第九話 葛西のこと
「須藤さんと葛西さん今日から停学あけるんでしょ。」
「そうなの?怖くない?」
「まぁ……あの二人のターゲットって元々亜久里さんだけだったし私たちには関係ないと思うよ。」
その日は朝から教室の中が騒がしかった。
須藤と葛西の事に対して皇から学校の方に本当に連絡が入った様で、重大ないじめ問題としてこの二人の処分が早急に求められた。ただし、からかわれたのは本当だとしてもまるで「亜久里アリスは二人からのいじめを苦にして飛び降りようとした」という教師の謎の曲解が気に食わなかったアリスは二人とはじゃれあっていただけだと文句を言いつづけた結果、退学などの重大な処分ではなく二週間の停学だけで済んだ。
だけど学校という狭い環境ではすぐに噂には尾ひれ背びれがついていき終いには「報復が怖くてかばっている」なんて言われている事もあった。当たり前に事実無根だ。
「アリス……、大丈夫?」
「夢まで揶揄うの?」
「まぁ多少は。」
「噂大げさにした一因は夢なんだけど。」
舌をぺろりと出して夢は視線を逸らした。
歩道橋から落ちかけた次の日、須藤と葛西と同じく呼び出され話を聞かれたアリスは解放された後夢に呼び出された事の経緯を話すとわんわんと大きな声で泣かれた。
泣かれるまでは良かったがあまりにも泣きじゃくりながら「生きてて良かった。」「死なないで。」「私が一緒にいるから。」と不穏なワードばかり繰り返すのでいじめられて飛び降りた説が真っ先に噂として出回った。
あれ、もしかして教師の曲解も夢のせいなんじゃ。
「はよ。」
「おはよ。」
そんな事を話しているうちに須藤と葛西が登校して来た。二人の顔を見ると教室は静まり返り、挨拶を返す人はいなかった。須藤は自分の机にカバンを置くとそのままアリスの机に向かった。
「放課後話したい事があるから残って欲しいんだけど。」
「そんなんにアリスが乗るわけないじゃ」
「いいよ。」
「いいの!?」
夢はアリスの隣に立ち須藤の頼みを断ろうとしたが、夢の思いに反してアリスはあっさりと承諾した。
「図書室に借りてる本だけ返したら教室に戻ってくるから。」
「わかった、ありがと。」
わなわなと二人のやりとりを見て夢が固まっているうちに二人の話は終わり須藤は自分の席に戻った。二人のやりとりに夢だけでなく他の同級生達もざわついていたがアリスと須藤だけは平然としている。葛西だけはそれが気にくわないと言いたげに爪を噛んだ。
――
「本当に待ってるのかな。」
「さぁ、どうだろうね。」
アリスと夢は図書室に本を返しに言った後、須藤に頼まれた通り教室に向かっていた。「また何か意地悪言ってくるんじゃないの。」と夢がぷんぷん唇と尖らせるがはいはいとそれを受け流した。
「須藤さんは何もしないと思うよ。」
「何それ。」
「ちょっとね。」
教室のドアの前に着いてもまだしぶる夢に「カバンどうせ置きっぱなしでしょ。」と突っ込み無理矢理ドアを開いた。
電気が消えた教室の中は須藤が一人自分の席に座って私達を待っていた。
「話があるんでしょ、夢はいない方がいい?」
「えっ、何で!二人きりは危ないよ!」
「いや、これは真次さんにも聞いてて欲しいからここにいて欲しいかな。」
須藤の見たことの無い真剣な顔に二人の方が良いかと提案したが、それは須藤の方から拒否された。
今にも噛みつかんとばかりの夢を抑えていると、須藤は私達の目の前で正座をし頭を下げた。
「亜久里アリスさん、今まで酷い事をして本当にごめんなさい。」
両手を付き綺麗な姿勢で土下座をする須藤に圧倒されたが、慌てて肩を掴んで強引に頭を上げさせた。私は別にこんな事を彼女にして欲しいと思ってない。
「私須藤さんに対して怒ったり恨んだりとかしてないからこれ以上謝らないで!」
「何で止めるの?アリスは須藤さんのせいで死にかけたんだよ!?」
私の行動に夢が大声を上げて私の肩を掴んだ。
