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悲劇の幕開け

ここから残酷な描写が容赦なくでてくるのでご注意ください。




 ──三百年前。赤の国。


「戦が終われば、いよいよですわね」


 着付けをしていた女官のハンナが声をかけてくる。シルフェリアは顔をほころばせ、胸の前で手を組んで万感の思いを口にした。


「そうね……ようやく。ようやくだわ……」


 反乱軍を鎮圧すれば、いとこの赤の王子──ライザードとの結婚式を迎えられる。


 それはシルフェリアにとって、歓喜しかない。兄と慕うあの人に恋い焦がれて十年以上になるのだから。


(やっと……お兄様の肌に触れられるんだわ……)


 自分とは異なる艶やかな褐色にときめき、媚びた視線を何度も送った。それなのに彼は今日に至るまでキスひとつしてくれない。十八才になるまでは──と、やんわり断られてしまっていた。


 彼の態度は恋心を加速させ、渇望にかわり、自分では押さえきれないところまできている。だが、胸苦しい日々ももうすぐ終わる。


 ほぅと息を吐いて思いを馳せる自分にハンナは微笑みかけた。


「支度ができましたわ。さぁ、出陣前のご挨拶をしにいきましょう」


 シルフェリアは薄い絹が重ねられたドレスを翻し、彼女と共に部屋をでた。



 静かすぎる廊下を歩いていると、前から赤の王が歩いてくる。二人は身を強ばらせ、廊下の隅に控え腰を落とし、頭を下げた。


「おお、シルフェリア。私の完璧な姫」


 王は気さくに声をかけてきたが、シルフェリアはうつむいて緊張したままだ。


「偉大なる陛下。ご機嫌麗しく」


「そのようにうつむいていないで、顔を見せなさい」


 おずおずと顔をあげると、琥珀の瞳が見えて、体が震えてしまった。


 王と視線を合わせるのは苦手だ。瞳の奥に底知れない何かが(うごめ)いているような気がして、囚われそうになる。


 王は自分の赤い瞳をたいそう気に入っていて、執拗に髪をなでたり、頬に触れて瞳を覗き込んでくる。今もそれをされて蛇に睨まれた蛙のようになった。


「私の完璧な姫。君が赤目の子を生む日を心待ちにしているよ」


 自分の髪をすきながら囁かれた声に、腰の辺りがひやりとする。


 赤の王にとって、自分は赤毛・赤目を産むための道具。もし、彼の意にそぐわない子供を産んでしまったらどうなってしまうのか。


(きっと殺されるわ……)


 赤毛の子供は自分と赤の王子しか残っていない。彼が気に入らなくて亡き者にした。

 琥珀色の瞳を持つ赤の王子も、生まれた直後に彼の母親によって隠され育ったそうだ。彼が王宮にきたのは自分が生まれた年から。


「私の完璧な姫の(つがい)としてなら生かしてやろう」


 赤の王は妻に突き立てた剣を抜きながら、わずか五歳の赤の王子にいったらしい。


 その言葉を聞いた彼がどんな思い抱いたか。自分と同じだったはずだ。


 足元まで近づいている昏い未来を想像していると、赤の王は自分の赤い髪からするりと手を放す。


 満足したようだ。深く頭を下げると靴音が遠ざかっていった。


 音が聞こえなくなると、動きを止めていた心臓が早まりだす。脈打つ鼓動のままに彼の元へむかった。


 いつ殺されるかわからなくても、彼さえいればここは楽土となる。彼さえいれば、刹那的な幸せが愛しいものになる。


(早く、早く、お兄様のところへ……)


 肩で息をしながら、彼の部屋の前にたどり着くと、医師や女官がぞろぞろと部屋から出てきた。病気なのかと尋ねると、老医師は戦の古傷が傷んだだけだと言う。


 出陣前なのに、大丈夫だろうか。不安がこみ上げ、足早に部屋に入る。


「お兄様……?」


 中に入ると、赤の王子は着替えをしている途中だった。普段は首もとまで隠された褐色の肌が見えて、どきりとしてしまう。 高鳴る心臓のまま近づくと、赤の王子は身なりを整え、やわらかく微笑んだ。


