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幽霊恋慕

作者: 佐倉

 夏の日差しがまだ強く残っている。


 直射日光を遮るものも何もなく、日が傾いてきたとはいえ、何もしていないのにじんわりと汗をかいてくる。

 汗を我慢しながら、せっせと汲んできた水をかけて、花にも水をやる。


「もう、一年も経つんだな。どうだ、向こうにはもう慣れたか?」


 水をやりながら声をかけてみるが、当然返ってくる声はない。


「もう、たっくんたら。まだここにいるよーだ」


 さて、水も線香もあげたところで、手を合わせて目をつむる。


 君がいなくなってから、世界が少し淀んで見えるよ。っていうのは、ポエマーが過ぎるかな。でも、本当に君の存在が大きかったんだって実感させられる一年だったよ。


「だーかーらー。まだここにいるってばーーー!」








 彼女がいなくなったのはちょうど一年前だった。


 一緒に暮らしていた彼女は買い物に出かけると言ったきり、そのまま帰らぬ人となってしまった。


 夕飯に使う牛乳が切れたから買いに行くだけだと言われるがまま、僕は家で待っていた。


 だけど、僕はあの時付いて行かなかったことを、今でも後悔している。


「行ってきます」


 笑顔で言われたそれが、僕の聞いた、彼女の最後の声になった。







 ……はずだった。


 でも、現在彼女のお墓詣りに来ている僕だが、なぜか僕には彼女の姿が見えているし、なんなら声も聞こえている。


 四十九日で墓に来たとき、彼女の声がふと聞こえた気がして、周りを見渡した。そしたらいるはずのない彼女がそこにいて、僕は心底驚き、自分の頭を疑った。


「やあ、久しぶりだね。元気にしてた?」


 そう言って、少し照れ臭そうにこっちを見ながら彼女は手を振っていた。


「えっ……? 久しぶり……」


 その時は、僕も気が動転して彼女に言葉を返してしまった。



 彼女は気が付いたらお墓にいたらしい。自分のものと思われるこの墓石の周りから離れられないみたいで、きっと死んだんだろうと彼女は思っていたみたいだった。


 そして、僕はそんな彼女に、死んだことを突きつけてしまった。


「そっかぁ。やっぱりわたしは死んじゃったんだね」


 そんな風に、微笑みながら落ち着いているようにも見えた彼女だけど、僕の目には一瞬悲しそうに映った気がした。



 彼女は話し相手を見つけたからなのか、それ以来僕がお墓参りに来るといっぱい話しかけてきた。


 でも、僕にはそれがひどく彼女を悲しませているのではないかと思ってしまった。


 僕が彼女と話してしまうことで、彼女は未練が残り続けて成仏できないのではないか。その時の僕にはどうしてもそういう風に思ってしまったんだ。


 だから、数ヶ月前くらいからだろうか。彼女のことが見えないふりをして、成仏してもらおうと決めた。




 急に無視するようになった僕に対して、彼女はどうにかして話そうと話しかけてきた。


 今日あったこと。雨が振っても隠れられないからずぶ濡れになっちゃったこと。お墓参りに来てくれた家族たちに話しかけても返事をもらえないこと。

 僕しか彼女の存在を認知してくれないこと……。


 そうして今日まで来てしまい、ついに一回忌になってしまった。


 彼女は心残りがあって成仏できないのだろうと思い、僕も彼女のことが見えなくなればきっと、諦めてくれるのではないか。


 そんな縋るような気持ちと、成仏して楽になってほしい一心で、僕は彼女を突き放した。


 きっと、彼女も心残りをなくして成仏した方が幸せだろう。そんな、僕の勝手な気持ちだった。






「君も強情だよねー。君が見えてることなんてわかってるし、そっちもわたしが負けず嫌いなの知ってるくせにねー」


 彼女はそう言ってくるくると自分の墓の上を飛び回っている。


 そんなふうに飛び回ってると、スカートなんだからパンツ見えちゃうぞ。……なんて言えるはずもないような邪念が出てきてしまった。


 楽しそうなのか寂しそうなのかよくわからない彼女を見ないように、必死で目をつむって祈るふりをする。


「わたしさー。幽霊になっちゃったからか、こんなことも出来るようになっちゃったんだよね」


 突然、そんな声が前から聞こえてきた。気になってしまい薄目を開けてみると、そこには彼女ではありえないほど大きな胸の谷間があった。


 たしか、彼女の生前の胸はあってもBカップだったはず(本人は"Cカップ"と強調していた)だけど、目の前にあるものはEとかGとかすごい巨乳としか言えないようなものだった。


