悪役令嬢はNTRをご所望です。
「トネリ・アークジョージ。貴様との婚約を今この場で破棄する!」
目の前に立つ赤髪緑瞳の美青年、この国の第一王子でもあるフィリップ王子がそう宣言した。
突然の王子の発言によって集まっていた貴族達が静まり返る。
今日は彼の十八歳の誕生日を祝うパーティーでこの城には国内から多くの貴族が集まっており、次期国王である王子の成長を喜んでいた。
そんなおめでたい場での婚約破棄宣言。
「あの、フィリップ王子。何かのご冗談でしょうか?」
「冗談などではないわ。俺は貴様という女に飽き飽きした。俺が知らないとでも思っているのか? 貴様が今まで立場の低い貴族令嬢にどんな仕打ちをしてきたのかを!」
真剣で真っ直ぐな怒りの視線が私に向けられた。
かつてここまで王子が声を荒らげてお怒りになったことがあっただろうか。
彼は本気なのだ。
「ミシェル。こちらへ」
王子が名前を呼ぶと、集まっていた貴族の中から青い色のドレスを身に纏った茶髪の子が前に出て彼の隣に立つ。
「この子はミシェル・ダリア。男爵家の令嬢であり、侯爵令嬢である貴様に虐められていた可哀想な少女だ。知らないとは言わせないぞ!」
ミシェルという少女は悲しそうな顔をして王子の肩にもたれかかる。
「他にも複数の令嬢から告発状が届いている。お前のような女が婚約者だったとは反吐が出る」
王子の部下らしき人が文字の書かれた紙を持ってくる。
私はそれを見て、驚いた。
書かれていた名前の殆どが私と対立する立場にいた派閥の令嬢達だったからだ。
よくもまぁ、これだけあることないことを集めたものだ。
タチが悪いのは全てが嘘ではなく、いくつか心当たりがあるものだったことと、令嬢達が口で言っただけで証拠は無いが、よくありそうな内容だったことだ。
重要なのはその数が多くていかにも私が悪い女だと思わせること。
「反論も出来ないか。このミシェルは貴様に傷つけられて学園の裏で泣いていたのだ。俺は国のため、正義のため、愛のために貴様をこの場で断罪する!」
「待ってくれフィリップ王子。これは何かの間違いじゃないのか!?」
私を突き飛ばし、部下に拘束させようとする王子の前に黒髪で藍色の瞳をした青年が立ち塞がる。
公爵家の嫡男で王子の従兄弟であり、私と王子の幼馴染のセブルズ・コドリーだ。
「どけセブルズ。俺の邪魔をするなら貴様とて容赦はしないぞ。衛兵達! トネリを連れて行け!」
王子を止めようとしたセブルズの声は届かず、私は鎧を着て武器を持った衛兵達に捕らえられてしまった。
会場にいた人々は私に蔑んだような視線を与え、中には嘲笑を浮かべる者さえもいた。
「王子、私はあなたをお慕いしていました……」
「命乞いなど聞きたくない。早くその醜い悪女を俺の前から消せ。二度と顔なんて見たくない!」
私は縄で縛られて会場から連れ出される。
幼い頃からフィリップ王子と婚約して妃教育を受け続けた侯爵家の令嬢としての全てを失うことになる。
悲しい、辛い、胸が張り裂けそうだ。
「いい気味だわ」
去り際に王子が腰に手を回して抱き寄せていたミシェル男爵令嬢が私にだけ聞こえるような小さな声で呟いた。
嗜虐的な笑みを湛えながら私を見下す彼女。
そこには先程までの悲運の少女としての姿は無く、お前の物は全て奪ってやったぞと自慢気な恐ろしい女がいた。
ミシェルとフィリップ。
体を密着させて私のことを愉悦と冷徹な視線で見つめる二人の姿。
私は俯いて涙を流しながら笑った。
──あぁ。なんて悲しくて辛くて胸が高鳴るのだろうか。
感情の洪水に支配された私の脳内で何かが壊れる音がした。
♦︎
私ことトネリはアークジョージ侯爵家の長女として生まれた。
両親は政略結婚をし、私を儲けたがその夫婦仲は冷めきったものだった。
貴族間では何も珍しくないありふれた結婚だったのだが、母はそれがとても嫌だったようだ。
母は物語に出てくるような愛を求めていたが、三女である彼女は貴族としての繋がりを深めるための道具として父に嫁がされた。
父の方は女性に興味がなく、侯爵家の当主として必要な事として母を受け入れた。
幼い頃の記憶だが、私は両親が並んで笑っているところを見たことが無かった。
母は私の世話を乳母へ丸投げし、父は多忙で家を留守にしがちで夫婦間の亀裂は広がっていた。
子供というのは親に甘えたいもので、私は本で見た仲の良い家族に憧れていた。
