Act 3~ミッション・インポッシブル~
基本プロットを学ぶ。その四。
前回までの内容。
Act 1人生を変える大事件が発生。続くAct 2であくせくした主人公。山を越えたと思ったが、しかしその先にはもう一つ高い山が……
今回は基本の三段プロットの最後のパート、Act 3を見ていきます。
『まやかしの成功、そして陥った絶望から立ち直った主人公は、仲間や道具を集め、知恵を駆使して事件の元凶を解決する。』
これが最後のAct 3みたいです。最後の一山を越えて、ようやく物語はフィナーレを迎えるのですね。
この部分、小説全体の20%の文量だそうです。
Act 1は20%、続くAct 2は60%、最後のAct 3が20%の文量。
タネ本によればそれが理想なのだそうですが、実際にはこんなにきれいには分けられないですね。
グレンラガンだと、第二十話から最終話の二十七話まで。アニメシリーズ全体の三割くらいの量。
Act 1が短かったので、終盤がその分長くなっているんですね。そしてグレンラガンが一番盛り上がるのもこの部分です。
今回のエッセイでは『十五のプロット・ポイント』のうちの最後の三つに触れて、またグレンラガンを見ていきます。
そして次回のエッセイでこれまでの内容をまとめて、章の終わりにしたいと思っています。
ではまいります。
◇◇◇◇
⑬Act 3への導入(Break into 3)
Act 2の最後で、主人公を取り巻く状況は最悪になったのでした。
バトルモノなら主人公の頑張りのせいで最強の敵が目覚めたり。
ラブコメなら主人公の我儘や勘違いのせいで意中のあの人との距離が広がってしまったり。
Act 2の最後は『主人公のせい』で状況は悪くなる。これが大事みたいです。
でも、物語はまだ終わっちゃいない。まだ、まだAct 3が……!
状況は悪くなりましたが、主人公の内面や外界では何かが進行します。
『何がいけなかったか?チャンスはないのか?』と自問自答したり、
お世話になった友人や師匠が会いに来たり、
家族に会うために故郷へ一度戻ったり。
そうすることで、主人公は一度、目の前の絶望から離れるんですね。
なぜそんなシーンが必要なのか。『細かけぇことはいいんだよっ』って言って真っすぐ進んじゃダメなのか。
タネ本には書いていないので自分の想像なのですが、そうすることで、主人公は目の前の状況から心理的に一度抜け出して、物事を相対化して見ることができるようになるんだと思います。
『Act 1のこれまでの自分、Act 2で頑張った自分。そしてこれから自分はどうなりたいか。自分にほんとうに必要なものはなにか。どう変わらなければいけないか。目の前の状況はどうか』
そんなことを考えて、主人公は決心します。
『よし、もう一度頑張ろう!』
物語はフィナーレへと動き出します。
⑭フィナーレ(Finale)
主人公は決断しました。『よし、やるぞ。自分に必要なものを勝ち取るぞ』と。今や行動の時。Act 3のメインパートがここです。
でも、ここでもまっすぐ成功までたどり着くってわけじゃあないんですね。
Act 2のBouncing Ball Narrative、覚えてますでしょうか。ボールがバウンドするように、主人公が失敗したり成功したりするのです。それがこのパートでも再び行われます。
またかよ!
って、言いたくなります。手間がかかって面倒ですが、いい物語はこういったところもしっかり丁寧に描いていますからね。見習いたいところです(遠い目)。
成功したり、失敗したりのその過程。大雑把にいうとこんな感じみたいです。
・作戦準備。
目的を達成するため、仲間の助けを得たり、道具を集めてパワーアップを計る。
↓
・作戦実行。
いざ行動の時。その過程で仲間が見せ場を作ったり、犠牲になったり、準備した道具が壊れたりしながらも前に進む。
↓
・予期せぬ事態発生。
敵の策略や自分の失敗で作戦は一度失敗する。
↓
・フィナーレ。
しかし諦めない主人公。執念でまた挑戦して願いを遂げる(バッドエンドなら遂げない)。
と、最後になっても失敗や犠牲を乗り越えるんですね。そうすることで、たどり着いたエンディングがより価値あるものになるのでしょう。
こうして主人公の冒険は終わります。ハッピーでもバッドでも、物語はここでエンドです。
⑮エピローグ(Final Image)
『⑭フィナーレ』で物語はほぼ終わりました。もう新たな敵も恋のライバルも登場しません。
最後に描かれるのは、主人公のその後の姿。物語を通じて主人公は何を学んだのか。世界がどう変わったか。そんなことが短く描写されます。
大事なのは、Act 1の世界とこのエピローグの世界は異なっていなければならないということ。
