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崩壊都市と色々の色  作者: はるさき
2/2

黄色

天崎蓮 18歳

「これはなんていう花?」

「それは、ええっと……多分これかな? 唐菖蒲っていうらしいですよ」

「へえ、とうしょうぶ?」

「ええ。唐、中国から来たんですかね。中国から入ってきた菖蒲……あやめ? 字が同じなので、同じものなんでしょうか」


 そんな会話が聞こえてきて目を開ければ、真っ先にくっきりとした空が視界に飛び込んできた。同じく色の濃い雲が覆い被さるように山の向こうからやって来ている。

 声のした方を向くと、あやとなおがこちらに背を向けてしゃがんでいた。どうやら俺よりも先に目が覚めたふたりは、暇を持て余して自然観察ときていたらしい。

 なおの横顔は自前のポケット図鑑の字を、眉をハの字に曲げて追っている。分厚くとも、文字が小さくとも、そんな手帳くらいの大きさの図鑑では、ひとつの事項に関する情報量も限られるだろう。

 と、その花とやらを見遣る。ふたりが囲んでいるのは、グラジオラスという花だった。確かに唐菖蒲とも言う。由来に関しては少し外れていて、東洋にある菖蒲だから唐菖蒲というのだと教えられた。

 そして、しょうぶとあやめは別物だ。

 しかしそんなことをすらすらと言えばからかわれるのは目に見えているから、俺は何も聞かなかったふりをして伸びをした。


「おいなお、今何時だ」


 声をかけると、あいつはすぐに振り返った。


「あ、れんくんおはようございます。って言っても、もうお昼は過ぎちゃいましたよ。1時過ぎくらいです」

「寝過ごしたな。先に起きたなら叩き起こすなりすりゃあいいのに」

「あやがなおくんにおこしちゃだめって言ったの! れんくんきのう寝てないもん」


 それまで大人しく花をつついていたあやが急に立ち上がり、言う。それに驚いたなおは図鑑を取り落とし、慌てて拾い上げると土埃を払った。相変わらず小心者だ。


「寝かせてくれんのはありがてぇけどな、日中はすることがたくさんあんの。食料調達とか、移動とか……あとあれだ、なおの風呂探し。これが一番面倒くせえ」

「じゃあれんくんが寝れないのはなおくんのせい?」


 「おー」と適当に返事をすると、なおが眉をさらに下げて抗議の視線を送ってくる。それを無視していると、諦めたように息を吐いた。溜息を吐きたいのはこっちだ。

 実際のところ、寝かせてもらえるのはありがたい。しかし俺が寝ている間に何も物事が進まないとくると、作業の時間が短くなるだけ。しわ寄せが自分に来るのはわかりきっているから、悪いと思っても起こしてほしい。というか、多少なりとも悪いと思うなら、なおには働いてほしいんだが。

 表に出しても仕方のないことを口の中で呟く。すると何となく抜けない倦怠感のせいか、良いとは言えない感情が胸に渦巻く。


「れんくん」


 心配そうにこちらへ向けられた視線が憎かった。どす黒い感情を吐き出してしまいたかった。


「れんくん!」


 鋭い声に我に返る。いつの間にかあやとの間に割って入るようにして俺の前に膝をついていたなおは、俺の肩に手を置いて、縋るようにして耳元へ口を寄せた。


 ──ごめんなさい。


 懺悔するように震える声。そう聞き取れた言葉は、遠い昔に思えるどこかで聞いた謝罪と重なった。



「ご、ごめんなさい!」


 表で誰かがそう叫んだと思うと、次の瞬間ガシャンと何かが割れる音が耳に届いた。何か他に叫んでいる声があるが、叫び声に掻き消されここからではわからない。

 仕方なく棚の合間を縫って表に出ると、網膜をじりと陽が焼いた。

 白く弾けた視界に色が戻ると、店の前はそこそこの惨状と果てていた。母さんが活けた花は地面に叩きつけられており、水に黒く濡れたコンクリートの上には細かく砕けた硝子が散らばって陽を反射している。いやに眩しいのと、先程の音はこれのせいだろう。

 そうしてその最中で腰が抜けたように座り込んでいるのは、スーツを身にまとった男だ。体勢からして、突き飛ばされるか何かして倒れたのかもしれない。とすると突き飛ばした相手がいるはずで……。

