第20話 イッツ・ア・ダンジョンワールド
ゼンとエレアノールはダンジョン第十五階層の踏破を目指し、先を進んでいた。土竜との初戦闘からさらに5体、土竜と戦闘を重ねていた。
「この階層には、あの可愛いマスコットしか徘徊してないんですの?」
「可愛いマスコットって……土竜のこと言ってんのか?」
「当然ですの。あのまん丸したボディにくりくりした目……ペットにしたいですの」
「お前の感性はどうなってんだよ……。身体は丸いけど、目つきは凶暴のそれだろ。ペットにした途端、爪で引き裂かれるぞ」
ゼンがおかしいのか、エレアノールの価値観はどうも少しズレている節がある。
ゼンは呆れつつも、やめるようエレアノールに促す。彼女なら、本当にペットにしてしまうかもしれない。
「大丈夫です、襲いかからないようしっかり調教してあげますので」
「…………え、まじでペットにするつもりか?」
「あら、ダメですの? 貴方には迷惑はかけませんけど……」
キョトンとした顔で至って普通に話すエレアノールに、ゼンは絶句する。
(……ダメだ、エレアノールには人間の常識は通じないんだ。だが……いい加減にしろよッ、このわがまま姫め!!)
ゼンは内心で本音を洗いざらい吐露しつつ、「もう、好きにして下さい」と言い放ち、エレアノールより一歩速く進んだ。
初めて行ったゼンなりの反抗であった。
◇◇◇
「行き止まり、じゃないか……」
「全体に魔力が宿ってますの。魔物の類でないかと」
「だよな」
ここに来て初めて足が止まった。少し不自然な形で巨大な壁が行く先を塞いでいる。
魔眼で魔力が見れたため、自然に作られた壁ではないことが分かる。
「とりあえず、反応を見てみるか」
ゼンは《火射》を不自然な壁を標的に放つ。
―――、――、―――ルオオオッ!!
数秒何も反応が無かったが、次の瞬間壁から悪い顔がその姿を見せる。脅かすように叫び声をあげた魔物、その名は――
「うおおっ。な……コイツ、ミスシーフだ」
魔物にしては珍しく明確な敵意がない、ニヤニヤしながらゼンの方を眺めている。
覚えがないのか、エレアノールがその魔物についてゼンに問う。
「何ですの、この気色の悪い魔物は?」
「……ミスシーフ。別名、悪戯好きの小悪魔。ダンジョンの岩なんかに同化して冒険者に悪戯を仕掛けるんだ」
「何ですの、可愛いもんではないですか」
ゼンの説明を聞いて、特に害はないと判断したエレアノールだったが、ゼンだけは違った。
一歩ずつ、そして確実に後方へ下がっている。恐る恐るゼンが言う。
「……こいつの悪戯は、可愛いなんてもんじゃない。――逃げるぞ」
『魔物大全』を暗記しているゼンだからこそ分かる、ミスシーフの悪戯は子供がするようなものじゃない。
ゼンは動こうとしないエレアノールの腕を掴み、壁から遠ざかるように走る。
「え、ちょ……」
――ニヤリ、ミスシーフが嗤った。
そして、壁がズズズンと地響きを鳴らしながら動いた。
ミスシーフはダンジョンの岩や土と同化し、それを自在に操れるのだ。そのため、こういうことは良く起こる。
行く先を阻む壁が意思を持って迫ってくる。少しゴツゴツした程度だったが、今は鋭利なトゲトゲが出来ている。
逃げないと串刺しにされる。ミスシーフの恐ろしさをやっと知ったエレアノールも必死だ。
「――逃げろ逃げろ、身体に穴が空いちまう!!」
「そ、そんなことより壁を壊せばいいじゃないですの!?」
二人して逃げながら、エレアノールがそんなことを言う。
数秒の沈黙の後、
「……その通りだ」
「馬鹿じゃないですのっ」
ゼンの頭には、ミスシーフに遭遇したら逃げろというのが刷り込まれている。
だが、エレアノールの一言で思考が復活したようだ。
ゼンは両脚のかかとをブレーキに止まると、迫る壁の方へ振り返る。魔銀刀を抜き、《火射》で刀身に炎を纏わせる。
