167 白黒の熊と槍使い
「兎、可愛かったよね」
「ん。普通の大きさだったら、だけど」
「えっと? どれくらいだったの、かなー?」
六十一層で出会った真っ白な兎は体長五メートル程もあり、寒さ対策であろう細くて密集した毛皮を全身にまとい鱗は手足の先に申し訳程度見られるだけであったと、ラウリー達は受付嬢のイェニーナに報告をしていた。
「うん。あれは良かったよね。せっかくだから、ぬいぐるみでも造ってみれば? リーネ」
「突っ込んでいったディーさんとか勢い付き過ぎて毛に埋もれたんだけど、『あれはヤバい』って言ってたよ」
「そうなの。せっかく素材も獲れてるんだから、兎の毛皮でぬいぐるみ造るの!」
兎を前にしたロレットは興奮してラウリーから写真機を受け取り、いつも以上に撮影していたのだった。
雪の降り積もる山岳地帯のような階層であり、知られていると推測できる魔物も大きさや姿に違いが見られ、白大鷲や白尾永鴨などの八種類が確認されていた。
記録に無い魔物に関しては六十三層までの間に鼠や鼬から蟻に鹿、狼や猿など十四種の魔物が確認、回収されていた。
◇
迷路と雪山の階層がしばらく続き、六十四層へと降り立った先もまた、雪に覆われた山岳を形成していた。
「帰っていい?」
「ん。炬燵が必要」
「賛成したいところだけど、ボク達は迷宮を攻略しに来たんでしょ……」
「うちらの装備、リーネが十分以上に寒さ対策してるのに」
「そうなの。ふかふかの雪、楽しいの!」
目に見える光景が寒くて、それだけで震えてくるのだと主張する猫人族の四人と、竜人族の二人も対策が無ければ満足に動けないと嫌がる様子が見られるのだった。
沈み込むことを防ぐ雪靴を取り付けて転倒防止の杖を手にして進み始める。
「なぁ、魔法で温度上げられないか?」
「ははっ、無茶言うなや。そんなことできたら、とっくにやってるよ」
「リアーネはどう?」
先行している竜人族の二人と猫人族のレーヴィがリアーネに話を振ってくる。
「ん。普通の外套は内側を温めてくれるだけ。周囲の空間も一緒に温めようとすると、温まった空気が拡散するから魔力効率が非常に悪くなる。仮にリーネが領域全体を温めようとしても魔力が足りない。せいぜい十分間だけ五、六度上げるのが限界」
領域内は広すぎてとても魔力が足りないと簡単な説明だけで終わらせるのは、寒いためにリアーネに詳しく解説するだけの元気が無いからだった。
五度も上げられれば十分に驚嘆すべきことだが、それでも零度に届かない程に領域内の気温は低かった。
全体的に降っていく階層であるから上りに比べて負担は少なく、雪が深いこともあって階段などの設置の必要がないために随分と速く進むことができていた。
「何か居るぞ」
先頭を行く梟人族のカルロスが進行を止めて警告をする。
初見の魔物であるらしく、まずは遠くからの観察が始まった。
その領域は緩やかな斜面に竹が生い茂っており、雪に音が吸い込まれるため随分と静かであった。
そこを、体長七メートル程もある巨体で、のそりのそりと脚を進めるのは真っ黒の鱗が四肢と目元、耳を覆い、ほかは真っ白の毛に包まれている熊の魔物であった。
「な!? ラ、ラーリ。写真機を貸すの!」
ここしばらくでは真っ白の兎の魔物以来のロレットの暴走に、せめて見つからないように気を付けろと注意を促すのが精一杯であった。
観察していると、まだ若く細い竹に前肢を振り下ろして切り裂き、手に取るのだった。
「くまが、竹を……食べてる?」
「クマって草食だっけ?」
「熊も果物は食べたりしたん、だった……よね?」
「ん。猫だって草を食べることがあるから、知られてない行動なだけかも?」
「そんなことはどっちでも良いの! あぁー、あんな細い竹なのに器用に持って食べてるの!」
