89話 『死界』
東ゲートに魔物の襲撃が集中している事もあって西ゲートへの潜入はあっさりと成功。カブスはその足で馬車の確保に向かう。守衛の数が少ないこともあってすぐに用意する事が出来たが、杜撰な防衛体制が見て取れる。
「狙ってくれと言っているようなもんだろう…」
彼は溜め息をつきながら馬車を走らせて南ゲートへと向かう。深夜の豪雨はより強さを増して、轟音が空を不気味に蠢いている。都市部近辺の森林も風と豪雨で揺れ動き暗黒が誘うような不気味な様相を見せる。気味が悪くなったカブスは鼻で笑うと共に馬車の速度を上げてロゼット達の回収へと急いだ。
しかし暗黒に蠢く足音はすぐ近くまでやってきていたことをこの時誰も知る由はなかった…。
そして―…
都市内部をひたすら南に向かって引きずりながらも足をの止めない三人。先ほどの襲撃でシェイドも負傷、ロゼットにいたっては意識もなく昏倒している状態。子供であろうと『魔』に関わりのある者には容赦を見せない彼らのやり方を目の当たりにして大きな衝撃を受けていた。
「ヴェルちゃん…」
シンシアはロゼットの受けていた暴行、もはや一方的な私刑に近い行為に対して何も出来ずにただ怯える事しか出来なかったことに後ろめたさを感じている。
「気にする事ないって…あんなのと遣り合うこと自体、無理な話だから…っく」
傷が痛むのか言葉が途切れ途切れで普段の余裕は覗えないシェイド。
しかし先ほど素通りした女性のその後が気になるのかしきりに振り返っては気にしている。その心配は的中したかの如く、落雷と共に一斉に放たれた銃声が雷雨の中で響き渡った。
「!?」
振り返って足を止める三人。ロゼットもその銃声で僅かに目を開けて、傷口を舐める澄華に「大…丈夫…」とだけ言葉を掛ける。
◇
一斉に放たれた乾いた音。彼らが使用しているのはマスケットではなくラムザによってもたらされた回転式の小銃。金属製の薬莢内に火薬も内蔵されているため雨の中であっても問題なく使用が可能でマスケットに取って代わる新しい兵器として使用。
そんな兵器をもたらした相手の付き人だとも知らずに彼らは銃口を向けて引き金を引いた。彼女の死を確信してニヤける傭兵の一人。
時間差を生じて倒れて死亡するかと思われた。
そのはずだったのだが―…
時が止まったのか―…一瞬の出来事を理解できずにその場で呆然とし、表情が見る見るうちに変わる。目の前にいる女性をただ見つめる事しかできない。
彼女は左手を前に伸ばすようにして、ゆっくりと指を開いてゆく。落ちていく無数の金属の塊が水に跳ねて軽い金属音を立てる。
女性は傭兵達を哀れむような目でただ見ているだけだった。この瞬間だけで彼らは理解した。まるで共通認識のように彼らの頭の中で同調した。
『…―こいつに手を出してはいけない―…』
しかし時すでに遅し。
彼女は右手を今度はかざして、液体のような形状をした雷が指先から零れ落ちる。地面に落ちた雷は円形の波紋を作り、まるで異次元のポケットのよう。
そこから勢いよく飛び出した雷光。彼女がそれを受け取ると雷は剣の形を模る。雷を纏ったその剣は柄と刃が一体になった特殊な形状、刃の根元からは歪な棘のような結晶が無数にまるで生えているようだった。
纏う雷はやがて勢いを増して周囲に発生。まるで地上に降りた落雷、いやそれ以上の一撃が傭兵の一人に直撃し、青い炎で焼かれたと思ったら一瞬で灰へと変わってしまった。
「な、なんなんだこいつは…!!」
銃が通じないと分かると今度は剣を抜いて各々斬りかかる。彼女は目を閉じて、相手の攻撃を流れるように躱すと一太刀浴びせる。斬られた者達は次々と雷を身に纏った後に青い炎に焼かれて一瞬で跡形もなく灰になっていく。
