煌めく夜の始まりの前の時に、二人は踊る運命のワルツ
家紋武範様主催企画参加作品です。
隕石阻止企画
侯爵家の令嬢と縁を結んだ伯爵家があった。神の思し召しか、仕込まれた縁組だったが、若く美しい二人は出逢った瞬間、幸いにして恋に落ちた。約束された幸せの道が広がっている筈だった。
ある夜を境に、病に伏した令嬢。縁組は侯爵家より破談を申し込まれた。慌てたのは伯爵家、受け取った持参金を、耳揃えて返すのが決まり。どうするのか考え……、ひとつの手を打った。
美しい妹とは真逆の容貌。その為に行き遅れた姉との話を持ち掛けた。この先縁遠くなる娘を持て余していた侯爵家は、二つ返事で話を受けた。
そこにあるのは、欲と陰謀と復讐が混ざり合い、歳月を経た葡萄酒の様に、芳しい香気を放っている。
――、床には深い赤の絨毯、壁に下げられたタペストリーには、ここローランド伯爵家の紋章が織り込まれています。用意された部屋に通されると、そこからは大騒ぎです。
この日の為に用意をし持ち込んだドレスには、金糸銀糸の刺繍が施され、布地はわたくしの髪に似合う色に染められています。髪を結い上げ花を真珠と共に、きららに飾り立てます。
頬に紅を刷いた時に、唇に紅を色濃くくっきりと差すよう命じました。後は立ったり座ったり、言われるままにしておれば良いだけ。召使い達がわたくしを今宵の主役へと磨き上げていく、伯爵家で開かれる舞踏会の前の時。
「用意は出来たかと、少しばかりカイル様がお話をしたいとの事です」
執事のソレに、わたくしは承諾をいたしました。今日は侯爵家令嬢であるわたくしと、伯爵家の令息、カイル様との婚約披露のパーティー。
人は言いますの。野獣と美男と。カイル様は目元涼しく、鼻筋通る整ったお顔をされていますから。対してわたくしは、浅黒い肌に団子っ鼻に糸目。醜女ですもの。
「流石は侯爵家令嬢、持ち込んだ目もくらむ派手なドレスがよく似合う」
部屋に入るなり、身支度が整ったわたくしを、何時ものように斜め上から褒める彼の顔色は、極僅かに緊張を貼り付けているご様子。
「カイル様も素敵ですわ。馬子にも衣装でしてよ」
ですからわざと、くだけた口調で応じたわたくし。人払いをされるカイル様。皆が下がって行きました。
「ワルツを踊ろう」
座るわたくしに手を差し出されます。純白の長手袋をはめるわたくし。それを待つカイル様。
「いよいよ今宵だ。用意は整っているか?」
余程緊張なさっておられるのか、とぼけた事をおっしゃいます。クスリ……、軽く笑うわたくし。
「先程、よく似合うと仰られましてよ」
差し出す手を取られたカイル様。軽く引き上げられます。呼吸を合わせて立ち上がりました。そのまま型を取り、ワルツのステップを踏むわたくし達。
旋律は心の中、音楽の才があったあの子の演奏する音が蘇る時。それはカイル様もそう。
きっと流れている旋律。
「すまない、少しばかり緊張している」
「そのようね、カイル様。貴方から始まるのよ。しっかりなさって」
「女は一度決めたら強いと聞くが、本当だった」
イチ、二、サン、イチ、二、サン、ワルツの調べ。
「パトリシアはワルツが得意だったね。よく弾いてくれた。踊った数より聴いた数のほうがきっと多い」
「わたくしはてんで音楽の神から見放されてますけど、あの子は素晴らしかった。貴方の婚約者となり、結婚をし、何時までも幸せに暮らすと思ってましたのに」
イチ、二、サン、イチ、二、サン、ワルツの調べ。
「すまない」
「謝らないで、貴方は善良で、愚かだっただけ」
一歩引き、大きくターン。ドレスの裾が広がります。
「成人した折に承った館で、彼女と共に生きるのが夢だった」
「ええ、わたくしも望んでいましたわ。あの子はわたくしの妹ですが庶子でした。父が娼婦と恋に落ち産ませた娘。産みの母が産褥熱で亡くなった妹。世間体を保つために母が引き取った義妹、わたくしのたったひとりの大切なパトリシア」
イチ、二、サン、イチ、二、サン、ワルツの調べ。
「せめて婚礼迄、君の家に留まる事は出来なかったのか?行儀見習いに出したいと言われれば、当家は無下には出来ない」
「殿方が振り返る程に美しく育ち、音楽の才迄ある妹を母はこれ以上、見たくなかったのですわ。浅黒く、団子っ鼻に糸目のわたくし。こればかりはどうしようもありません。母に似たわたくし。父はミューズに見放されてますし。そして今更、その様な事を?こうなったのは、貴方の好色なお父様のせい、恐ろしい目にあったのですわ。幸いにして、貞操は貴方のお母様の乱入により、阻止されたと側仕えから聞きました。そしてその後、舅に色目を使う悪女と苛められ、心を病んでしまったのです」
「あの夜、父に騙され領地へ出向くよう仕組まれた。連れて行くべきだったと、あれからずっと後悔している」
