表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
インペリウム『皇国物語』  作者: walker
episode2『ユーロピア共栄圏』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/108

21話 人を変えていくもの

 ロゼット達との会議終了後、ラインズは紫苑を残らせる。静寂の夜、王宮内を少し歩いていた。改めて軍内部の様子を尋ねるラインズ。紫苑は応えるように頭を軽く下げた。


「再編が終わってからは特に目立ったことはございません」


 問題はないと答える紫苑。軍の統合が行なわれ、アズランド側の軍人もドラストニア軍に正式に編入されることとなった。軍内部で 分裂等もなく、元アズランド側にむしろ共感している兵士達もいたと報告をする。


「『円卓』では我々の処遇に関して言及されたのではありませんか?」


 自分達の処遇で議会が荒れたのではないかと紫苑はラインズの心労を気遣うように尋ねた。それに対してラインズを鼻で笑い、言葉を濁す。彼の問いかけには答えず、国王軍について話題を変えた。


「国王軍の方はどうだ?」


「精鋭の士気は非常に高いです。練度の要求される長弓と使いながら小銃(マスケット)も扱っております」


傭兵(やとわれ)から志願してきてる連中も増えてはいるが、全員を養える余裕がないからなぁ」


 ため息混じりにラインズは懸念を示す。


「増加傾向の魔物対策に騎兵と小銃部隊の編成を希望します」


 野生生物の出没が度々報告に上げられ、比例するように密猟者達も増えていた。ロゼットの出会いの時も同じであったように彼らを取り締まる兵の補強の意味でも効果は見込める提案であった。「竜騎兵(ドラグーン)では無理か?」と尋ねるラインズに紫苑は言葉を少し濁す。


「恥ずかしながら、連隊を組めるほどの練度に達しておりません。既存の部隊のほとんどは国境警備に回されておりますので」


「今からじゃ間に合わないか」


「訓練は続けております」


 兵が増えるにつれて質を維持することの困難さが顕著になる。今のドラストニアの兵は新兵や志願兵が多くを占める。彼らを養うにも多くの資金と物資が要求される。


「実際どうだ? 大型の獣竜は対応しきれるのか?」


「そう滅多に遭遇はしませんが、十分対応できます。ただ、行き届かない地域には……」


 兵力の足りない地域に言及する紫苑。ラインズもこればかりは解決策を持たないため苦い表情を見せる。


「現地調達……か。それが出来たら要請なんて来ないよなぁ」


 ラインズも同じ考えを示す。被害を大きく及ぼす大型の魔物への対処も考慮。武器の増産体制と他国からの購入も検討される。それに応じた訓練も必要と棚上げされてきた問題が一度にのし掛かる。最大の問題でもある『財政』についても取りかからなければならない。


「一番の問題は原資だな」


 王都の拡大に伴い、城壁の拡張工事のために既に租税を引き上げている。その上、更に増税ともなれば国民からの反発は免れない。せめて納得させるだけの材料、つまりは理由付けが必要だったわけだ。紫苑は軍人としての観点からある提案をする。


「殿下、僭越ながら租税の対応は内乱を機に防衛体制の強化という名目がよろしいかと。実際、野盗の増加にともなって治安低下の問題も先延ばしされておりました。他にも各所の被害に伴った修繕工事も必要です」