そして最後の一人。再び銃を取り出して何度も彼女目掛けて引き金を引く。銃声が虚しく響き、全て銃弾は目にも止まらぬ早さで左手で受け止められていた。彼女は首を傾げて『次は私の番』と呟き、受けとめた銃弾を今度は投げ返すと、その銃弾目掛けて雷を放つ。
弾は男の周囲へ到達すると雷はそれを伝うように展開されて、まるで雷の檻のようなものが形成。逃げ場のない男の頭上に曇天は轟音を上げて閃光が放たれた。落雷の直撃と共に今度は赤い、一般に見る炎を上げて黒く染まった傭兵であった『物体』を燃やしてゆく。黒い物体はやがて灰のように崩れていった。
女性はそれを見届けると剣を消滅させて、その場を立ち去る。哀れむような目、でもどこか慈悲深さを感じさせるような優しいくも冷たい目であった。漆黒の嵐の中、白金色に輝く彼女は再び闇夜に消えていく。
「彼らにも…安らかな眠りを―…」
◇
合流地点の南ゲートにたどり着いたころには意識も戻りつつあった。頬も痛くてお腹もハンマーで殴られたみたいに今もまだお腹の内側から叩かれてる痛みが続く。頑丈になったと思っていたけれど大人にあれだけ殴れらたり蹴られたりしたら誰だって痛い。
最後に覚えていたのは社交場で見かけた眼帯の女性が変な人たちに向かっていくところだ。その後どうなったのかもわからないし、それにあの男の人。
『まぁ人間じゃないからこのままやっちゃっても問題ないと思うし』
私への行為も楽しんで率先してやっているように思えた。どうしてあんなふうに誰かを傷つける事を平気で出来るのか―…私には理解できなかった。
「あ、あそこ」
そう言ってシンシアさんが指さして見せる。すでに何台か馬車も止まっており、三人で向かう。シンシアさんが私に肩を貸してくれて久しぶりに少しだけ話す。
「私がいなくなってから…どんな感じ?」
「部屋は寂しかったよ。でも澄華ちゃんが一緒にいてくれたから時々話し相手になってもらったかな」
澄華は自力で歩いて私の顔をしきりに見てはときどき短い鳴声を上げる。元気付けてくれてるのか私は強がって笑顔を見せて平気だと親指を立てて示す。けれど本当は身体中が痛い。早く帰ってベッドで横になりたくて仕方なかった。一秒でもいいから眠りたい。
そんな風に僅かな日常を感じているとふとあることに気づいた。
「雨は―…?」
気づけば雨は止み、水音が感じられない。いや全ての音が聞こえない。虫も、風も、雷もなく無の空間が私たちを包み込んでいた。
二人は少し戸惑い、周囲を見渡していたけれど私は知っていた。この感覚―…もう何度目だろうか。
ふと背後が気になって振り返るとやっぱり『いた』。
それは掠れるような啜り泣き、座り込んでいた。金色の糸のような細かい髪の毛に破れ爛れた黒衣と青白い素肌。
「バンシー…?」
私がそう呟くと二人も振り返りバンシーと呼んだ『黒い少女』を見ていた。少女の姿かたちをした何かだったのかもしれない。でも彼女はただ泣いているだけなんだ。人を襲うでもなく、家畜を食い荒らすわけでもなく、ただその場で泣いている。
「…行こう、触らぬ奴になんとやらって言うしね」
シェイド君がそう言って私たちを先に行かせようとした時だった。
「『それ』に手を出すなあぁ!!」
私たちの前方からカブスさんが鬼のような形相でこちらに向かって叫ぶ。自分達のことを言っているのかと思い身体が一瞬は跳ねる。あんなに冷静に話す彼の意外な一面にも驚き僅かに後ずさりするが―…。
同時に啜り泣く声を掻き消すように乾いた音が響きわたる。咄嗟に振り返ると、その少女の頭部を捕らえたのか頭から崩れ落ちていた。こちらへ走ってきたカブスさんの表情は怒りから、焦りのものへと変わっていく。
