暖かい家庭
香奈さんの隣には、若い男の人が立っていた。
まるで高校生で不良だった人が、そのまま大人になったよう感じの外見をしている。
その人は目を細めて藤也を威嚇していた。
そこには少し殺気も入っている気がするが、この人は真波の兄だろうか。
いやもし兄だったらこの人は相当なシスコンということになるぞ。いや、母親が他の男と話しているから嫉妬しているのか? もしかして相当なマザコンという可能性も……。
恐る恐る俺はその男の人に話を切り出した。
「ど、どうも、真波さんのお兄さんですか? 坂野藤也です。えっと、初対面の人に言うのもなんなんすけど、あんまり関係を深めすぎない方がいいですよ?」
そう、怒らせないよう、少し丁寧な口調で言った。
するとその人は、首を傾げて俺を見る。
「あぁ? 真波に兄なんていないぞ?」
本当に見た目通りの声を、前屈み気味になり威嚇しながら発した。
「ええっ?」
まさか、この人が真波のお父さんだと言うのか?
「そんな馬鹿な……」
「聞こえてるぞこの野郎。つーかあんまり関係を深めすぎない方がいいってどういう事だ?」
「あ、それは忘れてください」
くそっ。初対面の人に俺は何を言ってしまったんだ!
まさか見た目で人を判断してしまうとは……。
「それで、お前は真波の何だ?」
「え? 俺は……何だろう。同級生でもないし、友達でもないと思うし……俺は河原の何なんだ?」
考えたこともないと言うか、まだ知り合って一日しか経っていない人に、この人はあなたにとって何? と聞かれてなんと言えばいいんだよ。
俺が悩んでいると、真波は唇に人差し指を当てながら、俺の顔を見た。
「お知り合い……でしょうか」
その言葉を聴いた瞬間、何故か身体から力が抜け、壁にもたれてしまった。
どうやら真波の中では俺はただの知り合いらしい。
いや、別にいいんだか……何だろう。この絶望感は……。
「どうかしましたか?」
特にわかっていない様子で聞いてきた。
「いや、何でもない」
少し苦しめに応えたので大丈夫ですか? と再び聞かれたが、大丈夫だとしっかりと言った。
するとオッサンが何故かニヤニヤしながら俺を見て、いじるように言ってくる。
「それで、お前はただの知り合いか」
「ああ、何か悪いか? オッサン」
「なに、オッサンだと〜〜!?」
「で、オッサンなんて言う名前なんだ?」
「生意気なっ。ふん。俺様は河原亮だ、亮様と呼べ!」
自分の胸に親指を突き立て、胸を張って言った。
だが俺はそんなことは気にせず、己の道を貫いた。
「ああ。分かったよ。オッサン」
今度は「オッサン」を強調して言った。
すると予想通り血相変えた表情で睨まれた。
「テメェ〜〜! 貴様がオッサンと俺を呼ぶなら、俺様を貴様を小僧と呼ぶぞ」
「亮さん、坂野さん、落ち着いて下さい」
俺たちが熱くなっていると、香奈さんが間に入ってオッサンを手で止めた。
「香奈はなせっ。男にはプライドをかけて戦わなければいけない時があるんだよ……!」
「こんな所でそんな意地張るなよ!」
俺は勢いで突っ込んでしまった。
するといきなりオッサンの剣幕な表情が一瞬にして笑った表情に変わり、俺の背中をパンパンと叩いてきた。
「はっはははっ! 小僧、面白い奴だな」
さっきまでの機嫌はどうしたんだ? この人コロコロ表情が変わるなぁ。
「皆さん落ち着いて下さい」
「すまない、娘よ」
話を続ける前に、真波は一度深呼吸をして改めて二人に向かって話を始めた。
「お父さん、お母さん、お願いがあります。実は昨日、坂野さんに探し物を──」
途中まで真波が話したところで、香奈さんが口を挟む。
「まさか、この人が昨日言っていた探し物を一緒に探してくれた人ですか?」
「はいっ」
「ふーん、お前がか」
改めてオッサンは俺をジロジロと見る。
なんなんだこの人は一体。
「それで、お願いがあるんですが、坂野さんにご飯でお礼をしたいんですが、いいですか?」
「はい、もちろん良いですよ。それではご飯準備しますね」
「ええっ!?」
まんべんの笑みで即答したので真波もホッとしていたが、それ以上に藤也が一番驚いていた。
なにせ河原さんとは昨日知り合ったばかりだし、それにその両親とは今さっき挨拶を交わしたのみなんだぞ?
