テスト勉強にはおにぎりを添えて
「―であるからして、この一次不定方程式の解は、x=2k-2,y=3k-3となるわけだ」
僕は数学が嫌いである。
「では次にカッコ2番のこの問題を―」
どのくらいかと言うと、赤点を取るか否かのギリギリを毎回取るぐらいには数学が苦手で嫌いだ。
「宇野。お前が答えろ」
「ええっ!? なにゆえ私なんですかぁ!?」
「気分だ」
「理不尽です……」
なので。僕は毎回授業の時には、教科書を立てて先生からの視線をカットし、それを良いことに突っ伏して―
「んがー……」
―寝る。まあやったことある人には分かるだろうが、このような、「やっていけないことをやる」ということに快感を感じるのだ。
「おい幸田なに寝てんだ、起きろ!」
と、このように松樹が小さい声量で身体を揺すっても僕は起きることはない。
なので、こうなる。
「んーっと……すみませんっす、分かんないっす」
僕と同じくして、数学が唯一苦手な秀才である宇野がやがて音を上げギブアップ。
ではその代わりを務めるのは誰かというと……。
「そうか……。なら隣の佐藤、代わりに答えろ」
宇野の隣の席にいる僕に振られる。
だけど僕は絶賛お昼寝中だ。
「がー……ぐぅー……」
「おいバカお前の番だぞ起きろ!」
「佐藤、早く答えろ。答えれなければ全責任は松樹が取ることになるからな」
「なんで!?」
「……がー、別に……それなら……大丈夫ぅ……」
「幸田テメェ起きてるだろ!? ぜっっっったい起きてるだろッ!!」
否、僕は断じて起きているわけではない。僕は寝ている。うん。
―とまあ、その後見事に責任を取らされた松樹の話は隅に置いておいて。
こんなに授業中に寝てサボっているのだから、当然そのつもりに積もったツケは返ってくる。
「―赤点、だな」
「そんなっ!! 平均点の半分は取ってるじゃないですかっ!?」
「そんなってお前……」
今回の定期テストの数学において、僕は平均点の64点の半分より少し上の37点を取り、なんとか赤点を回避したかのように思われた。
だがしかし、担当の先生に急に呼び出されたかと思えばこの始末。
「だって平均点は超えずとも、先生言ってたじゃないですか! 平均点の半分以上を取れさえすれば赤点になる事はそうそう無い……って!」
「そうだ、言ったな」
「じゃあ赤点なわけないじゃないですか!!」
「その、そうそう無い、のそうそうをお前が普段からしていたからだろう?」
「うぐっ」
担当の先生は、机に置かれた僕の答案用紙をシャーペンで何度もつつきながらこう言う。
「お前は授業をほとんど毎回寝過ごしていたろう? それじゃ、点を取れない、態度も悪い、寝ているようじゃ参加してないみたいなもの……以上3点セット。いくら点で赤点を回避できたとしても、今言った要素を見逃すなんてことはできん。だから特別に赤点だ」
「そんなぁ……」
「…………まぁこれはあくまでも今回の中間テストだけを鑑みたらの話」
「え?」
答案用紙を渡され、それをポケットにしまいながら僕は先生の言い方に疑問を持ち、聞き返した。
「次の期末でお前が平均を大きく超える点数を取ったならば、学期の総合の数学の評価は、赤点評価の1にはならん」
「じゃあ次の期末で頑張りさえすれば……」
「なんとか評価は平均の3にできる。……私とて、なるべく赤点者を出したくはない」
「先生っ……!」
「ただし」
希望を見出したかのように目を輝かせる僕を手を制し、先生は打って変わって頬杖をして僕にこう言った。
「ただ点を取ればいい、というわけじゃない。授業態度もしっかりしていなければ正直言って3にするのは厳しい」
「態度って事は―」
「そう。寝ない、遊ばない、早弁しない、のようなサボり行為をしないこと。更にお前はしないだろうが、他の授業を真面目に受ける生徒の邪魔となる行為をしないこと。それとさっき言った点数の条件を満たすことさえできれば、赤点は回避だ」
「おおっ……!」
「まあもっとも、いっつも寝ているお前にできるかどうかは私は知らんが」
「でっっっきますとも、先生ありがとうございますっ!!」
「お、おう」
ということで。
僕は期末の数学の赤点回避に向けて、全身全霊を持って勉強と授業に取り組む事を決意したのだ。
2
