技術と愛の両立
『3.キャラクターを学ぶ。』その三。
章を設定して、各話タイトルもちょっといじりました。
前回も長々と書いてしまいました。オタク系文化がどーとか、萌え要素データベースがどーのとか。
でも、書きたかったことは簡単なのです。感想欄で間咲正樹さまが華麗に要約してくださったのでここに引用します。
『私は単純な手ですけど、キャラクターを作る時は、とにかく自分の好きなものをひたすらぶち込む手法をとっていますw(当エッセイ第9部分の感想より)』
それです!それですよ!言いたかったの!つまりはそういうことです!
これまで読んだり観たり経験したことの中で(もちろんそれはラノベや漫画からだけではなくて、現実の経験だったりもします)『この属性はよい。この属性は使える』と思ったことを自キャラにぶち込むのです。そうして多くの作家さまは小説のキャラクターを作っているのでは、と思います。
それでですね、前回の最後で少し問題提起のようなものをしました。
『そうして作られたキャラは、二番煎じになってしまうかもしれない』
ということです。
なぜかっていうと、『萌え要素データベース』、皆さんそれぞれ頭の中にあるはずだけど、実は結構かぶってるんですね。
オタク系文化に焦点を当てましょう。名作と呼ばれる作品群がありますね。それら名作たちが『オタク系文化の文脈』を形作って、『認知度の高い萌え要素』を提供している。
なろうで小説書いてる人で、この『オタク系文化の文脈』から自由である人は少ないでしょう。なんだかんだ言って、そこから影響を受けている。
小説書くからには読者の目にとまりたいという欲も少しはあったりして。たとえ『作家さま独自の萌え要素』と言うものがあったとしても、キャラクターを構想する際はそれを修正して、それなりに認知されている属性を選び取りがちになります。
こうして『分かりやすいけど他キャラを連想させるキャラ』が作られます。
拙作にもそういった感想が書かれたことがあります。自分はそれはそれで悪くはないと思いますが、でも『有名キャラに似てる』と言われれば、確かにその通りです。
できることなら、自キャラは自キャラであってほしい。他作品ではなくて、自作品のオーラを纏っていて欲しい。
では、どうすればいいか。自作品オーラを纏ったキャラクターとは、オンリーワンなキャラクターとは何なのか。どうすれば作れるのか?!
それが今回のテーマです。
予告した通り、自分は『技術』と『愛』だと思っています。自論&自論&自論を書いていきます。技術について語りますが、そもそも自分にそんな技術ないですからね。愛も欠けてるし。読んでも時間の無駄です!すいません!
◇◇◇◇
まずは技術です。
キャラクターを自作品のモノにする技術。自分は三種類あると思っています。三種類というか、三層に分かれている。一つずつ書いていきます。
1.萌え要素を呼び出し、組み合わせる技術
キャラクターを作るための第一段階です。
要はこれまでの内容の繰り返し。これまでの人生で経験して、頭の中に保存されている『萌え要素』を総動員して、一人のキャラクターにぶち込む!
これ、まったく簡単ではないですね。難しーです。自分が初心者だから、ではないと思います。たとえ今後三年、五年、十年小説を書き続けたとして、自分はやっぱりこの作業を難しいと思うでしょう。そうに違いない。
キャラクターを構想する際は、頭の中に保存されている色んな『萌え要素』を組み合わせて、一つにまとめなければならない。パッチワークで人形を作るように。
キャラクターが薄っぺらにならないように、厚みを持たせて。でも設定過剰にならないように。適度に綿を入れなければならない。
その過程で、『自分の好み』、『少しは読まれたいという欲求』、『現在の流行』、『他の作品との差別化』、そういった事柄の間で揺れたりもするかもしれません。
この作業をいかに『違和感なく』行えるか。様々な要素の間でバランスを取って、滑らかに行えるかどうか。それがキャラクターを作るための技術の第一歩だと思います。
これを技術と呼ぶかは人それぞれだと思います。それはセンスでずばばばぁぁっとするものだと、そう思われるかもしれない。
でも、自分はそうはできないんですね。天才じゃないから。遊び心ってやつにも欠けてる。
そんなわけで、自分にとっては、この過程は技術です。そして繰り返し繰り返しキャラクターを作ることで、少しずつ上達していくもの。そう信じています。
2.作中での描写技術
そうして出来上がったキャラクターの草案ですが、出来上がった『モノ』を小説の中で活かさなければなりません。ここで必要になるのが文章力、描写力というやつです。