だから良い子になろうと必死になった。
親が望むような素晴らしい子になろうと勉強や習い事を同年代の子よりも頑張った。
周囲の空気を読み、適切な仮面を被って場に馴染む。
その甲斐あって周囲は私をよく出来た娘だと褒め称えた。
しかし、両親の仲は改善されないまま二人は自分の遺伝子を持っているのだから当たり前だと更なる課題を私に与えた。
父の領地経営は波に乗り、次の発展を求めて家にいない時間が増えた。
家に残された母は侯爵家夫人としての役割を果たしつつ、溜まっていくストレスを愛が足りないのだと決めつけた。
愛を求めた母は使用人や他家の貴族を部屋に招くようになった。
私はそれがいけないことだとは分かっていたし、父に報告すべきだと思ったのだが、他の男といる時の母は滅多に見せない笑顔を浮かべていたので言い出せなかった。
ある日のことだった。
私は貴族令嬢達が集まるピアノの発表会で一番になった。
その喜びを母に報告すれば愛してもらえると思った私は家に帰ると我慢出来ず真っ直ぐに母の部屋に入った。
そこで見た光景は、見知らぬ男の上で情熱的に、扇情的に体を動かす女の姿だった。
私の知っている顔で、声で、冷たくつまらなさそうにしていた母が別人のように悦んでいた。
「お、お母さま?」
「は? ちょっとなんで見てるの。さっさと出て行きなさい!」
枕を投げつけられて私は部屋を追い出された。
私の母が私の知らない男と一緒にいて嬉しそうだった。
あの人は私の母で父の妻なのに関係ない人とベッドで寝ていた。
──私のお母さまが取られた。
きっとそれが最初のきっかけだった。
私は自分の部屋に籠り、心の底から溢れる得体の知れない感情に戸惑い、苦しみ、狂った。
バクバク鳴る胸とズキズキする頭が痛い。
被っていた仮面が剥がれ落ちて情緒が滅茶苦茶になる。
当然、そんな日々は長くは続かなかった。
母の行いを知った使用人の一人が父に密告をし、浮気の現場を押さえたのだ。
侯爵家の妻が不特定多数の人間と不倫をしていたと噂になり、両親は離婚した。
それ以降の母の行方は分かっていない。
結果として家族揃って仲良く笑うという私の夢は叶うことなく終わった。
母が居なくなって半年後には後妻がやって来た。
父よりもずっと若い女で公爵家の人間らしい。
目的としては今現在の領地経営が上手くいっている侯爵家と親交を深めておけばのちのち得だと考えたのだろう。
あとは妻に浮気された可哀想な男に女を与えて慰めるためか。
新しい母も政略結婚だったが、こちらは現実的な価値観を持ち、自分の役割をきっちりこなす人だった。
父との間に次期当主となるべき子息を儲け、売女と罵られた母の娘である私にも母として接してきた。
貴族として完璧なその人は尊敬に値するが、私の心は父が最初に後妻を連れて来た時だけ揺れ動き、以降は動くことはなく、求められる娘としての仮面を被って私は接した。
人生の転機が訪れたのは年が離れた弟が元気に生まれた後だった。
男児が家を継ぐのが当たり前だったので、長女である私は何処かの家へ嫁がなければならない。
その相手を探している時に後妻がフィリップ王子を紹介した。
後妻は王家の分家であるコドリー公爵家の娘で、姉が王妃だったのだ。
王子の婚約者を募集するという話を聞いた後妻は私を推薦した。
売女の娘として家の中で冷遇されないようにという保身から私は良い子のフリを続けていたが、それが功を奏した。
無事に私は王子の婚約者になった。
「これからよろしくお願いします。王子様」
「あぁ。よろしくトネリ」
初めて会った王子は気さくな人物だった。
よく笑い、よく泣き、よく怒る。
感情を抑えつけてコントロールする私とは違って素直な人だった。
婚約者を自慢するんだと無理矢理王子に連れられて私はセブルズにも出会った。
「ごきげんようセブルズ様」
「あ、あぁ……」
「どうしたセブルズ? 顔が赤いぞ〜?」
従兄弟同士である彼等の仲は良く、私を含めた三人はすぐに友達になった。
しかし、私の心は満たされなかった。
母の事を頑張って忘れようとするのだが、その度に母を奪われてしまったという悪夢が私をおかしくする。
自分は何かの病気なのかと考えたりもした。
そして気づいてしまった。
──私は誰かに自分の大事な物を奪われるのに興奮しているのではないか?
