正しい流星群のおとしかた
齢2500歳をそろそろ超えようかという巨体を縮こませて、彼は事務所に入ってきた。
「おはようございます、メンスさん」
パソコンと睨めっこをしていた事務員が彼に声をかけた。
「メンス…ああ、確かそんな名前だったかな。
やぁ、おはよう。冷えてるが気持ちのいい朝だな」
彼は鼻をグルグルと鳴らして答えた。
外はそろそろ雪が降る季節だが、彼の自慢の鱗にはどんな冷風もそよ風でしかない。
ただ同時に変温動物でもあるので、寒い中を動く際は焚き火やストーブなどで身体を暖めてからでないと自慢の巨体も思うようには動かせない。
彼が事務所に入ってから『竜専用』とマジックで書かれた大型ストーブの前で腹を念入りに暖めているのは、そういう理由である。
「急に呼び出してすいません。実はコヌルさんが腰を痛めてしまって」
事務員がシフト表を見ながら小さく息をついた。
「コヌルか。アイツももう若くないのに無理をしたのかな」
事務員が出した湯気の立つ珈琲を舌先でチロチロと味わいながら、シフト表に黄色い目を向けた。
シフト表には5頭ほどの名前が書かれている。
左から右にずっと×印がついている欄が彼のシフトだ。
「おやおや。コルヌめ、随分と働いていたのだな。自分が抜けた時の事も考えておいてほしかったな」
「すいません。私たちもつい彼に頼り切っていました」
「仕方ない。我々の数は減り、歳はとり続けるだけ。人は増え、叶えてほしい願いは増え続ける。
仕事のクチに困らない時代に感謝はすれど、恨み言を吐けるほど若くもない」
彼はそう言ってガラガラと笑った。
事務員と軽く世間話をしながら身体をしっかりと暖めた彼は事務所を出た。
事務所裏の駐車場兼滑空場で念入りに翼の準備運動を行う。
衰えないように定期的に飛ぶ事はしてきたが、宇宙にまで飛ぶというのは、仕事でないとなかなかしようという気にはならない。
そういう意味では、この仕事のおかげで翼を失い、ただの蜥蜴にならずに済んでいるとも言える。
彼は準備運動が終わると大きく翼を広げた。
2本の太い脚が地面を蹴り上げたと同時に彼は新雪の空を真っ直ぐに登っていく。
やがて空は暗い灰色から澄むような青色の世界に変わり、やがて漆黒の闇の世界へとなっていく。
漆黒の空を彼はしばらくの間飛び続けた。
頼りとなるのは、星と月の光、時々宇宙空間に浮いている誘導灯、そして己の経験だった。
黒い無音の世界を飛ぶのは彼は嫌いではない。
青い星は人が増えすぎていて、軽く空を飛ぶにも制限がかかるし許可もいる。
彼は無音の世界を楽しみながら目的地へと飛んで行く。
やがて彼の視界に銀色の丸い塊が見えてきた。
月の鈍い黄色や太陽の輝くような赤色とは異なる人の作った人工的な鈍い銀色。
接近に合わせて銀色の球から着陸場が伸びてくる。
彼はふんわりと着陸場に降り立った。
人工衛星の中は数ヶ月前に来た時と何一つ変わらない。
こんな無機質な世界に何年もいて人はよく平気だと感心する。
「おや?メンスさん!お久しぶりです!!!
てっきり引退されたのかと思ってましたよ!!!」
青いジャージを着た若い宇宙飛行士がニコニコと笑みを浮かべて飛んできた。
「NASU」というワッペンが肩につけられている。
猿が二足歩行を始めてから宇宙遊泳をするようになるまでの速さなど知るよしもない。
人工衛星で嬉々として暮らす目の前の男を見ると適応の速さこそ人の最大の強みなのだとここに来る度に実感している。
「サンダースこそ、まだここにいたのか」
「いや〜後任がなかなか来ないんですよね〜!!!適任者が見つからないって!!!