彼が悔やむ言葉を吐きますが、振り返っても、もう遅いのです。過去は手から溢れた砂粒。すくい直しても、同じ場所に同じ砂粒はありません。
「パティは、どうしてる?」
「森の館にて、静かに暮らしておりますわ、笑わず、話さず、動かず。お人形さんの様に」
イチ、二、サン、イチ、二、サン、ワルツの調べ。
「上手くいくだろうか、君とは納得ずくの関係だが」
「ええ、まさかこうなる事を前提に、そう貴方からお話を聞かされた時はびっくりしました」
「でも君は乗ってくれ、侯爵様にも取り持ってくれた」
「フフ。穏便と言われてますわたくしですが、この度の事は、少々怒っておりましたから」
イチ、二、サン、イチ、二、サン、ワルツの調べ。
「そう。なら良かったけど。でも、本当に大丈夫なのか?君はこれから、淑女としては耐えられない恥をかく」
「うふふ、醜いわたくしは嘲笑侮蔑、貴方との婚約からは、それに詮索やっかみも足されました。慣れてますわ、なのでお気になさらないで。貴方の計画のお陰で、わたくしの夢も叶います」
「君の家名に泥を塗ってしまう」
「それはお互い様。だけどわたくしの家は嫡子である弟がおりますもの。幸いにして、まだ幼いですからほとぼりが醒めれば大丈夫です。さっきからいったい、どうされたのです?本番を前にして、怖がられてるのかしら?」
身を任せる空で聴こえる三拍子。くるり、くるりと部屋を回るわたくし達。
「ほんの少し。こうして踊って落ち着けている」
「そう。なら違う話をしましょう。わたくしはこれで修道院へ大手を振って入れます。行き遅れたから、が理由では無く。貴方は?このような場合は、恐らく嫡子である貴方を追放する事で、表向きは落ち着きますけど、この家はこの先堕ちて行くのでしょうね」
「ああ、そうなる。そうでなければならない。そして私はただの男になる」
イチ、二、サン、イチ、二、サン、ワルツの調べ。
「ほとぼりがさめるまで、なんとかするよ」
「名前を抹消される迄の辛抱ですわ。籍から無くなれば、後は貴方のお好きな様に。そう、パティの住む館は下男を欲しがっておりましてよ」
イチ、二、サン、イチ、二、……、ワルツの調べが不意に途切れました。ほんの少しだけ、甘やかな空気がわたくし達に生まれたからです。クッと、背に力を込められ、引き寄せられたわたくし。
斜め上には整った貴方の唇。
「今気がついた。目の色はパティと似ている。だが君のはもっと色鮮やかで美しく強い」
「今更気がついて?」
そう、気がついた。甘く見つめ合うわたくし達。切り捨てなければ。一時の感情に溺れる事など、愚者の取る行動。
「紅が剥げます。そしてわたくしは貴方の事は、これっぽっちも好いてはおりませんの、むしろ憎いですわね。妹を守れなかった、情けなく愚かで、考えが至らぬ男なんて」
「その紅から吐く言葉は、炎を纏う剣の様だ。優しくたおやかなパトリシア、その美しく艷やかな薄紅色した唇から出るのは、小鳥の様な囀りだった。姉妹と言ってもこうも違うのか。そう。私が永遠の愛を捧げたのは、美しいパトリシアだ」
再び空に流れる三拍子、イチ、二、サン、イチ、二、サン、ワルツの調べ。くるくる踊るわたくし達。
「君に忠誠を誓った召使いは信用出来るのか?」
「ええ、この日の為に仕込んで来ましたわ。覚えておいて、マロウ男爵令嬢となっておりますから、ハシバミ色の瞳がとても美しくてよ」
一歩引き、大きくターン。ドレスの裾が広がります。
「婚約を祝い、花を捧げに来る男爵令嬢」
「貴方に色目を使ったと、皆様の前で、はしたなく悋気を起こし喚き散らして張り倒すわたくし」
イチ、二、サン、イチ、二、サン、ワルツの調べ。
「そしてその後、私は言うんだ」
「ええ、頑張って罵って下さいまし婚約者様。その方がその後、父と母が動きやすいのです。持参金に慰謝料を足して懐に入れるそうですわ。そして……、わたくしの運命がかかっているのです、後、貴方の自由も」
クスクスと笑います。悪巧みはなんと楽しいと、この時初めて知りました。
一歩引き、大きくターン。ドレスの裾が、殊更場を取り広がりました。
――、楽師が奏でるワルツが途切れた。ざわめく人々。華やかな場は、二人が始めた茶番に飲み込まれている。内情を知っているのは、二人と忠誠を誓った召使い、それと令嬢の両親である侯爵夫婦のみ。
「もう一度言う!マリア・カタリナ・ウェルス侯爵令嬢、君との婚約は今宵で破棄とする!はしたなくも罪なき者に悋気を起こし、公の場で辱めるとは!これ以上、君のひねくれた醜い顔は見たくない」
声高に彼は立ち尽くす風を装う彼女に言い放つ。
二人は運命の歯車を自身の手で、ギリリと音立て回し始めた。
終。
お読み頂きありがとうございます。新作書いたのですがスコップ企画と言う事なので、今回は旧作参加をしてみました。