1話 白い少女
カーテンの隙間から張り込む日差し。窓は僅かに開いており、蝉の鳴き声と共に隙間風が微かに入り込む。熱気を帯びた少女の身体に染みわたる。まだ目が覚め切っていないのか、虚ろな目で天井を見上げる。白い素肌を伝う汗。シーツは少しばかり染み込み、寝返りを打って外の窓に目を向ける。
「……」
僅かな吐息を漏らし、風で揺れるカーテンを呆けるように見つめる。そのまま小さな身体を引き摺るように窓へと近づく。開くと同時に日差しが眩く照らし、少女の白い素肌と銀色の髪が輝く。
反射的顔を逸らし、目が閉じかける。七月の下旬の早朝。風が入り込んでいるとはいえ、外の熱気も伝わってくる。汗を拭って、瞬きを何度も行う。長い睫毛がまるで西洋人形を思わせる。その碧い瞳が水のような輝きを放ち大きく開いて見せる。
「朝だ……」
夢で見た、あの黄昏の光を思い出す少女。太陽の光と重ねて見てしまうが、あの時と見える景色は全く異なっていた。雲も無く快晴が広がる。見渡す限りの青空。深呼吸をしてから両手で頬を軽く叩き、明るい表情を見せる。身体を伸ばし、すぐに着替えに取り掛かる。浮世離れをした容姿とは裏腹に、少女の動きは快活で気力に満ち溢れていた。
それと同時に母親らしき声が扉の向こうから聞こえてくる。ドタドタと音を立てながら彼女の賑やかな一日が始まりを迎えた。
◇
「ご馳走様でしたー」
こっちに越してきてからは日本食が殆どだ。故郷の味を忘れてしまいそうなくらい、食事にも慣れ親しんでいた。学校の給食も食べやすく、みんなと楽しんで食事が出来る。それも明日からは夏休みでしばらくはお預けになってしまう。学校は楽しいけど、それ以上に夏休みに対する思いが強くなっていた。
そんなことを考えながら食事を終えて食器を運ぶ。台所では携帯を片手に立つママと目が合う。私と同じ銀色の髪の毛。私以上に白い素肌が目立ち綺麗な碧い目が映える。私にとってもパパにとっても自慢のママ。そんな容姿でありながら、電話越しで流暢な日本語でパパと会話してる。私にとっては日常だけど、その様子は改めて考えてみると、ちょっとシュールかも……。
「そう、じゃあ夏休みには帰ってきてあげられるの?」
おそらく夏休みの予定でも決めようかと話していたのかな。少し残念そうな声で電話を切り終える。私がその様子を察して「パパお仕事忙しそうだねー」と話を振る。ママも困った顔でお手上げポーズを見せてくる。
パパのお仕事の事情で日本に住むことになったのだけれど、仕事で家を空けてることが多い。だからママと家で二人で過ごすこともほとんど。こんなに可愛い娘とママを置いて仕事ばかりのパパにも困ったもんだよ。ママも冗談交じりに仕事を始めようかと、最近真剣に考えてるみたいだし。
「男の子ばかりの職場で仕事してやろうかなぁ、あいつめ」
「そ、それはやめて」
パパに当付けるよう、口を尖らせるママ。ただ私以上に行動力のあるママならやりかねない。ママも「あまり我儘言っちゃだめよ」と笑顔で少し窘める。
「えー……ママは良いのー?」
「ママは良いのよ。パパの女神様だから」
そういうママに張り合うように「じゃあ私はパパの天使だから良いよね」と返す。一瞬で呆れ顔に変わるママ。二人に取り合いされるパパを想像すると、今度は二人してニヤケ顔を見せ合う。けどやっぱりパパが居てくれないと寂しい。ママだって寂しがってるし、私だって―……本当は毎日でも会いたい。お仕事で頑張ってくれてるのはわかる。けどこれくらいの我が儘言ってもバチは当たらないよね。
「パパ、キャンプは来てくれるよね?」
パパの話をしながら、今度は学校行事や友達の親戚の旅館で泊り込むという話も出てくる。家族参加のキャンプなんかも企画されてるみたいだし、パパもその時ばかりは帰ってきてくれると思う。
「それまでには間に合わせるって言ってたから大丈夫よ。ママよりも可愛い天使に会いたいってさ」