 紫苑の進言、それはラインズの真意を汲み取ったものである。苦笑しつつも、彼はゆっくりと何度も頷く。


「体面はなんとかなるかね」


 ラインズの返答に頷く紫苑。理由付けとしては妥当な策ではあるが、ラインズは考え込んでしまう。納得がいかない彼の様子に問いかける紫苑。


「何か問題でしょうか?」


 彼の問いかけにも応じないラインズ。彼の視線が紫苑へと移ると、紫苑は小首を僅かに傾けた。


「やっぱり爵位があることに越したことはないな」


「は?」


 考えが纏まったのか意味深に呟くラインズ。紫苑は意図が理解出来ずに聞き返してしまう。

 しかし、ラインズは胸中を明かすことなく「ま、楽しみにしといてくれ」と軽く流す。

 会議室から出るようにラインズに流され、夜風の通る廊下を渡る。内乱が起こっていたとは思えないほどの静寂に包まれ、虫の声と獣の鳴き声が時折響く。


「それから、お前のところから兵を借りたい。欲を言うと生え抜きの精鋭が良いな」


 唐突なラインズの申し出に即答を返す紫苑。


「何名ほど必要でしょうか?」


「十人いれば良い」とすぐに返すラインズ。短く返事をして頭を下げる紫苑。続けて自身の気掛かりを伝える。


「この機に乗じて動く可能性も十分ありえます。フローゼルと連携される前に手を打った方が宜しいかと」


「流石に勘が良いな」


 ラインズの外遊先がグレトンであることを紫苑は勘づいていた。そして、彼が紫苑達、元アズランドの臣下達にも気を遣ってることにも言及する。


「殿下、我々への気遣いは無用です」


 改まって紫苑はそう言うと、両膝をついて平伏するようにお辞儀をする。慌ててラインズは制止させ、彼を立ち上がらせる。


「随分仰々しい謝辞だな。それも『陽光』の文化か?」


 笑みを溢しながら、紫苑の膝についた埃を払うラインズ。


「必要あらば、御応えするのが我々の務めです。心中、お察しするに余りあることでございます」


 さも当然のように話す紫苑。当然ラインズもそれは理解していた。彼は笑みをこぼしながら、気丈に振る舞う紫苑の肩を揉み解す。


「俺は苦労なんてしてないよ。お前はそれで良くても、他の連中はそうはいかない」


「事実には変わりございません」


 アズランドの内乱を租税の理由とすること自体は簡単である。だが、彼らと協力する以上は居場所を無くすような真似は信用問題にも関わる。長老派、国王派の中には彼らを排斥する考えを持つ勢力も存在する。現にどちらの勢力も今回のアズランドを含めた会議にはまだ権威の弱い勢力が多くを占めていた。

「むしろ転機だな」とラインズは呟く。ラインズ、王統勢力からしてみれば力を失うだけの権威勢力よりもこれから台頭するであろう両派閥の『新芽』に期待を寄せていた。そのためにも紫苑達、アズランドの勢力の協力が不可欠と考えていた。


「転機とは?」


 真意の読めないラインズの発言に紫苑は再び問いかけてしまう。現状のラインズの立場を理解している紫苑であっても、彼の真意。もっと根深い考えまでには至ることは出来ない。だが、ラインズもまだ自分の描く像を話そうとはしなかった。彼は紫苑の背中を軽く叩いて告げる。


「いつか話す。そんなことよりも良い酒が入ったんだ、帰ってきたら一杯付き合ってくれよ」


「その時に殿下のお考えを?」


 ラインズの真意を知るべく、彼は尋ねた。


「無事に帰ってくる理由が出来ちまったな」


 冗談交じりに軽口で返すラインズだが、紫苑は目付きを鋭く変えて頭を下げる。


「精鋭には当日まで訓練を行わせておきます」


「力みすぎないように頼むよ」


 去り際に微笑みかけるラインズ。紫苑も頬を緩ませて、それに応える。自室へと戻っていくラインズとそれを見送る紫苑。深夜の王宮、肌寒い風が吹き抜けていく。


「少し冷えるな」


 彼の胸中に宿る熱にとって、今はこの風も心地よく感じられた。


 ◇


 城内でモリアヌスと合流する紫苑。ロゼット一行とラインズの留守を任されることとなった。とある人物との会談に臨むためである。紫苑と、そして彼の補佐官として、彼が最も信頼の置いている部下、『オスカー・モリアヌス』が就いた。年は三十半ば。無精髭に金色の短髪。紫苑には劣るものの、しっかりとした体格。その屈強な右腕には龍と槍をモチーフにした入れ墨が彫られている。左腕にはいくつもの戦場を掻い潜ったと思われる傷痕が残っていた。


「皇子殿下は本当に我々から兵を?」


 驚いたように声色を少し上げて尋ねるモリアヌス。


「殿下がおっしゃられたから、こちらも選び抜いた精鋭を護衛に送り出した」


「……妙ですね」


 ラインズの意向にモリアヌスも疑問に感じている様子。意外、というよりも少し不信に思っている節がある。

 だが、その不信感はラインズに向けたものではない。彼がそうせざるを得なかった状況、そうした人物が背後にいるのではないか、という憶測からである。


「長老派からの接触はどうですか?」


「今回のことで長老派は関係していないだろう。セルバンデス殿と、わざわざ皇女殿下が同行する理由もわからないが」


 シャーナルの同行を知りモリアヌスも神妙な面持ちになる。


「シャーナル皇女……ですか。どうにも不気味に感じます」


 モリアヌスは長老派の中でも異彩放つ皇女シャーナルを警戒していた。国王派からも一目置かれ、先代国王からも認められる皇女にして才女。先代の兄弟の娘ということもあり、唯一の実子でもあるロゼットを除き、王位継承者の中ではもっとも有力視されている。


「取って変わる機会はあった思われますが……」


 アズランドの内乱を機に行動に移さなかったことに疑問を呈するモリアヌス。紫苑自身も可能性がないとは考えていなかった。しかし、彼の発言を看過できなかった紫苑は「オスカー」と少し強めの口調で釘を刺す。彼も紫苑に頭を下げて失言だったとして、それ以上は言及することはなかった。

 実際、アズランド寄りのシャーナルが彼らと共謀してドラストニアを掌握することも可能性としては皆無ではない。思想の面で折り合いがつけば現実のものなっていたと考えられる。

 ただ、紫苑もそこで考えを止め、自分自身にも言い聞かせるように少し間を置いてから「考えすぎだ」と彼を諭す。しばらく彼らも張り詰めた空気の中で心身ともに疲弊していた。過敏になりすぎて疑心が付いて回っている。自身の心も晴らすように深く呼吸をし、ラインズが留守を任せた閣僚との会談に臨む。

 向かう途中の射撃訓練場が何やら騒がしい。今の時間は兵卒の小銃の訓練、精鋭の長弓の訓練が行うように指示を出していたが、兵たちは人だかりのように集まっていた。

「なんの騒ぎでしょうか」とモリアヌスは首を傾げる。傍まで近寄るとよく顔を合わせる鍛冶屋の娘がこの場に訪れていた。軽い荷物持参でそのほとんどが弾薬や銃器類であった。


