さんと言えど、頬を染めている。
けど、俺はもっとひどい顔をしていたと思う。気分が高揚して、期待が高まって、そして、一気に冷めた。
疑念と葛藤が渦を巻き、頭が一杯になって、言葉が口から出てくれない。
「そういやさ、祐樹くん、あの…私と初めてあった時、覚えてる?」
俺が返す言葉を決めかねていると、品陀さんが話題を変えた。
「はぁ……。まあ、いきなり声かけられましたからね」
「そうじゃなくてさ」
品陀さんの視線が泳いだ。頬を朱に染め、胸の前で両手を合わせている。
「もっと、前に、会ってるっていうか……」
品陀さんの言葉は途切れ途切れで、聞き取りにくい。
「ほら、あの、ユニバでさ、覚えてるかな……。君、迷子になってたでしょ?」
覚えてる。
「私もそん時、家族で遊びに行っててさー。それで、迷子になって、泣いてる子、見つけて」
また、言葉が途切れた。
「どうしたの? って聞いたら、迷子っていうからさ。一緒に親探して、名前聞いたら、小治田祐樹って……」
――知ってる。
あの時、迷子になって、誰か知らない、優しい人に、助けてもらった。
ずっと、覚えてた。
「あれさ、実は私なんだよねー……。って、ごめんね! なんか、私が勝手にずっと覚えてて、さ……。けど、泣いてる君がかわいくて、ほっとけなくて……」
品陀さんは、不安げにこちらを見上げてくる。思わず目を逸らした。
――期待はしていた。
この人が、あの時あった、あの人なんじゃないかと。俺が、初めて好きになった、あの人なんじゃないかと。
「高校で似た感じの男の子見つけて、もしかしてって思ったんだけど……。それでも、名前聞いた時は驚いたな」
品陀さんはごまかすように空を見上げる。俺はと言えば、地面を向いていた。
もう少し早く再開していれば、あるいは俺も、彼女のように、素直に好意を伝えられたのかもしれない。
けれど、流れた時間は確かな隔たりとなり、容易には越えられない。
人に優しくされるたび、あの人なんじゃないかと期待して、突き落とされてきたから。小さな痛みは積み重なって、いつの間にか、斜に構える癖がついていた。
「ねえ、祐樹くん」
俺の葛藤を知ってか知らずか、品陀さんは俺に笑いかけてきた。
「一か月だけだけどさ、同じクラスになれて、嬉しかった」
そして、視線を落として、再び顔をあげた。
「私たちさ、付き合おっか。あと、一か月しかないけど。それでも、好きだから……」
これで言うことは終わり、と彼女は俺の言葉を待つ。
これだけあちこち連れまわして、今更付き合うも何もないだろうに。
けれど、それでも、俺は、断った。




