半年
世界の終末が告げられてから半年が過ぎた。
それでも世界は変わることなく回り続けている。かくいう俺も朝起きたら顔を洗い、朝食をとって、学校に行く毎日を送っていた。
教室の窓から外を見ると、スーツを着た男性が小走りにかけて行く。朝からご苦労なことだ。それでも辛い仕事を乗り越えれば、何かいいことがあると、そう信じているのだろう。ゆえに今だけはと、辛いのも嫌なのも我慢して働くのだ。あと半年で、何もかもなくなるというのに。
ずっと誤魔化して聞き分けのいいふりをして、規則正しく生活を送ってきたけれど、世界がなくなれば来世も何もない。今を忍んでも次はない。
それでも、別にどうとも思わなかった。
死ぬのは怖いけれど、同時に安心感もあった。もうすぐ終わるんだ。もうすぐ、このクソみたいな世界から解放される。死にたくないとは思うけれど、かといって生きたいという希望もない。何か壮大な夢があるわけでもなければこの世界に大切な思い出があるわけでもない。ただひとつ心残りがあるとすれば、俺、童貞のまま死す、ということだ。死ぬ前に一度でいいからセックスしたかった……。
惰性で過ぎていく時間。なんの意味もなく、それでもやめ時がわからずいつまでも、だらだらと。
ようやくチャイムが鳴って、授業が終わる。
昼食だ。俺は購買に寄ってから、いつもの場所に向かった。
校舎の西側。日が当たらず、草が伸び放題の場所。
俺は排気口のそばの段差に座っていた。コンビニで買ったサンドイッチをもっさもっさ咀嚼する。
……うまいな。
音楽を聴くため、イヤホンをつけようとした時だ。
「ねえ君、こんなとこで何してんの?」
明るい声音。
なんぞ、と横目で見ると、女子。
慌てて目を逸らした。いや、だってあれでしょ? あんまりじろじろ見るのはほら、失礼じゃない? 別に俺が人見知りとかそういうわけでは全然ない。むしろ超リア充。今朝だって隣のおばさんに挨拶されたら「お、おはようございまぁす……」って、元気に返事できたし。俺、マジいい子。
「よいしょっと」
女子はなぜか俺の隣に腰掛ける。近い近い近い。なに? なんなの? 俺のこと好きなの? いや確かにリボンの色三年だし年上で美人なお姉さんとか俺も大好きですがちょっとあれなんで無理です。どれだよ。
「君、一年生?」
「……いえ、二年ですけど」
「そっか。名前は?」
「はぁ……。小治田祐樹ですが……」
「ふーん。祐樹くんか。わたしは品陀明日香だよ。よろしくね」
「はあ……」
なんだこの超高コミュ力リア充お姉さん。初対面の異性相手からすっげぇナチュラルに名前聞き出したぞ。うっかり本名を名乗ってしまった。くそっ! 呪詛をかけられる恐れがあるから本名は隠蔽したかったのに……! うっかり恋のおまじないとかかけられて俺とこのお姉さんのラブコメが順調に発展しちゃったらどうするんだよ! 馬鹿か。
「祐樹くんはこんなところで何してんの?」
「……いや、飯っすけど」
見りゃわかるだろ。
「へー。教室で食べないの?」
「ひ、ひとり静かに食べるのが、……好きなので」
「そうなんだ」
お姉さんはくすりと笑う。おい、やめろ。うっかりときめいちゃうだろうが。
「え、あの、……ほ、ほほほ、品陀さんは、な、ななな何してるんですかっ!?」
よし、実にナチュラルな受け答え。聞かれたら聞かれ返す。コミュニケーションの基本だ。……たぶん。人とコミュニケートする機会がないから知らないけど。
「んー? わたしは散策。ほら、もうすぐ全部なくなっちゃうし。三年の間に見れなかった場所もあるから、今のうちに見れなかったとこ見とこうかなーって」
「はあ、そうですか……」
じゃあさっさと散策戻れよ。俺に構わず。俺に構わず先に行け!!