「あのね、夢には秘密にしてたけど停学が決まる前から須藤さんは親御さんと何回も謝罪しに来てくれてたし多分慰謝料みたいな話も私も詳しくは分からないけど私の親としてるの。謝罪の手紙だって何枚も貰ったし……。」
実は歩道橋から落下しそうになったあの日の夜、夕食を食べた後ぐらいにインターホンが鳴った。こんな時間に尋ねてくる人は普段いなかったので恐る恐るインターホンの画面に映った人を見ると須藤とご両親だった。
須藤は私が落下しそうになった事とその場に警察が駆けつけた事で怖くなったが、家に帰る頃には自分の行いが人を殺しそうになった事実にとても怖くなり両親に相談した。そして両親に激しく叱られた後に、学校に電話して私の家の住所を聞いて謝罪に来たらしい。私の両親は勿論家にはいなかった為、須藤の両親には電話で私の親と連絡をとってもらう事にした。
その時に須藤から謝罪して貰ったが、彼女の顔が本当に今にでも倒れてしまう程真っ青だったのと、私の姿を見て「生きててよかった。」と泣き崩れてしまったのを見て私は心から「この人は私に対してもう何もしてこない。」と確信した。
「って事があって……。」
「アリスちょろくない!?」
「そうやって怒るから秘密にしてたの!」
ぐうの音は出ないがぐぎぎと不満そうに歯を噛み締める夢を他所に立ち上がり、手を引っ張って須藤を立たせた。
「……話って謝罪だけだったの?それなら本当に私はもういいから。」
「謝罪も改めてしたかったんだけど……。」
歯切れ悪く呟き気まずいと言わんばかりに目を逸らし須藤は頭をかいた。
「……その口ぶりからして葛西は亜久里さんに謝ったりしてないんでしょ?」
「えっっ!?」
夢が隣で叫び反射的に耳を塞いだ。耳を塞ぎ眉をひそめていた私と目が会った須藤はなんとなく察した様でやっぱりとでも言いたげに大きくため息をついた。
「葛西の家さ、あんまり親が良くないんだよ。一応世間体があるから私立のここみたいな学校には入れてくれたけど。普段はお金だけ置いていなくなるみたいな親でさ。」
「そんなの言い訳にならなくない?アリスの家だってお父さんお母さん家に普段いないよ。」
「あいつの家は度を越してるんだよ、亜久里さんの家の両親は育ち盛りの娘に1週間の食費だって500円玉投げつけたりしないでしょ。」
「なっ……。」
言い返した夢の言葉がつまる。
五百円なんて子供のおやつ代でも安いと思われる金額を1週間の食費として与える親がこの世に存在する現実が想像出来なかった。
「それでも本人はやりくりしてたんだけど、お昼抜くとか夜抜くとか当たり前で心配になったうちの親がご飯食べさせたりしてたんだけど。その、あの日以来そういう事ばったりしなくなって……。」
「申し訳ないけど、私はまだ葛西さんの事は許せてないよ。」
須藤の言っている事が本当なのであれば、須藤の両親の様に娘の話を聞いて直ぐに謝罪しに来るという事は無さそうだしそれはそれで葛西に同情はする。
だけど、可哀想な家庭環境だからと言ってしょうがないねとなる訳では無い。それでも本人から謝るぐらいの事は出来ると思う。
私の顔を見て何かを察したのか須藤は首をブンブン横に振った。
「違う、だから葛西を許して欲しいとかじゃないの。寧ろその逆で……。」
「逆?」
聞き返すと須藤はまた私に向かって頭を下げた。
「はっきりと確信がある訳じゃないんだけど、葛西が逆恨みして亜久里に何かするかもしれない。それだけ気を付けて欲しくて今日呼んだの。」
「はぁっ?何それ?」
「怒るのも最もだけど、そんな環境にいるせいか葛西はちょっとだけ不安定な部分があって……。でも絶対に手出しさせたりしない、私がちゃんと見てる。頃合いを見てしっかり謝罪もさせる。亜久里さんを二度と傷付けない。……でも、万が一があるかもしれないから……。」
須藤の涙が床に落ちた。本人もどうしようも無い事を言ってる自覚があるんだろう、そして私に納得して貰えない可能性の方がよっぽど高い事も分かってる。
