第二章 2、刈谷田川の疾走
明け方、まだ薄い靄のかかる中、井戸の前で褌一丁で水を浴びる者がいる。屈強な肢体に戦傷があちらこちらにある。その武者は幾度となく冷えた井戸の水を浴びると一息つき縁側に座った。
そろそろ夜明けじゃと1人呟き朝日のでる方角を見詰めていた。
朝が早い民家には炊煙が上がり、一日が始まっているようだ。
明け方にも関わらずダンッダンッダンッと武骨な足音がする。それはどうやらこちらに向かって来るようだ。
「おぉ山吉殿! ここにおられたか。虎千代様は何処へ? 先程から探し廻っておるが見つからぬのです」
昨晩の戦勝祝いの宴で飲みすぎた山吉は、身体の火照りを取るために行水をしていた。そこへ大きな声が耳に入ってきたのだ。
「小島殿、まぁ落ち着きなされ」
山吉は制止すると窘め、続けて言った。
「それにとっくに元服も済ませ、影虎と名前も改めてござれば幼名の虎千代はなかろうて」
「ハハハ、そうでありました。幼少の頃から付き従っておりましたのでついつい…………。しかし殿も総大将として立派に初陣を飾った。頼もしい限りです」
落ち着きを取り戻した小島は山吉の隣にどっかと座りふぅ~と一息入れた。
この小島とゆう男、影虎が上越は春日山城から栃尾へ来る時からの従者で武辺者として知られており、鬼小島弥太郎と異名が付くほどの強者である。
昨日の戦いでも先方の一翼を担い、敵を一掃したことは既に書いたが。
そこへまた新たに慌ただしい足音が聞こえてくる。
「殿ー! 殿はおらぬかー?」
「日も明けきらぬうちからなんとも騒がしいことじゃ……。」
山吉はそのバリバリした声を聞きわけ、なかば飽れぎみに呼ばわった。
「柿崎殿も。まぁ貴殿もこちらへ来て、ちと心を静められよ!」
「おぉそなたらこんなところで何をしくさっておるか! お虎様がおらぬのだ! 本日は早々に軍勢を引き上げ、三条城に戻らねばならぬのに……。」
柿崎はまだヤキモキしている。
柿崎大和守影家もまた越後一帯に剛勇でその名を轟かせる強者である。後の上杉四天王の一人である。
「しかし今回の一戦、守護代の弟君であられる影虎様を侮った国衆の反乱であったが、影虎様の手際のよさには驚かされましたな」
遠くを見詰めながら小島が言うと柿崎も同調した。
「そのことよ! 殿は戦上手じゃ!まるで全体が見えておられるような見事な采配であった」
「いっそのこと影虎様が守護代につかれればこの越後の地も小競り合いもなくなり、平和になるのにのぉ」
暢気に山吉は答える。
三人は一斉にコクりと頷き、深い溜め息を吐いた。
この時代、足利幕府は衰退の一途をたどり、全国各地で領土争いが起こっていたが、ここ越後の国も例外ではなかった。この越後の地を治める守護・上杉家に力はなく、それを補佐するべき影虎の兄で守護代・長尾晴影までが病弱で気概なく、土地土地の国衆(その土地を治める武士)がその時々で動向をかえ、結果昨日のような勢力争いが絶えなかったのだ。
まだ若い影虎が兄である守護代からの命で今回の鎮定に当たったのであるが、昨日の実戦で抜群の働きをした影虎に望みを持つのも無理からぬことでもあった。
「殿なればきっと厩であろうて。ワシが迎えに行ってこよう」
衣服を改めた山吉は二人に向き直るとそう言って厩に向かった。
ヒヒィーンと元気な馬の嘶きが聞こえる厩では影虎が愛馬に人参を与えていた。毎朝の日課であろうか。
山吉は笑いながら影虎に話し掛けた。
「殿! 早いですな。小島殿と柿崎殿が探しておりましたぞ。お戻りなされい」
不貞腐れた影虎は吐き捨てるように言い放った。
「フンッ! 鬼小島と柿崎が? ワシの好きじゃ。あれしろこれしろと口うるそうてかなわぬわっ」
「まぁまぁそう言わず。お二人共に長尾の忠臣にござれば、殿を盛り立てようと必死なのですぞ」
「確かにあやつらは一騎当千の強者じゃ。そこはワシも認めておるし心強く思っておるつもりじゃ」
元服したとはいえまだまだ童の顔を見せる時もある影虎を山吉は好きであった。これから長尾を引っ張っていく影虎を小島・柿崎らと共に支えていこうと決めている。
「そうじゃ山吉、少し遠乗りでもせぬか!」
ニヤニヤしながら影虎が山吉を誘う。
「お供つかまつりましょう!」