「どうした、グニラ。お前がここに来るなんてよっぽどの事だろう」


 グニラと呼ばれた女性は眠そうな二重瞼の目だけをこちらに向ける。オーバーオールのような作業着に少し小麦色に焼けた肌。金色の癖のある髪、左の側頭部を刈り上げたモヒカンスタイルが目に止まりやすく特徴的である。紫苑達を一瞥した後「商談以外でこんなところ、誰が来るかっての」と何やら不服そうな表情で毒吐く。


「商談とはあれか」


 紫苑の向く先には兵達の人だかり。彼らの方へ歩み寄ると、不意を突くような形で三連続の銃声が放たれた。二人は少し驚き、直後兵達の感嘆の声が上がる。これまで聞いたことのない速射の間隔。集まる兵を掻き分けて、中心へと向かうと的に向かい銃を構えている女性。キツネ目に泣き黒子のある美しい横顔。兵とは異なり、正装に帯剣。兵の集団の中でも異彩を放つ彼女は使用した銃を確認する。その銃も三つの銃口からなる三連式の小銃。ドラストニアでは珍しく正規兵の装備では使用されていない。

 そして、その横から兵たちよりも畏怖を放つ存在感の屈強な男が現れる。年は四十代とみられる中年。モヒカンのような側頭部を短く刈り上げた髪型。何かに抉られたような大きな切り傷が左の前頭部から左目と口にかけて痛々しく残っている。そのせいもあり左瞼は半分閉じており、兵達も緊張するほどの強面であった。グニラの父親でもあり鍛治屋の店主、ルドガー・ホフマン。おどろおどろしい声でホフマンは女性に尋ねる。


「どうだ、使い勝手はともかくとして、少し改良を加えれば精度も上がると思うが」


 強面の男、ホフマンの提案に釈然としない様子の女性。「用途がハッキリしませんね」と彼女は冷淡に答える。彼女の言葉に少し眉を動かすホフマン。周囲の空気に緊張が走った。


「今のところ接近された際に迎撃する用途しかありませんが、そもそも乱戦で使うのなら槍や剣による白兵戦に分があるでしょう」


 ホフマンの質問に臆することもなく、使用感を淡々と述べる。彼も予想していた通りの返答に特に不思議に思っている様子もなかった。「改善点を聞こうか」と冷静に尋ねる。


「単純に三発分を装填できるようにするか、三発同時に斉射できる方が使用場面を限定できると思います。連射式のものだと、今のままの射程と反動では相当な練度が必要かと」


「質の高い兵が必要ってわけか」


「例えば……」と女性が言いかけて、紫苑の方へと視線を向ける。一同は皆、彼の方へ向き新兵達は敬礼で挨拶をする。


「よろしいですか?」と銃を渡す仕草をする女性。紫苑に向けられた仕草に彼も応え、前へと出る。


「銃はほとんど触れる機会がないのですが」


「なら、良い経験になるでしょう」


 女性の受け答えに苦笑を溢す紫苑。銃を受け取り、銃口から装薬と弾丸を詰める。銃自体はパーカッション式が採用されていたこともあって彼でも扱いには困らなかった。狙いを合わせてから、撃鉄を起こし、引き金を指にかける。引いたと同時に激しい発砲音、それと共に銃弾が一発。時間差を生じて直ぐに二発目、そして三発目が発射される。紫苑も少しばかり不意を突かれ、二発目の発射時に反動で銃口が僅かばかり上がっていた。

 三連射すると分かっていても、タイミングを計るのは彼でも難しかったようだが、持ち前の身体能力で咄嗟に対応。三発目では直ぐに持ち直しており、内二発は的の真ん中を撃ち抜いていた。新兵達は驚きの表情を見せ、グニラは口笛で彼の射撃の腕を称賛。女性とホフマンは平然としており、彼が的を射ぬくことをわかっていたような反応を見せる。

「なるほど」と呟きながら銃を眺める紫苑。銃に慣れていないとはいえ、彼ほどの手練れであっても扱いに長けないと使用は厳しい。


「ありがとうございます、天龍将軍」


 女性からの感謝の言葉に紫苑も頭を下げて応える。


「確かにコイツは改善点が多いな」


 ホフマンは紫苑から銃を受け取り、グニラに渡す。


「おそらく、本来は斉射式のものだったのでは?」

 

 女性の問いかけに「やっぱりそう思うか」と短く答えるホフマン。おそらく、何らかの仕様として手を加えられたものがホフマンのところへ渡ってきたものだと推測する。それを踏まえた上で提案をした。