抑圧してきた感情が爆発したのは二回。
母が男と寝ていた時と父が後妻を紹介した時。
どちらとも私が望んでいた大事なものが他人に取られてしまった時だ。
自覚してからは止められなかった。
自分にとって大事なものを増やしてはわざと他人に取られてしまうように仕向けた。
最初は弟に自分の持っていたおもちゃを。次は母が残していった本を友人に。
優等生としての仮面を貼り付けたまま私はそのような行為に及び、次第に求める欲求は肥大化していった。
学園に入学し、順風満帆な生活を送っていた私はとうとう一番大事な物にまでその欲求を望んだ。
それをしてしまえば自分がどうなるのかを知った上で。
♦︎
「あぁ……! なんて悲しいの」
城の中にある犯罪者を一時的に捕らえておく牢の中で私は涙を流して泣いていた。
俯いて顔を覆っている私は他人からすれば男に捨てられた憐れな女だろう。
実際その通りだが、私の口元だけはニヤけていた。
(よし! 思ったよりも成功したわね!)
会場を出る最後に向けられた侮蔑の視線。
フィリップ王子からだけかと思っていたが、ミシェルも良い顔をしていた。
(やっぱり貴方は素晴らしいわ! 流石私が選んだ女性よ!)
学園の中で私は王子にあてがう女性を探していた。
私を妬む者は多かったが、本気で私と王子を引き剥がそうとする気骨ある者は中々見つからなかった。
王家と、それにコドリー公爵家も絡んでいる婚約にちょっかいを出せばリスクが大きいと考える者が多かった。
そんな中、私相手に嫉妬や反抗心を隠さなかったミシェルは逸材だった。
わざと彼女のいる場所に王子と近づき、席を外すとすぐに距離を詰めにかかった。
それはもう素晴らしい手腕で王子を抱き込んだのだ。
私はそんな彼女が用意した罠を彼女の望み通りに踏み抜き、彼女が動きやすいように私と仲良くない令嬢を省いて派閥を立ち上げた。
売女の娘なくせに後妻のコネで婚約者となった私という存在が気に入らなかった令嬢達は抜群の結束力でミシェルを援護した。
(何かこそこそやっているとは思ったけれど本当によく集めたものよ。多分アレ、自分達の失態も私に押し付けているわよね?)
