唐揚げ戦争
「ぐっ……うぅ……」
僕の呻き声が、八雲高校の屋上から響き渡る。
「どうしたんだよ幸田。弁当の中身を見た途端、この世の終わりみたいな顔しやがって。何か嫌いな食べ物でも入ってたか?」
「いや、別にそう言うことじゃないんだけど…」
「じゃあなんなんすか?」
改めて、弁当の中身を確認する。
のり玉のふりかけがかかった白飯、卵焼き、きんぴらごぼう、ミニトマト。ここまでは良い。美味そうだ。
だが、《《これ》》はダメだ。
「これ……」
「ん? これって…。唐揚げじゃねーか。どこがダメなんだよ」
「普通に美味しそうっすけどね」
「何を言う!! これは100%姉貴の手作りなんだよ。つまりは心から美味いって思ったら僕の負けなんだよっ!!」
僕の必死の反論に、松樹と宇野は首を傾げる。
「だったらよ、幸田。きんぴらとか卵焼きはどうなるんだよ」
「そうっす。あの二つも手作りのはずっす。なんで唐揚げ限定なんすか?」
「唐揚げは元々僕の好物なんだよ。そのことはもちろん姉貴は知っているし、僕を喜ばせるために唐揚げを入れている。ここで喜んだら姉貴の思い通りになってしまうんだよ」
僕は当然ながらそう答えた。姉貴が作ったものに高評価をつけるなんて行為は、僕に死ねと言うものだ。
「はぁ……。あのな、幸田。未熟もんなお前さんに一つ、ある言葉を教えてやる」
「未熟ってところが気になるけど………なんだよ」
「─食べ物に罪はないぞ」
「なんでだよ、姉貴が作った唐揚げだぞ?」
「たしかに。作ったのはお前の姉貴だ。だが、その大元。鶏や、小麦粉、調味料諸々を生産したのはお前の姉貴ではない」
─たしかに。
僕の納得した表情を確認し、一拍おいて松樹は続ける。
「─そして、そんな唐揚げを食べることを拒否するという行為はな。鶏を飼育していた方や、小麦を育てていた方。スパイスを作っていた方に無礼をはたらくんじゃないのかよ」
─なるほど。
たしかに失礼だ。
「…すまん、僕が悪かった。姉貴はどうでも良くても、元を作った方に失礼だもんな」
「分かったならさっさと食え。もう時間がないぞ」
「もぐもぐ」
「食うの早いっすね……。よっぽどお腹が空いてたんでしょうね」
まずはきんぴらから……。
うまい。程よい甘さとゴマが、ゴボウを引き立てている。
次は卵焼き。
これも言うまでもなくうまい。卵自体美味しいのもあるが、控えめに入っている出汁がまた良い。
そして付け合わせのミニトマトも美味しかった。
さらに唐揚げ。
ふむふむ。やっぱり外はカリッと中はジューシー。隠し味のオイスターソースも程よく影響してるし、ご飯が進むなぁ……。
美味いな─
「っ!? ゴホッ……ゲホッ…!」
「だ、大丈夫っすか幸田くん!?」
「むせたか!? ほら、このお茶を飲め!」
「い、いや。大丈夫。甘くなりそうだった自分に喝を入れただけだからさ」
「お前何やってんだよ……。姉貴が関わるとホント馬鹿になるよな、幸田は」
それはない。
唐揚げを、のけものにするように必死でお茶で飲み込んだ僕の姿を見た宇野は、まだ弁当箱に残っている唐揚げに何やら羨ましいような視線を向けている。
「でも、そこまでするってことは……、その唐揚げ、めちゃくちゃ美味しいってことっすよね。松樹くん、ちょっと気になりません?」
「まあな。気にならないと言えば嘘になる」
「ないないない、美味しくないぞ?」
「でもお前。好物が唐揚げって言い出したの、弁当になった高校からじゃん」
「そうっすね。中学の時は、『ハンバーグこそ、この世の全て! 人々の理想、人々の憎しみ、人々の恨みつらみが全て混入している最高の食べ物だ!』…とか言ってじゃないっすか」
「やめろっ! 昔の事を掘り返すなっ!」
昔と言ってもせいぜい二、三年前の話だが。そもそも思い出したくもないゴミみたいな黒歴史なんか、ゴミらしくゴミ箱に捨てておくべきだった。
「―で? くれるんすか? その唐揚げ。美味しくないんだったら、おそらく美味しくいただける私たちにくれた方が唐揚げも喜ぶと思うんすけど」
「それは嫌だ。おかずがなくなる」
「んだよ。ていうか、唐揚げがなくなっても、お前にはまだおかずがあるじゃねーかよ」
「何言ってんだ、唐揚げ以外におかずなんて―」
「ほら、あれだ。ベッドの下に密かに隠してある、姉もののうっすい―」
「コロス ソシテ マツダイマデ ノロウ」
「ずん"ま"ぜん"……」
光よりも速い速度で首回りに腕を回された松樹は、同じく光よりも速い速度で降伏。
降伏するぐらいならそんな変な冗談、しなきゃいいのに。
「ともあれ。僕から唐揚げを取ったら、おかずがなくなって白飯をより美味しく食べれない。だから渡さないぞ」
「じゃあ自分のエビフライあげるんで、その唐揚げ一個くださいっす。つまりところの交換っす」
「やだ」
「えぇ……」
「わがままな坊ちゃんだな」
姉貴が作ったものだとは言え、唐揚げは僕の好物だ。エビフライと交換だとは、唐揚げへの裏切り。絶対に譲れない。
だけど、その唐揚げを作ったのは、あの忌々しき姉貴であって…………。
ええいめんどくさいっ!