銃を撃ったのはクルス教徒。十数名も後からやって来て、嬉々とした声が飛び交っていた。私はどういうことなのか理解できずに、みんなの顔を覗っている。シェイド君とシンシアさんも同じような反応に対してカブスさんだけは違った。私たちに急いで逃げるように手を引いて逃げ出そうと走り出す。
「おい、逃亡犯も始末するぞ!」
彼らが小銃に指をかけたその瞬間―…さきほどまで倒れていた『黒い少女』がむくりと何事もなかったかのように起き出した。振り返ると確かに頭から黒い液体がぽたぽたと垂れ流れている。青白い身体は徐々に黒ずんだように黒を帯びて、手の爪みるみるうちに伸びては赤色に染まり、髪の毛の金色も神々しい輝きを放つ。真っ暗で見えない表情から赤い二つの輝きが放たれる。
それは絶叫だった。
金切り声のような、黒板を爪で引っ掻くような不快感を感じさせる、この世のものとは思えないおぞましい咆哮。
真っ赤に輝く見開いた眼球に刃のように尖った歯。形相はもはや魔物そのものだった。その変貌に周囲にいた人間全てに激震が走る。恐怖そのものが具現化されたように、空間そのものが凍りついたかのようであった。何も出来ずにただただ目の前で起こっている惨劇を目に焼き付ける。
傭兵は次々と身体を引き裂かれ、飛び散る血や肉塊と人の頭やら腕やらもはやそれが誰のものだったかさえわからない。悲鳴と怒号が入り混じり、骨のへし折られ肉が裂ける音、皮が引きちぎられ激痛に絶叫を上げながら首を引き抜かれる音。隣で嘔吐きながら泣いているシンシアさん、口を押さえてその光景から目を背けるシェイド君。
雄たけびを上げながら血溜まりの『死』を作り上げる彼女は恐ろしくもどこか美しく感じてしまった…。私がおかしいだけなのだろうか…。けれどこれに似た光景を私は知っている―…。
ミスティアで見た大広間の血肉の塊と夢で見た『朱い情景』。
どれも私にとっては同じにしか見えなかった…。
人が作り出した…『死界』そのものでしかないと―…。
そして、それは突如として終わりを告げた。彼女のすぐ隣で雷が放たれ、彼女は少し怯むがすぐにまた立ち上がり同時に近くにあった馬車にも火の手は回り、火薬が積まれていたのか轟音を上げて赤い閃光が放たれる。
私たちの身体も衝撃で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられるように横たわる。
燃え盛る炎も入り混じり、まさしくあの『朱い情景』そのものだった。地面は血肉で赤く染め上げられ、その周囲も炎によって焼かれてゆく。その中で黒衣を身に纏い、黒色に変化していた身体は青白く戻り、爪も元へと戻っていく。歪な牙のようになっていた歯も元に戻っていき、金切り声だったものは掠れた泣き声へと変わる。
そしてこちらを振り向いた『黒い少女』の表情は悲しみそのものだった。綺麗な赤い瞳にそこから流れる赤い涙。その顔は魔物のものではなく私と同じ少女のものだった―…。
私まで悲しくなるほどに悲痛な表情。彼女は魔物なんかじゃない―…。私たちと同じだ。
紅蓮の炎の中に彼女の姿は消えてゆき、代わりに私たちの元へ歩いてくる青年の姿が薄れ行く意識の中で記憶されていく。見覚えのある金色の綺麗な髪、整えられた身なり。彼の名前を呼んでいたのだろうか、彼も答えるようにして膝をついて私に微笑かけてくれた。
後から知ったことだったがこの時魔物の群れが迫りつつあり、私たちは王都以上に危機的状況に陥っている事を翌朝になって知らされることとなった。