心中でかっこいい叫びを放つと、それが通じたのか、お姉さんは立ち上がってぽんぽんとスカートを払う。……このアングルから見る太もも最高だな。
「じゃ、わたしはそろそろ行くから。またね、祐樹くん」
「えっ!? あ、はあ、では……」
お姉さんは振り向いて、小さく手を振る。思わず俺も手をあげた。
……また。ってことはまた来る気なのかな。
いやいや待て待て。きっと相手はそんな深い意図があって今のセリフを言ったわけじゃない。惑わされるな! というか期待するな! 期待するとあの人が来なかったときの絶望感が深まる!
上がらなければ落ちない。期待しなければトラウマも負わない。リスクヘッジ、大事。
よし、今日もクールだ。何も問題ない。別に心臓ばくばく言ってないし本当に来なかったら嫌だなぁとかお姉さんの太ももぺろぺろしたいなぁとか全然思ってない。
べ、別に恋に落ちたりなんてしてないんだからね! 勘違いしないでよね!
……はぁ。
一週間が経った。
昼休み。俺はいつもの場所で昼食を食べながら、隣で鼻歌を歌う三年生にジト目を向ける。
「……あの、毎日来られても面白いこととかないですよ?」
さすがに会話にも慣れた。
「うーん、そうかなー?」
品陀さんは膝を抱え、背を丸める。ながしめでこちらを見上げ、言った。
「あるかもしれないじゃん?」
………。
………。
………二人きりの校舎裏で美人の先輩と何かある。
もはや薄い本な展開しか思いつかないのだが。
俺は性欲を押し殺しながら、ギギギとぎこちない動作でお姉さんから視線を外す。
「なんか、って、なんすか?」
「さー。なんだろ」
品陀先輩は今度は思い切り体を伸ばし、足をぱたぱたさせる。やめろ、埃が飛ぶ。弁当に入るだろうが。そして体を反らすな。ただでさえ主張が激しい胸がなんかすごいことになってて視線のやり場に困るどころかガン見しちゃうだろうが。
頭の中が「おっぱい」という単語で埋め尽くされていくのを感じる。触りてぇなぁ。
そんな思春期男子の純情などちっとも理解していないお姉さんは、何か思いついたらしい。人差し指をぴんと立てる。
「あ、じゃあ今度デートしようよ。ふたりで。一緒に」
「なんでそこで『じゃあ』って接続詞出てきたんすか。……え、デート?」
「うん。……えっと、ちょっと待ってね」
お姉さんはポケットをがさごそ漁る。目当てのものが見つからないらしく、首を捻った。そんなどこに入れたかわからなくなるほど広いポケットでもないだろ。四次元ポケットじゃないんだから。
しかし、別のポケットに入れていたらしい。「あ、こっち」か、と声をあげ、胸ポケットから何か取り出す。スモールライトで小さくなってそこに住みたい。
「これこれ。ユニバのチケット」
桃源郷もとい胸ポケットから出てきたのはユニバーサル・スター・ジャパン、通称ユニバのチケットだ。俺は遊園地より桃源郷にゴーしたいよ。むしろこのお姉さんとゴートゥーベッドしたい。俺、さっきからエロいことしか考えてないな。思春期男子的に正常なのか人として終わってるのか判断に悩む。
「これ、なんか終末記念で安くなってたのよ」
「……いや、記念しちゃダメでしょそれ」
「だから今度の土日行こ?」
「……嫌ですよ。人多いし、休みに外出たくないですし」
「えー、いいじゃん。行こうよー」
「嫌ですよ。だいたいなんで俺なんすか? 友達とか誘えばいいじゃないですか」
「えー? それは、ほら、まあ、……せっかくだし」
「せっかくって意味通ってないですよ。小学校から日本語やり直してください」
「祐樹くん、何気に毒舌だよね?」
「知りませんよ。とにかく俺は行きませんからね。たまの休日くらい家でごろごろしたいです」
俺がきっぱり断ると、お姉さんは「ちぇー」と拗ねて見せる。なんなの? そんなに俺と一緒に行きたいの? もうそろそろ告白しちゃおうかな……。
「あ、じゃあ今から行こっか。それならいいでしょ?」
「どれならいいんですか。『じゃあ』ってそんな万能な言葉じゃないと思いますよ」
「だって土日じゃないじゃん。平日じゃん。人も少ないし」