 その男の視線を辿ると、こちらは3人。腕組み男を見下ろしているのは、よく見れば見知った集団だった。


「おい、お前ら何してんだ。店先で暴れんじゃねえよ」

「おっ、蓮じゃんよ。エプロン似合ってんじゃんウケる」

「別に俺らは何にもしてねえって。こいつが勝手に転んだんだよ」

「そうそう。花瓶引っかけて派手に、自分で。だよなぁ」


 口々に言うこいつらは、高校の同級生……正確には、同級生だった奴らだ。

 教室にいた頃はそれなりに親しくしていたが、辞めてからは連絡ひとつ寄越さない薄情な奴ら。俺の方も連絡なんてしなかったから、お互い様だが。

 あれから半年。こいつらの素行の悪さは知っている。大抵の人が半年程度では変わらないであろうことを考えると、大方男が被害者と言っても問題無いだろう。


「あっ、その、そうです……」


 しかし男はあいつらの言い分を否定しなかった。ほら見ろと言いたげな3人に段々腹が立ってくる。恐らく俺たちより年上のくせに、言いなりの男にも。


「ふうん、じゃあさっきのごめんなさいって叫びは何だろうなあ。勝手に転んだなら──」


 言いかけたとき、男が不意に立ち上がった。濡れたスーツの袖を気持ち悪そうに振ると、水が滴る。やがて諦めたように溜息を吐き、真っ直ぐとあいつらを見据えた。


「しかし順番が違います。ぼくが転んだのは、ぼくのせいです。足がもつれて倒れました。その前にあなた方が花瓶を払いのけて割ったでしょう」


 その声は思いのほか凜としていて、俺は思わず男の顔をまじまじと見てしまう。男は予想通り、気弱そうな顔をしていた。怯えているようにも見える。

 それでも正しいことを正しく主張しようとしているんだろうということは、傍から見ていても確かだった。

 3人は男の語気に一瞬たじろぐが、相手は1人。数の利もあり、すぐに勢いを取り戻す。


「ああ? やんのか?」

「だっから、店先で暴れんなっつうの! 店に用がないなら帰れや! てめぇらは花なんざ買わねえだろ!」

「うっせえよてめぇは黙ってろ! 喧嘩売ってきてんのはこいつなんだよ!」


 俺の言葉にも耳を貸さず、1人がカバンを投げ捨てる。それが植木鉢にぶつかり、ぐらりと揺れた。

危うく倒れかけたそれは枝葉は引っかかってなんとかバランスを保ったが、一歩間違えれば鉢が割れるよりひどいことになっていただろう。そう思うと俺の方の限界が先に来ていた。


「カメラ」

「あ?」

「その花瓶、そこの棚に置いてあったろ。向こうのカメラからばっちり映ってる場所なんだわ、そこ。もしお前らが言うことと映ってるもんが違ったらさあ……わかるよな?」


 俺は廂に隠れて外からは見えない位置を指した。

 実は見せかけばかりのハリボテカメラだが、あいつらにはそれで十分だった。3人は舌打ちをしながらも、逃げるようにその場を離れていった。

 つまりはやはり嘘だったのだろう。よくあんなに強気になれたな。

 思い出したように辺りを見回せば、周囲は既に平静を取り戻していた。道が濡れているのも、硝子の破片が落ちているのも、さして珍しいことではない。この空間で異様なのは、水を滴らせたまま立ち尽くす男ひとりだけだった。


「あー、あんたさ、着替えとかあんの?」


 声をかけると、なにやら難しい顔をしていた男はこっちをむいた。そしてハッとしたように目を瞬かせて、勢いよく頭を下げる。


「申し訳ありません! 不可抗力とはいえ、器物破損に関与したことは事実です。大切なものだったのではないですか?」


 伺うような視線を少々うざったく感じてしまうが、悪いやつではないのだろう。変な聞き方ではあったけど、俺だったら弁償するとかなんとか、真っ先に言いそうだ。


「別に、その辺で適当に買ってきたものだからいいって。それよか着替え。あんの?」

「ええっと、ないですね」

「そんじゃこっち来い」


 男に店の奥を示して歩き出す。ちゃんと着いてきてるか確認すると、男は地面に散らばった花に手を伸ばしていた。黄色の花びらに手を伸ばす男は、どこか悲しそうに見えた気がした。