「例えば銃身を回転させて、撃つ度に切り替えることは可能ですか?」


「より複雑な機構になる分、重量が増えて使い物にならなくなるぞ」


 すると今度は別の視点から女性は提案する。


「弾の装填部分だけを回転させて撃つ度に回転させることができれば、瞬時に切り替えも出来、尚且つ銃口も一つで済むのでは?」


 女性の提案する機構。周囲はざわつくが、新兵は内容が理解できずに脳内で彼女の言葉を図形化して、どういう銃になるか各々意見を交換し合っていた。


「弾をあらかじめ装填出来る機構か」


 ホフマンの解釈でようやく理解した兵達からは肯定的な意見が散見される。


「それなら、一発ずつ装填する手間が省けるし、連続射撃も可能です」


「構造的にパーカッション式じゃないと複雑化しそうだが」


「流石に今更フリントロック式は無理だろう」


「ただ、やはり一度の装填で掛かる時間と手間を考えるとーー」


 兵達の間でも意見交換がなされる。彼女の提案する回転式の銃に対する反応は概ね良好の様子。意見を求めようと紫苑がホフマンに目を向けると、彼は思うところがあるのか考え込んでいる様子。その様子は懐疑的な目を向けるものでもなく、少し驚きを含んだもののように彼の目には映っていた。


「参考にさせてもらうか。また後日、伺わせていただく」


「検討よろしくお願い致します」


 冷淡ながらも丁寧な挨拶を返す女性。彼女の対応に感心しながら歩み寄る紫苑。女性も彼らに向き直り挨拶を交わす。


「お待ちしておりました、天龍将軍、モリアヌス将軍。申し訳ございません、会談の場を用意させていただいておりますので、ご案内いたします」


 会談には不向きな場所での顔合わせに頭を下げる女性。二人の軍人も丁寧な対応に頭を下げる。


「あんたらでも頭を下げるものなんだな」


 ホフマンが二人を見て苦笑しながら呟く。


「その顔で頭を下げに来られるとこっちが困るがな」


 ホフマンに皮肉で返すモリアヌス。


「良いんだよ、客の選別にも使えるからコレはこれで」とホフマンは鼻で笑う。普段から顔の事を言及されていることに慣れたような態度で軽くあしらう。商人の盛況ぶりは巷の様子から伺っていた二人だが、紫苑は何よりも初めて見る新型の小銃を気にしているようであった。


「新型の小銃ですか」


「単なる流れ物だ。まぁ、結果は御覧の通りだったが」


 ホフマンはボヤキながらも結果自体に不満を持っている様子はない。むしろ、当然の結果と言わんばかりに淡白な態度を見せる。


「力添え出来ず申し訳ない」と苦笑ぎみの紫苑。「皮肉のつもりか」と今度は本気でボヤくホフマン。


「しかし、噂では新型の物が開発されていると聞きましたが」


 世間話のついでに紫苑自身が耳にした噂を尋ねる。


「まだ開発途中のものなんだが……」


「試験運用は可能だと『巷』で聞いております」


 ホフマンの話の途中で口を挟む紫苑。彼にしては珍しいことだったのかモリアヌスも紫苑の方を見て神妙な面持ちを見せる。ホフマンは一瞬動きを止めてから、ゆっくりと刺すような視線を紫苑に向ける。強面の表情により一層と影が増して、獲物を定める捕食者の如く鋭い眼光を放つ。張り詰めた空気が流れる。


「あんたの言う巷とは何処の事だい?」


 刃物のような冷たく刺すような声色を出すホフマン。モリアヌスにも緊張が走る。しかし、紫苑の表情は柔らかなもので「単なる噂ですよ」とだけ答える。彼の冷たい殺気のような視線に対しても動じることのない紫苑。彼に対して脅しは効かないと判断したホフマンは鼻で笑い、視線を外した。


「何処かの誰かが内乱なんて起こしたお陰で、のさばった野盗は好き放題。ウチも契約していた交易商が襲撃に遭って損害。誰が責任取ってくれんのかねぇ」


 彼らの背後からグニラが愚痴をぶつける。紫苑達に対する当て付けであった。モリアヌスがそれに対して反論しようとしたが、紫苑に制止される。紫苑は表情こそ変えなかったが、頭を下げて一礼で応えることしか出来なかった。商人達も武器装備だけでなく、内乱の影響で資材も人手も不足している。今では不要な武器も分解して資材に回さなければならないほど、市場の物資不足は深刻であった。


「余計なことは言うんじゃねぇ」


 娘のグニラの発言に釘を刺すホフマン。


「あんたが言わないからでしょ」


「自分から面倒事を起こす真似はやめとけと言ってるんだ」


 ホフマンに制止され舌打ちで彼女は答える。荷物をまとめて引き上げるついでに彼らは「廃棄品(ジャンク)はもらってくぞ」と伝え去っていく。すれ違いざまに紫苑がホフマンを引き留める。紫苑が何かを言いかけると、彼は分かっているのか止める。


「あんたらのせいにするつもりはない。どこも参ってる連中ばかりなだけだ。グニラ(アイツ)だって恨んじゃいない」


「誰かにぶつけないとやってられないってだけだ」


 溜め息混じりに呟いたホフマン。本心からの反発ではない、と彼女の言い分を代弁する。


「憤るのも御尤もです。果たせなかった責務は違う形で果たすつもりです」


 紫苑の返答にホフマンは口角を少し吊り上げていた。余韻に浸る紫苑、モリアヌスは新兵達に訓練に戻るよう指示を出し、それから女性の後に付いていく。

 道中の渡り廊下で彼らのやり取りに女性は口を開いた。


「彼らもあなた方を責めるつもりはないと思います。国からも可能な範囲での補償はしております。ですが、全ての人々が納得しているわけではない、ということは覚えておいてください」


