第15話 戦略級魔法《三位魔技》
「ブモオオオオオオ――ッ!!」
ミノタウロスが産声を上げるかの如く、大気を震わせた。ダンジョンとはまた違った空気感が漂う。
――濃厚な死の空気だ。
チクチクと針でつつかれているいるような感覚が全身を余すことなく襲う。
ゼンは何度目かも分からないが、思わず息を呑む。対照的にエレアノールは落ち着いており、言葉を発しない。
「……ッ」
黒光りする巨大な棍棒を担いだミノタウロスは、眼下にいるリザードマンを一瞥すると、振り上げた足で踏み潰した。
頑丈な鱗を物ともしない圧倒的な力を目の当たりにするゼン。
ミノタウロスから視線は外さず、エレアノールがゼンに優しく声をかける。
「――安心なさい、貴方を死なせはしません。私をダンジョンという檻から連れ出してくれた貴方には恩義があります。……吸血鬼の姫の誇りにかけて、貴方を守ります。そこで見てなさい……私との会話を邪魔する牛は、極刑と決まってますの」
「……悪い、今の俺じゃアイツには勝てない。頼む」
「ふふ、了解しましたの。貴方のそういう潔い性格は、案外嫌いじゃないですの」
まるで無邪気な子供のように笑ったエレアノールは、一歩踏み出しミノタウロスと相対する。
獲物を見つけ、興奮がおさまらない様子のミノタウロスは嬉々として棍棒を振り回す。
――そして、戦いの火蓋が切って落とされた。
◇◇◇
ミノタウロスは巨体に見合わぬ速度だった。力のある脚でしっかりと地面を踏み締め、エレアノールを喰らおうとする。
対するエレアノールはその場から動かず、『風』属性の速撃魔法を使用する。
エレアノールの戦い方は、魔法を中心としたものだ。接近戦の心得はあるようだが、エレアノールほどの魔術師になると、魔法一本で近距離戦を制してしまう。
その強さが如何なく発揮されようとしていた。
「――速撃魔法《月風》」
エレアノールがふぅ、と空中に息を吹きかける。円状に渦巻く風が出来、それを掌底のようにして手のひらで弾く。
基本、『風』属性の魔法は無色だ。階梯が高くなればその分分かりやすくなるが、低階梯だと見極めにくい。
さらに、相手は血に飢えた怪物だ。冷静に見極められるほどの思考を持ち合わせてはない。
ただ真っ直ぐにエレアノールを追うミノタウロスは、《月風》にぶつかり阻まれながらも突進し続ける。
その間に大量の《月風》を作り出したエレアノールは、連続で放つ。距離を取り、時間が生まれたので、詠唱の時間が出来た。
――短縮はしない、完全詠唱の『闇』魔法
「――暗黒の神よ・我が声に応え・我が敵を・深淵の魔に吸い込まれて・顕現せよ・《暗澹の人形》」
エレアノールの身体から水が滴り落ちるみたく、ごぽりと黒いモヤが落ちる。やがて全身からこぼれ落ちた闇は人を形成し、もう一人のエレアノールとなる。
オリジナルのエレアノールは、もう一人の闇で出来た自分に命令する。
「――行きなさい。あの牛を足止めするのです」
コクリ、と頷いた闇エレアノールは浮遊しながらミノタウロスに向かっていった。
闇エレアノールは体術を基本戦術としていて、ミノタウロスの棍棒の攻撃を上手くいなしている。
そして、エレアノールの本体はというと――
――目を閉じ、祈りを捧げていた。
少し離れた場所で戦いを見ていたゼンは、エレアノールの美しい戦い方に目を奪われていた。その一つ一つの所作に華があるのだ。
(本来魔術師は後衛として、前衛に敵の注意を集めてる隙に詠唱して発動するものだ。――でも、エレアノールは魔法で時間を稼いで殲滅用の魔法で決着をつけられる。魔法、そのものに対しての適正が高すぎる……)