でも分かった上で友達を庇いたい・守りたいという気持ちが抑えられないのが須藤の姿から伝わってきた。
「分かった。」
「アリス!?」
「須藤さんの事信じるから、私。」
私の返事で気が抜けた須藤はその場で崩れ落ち「ありがとう」と「ごめんなさい」を繰り返しながらわんわん泣きだした。
それから須藤が落ち着くのを待ってから三人で下校する事になった。三人で、なんて言ったが校門を出た所で須藤は家が反対方向なので別れた。
「本当に許して良かったの?葛西さんは葛西さんで不穏だし。」
「いいのいいの、私は何か怪我した訳じゃないし。何かあっても親友が守ってくれるでしょ。」
「人任せ!」
夕暮れ時の真っ赤な太陽に照らされながら二人で歩く。ふと、この隣に歩いている大好きな親友の帰る家が親もいないご飯も無いような所だったらと頭をよぎった。甘える相手もいなくて、満足に食べる食事も無くて、そんな家に一人で……。
「……何暗い顔してるの。」
「はえっ。」
夢に頬をつつかれて正気に戻った。驚いて口を開けたまま固まる私の手を夢が握る。
「葛西さんの事考えてた?」
「なんで分かるの!?」
「何となく。……後私もちょっと考えてた。」
夢の手を握り返すと夢の手の温もりが伝わってきてそれが私の中で安心に変わっていく。ザワついていた不安が溶けていくようだった。
「アリスはさ、親がいなくても平日はキーパーさんが来てご飯作ってくれるし家事もしてくれるじゃん。多分葛西さんってそういうのもないんだろうね。」
「……そうだろうね。」
「私達って恵まれてたんだね。」
「うん。」
石を飲んだ様な気分だった。
私達が悩んだ所で何も解決しないがそれでもあんな事を聞いてからすぐだと引きずってしまう。彼女は今も一人ぼっちでお腹を空かせているのだろうか。
「……葛西さんの事許そうとか思ってないよね。」
「……思ってない。」
「嘘だ!絶対嘘!今ちょっと目が泳いだもん!」
じゃれあいながら大通りを歩いていると消防車と数台すれ違った。騒がしくサイレンを鳴らして走るので私も夢もそっちに気が向いた。
「最近多いね、消防車。」
「そういえばこの前も不審火かもって……。」
火事の話をして皇を思い出し、口が滑った。あちゃー……と思いながら横をむくと目を猫のように見開いた夢がいた。
「その話どこから!!」
「す、皇さんから!!」
「あの変態とまた仲良くしたの!?」
夢には皇に助けて貰った事は伝えたが、その後すこしお喋りをした事は伝えなかった。その理由もこれ。私は夢の事が大好きな親友だと思ってはいるが彼女はちょっと私の事になると周りが見えなくなる事があるから。
「何で!?付け回されたの!?」
「違うよ!!命の恩人だしちょっとした会話ぐらいするよ!!」
「だとしてもだよ!!」
ゆっさゆっさと揺さぶられ少しクラクラしてきた。そんな時にまたややこしくなる声が聞こえてきた。
「二人とも今下校中ですか?」
私達の隣に自転車が止まる。警察官用の白い自転車に乗った皇が私達に微笑みかけた。
「変態が!アリスを誑かさないで!」
「ちょっと夢!」
「ははは、嫌われてますね。」
夢が威嚇しても皇は全く動じずそれ所か歯を見せて笑っている。まるで夢をハムスターか何かだと思っている様だ。
「さっき消防車が通りましたけど何かあったんですか?」
「あぁ、また近くで火事があったんです。今から現場に行く所なんですよ。」
「私達に構ってないで行ってください!」
大事な仕事中にわざわざ足を止めた事実に思わず今度は私が叫んだ。叫ばれた割に嬉しそうな顔をする皇にやきもきする
「怒られてしまいましたね。じゃあ私は行きますのでお二人もお気を付けてお帰りください。」
「言われなくても!」
「皇さんも気を付けて!」
地面を蹴るとそのまま現場に向かって走っていく皇を見送り私達も歩き出した。歩きながら夢はじろじろと嫌そうな顔をして何が言いたげに私の顔を覗き込んでくる。
