156 霞む湖面と蒼い鹿
「昨日持ち込んだ魔物があっただろ、調べさせたが元となる魔獣の情報が見つからない魔物があった。魔物の領域になったままの地域の魔獣だろうというのが今のところの結論だが、全くの新種ということもあるかも知れん」
迷宮氾濫以前の魔獣の知識は各地から避難してきた人々と共に集まり、魔物について研究される下地として使われていた。そのため都市間で知識の共有もされているのだった。
とはいえ大陸南部などは、まだまだ人の領域として取り戻すことができておらず、書物や知識を持った人物の全てが避難できたわけでも無く、失われた知識も少なくなかった。
そういった、情報の無い魔物であろうとノィエトゥア探索組組長である梟人族の初老の男性ギジェルモは言うのだった。
「ねぇ、三十八層は水辺の雰囲気があったんだけど?」
「ん。今までも遭遇する魔物がラスカィボッツ周辺のだったり、バービエント周辺のだったりした」
「何が言いたい?」
迷宮とは本来であれば周辺の土地の魔獣を参照して魔物が発生していると考えられているので、ノィエトゥアの迷宮では通説との矛盾が起こっていた。
「ん。『周辺』の範囲が広いだけか、別の理由があるのか……わからないことが多い」
「まぁ、そうだな。結局最下層まで到達してみなけりゃならんってことだろう。期待してるぞ」
「「「……が、頑張る」」」
組長は満面の笑みで言うのだが、ラウリー達にしてみれば余計な圧力を感じるものでしか無く、顔を引きつらせつつ尻尾を隠すようにして答えるだけだった。
「「「海だー!」」」
三十九層へと転移して、いくつかの領域を越えた所で、ラウリーと合わせるように猫人族のレーヴィとアーロイスが思わずといった感じに声を上げた。
「ん? 塩の匂いは感じないよ?」
「「「え!?」」」
三人は水辺に駆け寄り手を浸けて指先を舐めて確認すると、リアーネの言葉が正しいことに大いに肩を落とすのだった。
「でも、釣りはできそうだね」
ルシアナが示す先には体長一メートル程ありそうな黒い鼬の魔物が魚を咥えて水面から顔を出し、一行の様子を覗っていた。
「「「お魚! 釣りができるっ!」」」
大きな声にビクリとした鼬の魔物は咥えた魚を落としそうになりながらも泳いで離れていくのだった。
「猫人族ってみんな、ああなのかな?」
「リーネがあんなに反応したとこって見たこと無いの。だからみんなってわけじゃ無いと思うの……」
「まぁ、でも、だいたいが、あんな感じだよね」
「そうそう。それで何度、探索が中断されたことか……」
梟人族のカルロスとグラシアナが自分達の班長のアーロイスに目をやって、そんなことを言うのだった。
ルシアナ達はやっぱりそうなんだというような、呆れた表情で見ることしかできなかった。
「はいはい! ここだと転移の広間からだいぶ離れてますから釣り場とするのには向かないでしょう? 先へ進めばもっと適した場所が見つかるかもしれないのですから、今は探索に集中しましょう」
リクハルドの言葉に、それもそうかと納得した三人は元の隊列に戻るのだった。
水棘蟻や蒼鷺といった、名を知った魔物以外に蒼い蛙や蛇などの名も知らない魔物を狩りながら、湖の水際を進んでいくと気が付いた頃には周囲が霧に閉ざされていた。
「気を付けろ、魔物の反応だ」
先頭で進む梟人族のカルロスが警戒の声を上げて足を止めた頃には、ほかの者達も気が付き身構えた。
パシャリ、パシャリと、水を跳ねる小さな音と共に複数の魔物が湖のあった方向から近付いてくる。深い霧に反響して音の出所を惑わすように音そのものに包まれていくような感じを受けるのだった。
「うぅ……リーネ、どうにかならない?」
「ん。これはちょっとキツイね。んーと、自由な風現れよ、猛り狂う響きを鎮めよ………『防音』」
リアーネが魔法を唱えると、それまでの酷い音から響いてくるはずの部分が打ち消されて、常よりも静かになるのだった。
おかげで不快げに歪められていた聴覚の鋭い獣人族の顔に安堵の色が見られるようになる。
それも少しの間のことで足音が随分と近付いてきており、いつの間にか数多くの魔物の反応に取り囲まれていた。徐々に距離を詰めてきているようで、大きな影を見ることができるようになる。
その頃には皆は魔法と射撃の準備も終わっており、発砲の号令を待っていた。
魔物がキューキューと鳴いたかと思えば身を沈めて一気に間合いを詰めてくる。
「「「撃てっ!!」」」
魔物が攻めてくるのを読み取り咄嗟に声を出したのが誰かなど考える前に、狙撃銃と弓を構えた者達は魔物の影に向けて一斉に射撃して、魔法の準備をしていた者達は『火球』や『風刃』を放っていた。
「よっしゃ、任せろーっ!!」
「ダァァーーリャァァァァァーー!!」
射撃と魔法だけで半数程の魔物を仕留めることができたようだったが、数が多すぎてまだまだ向かってくるのだった。
勢いに乗って突撃してきた魔物に対して、竜人族のイルファン達が大きな体を解き放ち、各人の武器が唸りを上げて斬り裂き、突き刺し、殴打を喰らわせていく。
「ん、見えざる熱き炎よ、その熱を分け与えよ………『加熱』!」
皆が攻撃魔法を放つ中、いつの間にやら『浮揚』で上空に逃れていたリアーネが『加熱』の魔法で周囲の温度を上げており、気が付いたときには霧が薄くなっていた。
霧が晴れると体長三メートルはありそうな、薄蒼い鹿の魔物の姿を捉えることができるようになったが、またも始めて見る魔物であるようだ。
どうにも霧によって距離感が狂わされていたようで、効果的な攻撃を放てなかった前衛陣も霧が晴れたおかげもあり、次の射撃を放つ隙も無く次々に仕留めていったのだった。
「「「ッシャァァァァァアアアアァァァァァッ!!」」」
「うーわー……、暑苦しい」
「ん。あれには近寄れない」
「気にしないほうが良いよねー」
「うちは、撒き込まれるとこだったんだけど?」
「お疲れなの……」
大柄な獣人男性の熱気を避けるように素材の回収を進めていくが、すぐに魔法鞄がいっぱいになり浮揚車を出して積み替えていく。
いくつかの領域を越えてこの階層の半分以上を越えた所に、迷宮核の複製のある広間を見つけることができた。
階層の端まではまだまだありそうではあったが、下層への階段の場所はもっと近くである。
「ねぇ、リーネー。この扉付ける用の魔導具とかできないかなー?」
「んー……、あったほうが良い?」
「現状、ボク達ができる手伝いなんて、周囲の警戒か休憩の食事の用意、あとはあっても扉を支えるとか、そんなでしょ?」
「そうなの。魔法の得意な人の居ない班だってあるの。魔導具があれば、みんなでできるの」
「そうだねリーネ! 中継機も誰でも設置できれば、迷宮の攻略が楽にできるでしょ!」
全ての迷宮を巡ってリアーネがそれらを設置するのは非現実的であるから、開発する価値がありそうだと思うのだった。
そして手前側も奥側の領域も迷宮核の複製がある広間に隣接する釣りに適した領域が無かったために、広間の先を確認したラウリー含めて猫人族三人は大いに落胆することになる。
読んでいただけた方が楽しいひと時を過ごすことができれば幸いです。