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 第三章 18、三条を離れられない理由

「どうしたらいいの? ねぇ大丈夫? 繭子ぉ」

「あ、委員長、あまり揺らさないほうが……」


 狼狽(うろた)える白石委員長をまことはなだめるようにそう言うと、救急車の到着を待つために外へ出ていた村上館長はサイレンを聞くや喜寿(きじゅ)間近とは思えないダッシュで戻ってきた。


「きたきたぁ! もう安心じゃ」

「で、でも普通の病院でいいのかしら?」

「救急隊の人に聞いてみましょう!」

「そうね。繭子の手荷物を探らせてもらって掛かり付けの産婦人科を調べときましょう」



 狼狽(うろた)えていた白石は、少し冷静さを取り戻したかのように鞄の中を調べると母子手帳とその中に診察券が挟まっていた。


(ん? 保険証が2枚? 誰のかしら。刈谷(かりや)聖一(せいいち)って…………)


 屈強な救急隊によりストレッチャーにゆっくりと乗せられた繭子と呼ばれた女性は、その時にはかなり意識もハッキリしてきていて白石を見ると呟いた。


「紗南ちゃん……」


 白石とまことは同乗し、館長は急ぎ指令室へ戻ることに決め、そこで別れた。

 救急隊員は冷静に血圧を測りながらも問診を始め、掛かり付けの産婦人科、岩黒病院へ急行した。



 そして産婦人科医師は妊娠後期にみられる吐き気からくる目眩(めまい)と診断を下した。

 というのも臨月を迎える胎内の赤ちゃんが胃や腸を圧迫し、食欲不振や、時には消化不良を起こすこともあるのだそうな。


 そして繭子の場合、食欲の減退もさることながら圧迫された食道の未消化物が吐き気をもよおしたようだ。

 医師はちょうど空いていた個室をあてがい、室内をよく換気するように看護師に指示し、その日は経過をみることとなった。



「連れ添いの方々はご本人が望むのならお話相手になってあげて下さいね」


 と、看護師は穏やかな声音(こわね)でその言葉を残して病室を後にした。

 まことは気をつかってか、飲み物を買ってきますとそそくさと部屋を出た。



「迷惑をかけちゃったね、紗南ちゃん」


 安心からか、多少は顔色が戻った繭子はそう言うと乱れた両鬢(りょうびん)を整えながら笑顔を向けた。


「水臭いですわよ! 気にしないで」

「さっきの子は? 姪っ子さん? じゃないか、いとこ?」


「今いろいろ協力し合っている友人ですわよ」


 白石は扉の方角を見ながら当たり障りなく答えた。


「それよりも……繭子のことを聞いてもいいかしら?」



 当然の質問に、開け放たれた窓から入る風で揺れるレースのカーテンを見詰めながら、繭子は細心の注意を払わないと気付かないほどの小さな頷きをくれた。



 繭子と白石(以下、紗南)は中学高校と一緒の友達で、特に繭子の家で遊ぶことが多かった。

 病弱な母が自宅には居て、自営業を営む父は居たり居なかったりではあるがささやかな幸せな家庭がそこにあった。


 高校卒業を控えた頃、同じ大学へ通う約束をしていた2人は突如別々の道を歩むこととなる。


 これまでなんとか持ちこたえてきた繭子の母の病状はいよいよ悪化し、付きっきりの看病が余儀なくされ、その為に繭子は進学を諦めた。

 時を同じくして父親の仕事も苦境に立たされ、運転資金を銀行に借り受けての厳しい状況下に陥った。



 繭子は看病の合間を縫ってバイトに明け暮れ、父親も必死に働いたが、そんな努力や希望とは裏腹に母親はみるみる衰弱し、父の仕事も立ち行かなくなった。

 

 そして繭子が高校を卒業して1年を待たずして母親は他界し、父親はついに廃業した。


「ごめんねぇ。繭子には迷惑のかけっぱなしで」 


(絞り出す言葉といえばいつもそんなことばかりだったな……)



 その度に繭子は痩せ細った母の手を握って作り笑いをしたものだ。


「またそんなこと言って! お父さんが聞いたら怒るよ!」


 学業も恋愛も、友情ですらかなぐり捨て母親の看病のために生きて来た繭子にとって紗南は全てを支えてくれる存在であり続けた。


 いつも側にいなくっても、わたくし達は友達よ。

 紗南の言葉にどれだけ救われたことか。


 母が他界して四十九日が過ぎた頃、拾ってくれた友人が切り盛りする小さな工場で働きだしていた父親は、母を亡くした失望と悲しみに苛まれ酒浸りの生活を送るようになっていた。


 当然のごとくその矛先は繭子に向けられ、暴力と落涙(らくるい)する日々に父子家庭は(むしば)まれ続けた。


 そんな繭子にある出逢いがあった。

 勤める職場によく顔を出す運送会社の運転手である。

 爽やかな笑顔と人当たりのよい人柄にいつしか惹かれるようになる繭子。


 その男性からのアプローチから始まった2人の交際はまさに灰色の青春を過ごした繭子にとって心地よい幸せを運ぶ。



 相変わらず自堕落な生活をおくり続け、やり場のない怒りをただ一人の肉親である娘に向け続けた父から逃げるように家を出て、一人暮らしを始める。


 そして数年の交際を経て、結ばれた2人は慎ましくも、ありふれた幸せを噛み締める。


「念願の子供を授かった時の彼のぐちゃぐちゃな笑顔が今も忘れられない」


 遠くを見るような視線で外の木々にとまる雀のさえずりに耳を傾けて繭子はそう言った。


 紗南は友達の回想記に、ここまで真剣に向き合いながらも黙って聞いていたが、思わず質問してしまった。


「で? 旦那さんはどこにいるの? それに身重でどうして市外へ避難しなかったのよ?」


 

 立て続けの紗南の質問に繭子ぽつりと呟く。


「ここを離れられない理由(わけ)があるのよ」

 

 視線を紗南に移し両手をお腹にあてると、悲哀(ひあい)に満ちた顔を少し傾けるのであった。



 次回19、続・三条を離れられない理由


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