02
水野は会議の後の指摘で、東海林実務部長、篠原企画部長、一課二課の課長前でしゃあしゃあとこう言い放ったのだそうだ。
「僕の所では、一課のあの新人君に泣きつかれて、仕事の手が離せないからどうしてもお願いしたい、って言われたんですがね。え、資料のデータはそのまんま、これを使ってほしいと彼から預かったものを使っただけですがね」
―― それでもデータ数値ならば、少し詳しい人間が見れば社外秘かどうかは一目了然だろう? そこをどうして二課はフォローできなかったんだ?
東海林部長から厳しい声でそう問い正され、水野は今度はしれっとこう答えたのだそうだ。
「私らだって、毎日外を跳び回ってますからね。資料作りは二課の庶務に任せたんですよ、最後にチェックすればいいですから。しかしそれをまた一課が、仕上げはやるから、って取り上げちまったらしいです」
聞えよがしの溜息までついてみせたのだそうだ。
「まったく……最後まで任せてもらえれば、こんなことにならなかったんですがね」
パートナー企業の担当からは、すでに正式な抗議が出ているらしい。
二課の水野の弁明はまるっきりのデタラメだ、花村もそうは言っているが、視線はあやふやに行ったり来たりしている。
いったん誰かに堂々と公言されたことは、なかなか否定が難しいものだからね、とどこか諦め口調で花村はつぶやき、意味もなく神谷の肩をぽん、と叩いた。
弾みで押し出され、神谷はそのまま歩を進めた。
神谷が暗い顔でデスクに向かっていると、脇に影がさした。
「あの……」
二課庶務の多々良みずほが、目を真っ赤にして立ちつくしている。
「今回のこと……」
謝罪のことばに詰まったようで、あとはしゃくりあげている。
「すみません、私がもっと、水野さんに、強く言えてれば、でも」
神谷は彼女の顔をちらっと見てから、目元の書類に目を戻し、また、彼女の方を見て、周りに人がいないのを確認してから、さりげなく言った。
「別に、いつものことだし、気にしないで」
多々良は深く頭を下げる。
その様子を、周囲を気にしながらももう一度目にとめ、神谷はふと、違和感に気づいた。
「みずほちゃん、もしかして……」
みずほが顔をあげる。目が赤いのは泣いていたからだけではなかったようだ。
「……ランチの時に、外で……ちょっと」
「いつ?」
「昨日です。ちょっとぼんやりしてて、注意ができてなくて」
物かげでゾンビに襲われたのだろう。
彼女が完全にゾンビ化するまでにはまだ一週間ほど余裕がある。
たぶん、明日には有休に入り、そのままゾンビになるつもりなのだ。
それでわざわざ、今日謝罪に来たのだろう。
「誰にも、言わないでもらえますか」
喉元の苦い塊を無理やりのみこみ、神谷は、うん分かった、と口の中でもごもごとつぶやいた。
去りかけた多々良が、急に戻ってきた。握りしめた小さな紙切れを、そっと彼の机の上に置く。
床をみつめたまま、彼女が言った。
「もし発症したら……よかったら神谷さんに処理してもらえたらな、って」
「ああ……」
拡げてみると、丸っこい小さな文字で住所が記されていた。
「アパートから出ないように、しますんで」
「まあ、一応預かっておくよ」
彼女はまた頭を下げる。
顔をあげた時、ややすっきりした表情でこう続けた。
「よかったです」
「えっ!?」
「神谷さん、ずっと室長派だと思ってましたが、社長派でホント、よかったです」
「?」
聞き直す間もなく、小走りで彼女は去っていく。
―― よかった、って。そんなことか……
彼女の姿を追わず、神谷はあえて書類に集中するフリを続けていた。