「で、何がどうなってああなったわけ? 一応ここ俺の家でもあるからさ、目の前で乱闘とか困るんだけど」


 店に上げて、奥の生活スペースに通すと、男は妙にかしこまった様子で着いてきた。

 その様子に眉を顰めるが、すぐにひとり納得する。これはあまり人の家に上がったことがないやつの動きだ。


「その、たいしたことではないんです。先程の方たちが花に悪戯をしようとしていて、それでぼくが声をかけたといいますか……」


 あいつら、碌な事しねえな。

 顔を顰めると、男は何を思ったのか慌てて付け加える。


「あっすみませんお知り合いだったんですよね! それならぼくの勘違いかもしれないですし、そうなると全面的にぼくが悪いって事になります。彼らにも悪いことをしました」

「いや、違ぇよあんたのこと疑ったんじゃないの。あいつらならしそうだわ。ってかあんたってのも失礼か。多分俺より年上だよな。名前何? 怪我とかねえ?」


 わたわたと慌てる姿が面白くてわざと続けて聞けば、男は困ったように眉を下げた。

 ゆっくりと、紡ぐように答えていく。


「ぼくは、尚弘です。歳はよくわかりません。ええっと、怪我はないとおも……ったんですけど」


 尚弘と名乗った男は突如へらと笑って右手を持ち上げた。手のひらからは、だらだらと赤いものが……。


「っだー! お前そんなに血ぃだらだら垂らしてるくせに平然としてんじゃねえよ! 消毒しろ消毒! んでちょっとじっとしてろ!」


 あまりに平然と着いてくるから気付かなかった。さっき振り返ったときは流れてなかっただろと思いながら通ってきた道を確認すれば、しっかり血痕が残っていた。

 掃除する面倒だとか、救急箱を引っ張り出してくる手間だとか、そういうことが嫌になって一瞬足を止めそうになる。

 ……いや、今は考えないことにしよう。場所が悪かったのか結構な量出血しているみたいだし、何かあったら事だ。尚弘には悪いが、なんだか簡単に死んじまいそうだし。

 重くなった足を引きずって救急箱を戸棚から引っ張り出す。これで中身が無いなんてことになったら、ドラッグストアに行かなきゃならなくなる。

 足りる分ありますようになんて半端な神頼みをしつつ開ければ、目的のものはきちんとそこに収まっていた。

 部屋に戻ると尚弘は言った通りじっとしていた。変わったことと言えば、着ていたスーツを脱いで、血の受け皿にしていたことくらいだ。俺がタオルでも何でも渡せば良かった話なんだけど、スーツが憐れだ。


「ほら手ぇ出して」

「す、すみません」

「すぐ謝るのやめろよ。脅してるみてぇ」

「すみっ、いえ、はい」


 尚弘はもどかしそうな顔をしつつも、大人しく手を差し出す。

 右手の生命線らしき線の中央でぱっくりと割れるように開いた傷は、思ったよりも綺麗に切れているらしい。まあちゃんとくっつくだろう。

 消毒をしてとりあえず包帯を巻いて……圧迫なんたらとか言う止血方法があったような気がするな。


「れんくん、は優しいんですね」


 不意に尚弘は言う。それに眉を寄せると、何が可笑しいのか声を漏らす。


「今すっごい変な顔をしてますよ。意味がわからないみたいな」

「その通りだからな。俺のどこを見て優しいって? 店先で暴れられりゃあ追っ払うし、怪我人がいるなら手当くらいするだろ、普通」

「ぼくはその普通を知らずに育ちました。少なくとも、物語の中だけだと思っていた。だから、君の全てを見て優しいと判断しました」


 変なやつだなとあけすけに言えば、尚弘はまた笑う。


「タオルとか、他にも必要な物があるならできる限りやるから、このまま帰らずに病院へ行けよ」


 店も見ていなければならない。いつまでもここに置いておくわけにもいかず、そう言えば、尚弘はわかっているというように頷いた。

 結局何も受け取らずに去って行ったあいつが残した血痕は、なかなか落ちてくれなかった。そのせいで記憶からも抜けず──とは言っても、あんなものを見てころっと忘れられるほどもともと脳天気ではないつもりだが─病院には行っただろうかとか、貧血で倒れていないだろうかとか、気が付けばそんなことを考えていた。

 そして2ヶ月が過ぎ、ようやく血痕も、記憶も薄らいできた頃。

 それは突然に、俺たちの日常を壊していった。

続く

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