「わがままでも良いわっ! この唐揚げは僕に与えられた、いわば試練のような物。あの姉貴が作る物は僕にとって毒であり、そういうことならば、二人にとっても毒になりえない! だからコレは僕が食べるっ!」
「もうむちゃくちゃっすね……」
「それほどアイツの姉貴が作る唐揚げが好きってことだろ。意識的に避けても、本能的には避けられない的な」
「なるほど」
「何勝手に理解してんの!? 僕は姉貴が大っ嫌いだ!」
「今の世の中、ツンデレは流行らないぞ。ましてや男のツンデレなんてな」
「自分も正直うざいっす」
「うおっ……!?」
松樹にはなんとでも言われてもいいけど、女子の宇野にそんなこと言われると何か心が抉られるような…!
「……はい、どうぞ」
「やたー! 唐揚げゲットっす! じゃあ約束通りのエビフライ、あげるっすね」
「待て待て待てぇい! なんで宇野にはあげて俺には何もないんだよ!?」
「松樹くんは弁当全部食べちゃったじゃないっすか。それも早弁」
「ぐあっ!? ―ええい、ままよ! 幸田、唐揚げ寄越せ!」
「それが人に物を乞う者の態度ですかぁぁ!? いやだ絶対お前にはやらないからなっ! 欲しいなら力ずくで奪ってみやがれ!」
「はぁぁぁぁ!? やってやろうじゃねぇかよ! 現役野球部エースの底力、思う存分に発揮してやろうじゃねぇか!」
「上等よっ! テニス部舐めんなよ!」
流れるがままに、僕と松樹は取っ組み合いを始める。
しかし力差で軍配が上がるのは、悔しいが松樹の方だ。日々の筋トレを欠かさず行い、自身の身体を鍛えに鍛えまくった成果なんだろう。
そのため、僕は呆気なく力負けし、硬いコンクリートに尻餅する。
テニス部、なんだけどなぁ……。
「~~~~ってぇ………!」
「ハンッ! どうよ、屈したんならとっと唐揚げよこしやが―」
「―いや普通に物を乞うとき、暴力で解決しないっすよね?」
「………え」
「自分、ちょっと……そういうの好きじゃないっす」
「…………………あー」
「幸田くん、大丈夫っすか?」
「ま、まぁ………ちょっと手がヒリヒリするぐらい」
「あー……それ地味に痛いっすよね。自分に任せてくださいっす。ちょうど冷えたジュースあるんで、それで痛みを緩和しましょう」
そう言って宇野は、手元にある冷えたミカンジュースを僕の両手に掴ませ、ヒリヒリした手を癒えさせてくれる。
本当に宇野は優しい友達だ。
「―それに結構可愛いし……」
「んえっ………!? さ、幸田くん?」
「ん!? あー……いや、気にしないで」
「……そっすか」
あっぶな!
………いや、あっぶな!?
何失言してんだ俺の馬鹿野郎、マヌケ、スカポンタンっ!
たたた、たしかに宇野は純粋で後輩っぽくてショートの髪型がめっちゃ顔に合ってて、たまにする匂いも男の本能をくすぐるし、俺や松樹の誕生日には必ず手作りのプレゼントをくれるし、ドジで愛嬌あるし―
「―あのさ力で解決しようとした俺も悪いんだけどさ、勝手に二人でラブコメ展開するのやめてもらってもいいか……? それ見てる人の気持ち考えてくれ…」
「あ、そっか松樹いたのか」
「いるよ!? ていうか今さっきまで唐揚げ巡って取っ組み合いしてだろ!? ていうか宇野!」
「ひゃいっ!?」
「お前も変な反応すな! そっすか、って冷ました反応したつもりだろうが、まっっったくそんなことないし、むしろ照れ隠しだからなそれ!」
「えっ宇野、照れてたの!?」
「!?!? いいいいいっいやいやいやいや、照れてななないっすよ!?」
照れてるじゃん、それ。
あれ、ていうか、僕が可愛いって言って、それで宇野が照れたんだから………………いやまさかね。
―なぜか変な空気になってしまったので、気を紛らわすために、今一度弁当を手に取る。
だけど、そこには―
「あれ? 唐揚げが…ない」
「は? 嘘だろ―」
「食ったな……? 僕の唐揚げを食ったんだなぁ松樹ぃぃぃ………!!」
「待てっ! 誤解だ誤解! ていうかなんですぐに疑いが俺にくるんだよ!!」
「いや普通に松樹がいつも一番怪しいから」
「いつも!? いつも怪しいのかよ俺はっ!? 俺不審者じゃねえよ!?」
「ふぐふぐ……ふぁふぁしもふぉーふぉいまふ(訳:私もそう思います)」
「ほら見たことか、宇野じゃねえかっ!!」
「んなに言ってんだ、これ絶対宇野じゃんかよ! おい、幸田明後日の方角を見るな! 見て見ぬふりをするんじゃない!」
きっと、あれだ。
僕が宇野にドギマギしている刹那に、松樹が唐揚げを奪い取ったに違いない。
決して、片方だけ膨れている宇野の頬袋に唐揚げが入っているなんて決してあり得ない!
………………はず。うん。
とりあえず、この唐揚げ戦争は、僕の負けだ。
(―唐揚げ戦争勝者―宇野春。)