死と腐敗を
ハンスの葬儀が終わり、廊下を歩いていると、オンディーヌが罵声をあげながら襲いかかってきた。背中を蹴られ崩れると、オンディーヌは馬乗りになり、髪を乱暴に引っ張ってくる。
一緒に歩いていた女官が青ざめ、駆け出していた。
「魔女め! お前も死ね!」
オンディーヌは甲高い声で呪いの言葉を吐き、シルフェリアは感情が削げ落ちた顔をあげる。視界の端に、赤い薔薇が飾られた花瓶が見えた。
髪の毛がブチブチと抜ける音がしたが、痛みはない。ただ、心臓がドクドクと激しく脈打っていた。
彼女の狂った声を聞きながら、冷静に考える。なぜ、オンディーヌはハンスを殺したのが自分であると分かったのか。精霊だからだろうか。
しばらくすると、バタバタと幾人かの足音が近づいてきた。
「よさないか!」
ブラントだった。女官が知らせたのだろう。そういえば葬儀の時にふたりの姿を見かけた。
ブラントはオンディーヌの肩を掴んで、シルフェリアから引き剥がすが、彼女は暴れくるった。
「離してください! この魔女が! わたしの息子を!!」
「ハンスを献身的に支えたシルフェリアが殺したわけないだろう」
「いいえ! わたしには分かるのよ! この女は邪神の力を持っているの! だって、いくら透明の波を使っても死なないもの!!」
彼女の告白に誰もが絶句した。
「お前は……シルフェリアを殺そうとしていたのか……」
ブラントが目を見開いて尋ねると、オンディーヌは吐き捨てるように言った。
「当たり前でしょ! せっかく赤の王の恐怖政治から解放したのに、この娘を生かしたら、わたしの清らかな青が汚されるわ。赤なんて気持ち悪い。血の色よ。戦争しかできない人間の色よ!」
己の正義をふりかざす彼女にその場は沈黙した。
シルフェリアは身を起こして、冷えた双眸で彼女を見た。
(血の色……ね)
激しく高鳴る心臓のあたりに手をおく。
彼女の言っていることは一理あるのかもしれない。誰だって血を流す世界を見たくない。清らかなものだけに囲まれた世界で生きてみたくなる。
(……だけど、わたくしは赤が愛しいわ)
あの人の燃えるような赤毛に焦がれて、あの人と同じ赤毛が誇らしくて、あの人が流した血に怒り、赤い心臓を捧げるために魔女になった。
赤は生命の色だ。生きていることを実感させてくれる色。愛しい、自分のすべて。
カミサマの言葉をなぞりながら、シルフェリアは誰にも聞こえない声で呟く。
「赤を滅ぼすものには死と腐敗を──」
脳天までカミサマが与えた黒いものが這いずり回り、フラスコの中でにっと笑った住人のようにシルフェリアも笑った。
「っ……そんなわたくしは……」
シルフェリアは顔を手でおおい、さめざめと泣いた。オンディーヌは舌打ちして、自分の腕を掴む。
「白々しいわよ!」
「よさないか!」
三人でもみ合いになり、シルフェリアの体が壁に打ち付けられた。痛いふりをして花瓶の置き台に手をかける。ブラントの腕を振りほどいたオンディーヌがドレスのポケットからハサミを取り出し、振り上げてきた。
「魔女め! 魂ごと滅びろ!」
シルフェリアはハサミを避けながら、陶器の花瓶を押した。
──ガシャン!
