第一章 4、栞奈と歴史資料館と
8月下旬、気だるい暑さは相変わらずであったが、少し蝉の鳴き声が減ってきているようであった。
夏休みもあと二日と終わりを迎えようとしているある日の出来事であった。
この日、五十嵐栞菜は鍛治町まこととの待ち合わせのため三条市歴史資料館を訪れていた。
涼しげな淡い紫のワンピースを着て、黙っていれば女子大生に見えるほど落ち着いた感じで、眼鏡をかけた美しい淑女といった佇まいであった。
立派な唐破風造りの正面入り口を入ると左手にいる職員に軽く会釈した。
彼女をよく見知った職員はニコリと笑うと同じく軽く会釈を返してくれた。
そう、栞菜はこの資料館の常連なのだ。
まことと幼なじみの彼女にとって興味があるものと言えば、服飾と歴史のみである。
服飾に興味を持ったのは、母親が内職でいつもミシンに向かっていたところが大きい。
様々な布を自分の創造力で加工していく姿に、いつしか心を奪われていった。
彼女も迷わず、この道に進もうと決め、地元三条市は三条南高校の家政科に進学する。
南高の家政科は定員不足もあいまって栞菜達の学年で募集が中止とされ、それまでは女子高であったが、栞菜達の1つ下から男女共学となっていた。
日々服飾の勉強に邁進する傍らで、常に興味を抱いているのが歴史である。
歴史小説、とかく戦国時代を特に好み、地元三条の歴史にも興味を持ち始めたのは、幼馴染みである、まことと仲良しだったことも大きい。
まことの実家は鎌倉時代から続く伝統的な鍛冶職人の家系であり、鍛冶に夢中なまことと、歴史が好きな栞菜は自然と馬が合った。
そんなわけで彼女は館内をいつもの通り順繰り回っていく。
遺跡から発掘された土器やら矢じりの欠片などの展示品を眺めながら進むと、三条の沿革が壁一面に掲示されている。
好みの戦国時代のあたりを特に力を入れて読んだ栞菜は、先に進んで行く。
すると次は幻の三条城の模型が展示されている。
ここ地元にも城が存在していたことを伝える資料は多数あったが、それがどこにどのようにあったのかは現代を生きる人々には皆無であるが故の幻の城なのだ。
(おや? 今日は他にも誰か来ているみたいね)
栞菜は初めて自分以外の入館者がいることに気付いた。
三十代くらいであろうか、長身で恰幅のよい、精悍な顔立ち。
長い髪を後ろで1つ縛りにしたその男は、独り言をブツブツ言い三条城の模型に食い入っていた。
その男がこちらに気付かなかったこともあり、栞菜はつい聞き耳をたててしまった。
「これが我が三条城だと!? そのようなたわけたことを誰が抜かすか! 我が城はもそっと立派じゃわい!」
(えっ?)
「源将軍家(鎌倉時代)よりここまで、縄張りも広げ大いに役立っておるわ!」
(ふぇっ?!)
「フッフフッ。数日後にはな、御館様も来ておわすことであろう!」
「??? あ、あのぉ…………」
不思議な独り言に面食らった栞菜であったが、この謎の巨体がどいてくれないと狭い館内の廊下は進めないのだ。
「おぉなんじゃ町娘、なんぞ用か?」
「あっいいえ、ちょっとそこを通りたいなと思いましてぇ」
一瞬ポカンとした巨体の男は、壁際に寄ると直立不動の構えとなって視線を落として答えたか。
「おぉこれはあいすまぬ、ささ通られよ!」
「し、失礼しまぁす……」
栞菜は一気に突破すると、天井が高い産業展示広場へと出た。
(変わった人ね。異常者よ! 絶対に異常者よ)
そう思いながらも、気を取り直して展示品を慈しむように眺めた。
産業展示広場は、四隅に展示品が列び、中央には三条市の巨大ジオラマが設置されている。
(ん? 金物展示場になに? 萬かな? 変なポロシャツを着た2人組がいるし、ジオラマのところにも1人女の子がいる。珍しいこともあるものね。それにしても、なんだったのあの人は? まるで侍みたいな話し方をして……)
栞菜はまたしても、あの大柄な異常者のことを考えたていた。
「ごめん栞菜、待った?」
と、そこへまことの張りのある声が聞こえてきた。
まことはデニムの短パンに白い無地のシャツを着ていた。スラッとした足がなおさら長く見え、今にも窮屈そうなたわわな胸がシャツを破りそうだ。
そんな彼女は今日も鍛冶道場の手伝いに行っていたのだ。
(そう、だいたい資料館で待ち合わせする時は、私が先に来て館内を回る。そして産業展示広場に来る頃に決まってまことが駆け付けて来るのよね)
と、心の中で呟くとクスッと笑った。
「いつも通りよ、まこと」
「え?」
状況を飲み込めていないまことであったが、展示品を食い入るように見詰めながら、これまたいつも通りに、この手斧は見事だとかなんとかと感想を語り出す。