冗談混じりに私の身体を擽ってからかうママ。二人してパパの帰りを楽しみにしながら、夏休みの予定をあれこれ話していた。
期待を膨らませながら学校の支度を済ませていたら、呼び鈴が鳴り響いた。慌てて鞄を手に取って、玄関へと向かう。
「おはよーございまーす!」
玄関のドア越しからでも聞こえてくる聞き慣れた声。それに応えるようにドアを開ける。眩しい日差しが再び視界を遮る。手で遮りながら視界が回復すると、眼の前には見慣れた顔。元気な私の親友と顔を合わせる。
「じゃあ、ママ! 行ってきまーす」
◇
「ローザは夏休みどうする? やっぱり向こうに帰るん?」
登校中、親友の彼女が尋ねてきた。彼女は私が日本に来てから初めて出来た友達の『佳澄』。ちなみに私の本名は『ロゼット』だけど『ローザ』や『ローズ』という愛称で呼ばれることが多かったりする。
「うーん……まだそんなに考えてないんだよね」
これから夏休みに入る時期。佳澄の言う『向こう』というのは私の故郷。日本に近い気候で過ごしやすい。お婆ちゃんが農場と牧場をやっているから、そっちの楽しみもあった。
「キャンプも早めに決めとかないとね」
「パパが帰ってくるかどうか、わからないけど。多分大丈夫そう」
佳澄の知り合いの山で二泊三日のキャンプ。七月に入った頃にママにも相談して許可を貰ってみんな親同伴の参加になっていた。あとはパパが帰って来られるかの心配だけ。両親も佳澄の事は良く知ってるし、うちにも何度も泊りに来たことがある。もはやウチの家族の一人のような付き合いになってる。
「海も行きたいし、その前に夏祭りもあるしね」
「明日、ウチに泊まりに来て宿題終わらせてから、プール行くんでしょ?」
予定にはない無茶を佳澄に振ると、冗談混じりに大袈裟に突っ込んできた。
「急すぎだってば!! ローザママも流石にそんな無茶ぶり、無理でしょ」
「ママなら多分、良いよって言うよ」
「あー……でもなんか言いそうかも」
ママことだから多分許可してくれると思う。むしろ、こういうイベント好きだからこそ多少の我が儘も許してくれたりする。
明日の予定も決まったところで、あっという間に学校付近まで着いていた。楽しいことは本当に時間が短く感じてしまう。これから始まる夏休み。それもきっと、駆け抜けるように過ぎてしまう。
校庭でも明日からの夏休みが楽しみなのか、みんなそわそわと、どこか落ち着かない様子。明日からの予定や今日の帰りに都市部に行こうとか。各々計画を話し合っていた。
私達も他愛のない会話をしながら下駄箱へと歩いていく。みんな元気な声を掛けて挨拶してくれる。何人か夏祭りにも行かないかと声をかけられる。
「なぁ、ロゼットって浴衣とか着るの?」
不意に聞かれる質問。
「どうかなぁ、浴衣持ってないんだよね」
着てはみたいけど、持ってないし、ママに強請ろうかとも考えても前に服買ってもらったばかりだし。私の曖昧な返事に男子もちょっとソワソワしたような様子だった。彼らの様子の理由がわからずに怪訝な顔をしていると、横から佳澄に肘でつつかれる。「着てきてあげなよ」とニヤケ顔で耳打ちしてくる。
「いや、持ってないし」
「ローザママには話とくからさ」
妙にテンションの高い香澄。ヒソヒソと二人で話していると、明るい声が後ろから話しかけてきた。
「ロゼット似合いそうじゃん。水色とか、白とか涼しそうなヤツとかも良さそうだし、紺色とか黒でも映えそう」
私と佳澄よりも少し背が高く、利発そうな顔立ちをした私のクラスの男子の委員長。
「昇君、おはよー。着たことないし、持ってないんだけどねぇ」
少し反応に困ってしまう。みんな容姿を誉めつつ、色合いまで見立てアドバイスまでしてくれる。
彼は昇君。私が転校してきたばかりの時、佳澄と同じで日本の事を色々と教えてくれた。右も左も分からないパパの国での生活。そこでの良さも教えてくれて、色んな文化も知ることが出来た。私にとっても数少ない信頼できる男の子。
