003 猫の迷子とお姉様
「子猫ちゃん、どうしたの?」
「リーネいなくなったー!」
ペタリと耳を倒し不安そうにしたラウリーに声を掛けたのは、すらりとした長身で金の髪を高い位置で一纏めにした黒縁眼鏡の向こうには翠の瞳が確認できる、白の外套を羽織った森人の女性だった。
休日のことであり、工房へ行く前に待ち合わせるんだと出かけたはいいものの、途中で双子は離れ離れになってしまっていた。
「リーネちゃん? どんな子かな?」
「んっと、ラーリとリーネは双子ー。私が白でリーネが黒!」
「そっか。どこか行く予定だったの?」
膝を折り目線を合わせて話をする女性は、子供との会話に慣れているのだろうと思わせる。
今日は学院でできたお友達と待ち合わせをしていること、この街に来てまだ数日しか経っておらず、場所の把握ができていないことなど根気よく聞きだしていく女性。
「そっかそっか。じゃあ、早く見つけてあげないとね。まずは待ち合わせ場所に行ってみましょうか」
「うん!」
自分がリアーネを見つけてあげなければと、不安は使命感に代わりピンと耳を立て足を踏み出した。
◇
少し前のこと。
「リーネ、あの屋台いいにおい!」
「ん。行ってみる」
昼にはまだまだ早い時間帯であったが露店街では手を繋いでいられない程に込み合っていた。そのせいで、ラウリーが屋台にたどり着いた時にはリアーネの姿が見えなくなっていた。それに気付かずラウリーが別の屋台にも突撃したために、二人ははぐれてしまったのだった。
「リーネちゃん、ラーリちゃんはどうしたの?」
ここはマリーレイン錬金術工房の前で、狐人族のロレットと森人のルシアナの住む家でもある。既に髭小人のレアーナも一緒にいてラウリーさえはぐれていなければディカリウス工房へ出発できたはずであった。
「ん、置いて行かれた。屋台の辺りはお腹が空く」
「置いて来たのリーネだよね。でも、あの辺かー。じゃあ仕方ないかー」
「ど、どうしよ。えっと………姉さま!」
と、のんきそうな感想のリアーネに同意するレアーナと、慌てて工房に駆け込むロレットだった。
「私が探してくるから、あなた達は中で待ってなさい。そんなに心配しなくても大丈夫よ」
しばらくして現れた森人の女性がリアーネの頭をぽんぽんと撫で、小さな声で「お願いね」と何かに頼みごとをしてから歩き出す。
「じゃあ、どうしよっか?」
「姉さまに任せておけば大丈夫なの!」
「ん。中、見てていい? 錬金術工房……興味深い」
獲物を狙う猫のごとくキラリとリアーネの目が光り、そわそわとした様子が尻尾の動きから伝わってくる。
「ラーリのこと心配じゃないの?」
「ん? 大丈夫。迷子は私の方だと思ってるはず」
「「なにそれ?」」
この後ラウリーが来るまで、リアーネの錬金術に関する質問攻撃にロレットは目を回す思いになるのだった。
◇
「この後、家にお客様が来るのよ。お昼も近いし買っていこうと思うのだけど、あなたはどれが食べてみたい?」
「えっと?」
森人の女性ことマリーレインは風の精霊の助力により早々にラウリーを探し当て、露店街でお腹を鳴らしている幼女を見かねて、買い物をして行くことにしたようだ。
藍鎧兎の天ぷら、金華猪の串焼き、湖緑鮭のパイ包み焼き。ラウリーの反応を見ながら買って行く。ラウリー自身は自分が食べられる訳ではないと思ってますますお腹を鳴らし、それに従い耳も垂れていく。
「ぅうう……」
露店では他にも、木皿、フォーク、コップを三つずつ購入。お客様用の食器かなと荷物持ちを申し出るも、大丈夫だと肩から下げた鞄にどんどんと入っていく。
「え? なんで?」
見た目以上にいくら入れても形が変わらない鞄に対して、不思議に思ったラウリーの視線が注がれる。
「ああ、魔法鞄は始めて見る?」
「うん! どれくらい入るの、おねーさん」
「これは大したことは無いわよ。せいぜい……これくらいかな?」
と、ラウリーの脇に手を差し込み持ち上げる。
「じゃ、リーネちゃんの所に行きましょうか」
おろされたラウリーは元気に返事をして尻尾を立てて歩き出すが、向かおうとした方向が違ったのか引き留められて、「向こうよ」と向きを変えられる。