キャラクターを作るための第二の技術がこれだと思っています。
作中の描写、物語の中の動きによってキャラクターは作られます。それがないと、キャラクターとしては不完全だと思います。
一人の人が人格を形成していく過程とおんなじ。物語の中での出来事、他の登場人物と関わりを通じて、はじめてキャラクターはキャラクターになると、そんなことを思っています。
文章力、描写力も技術だと思います。上達もできると思う。
『かっちょいいバトルの描き方』や『かわいいヒロインの描き方』みたいな書き物を参考にしたり。
好きな小説、映画、漫画にアニメから学んだり。
よい表現を探すために普段から『言葉アンテナ』を張ったり。
人生経験とかいうやつを集めたり。
読んでくださった方からのフィードバックに耳を傾けたり。
そうして得たものを作中の描写に使って、試行錯誤するしかないでしょう。
これが自分の思う二つ目の技術でした。
一つ目の『萌え要素を組み合わせる技術』と二つ目の『作中での描写力』。短編中編ならこれだけでいけます(なんだか偉そうに語ってる気がしますが、言うまでもなく自分にそんな技術はないです)。
魅力的な短編・中編を見ると、どれもこの二つの技術の両方がとても優れていると、そう思います。
でも、もっと長い物語を書く場合、さらにもう一つの技術が必要になるのではないか。それは、
3.作品の全体と部分を同時に意識する技術
上で述べた作中描写というのは、一回一回の技術です。キャラの魅力を引き出すためにどのような場面を作中で描くか。人物描写、心理描写はどうするか。そんな技術です。
例えばヒロインの可愛さを引き出すために、第三者のモブに『おっふ……おれ、照橋さんと目が合っちゃったよ……今日一日、ていうか人生そのものがラッキーだわ……俺もう一生目を洗わないわ……そう決めた……』とか言わせるやつです。
これがうまけりゃ短編中編で良作を書けるでしょう(なんだか偉そうに語ってますが以下略)。
でもですね、長編の場合、事情は少し異なってくるのではないか。キャラの魅力を引き出す描写をただ繰り返せばいいかというと、そうじゃないんじゃないか。そう思います。
一つ一つの描写の積み重ねの先に何があるか。長編小説では『長い目』の技術も必要になるんじゃないか。……これをどう書けば伝わりやすいか、自分もあれこれ考えました。
で、思いついたのが。
ゴッホの絵画!
ゴッホです。
『いやそれ絵じゃん!小説じゃないじゃん!』
と思われるでしょう。わかります(わかる)。でもまあいいじゃないですか。自分のエッセイですので、自分が考えた道筋で行くのです。
印象派とそれに強く影響を受けた画家さんたち、好きなんです。特にモネ、フリッツ・フォン・ウーデ、ポール・シニャックなんか。ジャポニズム自体はあんまり好きじゃないですけど。
で、一番すきなのはゴッホです。それも星月夜とか糸杉。ベタですねえ。ミーハーなんです。自分が見た『星月夜』はパリのオルセーの方でして。いつかニューヨーク行って有名な方も見たいです。
それでなんでゴッホが好きかと言うと、『一筆と全体像の印象がまるで異なっている』のがすげえと思うんです。
ゴッホの星月夜に糸杉、近くで見ると『うねうね』してます。筆のタッチの『うねうね』が見える。荒ぶってます。まさに津波のよう。『うねっ』ってしてる(うねりすぎてそれしか言えない)。
ここで一度、絵から距離を取って遠くから見るじゃないですか。五メートルくらい。そうすると、絵の全体像はとっても静か。一筆一筆は荒ぶってるのに、全体の印象は静謐そのもの。
一筆と全体の印象がここまで異なっている画家を自分は他に知りません(もちろんいるんでしょうけど)。
どうしてこういったことが起こるかというと、ゴッホは絵画を描く際、一筆に集中しつつも全体像を常に意識していたに『違いない』のです。
自分は絵を描く勉強なんてしたことないので、自分が言っていることがどれほどの正当性を持っているのかは分かりません。
ゴッホの伝記なんかはいろいろ読みましたが、ゴッホが、画家一般が、絵を描く際に何を意識しているか、専門家がゴッホの絵をどう評価するか、そんなことは知りません。ただの一鑑賞者としての印象です。まじすいません。
でも、きっとそうなんじゃないか。単にスケッチで下書きをするのとは違う、もっと高度なレベルで、全体の印象を常に意識しながら、一筆一筆に魂込めてたんじゃないか。だからゴッホのあの魅力的な絵は、荒々しいのに静かなんじゃないか。そう思います。
……小説のキャラクターにも似たようなことが言えるんじゃないか?