「シルフェリア……どうかしたのか?」


 シルフェリアは前で手を組んで、言葉に迷った。彼を前にすると想いがあふれて、うまく会話ができない。


 うつむいて視線をさ迷わせていると、赤の王子が近づいて、床に膝をついて跪く。


「どうした?」


 優しい声音だ。覗き込んでくる琥珀の瞳は赤の王と同じだというのにちっとも怖くない。


「……出陣前にご挨拶をと思いまして……」

「あぁ、そうか……ありがとう」


 赤の王子が自分の頭を優しく撫でる。子供扱いされているしぐさ。いつもは嫌なものが、今日はとても心地よい。細かな傷が入った大きな手のひらに頭をすりつけた。


「医師に聞きました。古傷が痛むのですか……?」

「あぁ……大丈夫だ。問題はない」


 赤の王子はくすりと笑った。


「そんなに心配をするな。俺たちにはサラマンダーでできた炎の鎧がある。火の矢がこようとも、大砲に撃たれても、俺たちを貫くことはできない」


 シルフェリアは胸を撫で下ろした。


(そうよ……お兄様には無敵の鎧があるんだもの……きっと、大丈夫よ……)


 その鎧は、常勝を誇る赤の国の最大の武器だ。


 遥か昔、この赤の国が巨大ヒトカゲ──サラマンダーの恐怖に震えていた時代があった。一人の英雄が妻の力をかりて化物を倒し、初代赤の王となった。王はサラマンダーの皮を剥いで、どんな火も通さない鎧を作った。


 彼はサラマンダーの心臓を食らい叡知を得て、赤毛になったといわれている。だからこの国では赤毛は、英雄の色なのだ。


 無敵の鎧を盾に今の赤の王は他国への侵略を続けている。支配下に置いた国の姫をさらい子供を産ませ、完全な赤目、赤毛の子供を作ろうと躍起になっていた。恐ろしい執念だが、逆らえる者はいなかった。


 シルフェリアは琥珀の瞳に微笑みかける。


「お帰りをずっと待っています。ご武運をお祈りしております」


 そういうと、赤の王子は切なげな表情をする。シルフェリアは短く息を飲んだ。


(まただわ……お兄様は、時おり泣きそうな顔をされる……)


 哀愁を帯びた顔をされると胸が苦しくなる。隙間なく抱きしめて、彼の哀しみを骨の髄まで染み込ませたくなる。


 彼は自分の半身。彼の受けた痛みは自分の痛みなのだ。


「お兄様……」


 焦がれるように出した指先は、彼に届かず空を切る。赤の王子は立ち上がり、準備があるからと退室を促した。


 遠ざかる背中に向かって口を強く引き結ぶ。


(もうすぐだから……)


 シルフェリアは振り返らない彼に向かって淑女の礼をして、部屋を出た。




 一歩。また一歩。歩く度に餓えた心が悲鳴をあげる。叫びだしたい気持ちを潰して、背筋を伸ばす。


 結婚すれば、彼は自分のもの。初夜を迎えれば、体は繋がる。


 でも、あの褐色の肌に唇を落としたら、泣いてしまうかもしれない。みっともないと思うが、それほどまでに彼が欲しい。


(早くわたくしを妻にしてください……)


 恍惚が背筋をかけ上り、シルフェリアは熱い息をほぅと吐き出した。




 ***


 赤の国にクーデターを仕掛けた反乱軍は、かつて〝青の国〟と呼ばれていた水源の豊かな土地の生き残りだ。ならず者集団らしいが、一部の者からは〝青の騎士〟と呼ばれ、赤の王を倒す英雄だと言われているらしい。


 しかし、無敵の鎧をもつ赤の王が負けるはずない。誰もが赤の王の勝利を確信していた。




 ところが、状況は一変する。

 シルフェリアが戦況を知る頃には、青の騎士によって城は制圧されていた。


「シルフェリア様! お逃げください! どうか塔のてっぺんまで!」

「離して、ハンナ! お兄様は!? お兄様はどうなったの!」


 赤毛のカツラを被ったハンナに詰め寄るが、彼女は口を引き結び、近くの騎士に目配せしてシルフェリアの体を拘束してしまう。別の男が無理やり口をこじ開けてきた。突然の暴挙にパニックになっていると、彼女は持っていた小瓶を自分の唇にあてた。


「姫様……失礼いたします」


 口の中を苦いものが満たしていく。


(睡眠薬!?)


 覚えのある味だ。薬や毒の耐性をつける為に口に含んだことがある。男によって無理やり口を閉じられ、飲みたくないのに喉を苦いものが滑っていく。


 即効性のある睡眠薬にシルフェリアは足掻く力をくじかれた。


(寝てはダメ……寝たら……)


 かろうじて瞼を開こうとするが、睡魔に抗えず思考は闇の中へ。


「……どうか生き残ってください……」


 優しい笑顔を最後に、シルフェリアの意識は途絶えた。





「んっ……」



 次に目覚めたとき、シルフェリアは高い塔の最上階にいた。ここは初代赤の王の正妃の部屋。婚姻のときにだけ入れる神聖な場所だった。

 シルフェリアは朦朧とする意識の中、部屋から出て石造りの螺旋階段を下りていった。



 階段を下りていくと、扉が開いていて人影が見えた。咄嗟に駆け寄り、声をかけようと手を伸ばす。


「──ひっ!」


 立っていた体が目の前でぐらりと倒れた。仰向けに倒れたのは、自分を押さえつけていた騎士の一人だった。目が見開いたまま口から血を流し、胸には数えきれないほどの矢を受けていた。


(死んでいる……なんで? どうして?)