「いや、さすがに学校終わってからは時間的にあれじゃないですか」
「だから、そうじゃなくて。今から行くんだよ!」
そう言って、お姉さんは無理やり俺の手を引っ張る。
「サボっちゃお、がっこ」
誘い方がイケメンすぎた。
「いや、ほら……内申とかあるじゃないですか。品陀さん、受験生でしょ?」
「別にいいよ。どうせ、もうすぐ全部終わるんだし」
一瞬。ほんの一瞬だけど、品陀さんの表情に何か暗いものが見えた。そのせいで抵抗が緩む。
品陀さんはその隙を見逃さず、俺の手を引っ張り、校舎から連れ出した。
がたごとと、揺れる車内。
サボってしまった……。一度も親に逆らわず、教師にも逆らわず、優等生としてキャリアを積んでいた俺が、学校をサボってしまった。
その元凶を作った相手に目を向ける。
「ん? どうかした?」
「いえ、……別に」
「そ」
品陀さんはそれだけ言って、窓の外に視線をやる。
列車の中、流れ行く景色は順調に目的地へ近づいていることを示していた。
ここまで来てしまったらどうしようもない。毒を食らわば皿まで。最後まで付き合うしかない。最後まで付き合って責任とって貰うしかない。ベッドの中で幸せにしてもらおう……。
またも頭の中がエロい想像でいっぱいになるが、今のところ俺は被害者まっしぐらなのでこれくらいの妄想は許されるべきだと思う。
一時間もかからずに、駅に到着。さすがは大阪一のテーマパーク。平日といえども人はそれなりにいる。
少々げんなりしながら、車両から吐き出される人の流れに乗って構内を進む。
「こっちこっち」
品陀さんは俺に向かって手を振るが、さすがに俺も大阪人。ユニバくらい来たことある。
朧げな記憶に従い、だらだら歩いていると、突然手を掴まれた。
「もう、置いてくよ?」
置いてってくれないだろうか……。
咄嗟に言葉が出そうになったが、その前に女の子と手を繋いでいるという異常事態について。
まずいまずいまずいまずいまずい。
何かまずいってまず手汗がやばい。あと体温の上昇も感じるし心臓もオーバーワークで鼓膜の奥からばくばく言ってる。これはインフルか何かの可能性が高い。心なし視界もぼんやりするしなんか甘ったるい香りで酔いそうだしとても幸せなのでやっぱり女の子ってすごいなって思いました、まる。
が、おかげで人混みはまったく気にならなくなった。というか脳内麻薬の過剰分泌でまともな思考ができない。これはいつ薬物指定されてもおかしくないな。
気付けば園内に入っていた。海風に当てられ、ようやく冷静さを取り戻す。
「……あの、手、放してくれないでせうか?」
まだちょっと言語野に後遺症が残っているな。
「あ、ごめんごめん。嫌だった?」
「いえ、別に……」
むしろとってもいい気分でした。もうこの世に悔いはない。安らかに逝ける。
品陀さんは、「じゃあこのままで回ろっか」、と伝家の宝刀、『じゃあ』を持ち出して俺の手を握りなおす。これならもう『じゃあ、セックスしようか』という言葉も使っていいんじゃないでしょうか。ダメでしょうか。ていうか手汗拭きたい。
腕を引かれるまにまに園内を歩く。観光自体はそれほど変わったことはない。ただひとつ、ずっと女の子と手を繋ぎっぱなしだという異常事態を除けばの話だが。
一通りアトラクションを回り、おみやげコーナーで品陀さんは猫のキャラクターのグッズを見る。それはハローケトルちゃんという、常にやかんの柄のtシャツを着た猫のキャラクターだ。が、図書カードを頻繁に使う俺は猫よりうさぎのほうが馴染み深いので、いまいちテンションがあがらない。うさぎのほうならワンチャンあった。
っつーか俺、小学生の頃ここで迷子になってるんだよな。そのせいもあって、やはりテンションは下がり気味だ。
ぼけーっと迷子になった時のトラウマを回想していると、不意にがぼっと頭に何やらつけられた。
「はい、チーズ」
と、品陀さんは俺の腕を引っ張り身体を寄せ、空いた手に持ったスマホでツーショットを取る。ちょっと待ってまた俺の理性がやばい肘の先がおっぱいに当たってるやわらかい気持ちいやわらかいいいいい!!!!
