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「……うるさいな。結婚相手としては、ああいうのがいいんだよ。真面目だけが取り柄の、地味で従順な女が」


(ああいうの……)


 たまたま聞いてしまった会話に、サンドラは呆然とする。

 それは、その言葉を口にしたのが自身の幼い頃からの婚約者であり、彼が口にした『ああいうの』が自分のことを指しているのを直前の会話から知っていたからだ。


「……言い方は酷いが、まあ確かにそうかもな。派手で気の強い女なんて妻にしたら大変そうだ」

「しかし、サンドラも気の毒だな……エイデンがこんな腹黒い男だなんて、きっと彼女は知らないだろ」


 呆然としている間にも、サンドラの婚約者であるエイデンの友人たちの言葉が続く。もしかすると、エイデンがこの手の話をするのは今日が初めてではないのかもしれない。


 サンドラは足音を立てないよう気を付けながら、ゆっくりと踵を返す。

 そうして、立ち寄ろうとしていた図書館の扉の前から、逃げるようにふらふらと歩き去った。






 サンドラが向かったのは、人気のない中庭だった。校舎の影になっていて薄暗いせいか多くの生徒からは不評だが、ひんやりとした空気の流れるこの場所がサンドラは割と好きだった。

 サンドラは返却しようとしていた本を胸に抱いたまま、ぽつんと設置されたベンチに腰を下ろす。


(真面目だけが取り柄の、地味で従順な女……私って、エイデンにそんな風に思われていたのね……)


 まったく気づかなかった。

 だって、サンドラの前ではエイデンは優しくて、紳士的で、そんなエイデンがサンドラは好きだったのだ。


 母親同士の仲が良かったため、流れるように自然と婚約者になった。友人の中には意に沿わない相手との婚約を親に決められた子たちもいたので、それに比べればエイデンと結婚できる自分は幸運な女だとサンドラは思っていた。


(──……本当にそう? エイデンと結婚して、私は本当に幸せになれるの?)


 ぽたり、と涙が制服のスカートに零れ落ちた。拭おうとする前にまたぽたりぽたりと新しい涙が零れ落ちてきて、サンドラはどうすればいいのかわからなくなる。


(──……私、エイデンと結婚しなきゃいけないの? 私を陰で馬鹿にしていたようなひとと……?)


 真面目だけが取り柄の、地味で従順な女──それが褒め言葉ではないことはサンドラにだってわかる。

 確かにサンドラの見た目は派手ではなかった。金茶色の髪はいつも後ろできっちり結い上げているし、化粧も最小限。


 でもそれは、エイデンがサンドラにそうあってほしいと望んだからだ。


『まだ学生だからってハメをはずして庶民のような振る舞いをする連中もいるけど、僕らは学園でも貴族らしく生活しよう』

『え、ええ……エイデンがそう言うなら』

『君は将来のロードリー伯爵夫人だ。慎ましく、落ち着いた振る舞いを頼むよ。……くれぐれも、あのマチルダ嬢のような派手ではしたない真似はしないでくれ』

『……わかったわ』


 貴族学院に入学する前、エイデンとの間でそんな会話があった。

 だから、サンドラは同級生の中でも地味で控えめな装いを心掛けていた。別におしゃれに興味があるわけでもなかったし、教師には褒められることも多かったので、サンドラはエイデンとの約束にさほど不満もなかった。……今日までは。


 サンドラはぐすっと鼻をすする。

 別に無理して地味な装いをしていたわけではない。でも、エイデンだってそれを望んでいたはずなのに裏であんなことを言われていると知って、サンドラはとてもショックだった。


 婚約破棄……という言葉が頭に浮かぶ。

 しかし、あれが婚約破棄の理由になるかと言われれば微妙なところだ。というか、おそらく無理だろう。浮気や、犯罪行為を行なっていたなら別だが、『裏で陰口を言われていたくらいなら許してあげなさい』と、サンドラの両親も言いそうな気がする。


(そうなったら、エイデンは謝ってくれるのかしら……?)


 容姿端麗で勉強もできる王子様のような伯爵令息は、サンドラの前ではいつだって穏やかで、そして威圧的だ。

 穏やかで威圧的なんて意味がわからないかもしれないが、事実そうなのだ。エイデンは柔らかな口調で、サンドラを自分の思い通りにする。いかにもサンドラのためだと言いたげな言葉を選んで、自分の希望を通す。


 今まではずっと、本当にサンドラのためにそうしてくれているのだと思っていた。多少引っかかることはあっても、エイデンのことを頼りになるひとだと信頼していた。

 でも、本当は違ったのかもしれない。

 エイデンにとってサンドラは、『真面目だけが取り柄の、地味で従順な女』だった。将来パートナーにするのにちょうどいい、都合のいい女だったのだ。


(私、馬鹿ね……)


 サンドラの視界が涙で歪む。

 なにも知らなかった自分がみじめだった。エイデンに裏切られていたことが悲しかった。


「……あんた、泣いてんの?」


 不意にかけられた声に、俯いて泣いていたサンドラの肩がびくりと跳ねる。あわてて涙を拭って顔を上げると、そこには学院で名の知れた華やかな少女が立っていた。


「あ……」


 緩く巻かれた紫色の髪に、長いまつ毛に縁取られた吊り目気味の大きな赤い瞳。

 エイデンがサンドラに『真似はしないでくれ』と言ったマチルダ嬢こと、ナトル公爵家のマチルダ・ナトルそのひとだった。



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