 先程の冷淡な声とは違い、僅かながら気持ちの籠った声色に聞こえる。紫苑とモリアヌスは表情こそ変えることはなかったが、複雑な心情に刺さる言葉であった。


「我々を留めたのは、戦気が落ちることを避けるためだということは十分に理解しておりますが……」


 モリアヌスが言いかけると、女性は先程と同じく今度は冷めたい声色で答える。


「単なる戦力低下を避けただけではありません。体面上、アズランドとの融和を選んだという理解を得るため、機会を与えただけに過ぎません。そこは勘違いなさらないようお願いします」


 突き放すように答える女性。まるでどこぞの皇女殿下を思わせるハッキリとした物言い。反論することは愚か、僅かに唸ることしか出来ないモリアヌス。


「無論です。頂いた機会は成果で応える所存です」と紫苑は淡々と彼女に答える。女性は間を置かずにすぐに返事する。


「結構です。こちらもそこに関しては期待を寄せておりますので、どうか皇子殿下のご期待に背かぬよう、よろしくお願い致します」


 彼女が答えると同時に応接間へとたどり着き、中へ通される。


「挨拶が遅れまして失礼致しました。此度、ラインズ皇子殿下より留守を預かりました『アルサンドラ・ルークナイト』と申します。失礼があったことは謝罪いたします。申し訳ございませんでした」


「とんでもございません、こちらも只今の話で背筋が伸びました。丁寧なご挨拶頂戴します。騎兵部隊を指揮しております、天龍紫苑です」


「副官を務めております。オスカー・モリアヌスです」


 二人の将兵は敬礼と共に挨拶をようやく交わす。アルサンドラと名乗った女性も敬礼で応え、楽にするように言い渡す。

 手にしていた資料を手渡し「どうか腰を掛けてください」と用意した席へ二人を座らせる。手渡された資料は軍の再編と今後の方針。既存の騎兵隊を竜騎兵に、歩兵にも小銃を常備させるものであった。


「お二方とも一度、今後の軍備強化の面で意見を頂戴したく、今回の場を設けさせていただきました。現場の意見は必要です」


「それでホフマン(かれら)と取引を?」


「普及のための協力です。グレトン、フローゼルの他、他国も小銃の普及を目指しております。特に『南』はより警戒すべきでしょう」


 ドラストニアは諸外国に挟まれた地域、とりわけこの大陸では中心に位置する。警戒心もより強く、紫苑とモリアヌスもそれには同意を示す。


「ベスパルティアとビレフですか。どちらも大国には違いありません」


 ドラストニアより南下した先にある大国『ビレフ』。君主制から革命を経て共和制となった経緯を持ち、同時に工業化が進んだことで海洋国家としても成長を遂げている。そしてオリエント大陸のすぐ東にある島国『ベスパルティア』。ビレフとは休戦中であり、ビレフの技術の多くは戦時にベスパルティアから流れてきたものである。


「マスケットも発電技術もベスパルティアからの流れものでしたな」


 他国から流れてきた技術とはいえ、現行の小銃の発展はドラストニア独自の改良によって目覚ましいものであった。マスケットの精度も格段に上がっており多種多様な形式の銃が生まれては消えていった。ドラストニアにおいても精鋭には最新の装備が取り揃えられているが、新兵等の末端には訓練までしか行えていない。そうした現状を打破するために、全兵力への小銃常備が計画されていた。


「それだけではなく、かの国には『飛空船』と呼ばれる制空権を手にする技術があるとも」


「空を飛ぶ船とは……魔力を用いた技術か何かですか?」


「確証はありませんが、それに近しい技術かと」


 陸、海の次は空。制空権を手にすることが出来れば一方的な空擊を行うことも可能である。もしもそんな技術が可能であれば、ドラストニアだけの問題では無くなる。


「信じられませんな……」


 モリアヌスの疑う声。その疑心は無理もなかった。ドラストニアでは蒸気機関車がもっとも早い移動手段。それまでは馬車、未だに騎兵部隊で戦っている軍である。容易に想像できるものではなかった。紫苑の胸中も実際のところは半信半疑ではあった。正確な情報ではないとはいえ、訓練所で見せつけられたアルサンドラの洞察力。彼女は疑っている様子ではない。不測の事態は常。彼女はそれを踏まえた上で今後の方針を彼らと共有する。


「やはりグレトンとは一悶着起きそうですか」と尋ねるモリアヌス。


「可能性は高いでしょう。ですのでお二方には国境警備隊の『補充』を行なっていただきたいのです」


 彼女の言葉の意図をすぐさま理解する二人の将兵は静かに頷く。紫苑とモリアヌスをいつでも動ける状態にしておくことで、不測の事態に備えることを彼女は示していた。ただ、問題なのは軍を動かす権限があるかどうか。モリアヌスがその事に言及しようと口を開く。