「ぶはっ!!」


 思わず吹いてしまった。


「あははははっ」


 からかった本人は腹を抱えて笑っている。


「このっ」


 反応してしまったことで今までの苦労も水泡に帰し、しょうもないことをされてさすがに少しイラっときたため、叩こうと腕を振り上げた。


 でも、彼女はもうこの世には存在しない。どんなに叩きたくても、触りたくても、彼女に触れることは出来ないのだ。


 振り上げた拳が行き場を失い変な格好をしてしまった。


 そっと腕を下ろしてから、しばし沈黙が流れた。


「……あはは。やっぱり触れないと不便だね」


 彼女は笑いをしながらそう言ってくれるが、悲しいものは悲しい。


 でも、どんなに悲しんだところで彼女が生き返るわけでもないし、成仏できるわけでもない。


 僕にできることは、未練をなくして成仏してもらうことしかないんだ。


「……僕はさ、あの日のことをまだ後悔しているんだ。なんで君について買い物に行かなかったのだろうって」


 俯いているとふいに、そんな懺悔が口をついて出てきた。別に彼女に許してもらいたいとかは思っていないけれど、彼女が成仏してもらうには、説得するのがいいんじゃないかって思ってきた。


「でも、そんなことを言っても君が生き返るわけでもないし、こっちに残った僕は、頑張って生きていくしかないと思うんだ」


 顔を上げて彼女を見ると、僕のかなりクサイ言葉を聞きながら、優しく微笑んでいた。


「僕のエゴかもしれないし、僕が楽になりたいだけなのかもしれない。でも、やっぱり君のことを想うと、きれいに成仏するのがいいと思う」


「……わたしはね。あなたが心配なのかもしれない。だから、こうやってあなたとお話をしてきた。でも、今あなたの元気な姿を見て、聞いて、感じて、すごい安心している」


「でも、それならっ……!」


「ただね、それはあくまでもここでのあなたの姿だけ。ここ以外の場所でのあなたはわからない。……だって、わたしはここから動けないのだから」


「……」


 僕は、何も言い返せなかった。彼女と一緒に暮らしているときも彼女に頼ってばかりの僕が何を言っても説得力はないだろう。


 でも、だからといって彼女をここに縛り付けておくのは……。

 僕は彼女になんて言えばいいのか、言葉を探したけれど、そんな都合のいい言葉は僕には見つからなかった。



「……でも、あなたが言うように、そろそろ潮時なのかもね」


「えっ……?」


 長い沈黙を破るように、彼女は言った。


 僕は一瞬何を言ったのか理解できず、呆気にとられた。そして、彼女の言葉が胸に落ちると、なぜ急に心変わりしたのか、という疑問が残った。


「なんで急にって言う顔をしているね」


 そんな僕の心を見透かすように、クスクス笑いながら優しく教えてくれた。


「わたしがここでのあなたしか見ていないと言っても、あなたはしっかりとこの一年間やってきてる。それに、あなたの顔つきも大分良くなってきている。気づいてた? 一年前のあなたの顔、本当にひどかったんだよ? それこそ、明日にでもわたしのところに来てしまうじゃないか、って心配したくらい」


 僕の顔を心配するように、彼女は手で優しく包み込んでくれる。


 だけど、なんとなくだけど。

 そんなわけもないから錯覚なのだろうけれども。

 僕の頬に彼女の手があるかのように暖かく感じ、同時に胸も熱くなった。


 暖かく感じたのもつかの間、ふと頬が濡れているのに気がついた。


「もう。そんなんじゃ心配になっちゃうじゃない。しっかりしないと」


 少し呆れるような彼女の声を聞いて、僕は急いで袖でゴシゴシと拭いて、彼女の目をしっかりと見つめた。


 もう大丈夫。心配しなくても僕はやっていけるよ。と。


 もう僕らには言葉は要らなかった。


 彼女は満足そうに微笑みながらうなずくと、僕を抱きしめようと手を広げて近づいてきた。


 僕も彼女を抱きしめようと一歩前に歩み寄ったが、互いの腕が空を舞っただけで、僕らはすれ違うようにして体がすり抜けた。


 僕は心の底ではもう抱きしめられないことがわかっていたのだろう。


 

 ゆっくりと振り返ると、もうそこに彼女の姿は見えなかった。






 もしかしたら、彼女が見えていたのは僕の妄想でしかなかったのかもしれない。


 けれど、彼女は僕の胸にとても温かいものを確かに残してくれた。


 ただ、残されたものに形はなく、やはり寂しさも一緒に残った。


「いつか僕が死んだ時は、向こうで待っててくれるかな……」


 そんな弱音が出てきてしまったけど、こんなんじゃ彼女に顔向けができない。


 僕は前を向いて頑張っていかないと。


 頬を両手で叩いきながらそんな決意を胸にして、もう一度彼女のお墓に手を合わせた。


「また、来年に顔見せに来るよ」


 そう言って僕は手を振った。


 去り際、来たときにはなかった風が、少しだけそよいでいた。


 そよぐ風にはまだまだ暑い香りが残っていたけど、僕にはとても暖かいように感じられた

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