先生から呼び出されたのが昼休みの始めだったので、昼食を摂るために足早に教室に戻ることにした。
「あれ、幸田君?」
その道中、ぶらぶらと廊下を歩いていた宇野に遭遇した。
「あ、そういえば数学の田辺先生に呼ばれてたっすよね。どうしたんすか??」
「ちょっと今回のテストについて呼ばれてさ。このままだと僕、赤点になるぞと」
「えっ赤点っ!? 幸田君、大丈夫っすか!?」
「んまぁ……なんとか。先生も救済措置は取ってくれるし」
「なら……いいっすけど……」
どうやら宇野は僕を心配しているらしい。心配してくれていることはとても嬉しいことだが、それは無用な事だ。
「別に心配しなくてもいいよ。これからは授業中はしっかり起きて、ちゃんと授業を受けて、テストで平均点を取るからさ。先生も良い人だよ、僕を見捨てず対策案を提案してくれたんだし」
「……んー……そっ……すかぁ」
「?」
だが、心配とは別に、何やら気まずそうに頬を掻く宇野。
その様子に何か嫌な予感を感じた僕は、率直に聞いてみることにした。
「宇野、何か隠してる?」
「っ!? いや、何も……」
「その反応、隠してるでしょ。…別に大丈夫だよ、結局なんとかするのが僕なんだから。一体何隠してるの?」
「……………えーっと」
頭の中で一悶着していた宇野は、やがて決心すると、衝撃の情報を口にした。
「次の数学のテスト、中間よりも難しいらしいっす」
「え」
「だから、授業をしっかり受けるとか、そういう事以前に点を取らないと赤点になっちゃうっす……」
「………ちなみに、今回の範囲は大体どのくらい難しそう……?」
「私の推測だと……だいたい2倍くらい難しいと思うっす」
「oh………」
「んな急にネイティブアメリカンになっても……」
…僕はリアルに頭を抱えてしまった。
あの教師め。そういえば肝心のテストについては何も言ってなかったではないか。
僕は騙されたのか。そしてこれではあの詐欺教師の手のひらの上。
このまま手のひらの上で踊っていても、ただ授業に参加するようになっただけの赤点坊主になってしまう。赤点から逃れられないし、それは困る。
だけど、テストの難易度が跳ね上がるなら、さっきまで思っていた勉強量も増やさなければならない。それも面倒だ。
………………。
「……もうこのまま赤点でいっかなぁ…」
「うぇっ!? ダメっすよ幸田君それは!! 事の次第じゃ留年になるっすよ!?」
「思えば留年っことはもう一度この年をやり直せるんでしょ? なら別にいっかなーって」
「良くないっすよっっ!!!」
「っ! …宇野?」
声を荒げる宇野に怯んでしまった。
……しかし珍しくことだ。宇野は声を荒げるタイプの女子ではなかったはず。余程自分にとって不都合な事でもあったのだろう。
「声張ってさ、そんなに僕が留年するのが嫌なのか?」
「………っ。まあ……少し」
「少しなら話してもいいでしょ、何が嫌なのか」
「それは……………えと…………その………」
「…………」
問い詰めるたびに、頬を染め、顎が下を向き俯いていく。
正直言って僕は、その理由を薄々は察してはいる。おおよそ、友人である僕と、同じ学校とはいえ離れ離れになってしまうことが嫌なのだろう。それを本人の口から聞きたい、それ一心だ。
―こんなチャンスはそう来ないかもしれない。ただでさえ、普段元気はつらつな宇野がここまで大人しく事がレアな事例なのに、さらに僕を引き留めるような言葉を言ってくれるのなら大満足だ。バレないようにスマホの録画ボタンを押しとかないと―
「幸田君が………私にとって……大切、だから」
「ん……?」
妙だ。何故か引っかかる。
なんだその間は、まるで友達としてではなく……。
いやそんなこと……あるかもしれないけど、もしものこともあるし、考えたくはないな。
まあ、ともあれだ。宇野が僕の事を大切に思ってくれているという事実が分かっただけで十分だ。おかげで勉強に対する意欲も湧いてきた。
「まあいいや。結局は勉強へのやる気を出したいから聞いただけだし。そのやる気も出たからね。ありがとな」
「……え。あ、まあ……どもっす」
ぽかんと小さい口を開ける宇野をよそに、僕は昼食を食べに教室に戻って行った―。
――――――――――――――
「お疲れー」
「おつー」
簡素な挨拶を済ませて、僕はテニス部の部室のドアを開いた。