薔薇が鮮血のように散らばり、花瓶に入っていた水が床を濡らす。破片は飛び散って、シルフェリアの足に刺さった。苦痛に喘ぐふりをすると、ブラントはオンディーヌを激しく非難した。
「いい加減にしろ! オンディーヌ! 妄想もたいがいにせぬか!」
ブラントが罵倒すると、オンディーヌの体がみるみるうちに床にできた水の中に引き込まれていく。
「これはっ!? ──あぁ!」
突然の出来事に誰もが驚いていた。シルフェリアだけはこの状況を正確に理解していた。
彼女は水の近くで愛する者に罵倒されると、水界にかえらなくてはならない。あの男が教えてくれたことだ。
「いやっ! ブラント様!」
オンディーヌは必死でブラントに手を伸ばすが、彼は身を引いた。それに絶望して、充血した目で自分を射ぬく。
「シルフェリアああああ! これで終わると思うな! わたしの全てを奪ったお前を呪ってやるぞおおお! 」
怨念の言葉を吐いて、オンディーヌは水の中に消えていった。ぴちょん、と。小さな水しぶきが音を立てた。
文字通り水をうったように辺りは静かになった。ブラントは絶句して佇んでいる。
シルフェリアが顔を歪めると、ブラントがはっとして、オンディーヌが引き込まれた水たまりを踏んで近づいてきた。
「医師を呼べ! 早くしろ!」
放心していた女官が我に帰り、転がるように駆け出す。ブラントはシルフェリアを横に抱きかかえて、控えの部屋に入った。
医師に手当てをされている途中、ブラントは神妙な顔をしてため息と共に言葉を吐く。
「オンディーヌがあのような醜い女だったとはな……」
真実の愛だと思っていたのに、間違いだったのか。
彼は呟き自分を労りの眼差しでみた。
オンディーヌが引き込まれた水たまりの対処に困っていた使用人たちに、ブラントは静かに告げた。
「国で最も清い布で水を拭き、浄化の石をいれよ。黄金の箱にそれらをしまい、王宮の地下深くに祭壇を作り、そこを彼女の棺とする。ただ、決して開けるなと伝えよ。怨霊となった彼女がでてくるかもしれないからな」
オンディーヌの箱と呼ばれる黄金の箱はこうして地下深くに祀られることとなった。
それらが終わるとブラントは怪我をしたシルフェリアを気遣い、青の王宮に留まるようになる。
最初は娘みたいなシルフェリアを案じていたのだろう。そのままでいてくれればよかったものを、日を重ねるごとに彼は父親の顔をしなくなった。
シルフェリアの傍らにいるようになり、見守る彼から感じるものは、あの男と同じもの。まるで本物の真実の愛を見つけたような目をする。
(なんて薄い愛なのかしら……)
彼を見ると、オンディーヌに薄い同情の気持ちが沸く。あれほど溺愛していたというのに、彼の愛は実態のないかげろうのようだ。反吐がでる。そんな男には残酷な現実(死)を突きつけてやろう。
シルフェリアは冷めた思いを抱えながら、熱っぽく彼を見た。
「ブラント様……」
若々しいシルフェリアが妖艶に微笑めば、年老いた男はごくりと喉を鳴らす。
「ハンス様も亡くなってオンディーヌ様には呪いをかけられ……わたくしはどうすればよいのか……」
ブラントはシルフェリアの体を守るように抱く。
「心配はいらない。私も皆も付いている。いざとなれば君は私が────」
言いかけたとき、ブラントは大きく体を震わせ心臓のあたりを手でおさえた。呼吸ができないのか、口は魚のようにはくはく動き目は血走りだす。がくん、と膝から崩れた体をシルフェリアは静かな瞳で見て、一歩後退する。
殺してやろうと思ったが、オンディーヌが許さなかったようだ。
「水界に帰ってもオンディーヌ様の呪いは有効のようですわね」
浮気者には死を。汚泥を許さず、清らかな水しかいらない魚のようなオンディーヌの心。彼女は嫌いだが、気持ちはわかる。
床にのたうち回るブラントに近づき冷えた声をだした。
「あなたが赤の王を倒そうなどと考えなければ、お兄様とわたくしには別の道があったでしょう……」
その道はやはり残酷しかないのかもしれないが、あの人と離れることもなかっただろう。巻き戻せない過去を思い、シルフェリアは瞳を伏せる。
目の前の男は、自分の思いなど聞いてはいない。でも、言ってやりたかったのだ。彼は赤の王国に一縷の光を作ったかもしれないが、それは自分の半身を奪うものだったのだと。
