160 丸い毛玉と叢る蛾
四十四層では下層への階段を直前にして、翼霧竜と出くわしたために大変な思いをすることになった。
周囲が霧で覆われるだけでなく全身が水の膜に覆われており、攻撃のほとんどが受け流されたのだ。銛も刺さらず飛び回る翼霧竜に有効だったのは魔法の攻撃くらいであり、最終的には皆が『火球』で多少でも霧と水の膜を掃ってから、リアーネを中心とした数人によって『雷壁』をまとわりつかせて痺れて落ちたところで仕留めたのだった。
望遠レンズを装着した写真機のおかげでラウリーが魔物の記録係のような立ち位置となっており、作成中の図鑑に使わせてほしいと言われたりもした。
各組合で魔物の素材の利用法の研究なども進められており、多く狩ることができた水属性の魔物は、主に耐水装備や外套に使われ始めていた。
四十五層に広がる迷路は照明の魔石を覆い隠す程に群衆となった蛾の魔物のせいで、髭小人などの暗闇に強い種族でも見通すことが困難な程に暗い階層であったが、ゴーグルのおかげで不自由することは無かった。
そのおかげもあって出会う魔物の種類に変化があったことを確認できたのだった。
黒大蟻や白尾鷹、樹冠鳩と言った知られた魔蟲や魔鳥を元にした魔物であり、これらの情報は迷いの森の妖精族からのものであると組合に戻ってから知ることになる。
それ以外にも記録に無い蛾や蜘蛛、鼠に狼など多数の魔物が確認された。
そして四十六層を探索するべく、転移してきた一行が領域に足を踏み入れる。
「薄暗い……よね?」
「ん。天井が高くて広いから、うっすらと明かりがあるのが判る」
ラウリーは写真機を構えて、リアーネはゴーグルに表示した地図を確認しながらも天井を見上げて、照明の魔石によって影を作り出した沢山の蛾の姿に目を向けるのだった。
「先に何とかしない?」
「ゴーグルがあっても明るいに越したことは無い、ってこと?」
「うーん……どうやれば良いの? 灯り付けたら寄ってくるの?」
「「「それだ!」」」
元々この階層に出る蛾の魔物は魔力光に集まる習性があるために、探索者の持つ魔導具の灯りによって引っ切り無しに集られるはずであったのが、ゴーグルによって照明を持って行動する必要の無い一行にとっては脅威となりえていないだけであったのだ。
数人掛かりで『持続光』の大きな光を広場に灯し、大量によってくる蛾の魔物に対して『火球』や『雷球』『雷壁』などを『持続光』に重ねるように放って半刻ほども倒していると、魔物の数もまばらになって周囲が明るくなっていることに気付くのだった。
「嬢ちゃん達、見かけによらずに豪快なことするんだな!」
「あっはっは! だよな! 俺らじゃこうはいかないもんな!」
竜人族の二人が心底おかしいと声を立てて笑っており、ほかの班員も同意するように頷く姿や肩を震わせる姿があるのだった。
「ねー、やっぱり掃除機みたいなの必要じゃない?」
「ん………、考えてみる」
ラウリーが不満を口にするのは、魔物の素材だけでは無く小さな魔石が小山を造る程に大量に残されているからだった。スコップで掬って篩にかけて魔石だけを選別して回収するだけでも半刻近くは掛けることになり、皆の表情が失われていた。
「……あー、明るくなったおかげで、遠くの魔物の判別もし易くなったし、いつまでもむくれてないで先に進もう」
猫耳をピクピクさせながらレーヴィが狙撃銃の照準器を覗き込み、調子を確かめてから声を掛けると、皆も装備の確認を始めたのだ。
領域内が急に明るくなったためか魔物が警戒して影に潜み、一行の前を遮るように現れることは無く、たまたま経路上に居た魔物を狩って次の領域へと進んでいくのだった。
そこでもまた蛾の魔物を大量に仕留めて進むようなことを続けていたために、皆はいい加減、回収作業に嫌気がさしてきた。
「リーネ、ほんと何とかして」
「うちもいい加減、嫌になってきた」
「魔石だけでも狙って魔法鞄に入ってくれたら楽なの……」
「んー………いいかも?」
ロレットの言ったことに反応したリアーネが何を思いついたのか、皆は首をひねりながらも期待せずにはいられなかった。
同じように対処して草原ばかりのいくつかの領域を過ぎていき、足を止めた一行の前方には直径五メートルはありそうな大きな毛玉が窪地にはまっていた。
「なんだろ、あれ?」
「ん……? 毛玉……毛玉?」
ラウリー達には思い当たる魔物の知識が無く首を傾げるばかりである。
「もしかして、あれか?」
「ちと大きすぎるが、あれじゃろう」
森人のリクハルドと髭小人のスレヴィは、思い当たる魔獣を知っていたようで、皆が耳を傾ける。
その昔、迷いの森で活動していた頃のことだと断り始まった話では、玉鎧兎と呼ばれる魔獣だろうと言うのだった。
玉鎧兎は体長五十から六十センチの丸いふわふわとした毛に覆われた兎の一種で、四肢や耳だけでなく頭も毛に埋もれて丸い毛玉にしか見えないらしい。鎧状の鱗は申し訳程度に四肢の先と腹にしか無く、毛皮を剥ぎ取ればほかの兎と変わらない姿であるらしいが、ふわふわとした見た目の愛らしさから愛玩動物として飼われることもあるのだった。
「あれは飼えないでしょ」
「大っき過ぎる。どこをどう見たら兎なんだろ?」
「もふもふ……なの」
「「ロット!?」」
フラフラと吸い寄せられそうになっていたロレットを、ルシアナとレアーナの二人で両側から引き留めて頬を叩いて正気に戻す。ラウリーが無言で写真機を差し出せば、パチリパチリと撮影を始めるのだった。
「あー……、なんだ、もう仕留めても良いか?」
ロレットは悲しそうに耳を倒すが頷いて、玉鎧兎の勇姿を最後まで記録するのだと気合を入れた。
この間もゆっくりと近付いていたのだが一向に動き出す気配が無く、ぐるりと周囲を巡って見たところで、どこに頭があるのかさえ判らなかった。
「ん。魔法のほうが良いかも?」
手を出しあぐねているのを見てリアーネが言うと、皆で『雷球』などを準備して一斉に放つのだった。
ンモッ!? モォオォォォォォォォォッ!!
バリバリと炸裂した『雷球』に驚き飛び跳ねるが、多くの魔法に耐えられずに地面に落ちたときには既に動けなくなっていた。
飛び跳ねたことでかろうじて頭の場所が判り、毛を掻き分けて首筋を斬り裂き仕留めるのだった。
この階層で何頭かの玉鎧兎に出会うが、どの個体も動きが見られないため、何もせずに脇を通り抜けることにした。
四十七層へと到達して先の様子を確認すれば上層と変わらず蛾の魔物によって暗くなっていることが判ったので、大量の蛾の魔石を回収するのが苦痛だったのだろう皆の意見が一致して、リアーネが新しい魔導具を造るまでは探索を休むことが決まるのだった。
読んでいただけた方が楽しいひと時を過ごすことができれば幸いです。