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「……ちがう、ちがうんだ……」


 エイデンは力なくかぶりを振った。

 しかし、向かい側から注がれる視線はすべて冷ややかだ。


「なにが違うの?」

「……ただの友人同士の軽口だった。婚約解消の話だって、普段の君に戻ってほしかっただけで……」

「ふーん。そうなのね」


 どうでもいい。そんな口調だった。

 エイデンは自己嫌悪に襲われながら、あの日の──いや、今までの自分の行いを後悔する。


 本当に悪気はなかった。

 周りに『お前ならもっと良い女と結婚できただろう』『サンドラは見た目が地味すぎる』などと揶揄されて、とっさに出た軽口だった。サンドラの良さは自分以外にはわからなくても構わないと思ったのだ。

 まさか、それをサンドラに聞かれているとは思わなかった。知っていたら、あんなことは言わなかっただろう。


「エ、エイデン本当なの? 本当にそんなことを言ったのっ?」


 母は取り乱すようにしてエイデンに尋ねてくる。それにエイデンは答えられず、深く項垂れた。


「……と、いうわけなので、サンドラとエイデンの婚約は解消ということにしましょう。裁判だのなんだのは面倒くさいですし、それでいいですよね」


 朗らかな声でユーリスが言う。その目は相変わらず冷ややかだが、この男は屋敷にやってきた時からひどく楽しそうな笑みを浮かべていた。それこそまるで、エイデンとサンドラが結ばれないことがうれしくてたまらないとでもいうように。


「そ、そんな……サンドラ、考え直してはくれないかしら? エイデンのことは私が叱っておくから、私の顔に免じてどうか……どうか……っ」


 涙目で縋るエイデンの母を、サンドラは複雑そうな表情で見つめている。エイデンにとってサンドラの母がもうひとりの母親のような存在であるように、サンドラにとってもエイデンの母は身近な存在だったはずだ。

 しかし、サンドラは悲しげに目を伏せて首を横に振る。


「ごめんなさい、おばさま。私とエイデンはもう無理よ」

「っ……」


 そんなの決めつけないでくれ!……と叫びたいのを我慢して、エイデンはしぼりだすような声でサンドラに言う。


「……サンドラ、僕が悪かった。酷いことを言って、君を傷付けて、本当にごめん……でも、君を好きな気持ちは嘘じゃない。君を愛してる」

「…………」

「もう二度と君を傷付けたりしないと約束するよ。どうか、許してほしい……本当に君を愛してるんだ……」


 泣きそうになりながら、エイデンは深く頭を下げた。

 サンドラと結婚できない未来なんて、エイデンには考えられない。サンドラの存在は幼い頃からずっとエイデンの傍にあった。それが当たり前で、絶対に覆りようのないものだと信じていた。


「──エイデン、顔を上げて」


 短い沈黙ののち、柔らかな声に促されてエイデンは顔を上げた。

 目の前のサンドラは、優しい目をしてエイデンを見ていた。幼い頃と同じ、エイデンが愛した穏やかな色をたたえて、その金茶色の瞳にエイデンだけを映した。


「あなたの今の言葉に嘘はないと思う。私たちはずっと両思いだったのよね、きっと」

「サンドラ……!」


 エイデンの顔にパッと明るい笑みが浮かんだ。しかし──


「でも、ダメなの」


 悲しげに微笑んだサンドラが、静かにエイデンを突き放した。唖然としたエイデンは口を半開きにしたまま硬直する。


「エイデン、あなたずっと私を見下していたでしょう? 好きで、愛していて……でも私が自分の思い通りにならないと腹が立ってたまらなかったでしょう?」

「…………」

「どっちのあなたも本物のあなたよ。私を愛しているあなたも、私を見下しているあなたも。……それと同じように、私の中にもあなたを愛している私と、あなたを怖いと思う私がいるの」


 サンドラは小さくため息をついて、自嘲的に笑う。


「昔は少し不安でも、あなたのことが好きだから良いと思ってた。でも、今はそんなふうに思えない。本当はまだあなたのことが好きな気持ちはあるけど、私を見下しているあなたが私はなにより怖くてたまらないのよ、エイデン」

「サンドラ、僕は……そんな……」


 そんなつもりはなかった、と言おうとした口をエイデンは噤んだ。

 本当にそうだろうか? 自分の中にサンドラを見下す気持ちは欠片もなかっただろうか?


 頭の中が真っ白になる。

 血の気が引いて、唇が小さく震えた。


 そんなエイデンを、サンドラはまっすぐに見つめて言う。


「エイデン、もし次に誰かを好きになったとき、そのときはちゃんとそのひとを尊重して、対等に見てあげて。私からあなたへの最後のお願いよ」

「さいごの……」


 エイデンは口の中で繰り返して、しばし呆然としたあと、小さくこくりと頷いた。

 サンドラはようやくすっきりとした顔で笑って、「では、失礼致します」と立ち上がる。それに釣られるようにルーン伯爵家の面々も立ち上がり、静かに部屋を出ていく。


「ま、待ってください!」


 父がその後をあわてて追いかけていくのを、エイデンはどこか他人事のように見送った。なにも考えられなかったし、なにも考えたくなかった。

 今エイデンの胸を占めるのは、途方もない後悔と絶望だけだ。


(僕はサンドラのことが大事だったのに、なんて最低なことをしてしまったんだろう……)


 どれだけ後悔しても、もう彼女の心が自分の元に戻らないことはわかっていた。

 隣で咽び泣く母の声が部屋中に響く。

 エイデンは深く項垂れ、瞼の裏に残る幼き日のサンドラの微笑みを思い出しながら、静かに涙をこぼした。


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