昇君の後押しに加えて、他の男子からも勧められる。元々興味もあったし、何より見た目も涼しそうに感じる。みんなもそう言ってくれるから「着てみようかな?」と答える。そこからの流れでみんなと夏祭りに行くという話に盛り上がる。中には拳を握りしめてる男子もいたし、そんなに着て欲しかったのかな。
「やるじゃんモテ子」と佳澄が再び耳打つ。
「焚き付けたのはどっちさ、バカ」
そう言いながら振り返る。すると今度は昇君の笑顔があった。少し恥ずかしかったけど、なんだかんだでみんなから認められてるのかな。
初めて来た頃とは大分印象が変わっていたと思う。
最初の頃はやっぱり避けられていたのもあると思う。私があまり気づかなかったのもあるから実感は無かったけど、佳澄。距離感が掴めなくて悩んだ頃も勿論あった。元々銀髪で白い肌が特に目立つし、碧い目というのも彼らにとっては不思議なものに見えたんだと思う。故郷でも確かにあまり見かけない容姿という自覚はあったし、その辺りは仕方ないのかな。
でも仲良くなると気さくに話しかけてくれるし、仲間外れるされるどころか、率先して私を誘ってくれる。私もどちらかといえば外で遊んだり、走り回ったりすることが好き。だから彼らにもすぐに馴染むことができたのかな。
「ロゼットは実家に帰ったりするの??」
昇君が不意に夏休みに向けた予定を訪ねる。みんなも両親の実家に帰省するみたいだし、私も帰郷するのではないかと。優しい表情とは裏腹にその声色は僅かに寂しげだった。そんな風に聞こえたは気のせいだろうか。
「どうかなぁ……結構遠いし、パパもこっちの仕事忙しそうだし。おばあちゃんにも会いたいけど、帰るのは難しいかな。飛行機でも半日使っちゃうくらい掛かるし」
その言葉を聞いてホッとしつつも残念そうな様子の昇君。同じく安堵する男子もちらほら。
「飛行機乗ったことないからわかんないけど、携帯とかも使えないんだっけ。向こうは牧場があるんだよね?」
佳澄も私の故郷について乗っかるように質問を投げかけてきた。故郷は好きだし、牧場も好きだけど、仕事の手伝いは結構な重労働で嫌というほど経験してる。動物は可愛いんだけど、実際にやってみないとあの辛さはわからないんじゃないかな。
「うん、動物臭いけどね」
「うんことかいっぱいありそー」
男子の一人が案の定、悪のりでふざけ始める。周りもつられて笑い出すのが、なんだか男子っぽい。
「きちゃないなぁ」
「でも、動物とかいて楽しそうじゃん。飼育係とかとは違うんだろ?」
昇君はむしろ、牧場の方に興味を持ってくれていた。
「手伝いとかは大変だったよ。毎日やるのはちょっと辛いかなぁ」
しかし他の同学年の子たちは「でも写真観たけどすごいきれいだったじゃんー」とか「いいなー」という声が多かった。やっぱり日本以外の国に憧れみたいなものがあるのかな。私にとっては当たり前の風景だし。今の日本の環境のほうが新鮮で面白いと思えてしまう。お互いに文化の違いがあるからこそ、自分の知らないものがあって面白く感じる。それはそれで良いんだけどね。
みんなが自分たちの妄想を元に海外への思いを話し合っていると背後から別の声。私達の会話に割り込んでくるようにして彼女たちはやってきた。
「糞まみれで匂い付きそうじゃん」
「あたし無理だわー、そんなの」
会話に割って入ってきたのはクラスの女子の委員長で織戸さん。少しきつめの口調とは裏腹に可愛い顔立ちで、人形のように綺麗に整っている。私も初対面のときは、子役のモデルかと思うほど綺麗でびっくりしていた。実際、何人もの男子が彼女に告白しているほどモテるらしい。噂通り間違ってはいないんだけど、本人も自覚してる節がある。それを鼻にかけて自慢っぽく話してくるのがちょっと反応に困る。
それを差し引いても同じ女子の私からも見ても可愛いと思う。何よりあの黒くて長い髪の毛に密かな憧れを抱いていた。ただ今日は少し、いや―……かなり様子が違っていた。
「えぇ……どうしたの? その髪」