「勿論、これは皇子殿下の権限によるものです。あなた方が気にされるような問題はございません」


 モリアヌスが尋ねるより先に彼女は答えた。彼は目を丸くして紫苑と互いに顔を見合わせる。大きな問題の一つはこれで解消されるが、もう一つ大きな問題があった。


「そうなると、長老派に嗅ぎ付けられるのは厄介ですね」


「ですので、当然穏便に済ませるのが最善です。軍事に関して介入されると何かと面倒ですので」


 対立派閥の長老派との折り合いであったが、案の定、彼らの周知ではない。軍事介入に関して反対意思を見せている彼らの耳に入れば、大きな反発を招く。そんな長老派の姿勢に辟易とした様子の見せるアルサンドラ。モリアヌスもこれには苦笑しかけるが、咳払いをして誤魔化していた。


「どこで尻尾を掴まれるか、わからないとはいえ、部隊を動かすとなると簡単にはいきませんが」


 内部に密偵がいる可能性もモリアヌスは示唆する。


「長老派にそのような人物がいるとは考えたくはありませんが、わざわざこちらの手の内を見せる必要もありません」

 

「我々も同じ思いです」


 アルサンドラに同調する紫苑。少し笑みを溢して、握手を求めた。彼女もそれに応じて、改めて協力体制を確認し合う。


「新たな情報が入り次第こちらも十分に支援はいたします。国防も兼ねた重要な任務です。くれぐれもよろしくお願い致します」


 退室後、廊下で改まって深々とお辞儀をするアルサンドラ。彼らも応えて彼女を見送る。


 応接間を後にして廊下を歩きながら、モリアヌスは少し不平顔を見せる。紫苑も彼の気持ちは理解していたが、彼らにぶつけたところで、どうにでもなるものではなかった。むしろ仕事をもらったことで彼には好印象に映っていた。


「あちこちで嫌われ者になったものです」


「そう、ぼやくな。信用されているだけ、まだ良い。それよりも気になったのはーー」


「家系ですか」


 紫苑が怪訝そうにアルサンドラの家名に言及する。モリアヌスも同調し、彼女の家系について話し始めた。


「『ルークナイト』は北部の方の名家です。確か武門の家柄だったと記憶しておりましたが、今は軍内部でも中心になっている人物はいなかったはずです」


 モリアヌスが彼の問いかけに答える。所謂『没落貴族』というものであった。射撃場での銃の扱い、物怖じしない胆力に加えて冷静さと強気な姿勢。武家の出である事を知れば納得のいくものであった。

 特に軍備強化に難色を示す長老派にとっては、彼女の考えは強力な『カード』となりうる。

 そこも含めてラインズに気に気に入られたことは確かである。納得した紫苑は「それで、あの立ち振る舞いか」と呟いた。


「政界に進出して、再興を考えている可能性もありえますな」


「どうだろうか」


 アズランドの衰退と共に虎視眈々と勢力を伸ばしている諸侯。彼ら『ルークナイト』の家系も同じではないか、と危機感を募らせるモリアヌス。否定は出来ない紫苑。ただ、彼女からそのような野心を感じてはいない様子。


「彼等にとってはむしろ好機ではありませんか?」


「らしくないな、オスカー」


 強い疑念を抱くモリアヌス。内乱の影響もあり、味方であっても警戒心を強めている様子。特に自分達への風当たりの強さを目の当たりにしているだけに、過敏になっている節がある。


「動きからして、そう思うのが自然かと」


「そもそも彼女達も今回の一件以前より、政界へ進出している。それに『ルークナイト家』も権威を取り戻したいのならなぜ彼女を?」


 若手でしかも女性という異例にしても過ぎる抜擢。本気で権威を取り戻したいのであれば既に実権を持つ、無難な選択をしていてもおかしくない。手を打つにはあまりにも大博打であると指摘する紫苑。


「失礼ながら、皇子殿下の趣向にわざわざ合わせた可能性も……考えられなくはないのでは」


 言葉を詰まらせながら答えるモリアヌス。紫苑も内心ではありえないとは否定出来なかった。紫苑は少し弱めに彼の言葉を咎める。


「言いたいことはわかるが、言葉を慎め。皇子殿下がそのような選出をするとは思えん」


「はっ! 申し訳ございません」


 畏まり、頭を下げるモリアヌス。そんな彼に紫苑も少し困惑の表情を向けることしか出来なかった。ラインズの考えも全て理解しているわけではない。ましてやその深層心理まで読めるものではなかった。それほどまでにラインズの掴み所のない性格と振る舞いに紫苑も翻弄されている。

 だが軍は簡単には動かせない以上、事が起こるよりも前に彼の考え方を理解する必要があった。


「いや、私も大概だな……」


 臣下として、統治者の思考に踏み込みすぎればそれは越権行為に繋がりかねない。モリアヌスに苦言を呈した手前、自分自身の自己矛盾に呟く。モリアヌスは意図がわからず聞き返すことしか出来なかった。そんな彼に紫苑は仕事を依頼する。