写真を撮ると、品陀さんは満足そうな表情で俺から離れた。
「……写真、嫌いなんすけど」
「え? 何か言った?」
「別に何も」
頭につけられた猫耳を外し、もとの場所に戻しながら俺がぼそりと呟くも、主人公体質の品陀さんは聞いちゃいない。
そろそろ夕暮れだ。あんまり遅くなると親に何をしていたのかと問いただされる。……いや、学校を抜け出したって時点でその理由を根掘り葉掘り聞かれることは確定なんですけどね? 気が重いなぁ……。
「そうだ、ご飯食べてこうよ」
「はぁ……」
断る気力もなく、諾々と従い、パーク周辺の飲食店に入る。
「やー、楽しかったねー」
注文した品が来るのを待っている間、品陀さんは感慨深げに一日を振り返る。
「ユニバ来たの中学以来かも。祐樹くんは? よく来るの?」
「はあ……。いえ、俺も小学校以来ですね」
「小学校のときは来てたんだ」
「まあ」
俺は頬杖ついて、窓の外に視線を移す。空は藍色に染まり、身を切るような風が吹き荒れている。駅に向かって家族連れの観光客が足早に通り過ぎて行った。
昔は、よく親に連れてこられた。
年に数回、「ユニバ行くぞ」と親が切り出して、俺は本当はまったく行きたくないのだけれど、その感情を表に出して親の機嫌を損ねるのが恐ろしく、心から嬉しそうな演技をしてついて行ったものだ。そうして、その演技はかなりのもので、演じている間は自分でもそれが演技だということを忘れてしまうくらいには、『遊園地を楽しむ子供』という役に入り込んでいた。
途端に疲れが襲ってきた。帰ったらなんて言い訳しよう。
学校をサボった言い訳を考えているうちに料理が運ばれてきた。品陀さんは「いただきまーす」と明るい声で言って食べ始める。
「……いただきます」
俺もフォークを取ってパスタを食べ始めた。味は、まあ、普通。
「あ、そうだ。あの写真送るから連絡先教えてよ」
言いながら、品陀さんは携帯を取り出す。
「……いや、俺、携帯持ってないんで」
「そうなの?」
きょとんと首を傾げ、品陀さんは「ざんねん」と呟き携帯をしまう。
夕食を終えれば、後は電車に乗って帰るだけ。「家まで送って行こうか?」と提案されたが、断ってひとり帰路につく。
両親の追及をのらりくらりとかわし、部屋に戻ってベッドに倒れこむ。ゲームでもしようとスマホを開いた。
……チャンスだったのではないか。
女の子と連絡先を交換して……、それで、その後……、どうする?
どうしようもない。それに、携帯は家に置いてたんだから、どっちにしろあの場では交換できなかった。
――嘘はついていない。
本当に携帯は持っていなかった。家にある、という一文を省いただけで、嘘はついていない。
嘘はついてないんだと、自分に言い聞かせて、人を騙した罪悪感をかき消す。どれだけ誤魔化しても、決して消えてくれるわけではないのに。
遠からず破綻する。罪悪感に耐えられなくなって、あるいは騙していたことがばれて、何もかも台無しになる。
けど、たぶん、半年くらいは持つだろう。
あの日、『それ』は突然現れ、言った。
一年後、この世界を焼き尽くす、と。
ニュースでも取り上げられて、ネットでも話題になった。嘘か真か、確かめようがないけれど、どういうわけか大半の人はそれを信じた。
なんとなく、そうなるような気がするから。
いつの間にか、ゲームをする手はとまり、だらんとベッドから垂れていた。
世界が滅ぶまで、あと半年。