 シルフェリアは恐怖に全身を震わせ、壁に背中をあてる。


「はっ……はっ……」


 荒く息を吐き、信じられない気持ちで忙しなく周囲を見渡す。何人もの騎士が倒れていた。地獄の底にいるような光景が目の前に広がっていた。



「うそ……」


 その中で胸に剣を刺されたまま倒れている赤毛の女性を見つける。


 糸の切れた人形のようにふらふらになりながら、彼女に近づく。鼓動がやたら早い。あまりに大きな心音に意識を失いそうだ。重なって倒れたものに、何度も足をとられながら彼女の側へ。



「はん……な……」


 彼女の前まできたシルフェリアは膝から崩れた。赤いカツラをかぶった彼女の茶色い目は限界まで開かれ、口元は弧を描いていた。


 バキン──心は粉々に砕かれた。


「いやぁぁああ!! ハンナ! ハンナぁぁあ!!」


 無我夢中で彼女を抱きしめ、慟哭する。


「なんで!? どうして!?」


 半狂乱で叫んでも答えるものはここにはいない。

 誰も動かない。


「やっ……いやよ……こんなの……」


 冷たくなった彼女の首もとに顔をつけて、喉が枯れるまで泣いた。






 ──ぬるり。


 生暖かい風が頬をかすめる。泣きすぎて喉を潰したシルフェリアは顔をあげた。ひとつの扉がキィキィと音を立ててわずかに開いている。扉の隙間からは淡い光が差し込んでいた。


 シルフェリアはハンナの瞳を閉じて、体をそっと置くと導かれるように扉へ近づいた。


 この扉の先は王宮へつながる屋外の渡り廊下だ。王族の結婚式には、そこに深紅の絨毯が敷かれる。赤の王子と歩くはずだった道。


 きぃぃ……


 扉をひらくと、目に入ったのは散らばる赤、赤、赤。

 空には天使の梯子がかかり、雲間を割って伸びた光のひとつが屍の山を照らしていた。

 山の頂には剣を背中に何本も突き立てられた人が倒れている。


 その人の肌は褐色だった。



 シルフェリアはふらふらとした足取りで山を登った。足が石でも木でも土でもないものを踏んで滑る。手のひらが固い肉をつかんで、指先が冷たくなっていく。上まできたシルフェリアは、つぶやいた。



「お兄様……」



 声をかけても、その人は柔らかい笑みを見せてくれない。彼の隣に座り、赤毛に指先で触れる。案外、細く柔らかい髪なんだと思いながら、何度も何度も指を通す。


 そういえば、彼の髪に触れるのは初めてだった。


 ふと背中にささった剣が視界に入る。これでは起き上がれないだろう。シルフェリアは剣を引き抜こうと立ち上がり、柄を握りしめる。

 自分の細腕では、剣は抜けず彼の体をわずかに揺らしただけだった。

 今度は刃の部分を両手で持ち、引き抜こうとしたが、手から出た血で滑っただけだった。


 痛覚は麻痺していてなかった。


 どうにか抜こうと再び柄を握るが、手から出た血で滑り、無様に後ろに倒れた。そのまま動けなくなる。


 シルフェリアは瞠目し、赤い瞳からは絶えず涙が流れていた。



 このまま死んでしまえばいい。


 きっと、ここは冥界の入り口。

 早く奥深くまで足を踏み入れてしまわないと。みんなとの距離は開くばかりだ。


 シルフェリアは静かに赤い瞳を閉じた。



 次に目を開いたら、あの人の腕の中であれと願いながら──














「これでエンディング? ありきたりな結末だね」



 場にそぐわない軽い声が上からした。


「狂気の王が、正義を掲げた青の騎士に倒されるか……まぁ、王道といえば王道のシナリオかな……?」


 クスクス笑う声は少年のようだ。目覚めたくないのにシルフェリアは瞳を開いてしまった。


 ぼんやりする視界で見ると、黒いローブに身を包んだ黒髪、黒目の少年が空に浮かんでいた。


「おはよう、赤毛の姫」


 ふよふよと空に浮いた少年が近づいてくる。


「君はここで死ぬらしいけど、それだとつまらないんだよね。だからさ、ちょっと協力してくれない?」


 少年はにたりと笑った。


「この悲劇の話を、君の力でもっと愉快な話にしようじゃないか」


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