彼女は普段は艶やかで綺麗な黒髪の持ち主。私も一度ママに黒染めをねだったこともあるくらいには綺麗で憧れていた。
しかし、今日は太陽と同じ黄金の輝きを放っていた。昇君も佳澄も固まっており、周囲のみんな驚きながら、髪の毛の事を尋ねていた。彼女は髪を指で梳かす様な仕草をして、どこか自信に満ちた表情を私に向けてくる。
「イメチェンだよ。ほら二人で並んだら姉妹っぽくない?」
そう言いながら私と並んで見せる。佳澄と昇君は何とも言えない表情を見せ、周囲もザワつく。直接関わるのは正直ちょっと苦手だった。
自慢をしてくるのもそうだけど他の子と私を見る時が違ったからだ。私を見る時だけ目が鋭く、笑顔なのに目が笑っていない。鋭い視線を向けられるのがちょっとだけ怖かった。それに何かと突っかかってくることもあったし、距離を置くようにはしていた。ハッキリと言ってしまうと嫌われているように感じる。
私達の様子に更に他の生徒がわらわらと集まってきて、少しばかり騒ぎになってしまった。異国人の私と学校一の美少女が髪の毛を染めて並んでいる。それは嫌でも目立ってしまう。
「ねぇねぇ。みんなはさぁ、二人のうちどっちが可愛いと思うー?」
一人の生徒がそう言ったことで周囲はざわつく。私の周囲には先ほど誉めてくれた男子もいたけど、バツの悪そうな表情。そのあと集まってきた面子の中には委員長に好意的な男子達も多かった。女子も取り巻きがチラホラ見えたりと、あとは興味本位の野次馬ばかり。みんな思い思いに自分の意見だけを言い合う。ヒソヒソと聞こえてくる委員長を擁護する声。さきほど誉めてくれてた男子達も強く声をあげられない様子だった。というよりも単純に委員長に睨まれたくないのだと思う。。
ただその中で昇君と佳澄だけは声をあげる。
「そんな事聞いたってどうでもいいじゃん。人には人の思ってることがあるわけだしさ」
「俺たちはロゼットの良さを話してただけだし、そんな突っかかることでもなくない?」
昇君が先ほどの男子達に同意を求めるように振る。消極的ではあったけど男子達、それ以外の女の子達も同じ思いのようだった。ただ、凄むように睨み付ける委員長の視線が突き刺さる。それに怯えているようにも思える。
「そうよね、やめようやめようこんなの。ロゼットさんに悪いし」
睨んだ目を緩め、みんなの悪ノリに対して委員長もやめるように言う。けど最後の文面に少しムッとくるものがあった。確かに委員長も可愛いとは思うし、周りに好意を寄せてる男子もいるから自信があるのは分かる。けれどまるで私が負けるみたいな言われ方。別に勝負をしていたわけでもない。だけど勝手に比べられて、『負け』みたいな雰囲気を作られてちょっとだけーー……ムカつく。
「気にしてないからいいよ、委員長さん。それに委員長さんモテるし、私じゃどうやっても勝てっこないよ」
この状況じゃどうやっても勝てないし、下手に喧嘩なんてこともしたくない。周りも私の言葉に同調するような様子。その方が穏便に済ませられる。そしてなぜか委員長の取り巻きの女子が勝ち誇ったような顔をしていた。結局、騒ぎを聞きつけた先生達もやってきたことで皆は散らばる。
やっと緊張感から解放されるとホッとしていたのも束の間。周囲に紛れて委員長は去り際、私に耳打つ。
「ホント、ウザイねアンタ」
それだけを言い残して教室へと向かって行く。やっぱり委員長だけは私の言葉をそのままの意味としてではなく、どこか嫌味に受け取っていた。実際、少し嫌味っぽく言ってしまった。ちょっと言い過ぎたかなと段々と不安が襲いかかる。
でもなんでそこまで、嫌悪感をぶつけられるのか、本当にわからなかった。出会ってから何か嫌な事をした覚えもないし、嫌われるようなことを言った覚えもなかった。委員長が私にどうしてほしいのか、考え込んでしまう。
「どうしろっていうのさ……」
「どうかした?」
私の独り言に佳澄と昇君が小首を傾げ、聞いてきたけど「なんでもないよ」とだけ答えた。