そのおかげで独善的な傾向のあるフィリップ王子は完全に彼等を信用してしまい、関係性に距離が生まれつつあった私から乗り換えたというわけだ。
(あぁ、長かったけど楽しかったなぁ……)
この一大計画は私の人生において最も長く、最も感情を揺さぶってくれるであろうものだった。
言っておくが、私は別に王子を嫌っているわけではない。むしろ好きだった。
あまりに破滅的なこの計画はまず私の一番大事な物を用意しなくてはならない。
私を良くやったと褒めてくれた王家との婚約。初めて父から与えられた称賛が滅茶苦茶になるのだ。
これに優る大事な物なんてないだろう。
(十八年間。短いようで長かったけど、もう疲れたしここが潮時だ)
一時の感情の爆発を求めた計画だが、後に残されているのは悲劇だ。
こうやって投獄されたのだ。罪人として処罰されるだろう。
命までは奪われるかは不明だが、追放は確実。実家からは縁を切られて当然だ。
後妻の顔にも泥を塗った私は愛想を尽かされている事だろう。
後の人生は暗いもの。今日が私の人生最後にして最高の見せ場だった。
(心残りがあるとしたら、何も知らずに私を庇おうとしてくれたセブルズに謝れなかったことね)
ミシェルと王子の関係を知って私に教えてくれた優しい人。
賢くて優しい彼なら王子と共にこの国の未来を支えてくれるだろう。
「……あぁ。涙が止まらないわ」
♦︎
翌朝。
意外にも私は牢の中でぐっすりと寝てしまった。
自分でも驚きだが、予想以上に泣き疲れたせいなのかもしれない。
あれだけ私の中にあった脳が壊れるような感情の洪水も清流のように落ち着いて清々しい気持ちだ。
「おや。目が覚めたようだね?」
「え? セブルズ?」
起きた私が最初に目にしたのは黒髪の美男子だった。
手には食事の載ったプレートがある。
「牢は冷えていたからね。温かいスープを用意させたんだ。焼きたてパンもあるよ」
「ありがとう……じゃなくて。私は罪人なのよ? それなのにどうして貴方が食事を!?」
受け取ったプレートを一度傍に置いてセブルズに尋ねる。
公爵家の嫡男である彼がどうしてここにいるのか。
「罪人か。それについてだけど君は釈放されるよ。誤認逮捕なんてあってはいけないからね」
「誤認ですって?」
「そうさ。昨晩提出された告発状をよく見たらあり得ないものが混じっていてね。幸いにも多くの令嬢が会場にいたから脅し……聞いたら素直に教えてくれたよ」
今、脅したって言おうとしなかった?
セブルズはハハハッと笑い流した。
「司法の関わる問題で嘘はご法度だ。嘘で人を貶めたりして後でバレたら虚偽罪で投獄だと親切に教えただけだよ」
「でも、私を捕まえろと命じたのは王子よ」
「あの場のアイツが持っているのは君を会場から追い出す権利までだ。投獄なんて越権行為だし、トネリがアイツを殺そうとしたなら話は変わるけど、あくまで男爵令嬢と告発状の内容に基づいての投獄だ。その告発状が消えれば釈放は当たり前さ」
そう話すセブルズの口調がやけに荒い。
今までの彼なら間違ってもフィリップ王子のことをアイツだなんて呼ばなかった。
「ミシェルさんと王子はなんと?」
「知らない。朝になったら二人の部屋はもぬけの殻だったんだ。城内にはいないよ」
どういうことだろうか?
投げやりなセブルズの態度に私は困惑してしまった。
もぬけの殻? 城にはいない?
「まずは君が牢にいた間に起きた出来事を教えようか。最初に──」
何が起こったのか分からない私にセブルズは言い聞かせるように語り出した。
会場での騒ぎ聞きつけたフィリップ王子の親である国王と王妃が家族会議を開いた。
その場で両親はまず裏をとるべきだと言ったが王子はそれに応じずに私を即刻処罰するべきだと言った。
妃教育で私に良くしてくれていた王妃は後妻の姉でもあり、妹の娘である私を守ろうとしたらしい。
それに逆上した王子は母である王妃を罵倒。
妻と息子の喧嘩に陛下が頭を抱えているところにセブルズが持ってきた告発状はでっち上げだという報告。
これは怪しいと気づいた両親がミシェルと話をさせろと言うが王子はこれを拒否。
『傷ついている彼女をこれ以上追い詰めるわけにはいかない。いくら父上と母上でも許さないぞ!』
もしも不当な理由での婚約破棄に王子の命令による誤認逮捕となれば王家の面子が潰れるのだと説得するが、王子は聞く耳を持たない。
もういいからトネリの解放とミシェルの事情聴取を急がせろと陛下が命令を出す。
すると今度は王子が剣を抜いて自分の首に押し当てたとか。
『私の言う事が信じられないというのならこの場で首を斬るぞ!』
『『馬鹿な真似はよせ(しなさい)!!』』
息子の自害宣言に慌てる両親。