「オスカー、ここ数ヶ月での市場の物流、詳細を調べてくれ」


「はっ。しかし、急ですな」


「兵の補充の前にどうしても知っておきたいんだ。頼めるか?」


 モリアヌスは特に理由を聞くこともなく快諾。何しろ情報量の多さに早急に取りかかると、すぐさま紫苑の元を後にした。


 ◇


 果てしない草原を走る列車。蒼天を白い雲が流れゆく。海を流れる島のように。さしずめ空を飛ぶ鳥は海を泳ぐ飛魚のように彼女には映っていた。一人客室でロゼットは景色を見つめている。『世界』と変わらない景色。今、自分のいる場所と照らしながら。


「『果てしない物語』……ね」


 自然と口ずさんでいたロゼットの唄に応えるシャーナルの声。不意の事に驚きロゼットは振り返る。シャーナルとセルバンデスがギャラリーから戻ってきたところであった。セルバンデスは綺麗な歌声だったと彼女のことを褒める。気恥ずかしくなったロゼットは話題を変えようとギャラリーの様子を尋ねる。


「何も変わったことなんてないわよ。貴族たちの自慢大会が開かれてるだけで面白くも何もないわ」


 ロゼットは困り顔で愛想笑いを返す。セルバンデスからは商人から市場の近況等を聞いていたと話を聞く。貴族たちからは、やはりゴブリンということで嫌煙されていたようだった。


「内乱の影響で物資・資材等の不足で価格高騰が目立っているようです。一時的でもフローゼルからそういう話を引き出せると良いのですが」


「あまり他国をアテにするのは感心しないわね。こちらの事情で関係を絶っていたのだから、向こうも良い顔はしないでしょ」


「交渉材料が欲しいところです」


 二人の会話を聞きながら、ロゼットはシャーナルの読んでいる本を気にしていた。ふと目をロゼットに目をやるシャーナル皇女。自身の本を気にしていることに気づき、本を閉じて彼女に渡そうとする。何の本なのかと尋ねるロゼットに『伝記物』だと彼女は答える。自分の住んでいた世界にも同じものが存在していたので目を輝かせながた受け取るロゼット。


()()は筆者が経験した土地にまつわる出来事を御伽噺のように描いたものだから、伝記と言われると曖昧なものだけど」


「童話みたいな感じかな」と呟くロゼットに「まぁ、そんな感じよ」と軽く答える。少し意外そうにシャーナルを見るロゼット。彼女もそれが可笑しかったのか「私がそんなものを読むと思わなかった?」と少し自嘲気味に尋ねる。ロゼットは本を捲りながら少しだけ唸る。


「でも、こういう本って面白いですよね。私は好きだから読んじゃうけど、シャーナル皇女は違うんですか?」


 するとシャーナルは今度は少し笑いながら風景に目をやる。「そうね、私も同じよ」と窓から入り込む風に当たりながら、何か意味を含んだように答える。ロゼットは不思議そうに彼女を見つめる。シャーナルはそんな彼女を見て徐に自身の知る『伝記の一つ』を話し始めた。



 ――かつて遠い昔、戦争でまだこの国が分裂していた時代。小さな村に住む敬虔な信者の少女の話。大きな宗教の少数派の彼らは貧しくとも小さな幸せを噛みしめながら生活をしていた。空腹が満たされることは少ないが、それでも小さな幸せで心は満たされていた。

 ある日、同じ宗派の強硬派派閥が彼らからも徴兵と徴収として村の物資と労働力になる男達を要求した。まだ国が分裂して安定していない情勢下、それぞれの貴族、宗教、権力者たちがしのぎを削る状況。小さな村の食糧と魔物からの防衛に労働力は必要である。何より彼らは争いそのものに疑問を抱いており、考え方が強硬派とは合わないことがあった。結局強硬派に押し切られる形となり、村には老人と女子供だけが取り残されることになってしまった。最も働き者だった少女が村長の補佐役として選ばれることとなった。

 そして、来日も来日もみんなが無事に帰ってくることを祈り続ける少女。男達が戦に行ってから、数日、数週間とただ、時だけが過ぎ去っていく。

 ある日、それは突然やってきた。戦に行った村の男が一人帰って来た。彼は酷く怪我をしており、歩くことさえ困難な状態で這って帰って来たのであった。そこまで必死になっていた理由が「この村に敵対勢力がやってくる」という事実知らせるためだった。対立していた派閥との戦いに敗れ、彼らの強硬派が次々と彼らの宗派の生き残りを襲っていたというものであった。

 すぐに彼らは村から逃げる準備を始めたが、その日の暮れ時に彼らはやってきた。戦う術など持たない彼らは蹂躙の限りを尽くされてしまう。それは悪夢のような光景だった。串刺しにされる者、八つ裂きにされる者、火炙りにされる者、引きずり回される者、形容しがたい非道の限りを尽くす。彼らを異端者として、自分達の信じる神の名の下に裁きを下す。

 もっと悲惨なのは生き残った女達。若く、初々しい彼女達は慰み者としてひどい扱いを受けていた。少女もその一人として……。

 地獄のような日々、男達に蹂躙される毎日。もはや人の皮を被った悪魔とさえ彼女達の目には映っていた。

 そして使い物にならなくなった女から一人、また一人と。いつかは自分の番が来るのだろうと、暗がりの中で待つことしか出来ない。同じ神を信じる者達から受ける弾圧と凄惨な所業。