今日2人はまことの家にある古い本棚を調べるつもりなのだ。
解読できない文字ばかりの本ではあるが、少しでも新しい発見があると喜び合うのが、お互いの共通の趣味なのだ。
そんな2人は資料館を出るときにはジオラマを見渡して1番のスイッチを押すのが毎回の決まりごとになっていた。
1番から20番までスイッチがあり、その番号を押下すると、その地点の豆電球で光る仕組みになっている。
そろそろ出ようかとしていた時に、ジオラマをじっと見詰めていた少女が意を決したように、栞菜とまことに話し掛けてきた。
「そこのお二人さん、ちょっとよろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
栞菜とまことはお互いをチラリと見ながらも笑顔を装い言葉を発したか。
それと同時にいきなりの怒号が耳に入ってきた。
「姫子殿! あちらにあるカラクリは全くの紛い物にござるぞ! 許しがたし、贋物を列べる者共、そこになおれ! ワシが成敗してくれる!」
と、腰を屈め、左腰に両手を当てたのは、先ほどの巨体の男であった。
栞菜に言わせると、不審者に該当するその男は、怒気を含んだ顔で館内をジロリと見据えていた。
「しまった! 大小は置いてきたのだった、くっ……不覚!!」
静まりかえる館内に、4人の呼吸の音だけが微かに聞こえるようだった。
「ヤマヨシ様、不躾ですよ。姫子は今、この町娘の方々に質問しようとしていたのですよ」
と、可愛げな少女が巨体の男に言った。
どうやら2人は連れらしい。
「おぉ、これは無礼をお許しあれ! ささ、姫子殿、質問なされ」
一呼吸おいた姫子と呼ばれた少女は、栞菜とまことに向き直ると質問した。
「私は中浦姫子と申します。こちらはヤマヨシ様です。一つ聞きたいのですが、この大きな地図に下田地域はないのですか?」
意を決して質問した少女は、モジモジとした動きが可愛かった。
2人はジオラマを見据えると、くまなく探したが下田はこのジオラマには点在していなかった。
「きっとこのジオラマは合併する前に作られたんじゃないかな?」
と、栞菜はうんちくをたれ、2005年に三条市と栄町、そして下田村が合併し現在の三条市になったことを説明したのはまことだ。
「そ、そうなのですね……」
それを聞いた姫と呼ばれた少女はうつむき、黙り込んでしまった。
どうしていいか分からない2人は、阿吽の呼吸でそそくさと退散しようとしていた時に、謎の2人の奇妙奇天烈な会話が大いに栞菜とまことを刺激した。
「姫子殿、ここにいても仕方ない、あのカラクリを見たら腹が立った、ここはひとつ我が居城、三条城へ行ってみぬか?」
「……そうしてみましょうか…………」
その会話を聞き、即座に踏みとどまった2人は、この不思議な組み合わせの2人が普通の人達ではないと直感さた。
特に興味を持ったのはやはり栞菜であり、何故か強い口調で反論した。
「三条城なんてありませんよ!」
「なに!? この時代にはお城はないてか!? じゃが一度は行って確かめてみねば……のぉ姫子殿」
「そうですね、とにかく行ってみましょう、ヤマヨシ様」
「だからどこにあるっていうのよ、そんな城っ!」
「こ、こらこら! 初対面の人に失礼でしょ栞菜!」
噛み付く栞菜とその強い口調を窘めるまこと。
宙を見上げていたヤマヨシと呼ばれる男は、ジオラマに視線を落とすと、五十嵐川を指でなぞり出した。
「ずずいと下降してと……この大河が大信濃じゃな? ではここじゃ、ここに城はある!」
と、ジオラマの五十嵐川が信濃川に当たる合流点を指差したのである。
「栞菜、ここって嵐川橋の辺りよね?」
「そのようね……わかりました、私達も付いて行きます。あるなしをハッキリさせようじゃありませんか! いいでしょ? まこと」
「えっ? わっ、私は構わないけど……」
「そうか、同道してくれるか! 親切な町娘じゃ」
「お二人さん本当に申し訳ないですが、ご一緒願います!」
ヤマヨシと姫子はニッコリと笑顔を作ってお礼を述べ、奇妙な四人組は肩を怒らせて歩く栞菜を先頭に、ズラズラと資料館を後にするのであった。
「いざ鎌倉ー!!」
「か、鎌倉ぁ〜!?」
「勇ましい町娘じゃ! 頼もしい!!」
「それに親切で助かりましたねっ」
人物紹介2 まこと&栞奈
次回 5、橋上の悲喜交々
ゆっくりではありますが、読みやすくなるように再編集しております!
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