結局、双方の話し合いの結果は一晩経って落ち着いてから関係者全員を集めての会議となった。
「僕も城に残って朝を待ったんだが、陛下達が呼びに行った時にはアイツは女と夜逃げした。世話係が手引きして金銭と馬を渡していた」
まさかの駆け落ちだった。
「部屋に残された手紙には一方的に陛下達への絶縁願いが書いてあった」
王子からの絶縁って……。立場的にはされる側だと思うのに。
「『真実の愛を求めて俺は自由になる。親の決めた政略結婚なんて御免だ』と捨て台詞も残していたよ」
それでたった一晩で駆け落ちを決行するとは物凄い行動力だ。
昔から何か一つに集中すると周囲が見えない人だったが、それがここまでの騒ぎになるなんて。
「陛下がすぐに捜索依頼を出そうとしたが、王妃がこれを止めたんだ」
「え? どうしてなの。母親なら息子のことが心配になるでしょうに」
「『あの子はもう成人しました。そんな子が自分で選んだのだから連れ戻すのは許しません。親の気持ちも知らずに王家の名に泥を塗って絶縁を求める覚悟があるなら好きにさせましょう』……肝が冷えたよ」
あー、あの方ならそんなことを言いそうだ。
グレゴリー公爵家の女はいずれも強い女性が多い。
瞬く間にアークジョージ侯爵家に馴染んだ後妻もだが、セブルズの母は社交界を牛耳る大物だ。
私と王子の婚約の邪魔を躊躇していた者は彼女達を恐れていた。
陛下は王妃の尻に敷かれているそうだし、何も言えないだろう。
「まぁ、アイツは剣の腕だけはあるから用心棒でもすれば食っていけるだろう。男爵令嬢は知らないが」
ミシェルのことはよく調べあげている。
彼女は野心家で他人を見下すのが好きな女性だ。
王子に近づいたのも妃の座を狙ってのことだろうが、それを捨ててまで王子に付いて行くなんて……。
「無理矢理に王子が連れ出したとかじゃないわよね」
「ありえるだろうね。アイツの暴走癖は天下一品だ」
妃になれると思った翌日には王家を捨てた男と二人旅。
随分と落差の激しい逃避行が始まったものだ。
「王位は第一王女に移るのね」
「いや。あの子は既に他国の王子と婚約をしている。今更それを動かせば国際問題だ」
「じゃあどうするのかしら? 王子もいなければ妃候補もいないのよ」
王子が消えただけでも大事件だが、次の王が決まらないのも大問題だ。
「王妃から僕が指名されたよ。父は王弟だけど婿入りの時に継承権を放棄したからね。まさか回ってくるなんて思いもしなかったさ。公爵家は弟に任せるよ」
セブルズが苦笑いする。
王家の分家の公爵家で、王弟と王妃の姉の間に生まれた彼なら誰もが納得するだろう。
社交界でも王子と正反対の月の貴公子と呼ばれる彼のことだ。よりよい国を作ってくれる。
「おめでとう。幼馴染としてお祝いするわ」
「ありがとう。それでトネリにお願いがあるんだ」
「何かしら? 今の私に出来ることならなんでもするわ」
母だけではなく好きだった男にさえ捨てられて大衆の前で婚約破棄を申し付けられた私に出来ることなんて少ない。
でも、昨晩後悔していたセブルズへの謝罪になるようなことはしてあげよう。
その後はどこかの田舎にでも移り住んで静かに暮らすのもいいかもしれない。
「そうだね。だったら僕の婚約者になって王妃になってくれよ」
「は?」
セブルズの発言に私は再び固まった。
「今から新しく妃教育をするのは手間だ。それに君は王妃や母上、叔母上から信頼が厚いし能力も優れている」
「でも、私は婚約破棄されたのよ。こんな惨めな女を誰も認めないでしょう」
「そうさ。君は浮気した王子に捨てられて偽の告発状で無実のまま逮捕された悲劇の令嬢だ。同情こそすれど責める者はいない……いても潰す」
最後は声が小さくて聞こえなかったがセブルズは本気のようだ。
合理的な彼の判断は確かに国のためにはいいのかもしれない。
「でもねセブルズ。その話は受けられないわ。私は貴方や王妃達が思うような良い子じゃないの」
私は両親から愛されずに育った。
売女の娘であり、人前で仮面を被り続ける嘘つき。
自分の歪んだ欲求のためにフィリップやミシェルを唆してこの事件を引き起こしたのだ。
正直に話そう。私という人間がどんなに醜悪なのか。
「知ってる。君のことは僕なりに理解しているつもりだよ」
「いいえ知らないわ。私はね、人に大事なものを奪われて悦ぶ女よ。今回は王子とミシェルを近づけた」
「……君もかい?」
「は?」
今日何度目かの混乱した声を私は上げた。
「トネリ。僕は君に一目惚れしていたんだ。でも初めて会った時には君はアイツの物だった。だから僕はアイツから婚約破棄を申し出るように君の悪口を教えて君への興味を奪っていたんだ……」
ちょ、ちょっと待って!