自分のスカートを乱暴に引っ張りすがろうとするブラントを一瞥する。
「永遠にさようなら。英雄、青の騎士さま──」
スカートを引き寄せ、彼の手を振り払う。そのまま彼は動かなくなった。
あっけない幕切れ。復讐はできたというのに、シルフェリアの心は静かな水面のようだ。
満たされない。
半身を取り戻さなければ、満たされることはない。
「お兄様……早く生まれてきてください……」
シルフェリアは静かに呟き、一筋の涙を流した。
英雄、青の騎士ブラントの葬儀は厳かに行われた。国中が悲しみに満ちていた。彼を模した英雄像が王都の広場に作られた。
この像は見事な黄金で作られ、彼を英雄視する人々の心をつかんだ。
黄金はシルフェリアが錬成した。実際は、銅や鉛という金属と黄金を一緒に坩堝の中で溶かした紛い物なのだが、できた金属は、黄金のような輝きを放った。
この不思議な出来事も、カミサマに与えられた黒い力のせいかもしれない。
周りは自分のことを神に近い〝稀代の錬金術師〟と呼んだ。万能薬を作った初代の赤の王妃の再来とも言われた。
称賛はシルフェリアの心を素通りした。像を作ったのは、国王となった息子のため。赤毛である彼の治世が豊かになるよう願っただけだ。
誰も赤毛の悪口を言わず、むしろ羨望の眼差しを向けるようになる頃、息子が成人した。シルフェリアは政界からあっさり身を引いた。
「英雄であるお義父様たちの血を引いたあなたなら立派にこの役目を引き継げるわ」
「はい。母上……」
あの男と同じまっすぐな瞳を持つ息子の手をとり、シルフェリアは青の王宮から去った。
(やっと、いるべき場所に帰れるわ……)
高い塔のみを残した赤の王宮に戻ると、ピンと張りつめていたものが切れたように感じた。
ここであの人が生まれるまで静かに待とう。シルフェリアは棺のような塔に引きこもった。
簡素な木製のローチェアに身を預けながら、目を閉じる。ふと、自分の白髪が目に入った。
白髪を見るたびに、自分の赤を奪ったハンスを思い出す。青い瞳にひかれて離れた自分の一部が恨めしい。
(思い出したくなんてないのに……お兄様しかいらないのに……)
ままならない肉体を放棄したくなる。シルフェリアは体を抱きしめ、身を縮めた。
静かに英霊たちに祈りを捧げたいというと、誰も周りからいなくなった。食事もせずにずっと若いままなシルフェリアを見た人は、彼女は賢者の石を錬成して、永遠の命をえたと思われたのだ。シルフェリアは誰からも人だと思われなくなった。
ただ、塔の近くの建物には〝赤薔薇の騎士団〟と呼ばれる騎士たちが常駐していた。
自分の子供が子を産み、孫が孫を産んでも、あの人と同じ褐色の肌を持つものはでてこなかった。
気が遠くなるほどの時を過ごしていると、シルフェリアからあの人の記憶がこぼれ落ちる。
琥珀の瞳はどんな感情を宿していただろう。髪の質は? 声の音階は?
思い出せそうで思い出せない。
自分は本当に生きているのだろうか。
もしかしたら、ここは冥界の入り口で、自分だけがまだあの惨劇の日に倒れたままなのかもしれない。
「お兄様……」
会いたい。
会いたい。
あの人に会いたい。
「おにい……さま……っ」
シルフェリアは体を横にして胎児のように丸くなり、動かなくなった。
「忌々しいな。どこまでも創造主の筋書き通りにいくなんて」
舌打ちする少年の声がする。
「せっかく悲劇をぶっ壊してやろうと思ったのに計算が狂った。まさか君の魂がそこに留まるとはね」
彼は目を見開いて、シルフェリアの心臓に手を突っ込み、赤い液体が入ったフラスコを抜き取る。真っ黒になったフラスコの中身は赤の液体は透明と赤に分離していた。
「なんで、黒? まぁ、いい」
彼はフラスコに入った赤の部分を空にまく。
「魂を同化させてシルフェリアと共に眠りたいなんて、僕が許さないよ。お前は赤の王の恐怖に洗脳されているだけだ。とっとと転生しろ」
赤は空気に溶けていった。透明の液が入ったフラスコを眠るシルフェリアの心臓に戻し、彼は彼女の頭を撫でた。
「もうちょっとだからさ。待っててよ」
そして、声は消えた。