もう任期はとうに過ぎてるのに。もう息子に顔を忘れられてますよ〜!!!」
「いつか来る」
「竜は気が長いからそう言えるんですよ〜!!!後任が来た時には俺はもうミイラになってますよ!!!」
「皮になっても鞄にならないのならいいではないか」
彼のジョークに若い宇宙飛行士はケラケラと楽しそうに笑った。
よほど人恋しかったのだろう。
もっとも来たのは人ではなく竜だが、意思疎通の出来る会話が出来るのならそこは関係ないらしい。
適当に話をしてから本題を切り出した。
「今回はコヌルの代わりだ。アレが腰を痛めてな」
「コヌルさんもいい歳ですからね〜
えっと確か、2400歳だったかな?」
「アリストテレスと同じ年だと自慢していたな」
「じゃあ、2405歳ですね!!!長生き〜!!!」
悪気なく感心する若い宇宙飛行士の言葉に彼はガラガラと笑う。
「いつ博物館の恐竜たちと同じになるか分からんからな。
展示される前に自分の埋葬代くらいは稼がないとないとな。
私もコヌルも」
「現代は人も竜も定年なんてあってないようなモンですからね〜!!!」
彼はまだ話し足りなそうな若い宇宙飛行士との会話を適当に打ち切り、流星群に使うための石の袋を受け取った。
出発予定時刻までは少し間があるので、休憩室で仮眠を取ることにした。
休憩室は暖房が効いており暖かかった。
彼は小さく欠伸をすると巨体をネコのように丸めた。
ジリリリとタイマーの鳴る音で瞼を開く。
前脚を伸ばし、背伸びをしてゆっくりと身体をほぐす。
石の詰め込まれた袋を身体にくくりつけて、離陸場へとノシノシと歩く。
若い宇宙飛行士も誘導のために顔を出しにきていた。
「地球に降りたら、息子を見せに行きますよ!」
「きっとお前にそっくりなのだろうな。お前の父もその父もそのまた父も同じような顔をしていた」
「嫁さんはどんどん良くなってると俺は思うんですけどね〜!!!」
「ならば夫の方が代々落ちていってるのだ」
「相変わらずの毒舌で」
「竜の舌に毒はない。息子にもちゃんと教えておけ」
彼はそれだけ言うと漆黒の空へ再び羽ばたいた。
今度は地球に向かって飛んでいく。
彼はこの瞬間が少し好きだった。
青い輝きが少しずつ大きくなる。爪を伸ばせばその輝きが掴めるようなそんな儚い脆さがこの青い星にはあった。
昔、最初にこの星を見た人間が「地球は青かった」と言っていたが、竜たちはそんなこと遥か前に知っていた。
人間も竜たちから話は聞いていただろうが、聞くと見るとでは大違いということだったのだろう。
時々宇宙空間に浮かぶ誘導灯と星を頼りに、流星群を落とす予定地点へと向かう。
予定地点に着き、首にかけたデジタル時計で時刻を確認する。
石を落とすにはまだ少し時間の余裕があった。
眼下の地球を見ながらゆっくりと時を待った。
「さて、そろそろか」
彼は袋から石を1つ取り出した。
そして、軽く投げた。
石はふわふわと漂い、やがて青い星へと吸い込まれていった。
彼は袋に入った石をあるだけ全部投げた。
「これでよし」
彼は小さく頷くと、自分も眼下の青い星へと羽を向けた。
後日、仕事の報酬である野菜や肉などとともに1通の手紙が彼の巣穴に届いた。
虫の這ったような文字で読むのに時間がかかったが、彼は1文字1文字丁寧に読んでいった。
「りゆうのおじさんりゆうせいぐんありがとう。おほしさまにうちゆうひこうしになるとおねがいしました。いつかおとうさんみたいなうちゆうひこうしになる」
彼は手紙をブリキの箱に入れた。
そして、大あくびを1つするとすやすやと眠りについた。
冬が終わり春が来たら、彼はまた起きるだろう。