ゼンが足掻いたところで、エレアノールのレベルにまで引き上げることはほぼ不可能だろう。
だからこそ、エレアノールの魔法がより美しく見えるのだ。
場面は変わり、目をパチリと開いたエレアノールは再びゼンに言い聞かせるように言う。
「ゼン、見ていなさい。貴方には、これからすることを出来るようになってもらいますの。――魔法の極地、《三位魔技》を」
――三位魔技とは、三つの魔法属性を合わせた合技だ。戦略級――第九階梯に位置する。膨大な魔力と集中力、そして魔術師としての素質が必要とされる。
エレアノールは長大の魔法詠唱を開始した。
「――三位の界の狭間より出ずる・魔神の加護を求めん・火・天空・雷の神よ・我が声に応え・我が敵を・炎渦・暴風・雷鳴により引き裂かれ・合わさりし異を以て・滅せよ・《三極魔の咆哮》」
詠唱の直後、数刻時が止まる。一瞬だけやってくる静寂の空間。
やがて、空間に亀裂が生じた。亀裂はどんどん範囲を広げていき、初めに巨大な炎の渦を生んだ。
高音の炎は熱風を撒き散らし、天井まで届こうかというくらいの大きさになる。
そこに、竜巻が吹き込まれた。かまいたちのような斬撃を纏いながら、炎の渦へ吸い込まれていく。
そして、さらに大きな炎の渦が出来上がる。――最後に留めの雷が合流し、炎、風の斬撃、雷が融合したモノが柱として立った。
柱はゆっくりと移動を始め、じわりじわりとミノタウロスに迫る。逃げ場はない、逃げようにも三方は岩壁に囲まれ目の前からは、《三極魔の咆哮》だ。
「ブモオオオオオオ!!」
立ち向かうしかないと悟ったミノタウロスは、自らを鼓舞するかのように一際大きな雄叫びをあげる。
術者のエレアノールは悪魔のように口の端を吊り上げており、ただ眺めている。
ミノタウロスは何度も何度も棍棒で消し去ろうとするが、消えるわけもなく、やがて終わりはやってくる。
激しい炎で身を焼かれながら、風圧で身体が浮き上がる。さらに内部では風の斬撃が身を斬りつけ続けている。雷にも焦がされ痺れの症状が襲う。
――何が起こっているのか、分からない。
それがゼンの率直な感想だった。これまで、エレアノールの魔法を間近で見てきたゼン。詠唱速度や魔力効率など、何度も驚いてきた。
ただ、これはそれらの比でない。――圧倒的なまでの理不尽。
ダンジョンを彷徨う怪物と呼ばれるミノタウロスが、何も出来ずにただやられている。
(……もしかして俺って、とんでもないヤツと出逢ってしまったんじゃ)
ゼンは今さらながら、そんなことを思う。
その目に映る光景は変わり、ピクリとも動かなくなったミノタウロスがの残骸が炎で燃やされている。
やがて、普段の魔石――色は赤紫色とは違う二回りほど大きい青紫色の魔石だけがその場に残っていた。
エレアノールはニコリとすると、ゼンの下へ歩み寄る。少しばかり機嫌が良さそうな雰囲気だ。
「褒めてもいいですのよ……?」
「お、おう……。ありがとう、助かったよ。さすが、エレアノールだな」
「ふふん、これくらい当然ですの」
ゼンは最初戸惑っていたものの、いつものエレアノールの表情や口調を見聞いて感覚を取り戻した。
(どんな力を持っていても、エレアノールはエレアノールだな)
立ち上がったゼンはフルメタルリザードマンとミノタウロスの魔石を回収して、エレアノールを呼んだ。
「お―い、十一階層に踏み込んどくだけ踏み込むから。もう行くぞ」
「あっ、待ちなさい。救世主たる私を置いていくなんて許しませんの」
駆け足でゼンの下まで急ぐエレアノールを待って、二人は第十一階層へ足を踏み入れた。