「しゃおらあッ、そのふざけた面斬り刻んでやる」
気合いのこもったゼンの斬撃は、最初の一太刀で顔面を両断した。さらに魔銀刀を振るい、まるで親の仇のようにボロボロになるまで斬り刻み続けた。
「ハァ、ハァ……ざまぁみろ」
ゼンは足元に転がる魔石を見下ろしながら、そう吐き捨てる。
ダンジョンの洗礼を受けたゼンは魔銀刀を鞘にしまうと、エレアノールに声をかける。
「平気か?」
「……うぅ、気分が悪いですの。あんなに全力で走ったのは久しぶりです……」
「はは、目がぐるぐる回ってるぞ。少し休憩するか」
「……はいですの」
エレアノールにしては珍しくどんよりとしていて、壁に腰掛け扇子で扇いでいる。
ゼンも座ろうと、エレアノールの隣の壁に手をついた時だった。
――ガコン
どこか、何か凹むような音が聞こえた。途端にゼンとエレアノールは顔面蒼白となり、顔を見合わせる。
「あ、貴方……何をしましたの……?」
「――あ、ごめん。何か押しちゃったみたい」
ゼンの手のひらに押され、壁の一部が凹んでおり、そこに小さな魔法陣が浮かび上がる。
それを見て、エレアノールはわなわなと身を震わせる。
――ズズ、ズズス……ズゥンッ
「ば、馬鹿じゃないですの!? この短時間で二度も引っ掛かる者がいま――」
「――ほんとごめん」
次の瞬間、二人のいる地面が崩れた。二人はそのまま真っ逆様に落ちていく。
ダンジョン第十五階層に、男と女の絶叫が響き渡ったのだった。
「――ああああああ!!(きゃあああああ!!)」
◇◇◇
「ぶへっ」
ゼンの方が先に地面に激突し、さらに追い討ちをかけるように背中にエレアノールが落下した。
「……お、おいエレアノール。早くどいてくれ、重――」
――パァン!!
エレアノールがゼンの頬をビンタしたことで、乾いた音が響いた。背中と顔に衝撃を受けたゼンは、憎々しげに睨みながら起き上がった。
「あら、無事だったの?」
「……コノヤロウ、覚えとけよ」
「ふふ、貴方じゃ無理ですよ」
エレアノール許すまじ、そんな思いを抱いたゼンであったが、彼女に見透かされ無理だと突っぱねられる。
実際、今のゼンの全力でもエレアノールには敵わないだろう。
周囲を見渡しながら、エレアノールが呟く。
「どうやら、一階層ぶん落下したみたいですの」
「待て待て、じゃあ『門番』を倒さずに十六階層まで来れたってことか?」
「そうなりますの。――でも、ラッキーと思わないことですの。今回は偶然、直接階下へ落ちましたけど……ダンジョンは構造も変わってますの。落下して、さらに下の階層へなんてこともありますので注意しましょう」
「……改めて、恐ろしいな」
エレアノールの言葉を聞き、ゼンは生唾を飲み込んだ。今回は運が良かったが、毎回こうなるとは限らない。そもそも、正規のルートで階層を下っていくのが普通だ。
何にせよ第十六階層へ行けたゼンは、少し得をした気分で探索を続けたのだった。
数十年前に活躍した作家兼冒険者の男が記した著書には、こう書かれている。
『ダンジョンは、一つの小さな"世界"である。魔物という邪が徘徊し、複雑な構造による階層が存在し、トラップなどが挑戦者を阻む。正しくダンジョンという外箱に囲まれた"世界"である。――人呼んで、"イッツ・ア・ダンジョンワールド"』
◇◇◇
場面は変わり、人々が寝静まる夜の闇の中――
都市部から外れた雑木林の一角に――失踪した『戦乙女』団員エマがいた。
黒の外套にフードを深く被り、木に寄りかかっていた。腕には幾つかの斬り傷があり、戦闘があったことを表している。
両肩で息をしながら、忌々しげに呟いた。
「……ハァ、ハァ……嵌められた。クソッ、よりにもよってヤツらが来るなんて……。逃げ切れるかしら、『異狩騎士団』から……」
最悪な状況になってしまったことに、エマは月夜を見上げながら深くため息をついたのだった。