ここから当たり前のように下校するわけだが、忘れてはいけないのは勉強だ。
昼休みの時にやる気が出たとは言ったは良いものの、いざそれが目の前に来たとなると、家に赴く自身の足取りはとても重いものだ。
…まあやらないとそれ相応の返しがきてお先真っ暗なのだが。
「………ふぅ」
途中通学路にあるコンビニで小腹満たしのサンドイッチを買い食いしたのち、僕は使い慣れて少し錆びれた自転車を走らせあっという間に自宅に到着した。
自転車を指定の位置に運びながら、僕は姉貴の車があることを目視した。
毎日の事だが、僕は家に着いたとき、必ず姉貴の車の有無を確認している。車があると言うことは、すなわち姉貴が家にいる証拠になるからだ。
「…………」
なるべく音を鳴らさずに玄関の扉を開け、つま先を立て忍び足で静かに自室へと向かっていく。
傍から見たらコソ泥のように見えなくもないが、これは姉貴に帰ってきたことがバレないようにするための行動だ。くれぐれも間違うことのないように。
「今日は絶対にバレるわけにはいかない。なんとしてでも勉強をしなくてはっ……」
「あら幸田ちゃん、いつの間に帰ってきたの?」
「びゃあっっ!?!?」
出オチだ。最悪だ。こうなったらもう、強引にでも振り切るしかない。
「ご飯、できてるわよ? 先に食べる? お風呂に入る? それとも―」
「いや、ご飯も風呂もいい。しばらくは忙しくなるだろうから、あまりベタベタされるの困るから」
「……幸田ちゃん?」
姉貴を手を振り切って、僕は自室のある2階への階段を登る。
姉貴を振り切ったときに、何かポケットから何重に折った用紙が落ちた気がするが、そんなこと気にしている暇はなかったので、そそくさと僕は自室に向かって行った。
「これは………答案用紙? 幸田ちゃんまさか……」
それの落とした紙がとんでもないものだとは知らずに。
――――――――――――――
チッ………チッ………と、動く針の音で、ふとハッとして、持っていたシャーペンを机の上に静かに置いた。
時計を見ると、時刻は22時。帰ってきた時が18時ぐらいだったはずだから、実に4時間も夢中に勉強をしていたらしい。意外と時間の経過はあっという間だ、恐ろしい。
「……風呂」
さすがに風呂に入らずして寝るのは思春期の男としてあり得ないので、休憩を兼ねて風呂に行くことに。
そして、僕が自室のドアノブを持ち、ドアを引くと。
「あ……姉貴?」
「………んー」
シャーペンの持ちっぱなしで疲れた右手でドアノブを引くと、その先にはなんと姉貴の姿が。壁に身を委ねて寝てしまっており、その側には、おにぎりと少量のたくあんを乗せたお盆が置いてある。肝心のおにぎりはと言うと、少し大きめのサイズの物が二個、そしてかなり冷めている。
このおにぎり……まさか僕のお夜食か?
「………」
姉貴が寝ているので真相は分からないが、おそらくそうだろう。
だが、なぜ姉貴はそこで寝てしまっているのか。
おにぎりが冷めていることから、姉貴は僕が部屋に行ったあと、すぐにおにぎりを作った。そしてそれをお盆に乗せて、僕の部屋の前まで来た。
だが一度ドアを少し開け、様子を伺った際、思いの外僕が集中していたものだから、僕がなんらかの理由で部屋を出るのを待っていた……? いやまさか。
「(……なにしてんだか、姉貴って人は)」
無防備にもドアの側で寝息を立てている姉貴は、第三者から見ればやはり可愛いものなのだろう。そのまつ毛、その閉じた細く長い目、そのサラサラとした薄く茶色がかった髪の毛。本当に僕と同じ血統の者なのかを疑うぐらいには。
―だが、僕は弟だ。正直言って姉貴に恋心なんて、これは漫画やラノベやドラマなんじゃないから到底ありえない。
第一姉貴のことは―
と、僕が心の中で謎の討論会をしているときだった。
「(ぐぎゅるるるるるぅぅぅ……)」
「うえ……腹減った……」
お腹が空いたのだ。
まあそれもそのはずで。思えば、僕は家に帰ってから何も口にしていないような気がする。
「(適当に何か見繕うか……)」
そういえばこの前姉貴が近所のお爺ちゃんからもらったジャガイモがあったよなと思いつつ、階段を降りようとする僕。
しかし、歩こうとする左足が、何か固いものに当たった。
気になりはしたので、一応何に当たったのかを確かめると。