山吉は小島・柿崎の両人の顔をうかべながらも快く応じた。
山吉にとってはお家の大事よりも今は影虎の自由闊達な振る舞いを黙認し気ままにさせたいと思っていた。
影虎は栗毛の愛馬に跨がり一鞭くれると栗毛は猛然と走り出す。山吉も自慢の愛馬でそれを追い掛ける。
なかなか追い付けない影虎の馬を見据えて感心した。
「殿はまた一段と速くなりおった……。」
小規模な城下町を一気に駆け抜け、なおも疾走していく。影虎は何かに取り憑かれたかのように走り続ける。刈谷田川の土手まで来て速度を緩め、川で愛馬に水を飲ませつつ自分も川に浸かって汗を流した。
一本立つ柳に栗毛をつなぎ、川原に無造作に座ると山吉を手招きした。
「山吉よ、戦はなくらならぬの」
影虎は濡れた顔を空に向けながら呟く。空には、はや獲物を探して鳶が弧を描きながら飛んでいる。
「殿はどうしたら戦がなくなるとお考えで?」
と、額に玉の汗をかいた山吉が逆に質問した。
「ワシの問いに答もせずに小賢しいヤツめ!」
ニタリと笑うと影虎は続ける。
「無くなりはせんよ。ただワシはこの越後の地だけは守り通そうと誓っておる。その為にも無益な造反は懲らしめ、手綱を締めねばならんて」
山吉はそれには強く、才気溢れる棟梁が必要だと言いたかったが口には出さなかった。
影虎がそれを一番知っているからだ。
病弱な守護代たる兄では、名ばかりの守護・上杉家に代わって越後を治めるにはあまりにも頼りなかった。だから一度は仏門に入った影虎が気弱な兄の補佐の為に三条さらには栃尾地区を治めていたからだ。
いつの間にか日は登り、水面には太陽の光がチカチカと反射して始めていた。影虎は視線を空からその川面へ移し、そしてゆっくりと下降へ向けていって何かを見つけた。
「ん? なんじゃあれは」
刈谷田川と同じように太陽光をその身に受け、影虎と山吉に自分の存在を示すかのように光を反射している。
2人はその方角へ小走りに向かってみる。 川原に突き刺さったそれは一振の刀剣のようだ。
「昨日の戦の落人の物でござろか??」
「いや、それにしては大した拵えだ。名のある名刀とみた!」
刀剣好きの影虎は目を輝かせ鞘から刀身を抜こうとした。
(ムムッ!?)
影虎は左手に鞘を持ち、右手で柄を握ったまま、奇妙な素振りで力んでみせた。
「殿? なにをされておるのじゃ?」
「抜けぬ。抜けぬゾッ!なんじゃこの刀は!」
何度も試みてみるが遂に刀身を眺め得ることは出来なかった。
どっかと川原に尻餅ついた影虎は呼吸が乱れていた。
「奇妙な物もあるもんじゃ…………。」
「使い物になりませんな、抜けぬ刀では敵を斬ることも、身を守ることは出来ませぬ」
しかし尚も地面に突き立てて、鐺、鞘、鍔、そして柄頭と下から上へ舐め回すように影虎は見た。
ふと何かが心の中に伝わってくる。暗闇のなか雫が滴り落ち、水面に止めどなく円を描き続ける。
「た・つ・く・ち…………。」
と、刀に囁くように言って、一人合点するように続けて言った。
「そうか! その方は竜口と申すか!」
一目瞭然に鞘も柄も特注に見えたが、鉄で出来た部分は特に細かな装飾が施されている。登り龍の鍔を見詰めた。
「気に入った!モノは考えようじゃ山吉! 要は刀を抜かなくともよい世の中を造ればよいのじゃ! その戒めとしてワシはこれからこの抜けない刀をいつも腰に挿しているとしよう!」
と宣言した。
影虎を黙って凝視していた山吉は困惑し、窘める。
「殿! それはあまりにも短慮にござるぞ!」
「フン! 誰も丸腰でいるなどとゆうてはおらぬわ!ワシには十文字の槍があるわ」
(やはりこの方の考えはワシら凡人には理解し難い!)
そう感心しきり、心で呟いた山吉である。
その一振を高々と天にかざした影虎が不敵に笑ったその時だ。
ゴゴゴゴォォォォっと突然大地が鳴動し激しい揺れが起こった。
異変を感じた2人は目線を合わせた。
「この揺れは尋常ではない。鬼小島、柿崎らがうるさい、急ぎ戻ろうぞ!」
と言うと、再び栗毛に跨がり、今度は上流に向けて疾走していくのであった。
その日以来、幾度となく地震が三条周辺を襲うこととなる。
現世と浮世が交わり出す兆候であり、この日より妖怪やら魑魅魍魎が出現する奇妙な世界へと変貌を遂げてゆくのだった。
次回 3、到着、天文十七年!