俺はこの家族の珍しさに呆気に取られていた。
俺はトイレを借りた後、廊下を歩いて扉を開けると、美味しそうな匂いがした。魚だろうか。
キッチンはその奥にあった。
俺は河原家の居間に足を踏み入れた。
「お邪魔します」
「おぉ、入れ」
オッサンは既に居間の中央にあるちゃぶ台の横で座布団にあぐらをかいてくつろいでおり、ちょうど真波が立ち上がるところだった。
「私はお母さんのお手伝いをしてきますね」
男二人が座るとすぐにお茶が出てきた。
お茶を啜って落ち着いていると、オッサンが真剣な目でこちらを見たので俺も座り直した。
「で、お前は娘の彼氏か?」
「は? オッサン、話を聞いてなかったのか?」
「あぁ? テメェ娘を狙ってんじゃねえのか? 隠さなくてもいいんだぞ?」
前屈みになり俺の顔に近づいてきた。
本当に思考が読めない人だな。
「狙っても隠してもねぇよ」
「何!? テメェ、男なら力づくでもいくもんだろうが! と言っても渡さんがな」
「どっちだよ!」
「はーい、お二人さん。ご飯ですよ」
丁度よく香奈さんがご飯を持ってきたのでこの話は終わりを告げた。
「おーお、きたきた」
一緒に真波もおかずを持ってきた。
献立はご飯に味噌汁、それに焼き魚と質素だったが、やはり日本人ならこれが一番美味しいと感じるのではないだろうか。
まあ、それは俺の主観的な事だが。
「もうお父さんと仲良いですね」
座りながらそんな事を真波は呟いた。
きっとさっきまでの事を、遠くから姿だけ見ていたのだろう。
まあ側から見ているだけだったらそう見えるかもしれないが、会話を聞いていたらそんな感想はきっと出てこなかっただろう。
「多分オッサンとだけは関わるべきではなかったと思うよ」
「ほら、俺たちこんなちょときついジョークも言えるような仲だらな」
会話が終わると、いきなりオッサンが俺に剣幕な眼差しで顔を近づけてきた。
「娘の前では良いお父さん、みたいなので通ってんだから変な話を娘の前でするな。良いな?」
どうやら俺は脅されたらしい。やはりこの人とは関わるべきではなかった。
まあそのことは一旦置いておいて、目の前の美味しそうなご飯をまずは食べよう。
いただきますと呟き、一口食べる。
「お、美味いな」
「美味いだろ、香奈と娘の作る料理はこの界隈じゃあ有名だからな」
それは言い過ぎだろと思ったが、別におかしくはない美味しさだった。
まぁ、俺はまだこの一食しか食べたことが無いから他は知らないけどな。
というか、何だその界隈。
ご飯はすぐに食べ終わった。気がつくと時刻は午前八時を回っていた。
「ごちそうさま。って、もうこんな時間じゃないか。河原。すぐ出るぞ。というかここから学校まで近いのか?」
「ええ、結構近いですよ」
すぐに立ち上がり準備を済ませた。
「じゃあ行くか。香奈さん、オッサン、今日はご飯ありがとうございました」
ついでにオッサンにもお礼を言っておいた。
まぁ、一応こんな食事は久しぶりだったからな。
きっと普通の家庭はこんな感じに毎日楽しいのだろう。
「それではお父さん、お母さん、行ってきます」
「真波、いってらっしゃい」
「おおいってこい」
「坂野さんも行ってらっしゃい」
「俺も言うのか?」
誰かの見送られながら学校に行くのは、とても久しぶりな気がするな。
「……」
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでも……。い、いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
こうして俺たちは歩き出した。
「どうして河原の家族はこうも、あんなに理解が早いんだ?」
「普通じゃないですか?」
どうやら河原家の普通は当てにならないらしい。
今の季節は春だから、学校の近くには沢山の桜が咲いていた。
俺には眩しすぎた。
反射的に俺は目を逸らすと突然横から声をかけられた。
真波だ。
「どうかしましたか?」
「いや……何でもない、ちょっと考え事をしていてな」
「何を考えていたんですか?」
「こんなに綺麗に咲いている花も、少しすればまた枯れてしまうなんて寂しいと思わないか?」
「いえ、また春になったら咲きます」
「あぁ、そうだったな……」
本当に俺はどうかしているんだと思う。
どうしてこんな質問を、したのか俺には分からなかった。
俺には無い、暖かい家庭を見たからだろうか?