「お盆……」
左足は、お盆の端に当たっていたらしい。
「ていうか、ここに飯あるじゃんか」
そう。おにぎりがそこにあるのだ。
姉貴が何故ここにいるのか、何故姉貴と僕が同じ血統なのか、そして何作るかを考えているうちに忘れてしまっていたみたいだ。
「姉貴の……おにぎり」
僕は姉貴の作った大きめのサイズのおにぎりを手に取り、ゴクリと唾を呑み込む。
形は多少不細工なものであるけれど、とても美味しそうで―
「いやいや。それじゃあ俺は負けだ」
首を振り、僕はおにぎりを盆の上に戻す。
僕は姉貴が嫌いなんだ。僕が招いた事態なのに変な気遣いなんてして…………それに歪んだ愛情なんて向けるから嫌いなんだ。
要らぬ気遣いは不要。ということで、足元が危ないのでお盆を適当に廊下の片隅に寄せ、階段を一段ずつ踏み込む。
―……と。
『―食べ物に罪はないぞ』
『―そんな唐揚げを食べることを拒否するという行為はな。鶏を飼育していた方や、小麦を育てていた方。スパイスを作っていた方に無礼をはたらくんじゃないのかよ』
まるで僕を引き留めるかのように、突如として僕の記憶の中からこの前の唐揚げ戦争のときの松樹の助言が蘇った。
作った人が誰とはいえ、人が誰かのために作った食べ物を拒否するなんて、作った人にも、ましてや米とか海苔とかの原材料を作ってくださった方々にも迷惑だ。
たとえそれを作ったのが姉貴であったとしても。
「………………今回だけ。今回だけなら神様も許してくれる、はず」
そう自分に言い聞かせ、自分で自分の背中を押した僕は、おにぎりを乗せたお盆を持ち、自室へと引き返した。
――――――――――――――
そして翌日の早朝。
布団を律儀に綺麗に畳みつつ、昨日の事を振り返る。
―おにぎりのおかげで糖分を補給できたのもあり、勉学に励むことができたのは良かった。
だけど結局は僕の根負けによるもの。素直にこのことを良いことだと受け止めづらい。
…まあこれからは「食べ物に罪はない」ということでなるべく姉貴の作った食べ物はつべこべ言わず食べれるよう尽力するが。
「はぁぁぁ……最近の僕、大丈夫かな……」
今度は閉まり切ったカーテンを開けて日光を体内に取り込む。
これでこの沈みきった気分も変わるだろう。
…そう思いながら、制服や下着など諸々の衣類をタンスから取り出している最中だった。
コンコン、と、朝だからか迷惑にならない程度の軽音で誰かがドアをノックする。
「幸田ちゃーん、ご飯そろそろできるわよー」
「返事する前に入ってこないでよ、着替えてたらどう責任取るんだよ」
「………私の身体で―」
「はいはい朝からそういうのいいから。もう少し経ったらリビングに行くから早く行って」
「はーい」
姉貴から自立すると決心した中学のときからはや三年。
だけど最近姉貴に丸め込まれている気がする。そしてそれを悪く思わないダメな僕が片隅にいるのが気に入らない。
僕は決心したんだ。それを今更曲がるなど絶対にしたくないっ!!
「あ、そうだ幸田ちゃん」
「なに」
どうやら何かを思い出したみたく、姉貴がドアの隙間からひょこっと顔を覗かせる。
「おにぎりに葛藤してた幸田ちゃん、とぉぉぉっっっても可愛かったわよー」
「っっっっ!!!?」
なんでそれがバレてるだ!? あのとき姉貴はたしかに眠っていたはずじゃなかった―
「なんで知っているのかって? 私、狸寝入りしてたのよ。幸田ちゃんどうせいつもみたいに食べようとしないだろうから、眠ったふりすれば食べてくれるかなーって思って」
騙されたっ!! 完全に僕はこの女狐にまんまと騙されたのかっっっ!!!!
「ぐぅぅぅぅ………!!!」
「美味しかったでしょ? 見てたのよ全部。幸田ちゃんが微かに美味しそうに食べてた姿も、全部。それがなんの可愛かったの―」
「姉貴なんかっっ………だいっっっっっっっきらいだぁぁぁぁっっっっっ!!!!!!」
ちなみに肝心の数学の期末テストはどうだったのかと言うと。この必死の勉強ぶりもあってか、クラス内平均である60.5点を大きく上回る86点を取ることができ、田辺先生が出した条件をクリア。なんとか夏休みの補修及び留年の危機を回避することに成功した。
……まぁ、その代わり。姉貴に今世紀最大級の弱みを握られてしまった、なので実質僕の負けだ。