露店街を抜け職人街に移っていくのか平屋や二階建ての建物が多くなり、遠くで木を削る音や金属を打ち合わせる音などが混じり始め、露店街とは違った喧騒がラウリーを迎える。
「ここが待ち合わせの場所ね」
「おー! 魔女の家!」
小ぢんまりした二階建ての三角屋根が沢山集まったような家を前にして、絵本に出て来る魔女の家を連想したラウリーの楽しそうな声が響く。
ええそうねと笑いをこらえて玄関を開け、「え!」と驚くラウリーをそのままにして中に声をかける。
「ただいまー、連れてきたわよ」
「ラーリ! よかった、見つかって!」
「さすが姉さまなの!」
マリーレインの声にレアーナとロレットの安堵の声が返ってくる。
「え? ええ!?」
「さ、入って入って」
「まだリーネ見つけて……ない……ううう」
手招きするマリーレインにしぶしぶ従い足を踏み入れると、奥の部屋から現れる二人。
「ん。迷ってここに着いたから大丈夫」
「リーネ!」
よかったよかったとリアーネに抱き着くラウリーの尻尾は嬉しそうに振られている。
その後、少し早めの昼食にと先程買ってきた食事が並べられ、ラウリーは満面の笑顔になったのだった。
「お腹いっぱい。おやすみなさい」
「ん。午睡は正義」
「ちょっ! 寝たらダメなのっ! 鞄作ってもらいに行くのー!」
昼食後の午睡をロレットに邪魔されて、双子は寝ぼけ眼のままに皮革工房へと出発する。
そこは錬金術工房から五分とかからない場所にあり、マリーレインもよくお世話になっている、髭の生えた鞄が看板に描かれた工房である。
「おっちゃーん! この間話した子、連れて来たよ!」
レアーナの大きな声での呼びかけに、しばらくしてから返事が届き、現れたのは成人としては小柄でも顔中髭だらけの、見るからに髭小人といったがっしりとした体形の男性だ。髪色は黒に近い赤毛で、髭は緩く三つ編みにして小さなリボンで結ぶのは彼なりのお洒落だろうか。厚手の生地の作業着には多数のポケットがあり、多くの工具が顔をのぞかせている。
「おう、見せてみな」
双子を前にやり後ろを向かせ背負った熊と兎の鞄を見えるようにする。
じっくりと眺めまわした後、手に取って見てみたいという要望に快く鞄を差し出しながら、リアーネの目はポケットの沢山ついた作業服に向いていた。
「ん。あとは、これ」
「こりゃあ………たいしたもんだな」
と、鞄の構造を確かめた後、リアーネの差し出した図面に目を通して唸り声を上げる。
「これを、どうしたい?」
お魚、猫、狼、梟、狐の鞄を作ってくれたら後は自由にどうぞとリアーネは言うが、それはもらい過ぎだと窘めて、試作品ができたら服飾組合で意匠の登録をすると言い渡される。専売にするよりも、組合で利用できるようにしておいた方が良いと判断されたためだ。
ここでは著作権の概念が発明されており、価格の設定は原価六割、利益三割、著作権料八分、手数料二分が目安とされている。こういった方針があるおかげで不当に高く売られることも、安く売られることもない。また、新しい物や仕組みを考え広めるのは収入になりうると知らしめることで技術の進歩を促しているのである。
このおかげで農業改革も進み、少ない耕作地でも十分な収穫が得られるようになったり、魔導機関を積んだ馬無し馬車である魔導車が発明されたりしたのであった。
欲しい鞄は先に渡すから著作権料の収入が貯まったら支払ってもらえば良いと、髭小人の男性は言う。そんなに売れるかな? という疑問にも、どんなに遅くとも卒業するまでには貯まってるだろうよと、気にした様子は見られない。
「ん、だったら任せる」
「試作ができたらマリーレインに知らせるよ」
「「「お願いします!」」」
◇
翌週の休日にはできたと連絡を受け、さっそく試作を抱えて服飾組合へ行けば、その場でリアーネは登録された。
「著作権料などはこの口座に保管されます」
と、認証札に口座番号などが追記されていった。
試作品と図面を提出し、書類に署名すること十五枚分。やっと終わったと腕を振っていると、「何かありましたら、いつでも持ち込んでくださいね」と、お願いされた。
工房に戻り、各々目当ての鞄を一つずつ持って五人の幼女は笑顔で帰って行く。
読んでいただけた方が楽しいひと時を過ごすことができれば幸いです。