「なんだ? あー……面倒なのが来たな」
観察を続けているとゴーグルの索敵範囲に別の魔物の反応が表れて、近付いてきた姿をいち早く捉えたカルロスが、皆に注意を促した。
◇
「さるだよな、あれ?」
「サルだな。間違いない」
「猿か。また面倒な……」
猿の魔物と遭遇して思わず嫌そうに声を漏らしてしまうのは、数階層上で炎をまとう赤い猿に戦槌を持って逃げられた髭小人のスレヴィだった。
ただでさえ器用に手足を使って物を掴み、攻撃にも利用してくるため、ほかの魔物には無い厄介さがあるのだった。
魔物との距離が離れているために余裕をもって観察をしていたが、そろそろ仕掛けようかと行動を始めるが、準備が整う前に気付かれるのだった。
「くるぞっ!」
「なっ!? 速い!」
樹々を足場に飛び跳ねるようにして一行に向かってくるのは、体長三メートル程の真っ白な毛に覆われた猿の魔物である。
発砲音が続くが全てが躱されたようで一向に速度を落とす気配は無く、うっすらと魔法の光が漏れ出ていることから何らかの魔法を使っていると判るのだった。
「ん。迅速果断なリッシャォよ、空走る光線の輝きと共に、煌めきを駆る威と速さを我らの身にもたらせ………『倍速』『敏捷強化』!」
リアーネは射撃手の反応速度を上昇させるために、対象を増やして魔法をかける。
その効果は劇的で、猿の魔物が樹から樹へ跳ねるように素早く移動し、近付く程に照準を合わせることが困難になる中、次々と着弾が増えていく。
「おら、こーいっ!」
「っしゃーっ!」
前衛として武器を振るう者達など気に止める程の相手ではないとでもいうように、猿の魔物は攻撃を躱して進み、射撃によって傷を負わせた者達に向かってくるのだった。
「「「こっちきたーっ!」」」
慌てて移動をすると動きそのものが速くなっており、あっという間に周囲に散開を終わらせて、迎え撃つ態勢を整えた。
その場所に残されたのは後衛を守るためにいた近接武器を持つ者達で、飛び込んできた猿の魔物を躱しざまに攻撃を加えていくのだった。
「あーっ!! 俺の槍ーっ!!」
狼人族のインラートの突き出した長槍は魔物素材の先端を持ち、刃の無い形状であったために猿の魔物に捕まれて、体格差もあり吹き飛ばされてしまうのだった。
その猿の魔物はインラートから奪った槍を持ち替えて、ほかの者に攻撃を始める。
「だぁー……!? 振り回すなーっ!!」
棍棒を扱うように雑に振り回す様子に思わず叫んでしまうのも、自身の命を預ける武器であることを思えば仕方のないことであろう。
竜人族のイルファン達が猿の魔物が無遠慮に振り回す槍を受け流して気を引いているうちに、リアーネ達後衛は魔法の準備を進めていって、一斉に魔法と銃弾を放つのだった。
何度か同じようにして、ようやく猿の魔物を仕留めた頃には槍は随分とボロボロになっており、慟哭と共にインラートはくずおれるのだった。
「ロット、撮影気を付けて」
「任せてなのっ!」
「ん。みんな魔法の準備!」
リアーネの声に皆は速度を強化する魔法を先に済ませて、攻撃魔法を準備する。
呑気に竹を食べる熊の魔物に飛び掛かった残りの猿の魔物は、ひょいと振られた竹によって貫かれてしまうのだった。
「「「えぇ………っ!?」」」
熊の魔物は一行の存在に気が付いているのかいないのか、猿の魔物の皮を剥いで食べ始めていく。
「すげーな……」
「どうする?」
「いや、襲ってこないなら、このまま進んで良いんじゃないか?」
戸惑い気味に話しているうちに待機状態の魔法を散らし、相手にしないことにした一行だった。
その後、何度か同種の熊の魔物に遭遇するが、六十五層にたどり着くまで一度として襲われることは無かったのである。
読んでいただけた方が楽しいひと時を過ごすことができれば幸いです。