 そんな絶望の中でも、思い出すのは平穏だった頃の思い出。あの青い広原、草と野鳥、動物達と風達と奏でた唄。もう一度あの頃に帰りたいと。

 ただ、ひたすらに強く願った。

 ある日、看守の目を盗み、隙をついて脱走を図る。力の限り抵抗し、看守の目を抉り逃げる。ただひたすらに走り続けた。ぼろ雑巾のような身体を引き摺りながら。故郷の丘へと雨が降りしきる中、走り続けた。

 気がつけば、雨の中。焼け焦げた村落の残骸を見つけていた。あの頃の面影もなく、皆が蹂躙され尽くされた村の跡。信じる神に何を捧げても、もう戻ってはこない。何もかもを信じることができなくなっていた少女。同時にそんな自分にも嫌悪していた。

 それでも彼女は祈り続けた。救われなかった皆の魂を慰め、焼けた跡地の家一軒一軒を回り続けた。涙と悲鳴のような声を上げながら奪われた命、彼らの魂を慰め続けることしか出来なかったという。その姿は旅人からは異様な光景にも見えたとか。

 そして時は流れ、いつしか『死者の出る家を泣きながら周りを徘徊する少女が現れる』と伝えられるようになった――



 シャーナルがそう読み終えると「これはあくまで御伽噺に近い伝記」と締め、自分の心の中だけのものとして受け留めておくように伝える。神妙な顔で聞いていたロゼットに確認するように言い聞かせる。


「その後、少女はどうなっちゃったんですか?」と尋ねるロゼット。シャーナルはただ黙って首を横に振った。悲しみを含んだ目でロゼットは首を傾げる。


「それは私達がそれぞれどう感じて見ていくか。あの後のこと……それを示すことなく終わったからこそ、こうして伝えられているのよ」


 伝記はその人物の史実の功績を描かれるものであることがほとんどだが、この伝記の場合、作者の旅路の中で観たものを御伽話という形で残したものである。そう語りかけるシャーナル皇女の表情は普段の冷ややかなものとは違っていた。見たことがないくらいに優しい表情にロゼットの目には映る。窓からの景色を眺めながら、聞いた話に思いを馳せるロゼット。暖かく、冷たさもある風にあたりながら、しばし沈黙が続く。列車に揺られ、外を眺めている間にロゼットは眠りについていた。「子供ってのは忙しい生き物ね」と呆れつつも彼女を就寝用のベッドへと運ぶシャーナル。それを見て少し笑みを溢しながら彼女を手伝うセルバンデス。


「本当は妹君が出来たようで喜んでいるようにも見えましたぞ」


「こんなじゃじゃ馬が妹なんて悪い冗談ね」そう皮肉に言うシャーナル皇女。だがロゼットの寝顔を優しい表情で見つめる。「ニグルムプエラ……ですか」セルバンデスがそう発した。

 それはこの地にて伝わる『魔物』の名。夜な夜な泣きながら徘徊するという黒い少女の姿をしている。またの名を『バンシー』と呼ぶ。この伝記の筆者は、この魔物を実際にドラストニア領内であった宗教弾圧と絡めて書いたのではないかとされている。


「あの話、賢人のあなたはどう思う?」


 そうセルバンデスに問いかけるシャーナル。「皮肉でございますか?」と彼は答える。ゴブリンを賢人と褒めることに対して皮肉と受けるとセルバンデス。「さっきのお返しよ」とロゼットを『妹のような存在』と言われたことに対する仕返しのつもりだったようだ。二人の他愛もないやり取りの後、セルバンデスは考え答える。


「私にはわかりかねますね。人間が神と崇めるものは結局、偶像であって虚像。その中に道徳を見出すことを意義とするのでしょうが。しかし、教えを妄信することで本当の意味での道徳が生まれるとは思えません」


 神を信じないセルバンデスの答え。同じ宗派でありながらも過激な思想から対立を生む。それによって『教え』を盲信してしまったことで起こる戦火。同じものを信じるもの同士でさえも戦争はやってくる。その考え方の違いによって別のものを信じる者に対する以上の憎しみへと変わってしまう。


「宗教と道徳は同じものとされることが多いけれど、実際にはそうではないわ。個人の思想そのものによって生まれる宗教。他人の持っている道徳が必ずしも宗教に繋がるわけではない。」


 シャーナル皇女はセルバンデスの答えに更に応えて、そしてこう続ける。


「道徳とは他人の考え方を素直に受け止めることが出来る。でも、それでいて決して他者に染まるのではない。確固たる自分の意志を持つ。それを間違えることなく、伝えることが出来る。そういった『活力』そのものなのではないかしら」


 少なくとも他者を否定し拒絶することが道徳ではない。それは思想であって道徳とは非なるもの。何事も素直に受け止めることの出来る人物が持っている心の在り方。それこそ道徳なのだとシャーナルは締める。隣で眠るこの少女のように――。


「昔、あなたがまだロゼット殿よりも幼い年頃にも読んだことがありましたな」そう言うセルバンデスの横顔に対して、すぐにいつもの冷たい表情に変わるシャーナル。「忘れたわ、そんなこと」と冷たく返すのであった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