「告発状や投獄。アイツの駆け落ちは予想外だったけど、王になる条件に君を妻にすることを申し出た」
鉄格子の隙間から手を伸ばしてセブルズが私の肩を引き寄せる。
「僕はずっとアイツから君を奪いたかった」
月の貴公子と呼ばれる所以である美しく輝く瞳が私の前に近づく。
目と鼻の距離で吐息が当たり、この鉄格子が無ければ肌が触れ合っている。
「トネリ。君の実の母についても知っているよ。侯爵との関係もね。僕が思うに多分君は愛を確認する方法がわからないだけなんだよ。何かを失って傷つかなくては愛を確かめられない。大事なものだからこそ手放して知りたいんだと思う」
「ええ、セブルズの言う通りだわ。だからこそ私は幸せにはなれない。こんなに歪んでいては家族になっても子供が、夫が不幸になるだけ」
母のことは軽蔑している。
だって彼女は愛のためと言って家族を裏切り、私を捨てたのだ。
父はひたすらに無関心だった。
私は仲の良い家族に憧れていたが、その経験が無い。
人前ではいつも自分を押し殺して周囲に合わせる。
そんな人間が真っ当な家族を作れるのか。母親になれるのか。
いずれは私は母のように家族を壊す。
「現に侯爵家を壊しそうになったのよ」
「迷惑をかけて心配して欲しかったんだよ。叔母上が言っていた。君は手のかからない甘え下手な人だって」
お義母様。余計なことを言ってくれたわね。
「君の不安は僕が解消するよ。僕は君が苦しくなるくらい愛を注いであげる。一目惚れしてから君をどうやってアイツから寝取ってやろうと考えていた僕だからちょっとやそっとじゃ揺らぐことは無いよ。もしも君が浮気をさせようとしてもそんな罠にはかからない。むしろ君が僕しか見えなくしてあげる」
セブルズの早口で湿度の高い言葉が耳から入ってくる。
彼の愛は多分普通じゃない。
それこそやろうと考えていたのはミシェルと同じだ。
でも、それは王妃の座ではなく私個人に向けられている。
「僕は君が好きで好きで堪らないんだ。僕の物になってくれないかトネリ?」
「こんな私でよければ……」
「そんな君だから良いんじゃないか」
どちらからが先なのか、二人の間にあった空間は消え去った。
温かい人の熱を感じて私の中の冷え切った感情に火が点く。
ずっと求めていた物は案外近くに転がっていたようね。
「まずはさっさとここから出ようか」
「ごめんなさい。多分ここから出たら自分が制御出来ないからもう少し残るわね」
残念そうな顔をする彼から背を向けて私は俯く。
手で顔を覆って笑いを堪える。
──あぁ、感情の洪水で脳と心が壊れてしまいそう。
──でもね。それがちっとも痛くなくて幸せなの。
どうも婚約破棄された悪役令嬢はヤケ酒に逃げるの作者の短編第二弾いかがでしたでしょうか?
誤字脱字報告をお待ちしてます。すぐに修正しますので。
そして面白かったら下の方にある感想・評価をよろしくお願いします。☆のある部分から応援出来ます。
☆〜☆☆☆☆☆の中から選んで評価できます。
作者マイページから他の短編も読めますのでお時間あれば是非。
近日中に長編作品の投稿をしますので作者Twitterや活動報告をお待ちください。