そう思うのです(自論)。
キャラを作るために萌え要素を選んでる時。作中の一場面一場面を描写している時。そんな時も、物語全体の中でそれがどういった意味を持つのか。キャラクターの『今』と物語の『全体像』のかかわりを、ぎゅっと纏めて頭の中で意識する。
そうすることによって、キャラクターは必然的に物語とかみ合って、『オーラ』のようなものを纏うのではないか。そう思います。
……初心者作家がなんだか偉そうにしてしまいました。読んでくださっている方からすれば『なにいってんだこいつ』状態かもしれません。
ゴッホの例で合っていたかどうか、それは分かりません。哲学書とか引用して違う方向から攻めるべきだったかもしれません。Christine Korsgaardなんかを。まあいいです。
お分かりの通り、これは論理を越えたただの意見です。自分の理想?と言えるかもしれません。ゴッホの絵を見た印象を、無理やり小説に適用してみました。そんな理想がユニバーサルに通用するかと聞かれると、『そんなわけないじゃろ』と答えるしかないです。個人的な信念?のようなもの?ですしね。
でも自分は一人、似たようなことを思ってらっしゃる方を知っています。その方は、このようにおっしゃっている。
『まったく遺伝子が同じ双子の兄弟でも、大人になる頃には人間性に明確な差異が出るのと同じで、そのキャラクターの歩む人生を、ひたすら書いて書いて書きまくれば、必然的にオリジナルなキャラクターになるのではと思いました。(間咲正樹さん、当エッセイ第8部分の感想)』
そういうことです!言いたかったの(天丼)!!
『目の前の描写』だけじゃなく、その積み重ね、『人生』や『物語全体』というスパンで考える。
そのキャラクターの歩む人生を、ひたすら書いて書いて書きまくれば、必然的にオリジナルなキャラクターになるのではと思いました(復唱)。
◇◇◇◇
長々と書いてしまいました……
よいキャラクターを作るための技術、自分は三段階あると思うのでした。
①キャラ構想の際に萌え要素を組み合わせる技術。
②作中の個々の場面での描写力。
③作品全体の印象、キャラクターの人生を頭に思い描く技術。
そんなことが大事だなあ、なんて思うのです。
そしてもう一つ、忘れてはならないことがあります。根本的なことです。
なんのために技術がどーのとか長々と考えるのか?その目的はなんだったか?
萌え要素をあれこれ組み合わせるのも、作中の個々の描写に真剣になるのも、キャラの人生を頭に入れるのも、全部楽しいし大事なのですが、それらは手段であって目的じゃない。
目的はなんだったか。
それは、『生き生きとしたキャラクターでいて欲しい』という願望です。
つまりはキャラクターへの愛です。
キャラクターへの興味を失わず、自分が作り出したキャラクターをひとつの人格と認めて、その人生を見守る視点。愛がなけりゃあやってられないです。その視点は、つまるところ……
『子育てに近いかもしれませんw(間咲正樹さん、当エッセイ第8部分の感想)』
それです!言いたかったの!つまりはそういうことです(天丼)!!あれこれ考えるのも、すこやかに育ってほしいから!!!
……自分が頑張って一万字五千字くらいかけて述べたことを、間咲正樹さんはあっさりと三行で書いてくださいました。しかも前回、前々回のエッセイの感想欄で。完全に先回りされてる。
Gyo¥0-さんもですが、自分がここで書くことはことごとく先回りされています。しかもわかりやすく。いや、いいんですけどね……もうポジティブにとらえましょう。自分が考えているのと似たようなことは先輩作家さま?も考えているんじゃないかと!
◇◇◇◇
……いやあ、読んでくださった方を置いてきぼりにした自覚はあります。すいません。
この章はこれでほぼ終わりです。
次回は『まとめとおまけ』をちょっと書きたいと思います。
【追記】
間咲正樹さんが今回の内容を素敵に纏めてくださったので、ここに引用します。
『いつか私も、星月夜のような物語を書いてみたいものです。(当エッセイ第10部分感想より)』
しゅごいきれい……きゅんてしました。
そうです、それを自分も言いたかったのです。
暮伊豆さまが活動報告で自キャラへの愛を語っておられました。こういうのいいですね。読むだけでも楽しい。
『異世界金融に関しての気付き。』
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/405654/blogkey/2495149/