たとえバッドエンドだとしても、主人公が何かを学んで、世界を見る目が変わっていなければならんのです。
そうして迎えたエピローグを読んだ読者さんが『あー、おもしろかった』って思ってくれれば最高ですね(願望)。
◇◇◇◇
と、いうわけで。
グレンラガンです。
Act 2の最後。アニメ第十九話で主人公シモンは『超弩級戦犯により死刑』になりました。監獄へと送られます。
その後はシモンの後任ロシウが人類を主導します。ここからがAct 3。
シモンは死刑になりましたが、ここで黙っている大グレン団のメンバーじゃあありません。昔からの仲間の活躍でシモンは監獄を脱出。ドリルも取り戻して、物語はフィナーレへと動き出します。
ここが『⑬Act 3への導入(Break into 3)』です。
ここからが『⑭フィナーレ(Finale)』。
成功と失敗を繰り返すBouncing Ball Narrativeです。
基本プロットの『準備期間、作戦実行、予期せぬ事態、そしてフィナーレ』の流れを、グレンラガンもほぼ踏襲しています。
・準備期間
かつての宿敵ヴィラルも仲間に加えて、敵の先遣隊を排除。アニメ前半のボスだったロージェノムも生体コンピュータとして協力。グレンラガンをはじめ味方ガンメンも強化され、ロシウとも和解。シモン達は敵の本拠地を目指して出発します。
・計画実行と予期せぬ事態(味方の見せ場と犠牲)
順調に進むシモン達ですが、敵アンチスパイラルも反撃に転じます。ここから味方が見せ場を作りながら、そして削られていくのです……
『予期せぬ事態』というものがプロット上必要なようです。グレンラガンだとそれが二回発生します(ニアがいる敵本拠地に直接ワープできないのも入れると三回ですが)。
一回目は敵のデススパイラルマシン。宇宙に海がある場面ですね。超高密度のうんたらかんたら。ここで味方最大の見せ場&犠牲が……くすん。
二回目は多元宇宙の夢の世界。アニメ観た方にしかわかないのですが、ここから抜け出す過程がかっちょいいです。ヴィラルの夢がかわいい。
・フィナーレ
なんとか敵本拠地にたどり着き、ニアを救出。そして最終決戦へ……
この辺の作りこみ具合がグレンラガン一番の魅力だと思うのですが、そこはアニメを観るしかないので割愛します。このエッセイのテーマはプロットです。物語の筋。描写とか設定じゃない。
大事なのはですね、最後の最後で『②作品テーマ』がようやく回収されるということです。グレンラガンの作品テーマ。それは第一話からアニキが言っていたセリフでした。
「お前のドリルは天を突くドリルだ」
これです。螺旋の力に覚醒したシモン(達)は、最終話でようやく天元突破。
「俺のドリルは天を創るドリルだ」
って言って、ラスボス・アンチスパイラルを撃破します。
タイトルにもなっている作品テーマを回収したので、これでシモンの冒険は終わり。ニアとのロミジュリ展開もあって、『⑮エピローグ』にたどり着きました。
天井のない世界で、大人シモンは言います。これがアニメ・グレンラガンの最後のセリフ。
「天の光は、全て星だ……ああ、そうだ。螺旋の友が待つ、星々だ……」
『天の光はすべて星』っていえば、名作SF小説です。最終話にSFタイトルってアニメ会社ガイナックスによくあることなのですが、それもここではどうでもいいです。
大事なのは、このセリフがグレンラガン第一話冒頭とリンクしているということです。
覚えてらっしゃるでしょうか。プロローグの宇宙大戦争シーン。
「敵艦隊!無量大数!」「天の光はすべて敵、ですか……」
これがグレンラガン第一話『①冒頭』シーンのセリフでした。
そしてグレンラガンの最終話の最後のセリフは、
「天の光は、全て星だ。螺旋の友が待つ、星々だ」
です。
『すべて敵』だった天の光が『友の星の輝き』になったんですね。
こうして『①冒頭』と『⑮エピローグ』が綺麗に対比されているのです。こういうのですね、
かっちょいいいいいいいいよおおおおおしゅきだああああああいつかやってみたいいいいいいい!!!!っじゃふぉいぇdsjflkg;じょあflほごいうhjlk;
って、思います。
ちゃんちゃん。
◇◇◇◇
……長々と天元突破グレンラガンについて書いてしまいました。アニメ観た人にしかわからないのに。
要はこのアニメ、激熱で面白いその裏で、プロットは基本に忠実。シモンのコアドリルのエメラルドの輝きのように透き通っているということを書きたかったのでした。
これまで基本の三段構成プロットについて触れてきました。次回でまとめて、そしてグレンラガンのエンディングについてもあと一言だけ書いてこの章を終わりたいと思います。