「何なのさっきから。」
「嫌、何かちょっとアリスが女の子の顔してるなって。」
「どういう意味。」
「教えない!」
それから須藤が落ち着くのを待ってから三人で下校する事になった。三人で、なんて言ったが校門を出た所で須藤は家が反対方向なので別れた。
「本当に許して良かったの?葛西さんは葛西さんで不穏だし。」
「いいのいいの、私は何か怪我した訳じゃないし。何かあっても親友が守ってくれるでしょ。」
「人任せ!」
夕暮れ時の真っ赤な太陽に照らされながら二人で歩く。ふと、この隣に歩いている大好きな親友の帰る家が親もいないご飯も無いような所だったらと頭をよぎった。甘える相手もいなくて、満足に食べる食事も無くて、そんな家に一人で……。
「……何暗い顔してるの。」
「はえっ。」
夢に頬をつつかれて正気に戻った。驚いて口を開けたまま固まる私の手を夢が握る。
「葛西さんの事考えてた?」
「なんで分かるの!?」
「何となく。……後私もちょっと考えてた。」
夢の手を握り返すと夢の手の温もりが伝わってきてそれが私の中で安心に変わっていく。ザワついていた不安が溶けていくようだった。
「アリスはさ、親がいなくても平日はキーパーさんが来てご飯作ってくれるし家事もしてくれるじゃん。多分葛西さんってそういうのもないんだろうね。」
「……そうだろうね。」
「私達って恵まれてたんだね。」
「うん。」
石を飲んだ様な気分だった。
私達が悩んだ所で何も解決しないがそれでもあんな事を聞いてからすぐだと引きずってしまう。彼女は今も一人ぼっちでお腹を空かせているのだろうか。
「……葛西さんの事許そうとか思ってないよね。」
「……思ってない。」
「嘘だ!絶対嘘!今ちょっと目が泳いだもん!」
じゃれあいながら大通りを歩いていると消防車と数台すれ違った。騒がしくサイレンを鳴らして走るので私も夢もそっちに気が向いた。
「最近多いね、消防車。」
「そういえばこの前も不審火かもって……。」
火事の話をして皇を思い出し、口が滑った。あちゃー……と思いながら横をむくと目を猫のように見開いた夢がいた。
「その話どこから!!」
「す、皇さんから!!」
「あの変態とまた仲良くしたの!?」
夢には皇に助けて貰った事は伝えたが、その後すこしお喋りをした事は伝えなかった。その理由もこれ。私は夢の事が大好きな親友だと思ってはいるが彼女はちょっと私の事になると周りが見えなくなる事があるから。
「何で!?付け回されたの!?」
「違うよ!!命の恩人だしちょっとした会話ぐらいするよ!!」
「だとしてもだよ!!」
ゆっさゆっさと揺さぶられ少しクラクラしてきた。そんな時にまたややこしくなる声が聞こえてきた。
「二人とも今下校中ですか?」
私達の隣に自転車が止まる。警察官用の白い自転車に乗った皇が私達に微笑みかけた。
「変態が!アリスを誑かさないで!」
「ちょっと夢!」
「ははは、嫌われてますね。」
夢が威嚇しても皇は全く動じずそれ所か歯を見せて笑っている。まるで夢をハムスターか何かだと思っている様だ。
「さっき消防車が通りましたけど何かあったんですか?」
「あぁ、また近くで火事があったんです。今から現場に行く所なんですよ。」
「私達に構ってないで行ってください!」
大事な仕事中にわざわざ足を止めた事実に思わず今度は私が叫んだ。叫ばれた割に嬉しそうな顔をする皇にやきもきする
「怒られてしまいましたね。じゃあ私は行きますのでお二人もお気を付けてお帰りください。」
「言われなくても!」
「皇さんも気を付けて!」
地面を蹴るとそのまま現場に向かって走っていく皇を見送り私達も歩き出した。歩きながら夢はじろじろと嫌そうな顔をして何が言いたげに私の顔を覗き込んでくる。
「何なのさっきから。」
「嫌、何かちょっとアリスが女の子の顔してるなって。」
「どういう意味。」
「教えない!」