12話 約束
馬に跨ったアズランド家の兵達が略奪を働いており、応戦する王都軍とで混迷を極める。悲鳴とあらゆるものを燃やし尽くす炎の音。激突する金属音と銃声に斬られる音も混じりあう。ロゼットを抱えたまま戦場へ赴いた紫苑だが、まずは彼女の身の安全の確保のために避難経路へと向かう。水路を使い、その道中で彼は見知った顔と出くわした。
「将軍! ご無事でしたか!! 先行部隊が将軍の討伐に向かっておりましたので、こちらからも援軍を送りましたが……」
「それはいい。オスカー! 当主は攻撃命令を下されたのか!?」
「再三にわたって説得を試みましたがバロール将軍とその一派の強行です。我々は将軍の奪還部隊として編成されましたが、先行部隊が独断でそちらに向かわれたので急いでこちらに赴いた次第です」
壮年の将兵と思わしき男性。彼は『オスカー・モリアヌス』と呼ばれていた。紫苑と同じくアズランド家に仕える軍人。先行部隊を追って避難経路である水路から侵入してきたようであった。彼の話しではアズランド家では『バロール』将軍と呼ばれるアズランド家の次兄の派閥、当主の派閥に分かれているようだ。その中でも紫苑を支持する小さな派閥である。紫苑の身を案じ、救出に身を乗り出していた。ただバロール将軍の派閥でもドラストニアへの攻撃に積極的であるのは上層部の一部。今回の攻撃も過激な将兵達に焚きつけられたことが引き金となっている。
「そんなのって……」
ロゼットが胸中を吐露すると紫苑も表情を険しくさせる。軍人である以上、命に背くことは許されない。たとえそれが本人の意思とは反するものであったとしても従わねばならない。紫苑の境遇と重なり、彼らも同じなのであった。
「こちらの少女は?」
ロゼットを指して訊ねるモリアヌス。紫苑は「命の恩人だ」と返す。何度も助けてもらったのはロゼットとしては少々複雑な心境である。少し後ろめたさを感じた彼女は先ほどの失礼な態度のことで紫苑に謝罪しようと声を掛けたが、そのとき王都で騒動が大きくなる。ドラストニアの王都軍、それも精鋭部隊が装備を固め次々と侵入するアズランド軍と応戦。紫苑に撤退を促すモリアヌス。
「ここは危険です! ドラストニアとの接触は無理でしょう。撤退して、その後にドラストニアとの接触を試みましょう」
紫苑とモリアヌスの部隊はそのまま合流し、撤退を開始。撤退の最中、紫苑は横目で思いつめた表情で戦禍が広がるのを見つめていた。
「アズランドは余力のほとんどを投入か……」
「追従した兵だけではございますが、それだけに精鋭も死を覚悟の最後の突撃を敢行しております」
「既に敵味方混戦の泥沼。ドラストニアに発見されれば、いずれにしても我々の命はないでしょう」
アズランドも戦力的には勝ち目がないと判断し、最後は玉砕覚悟の特攻。そうまでして、望むものとはなんなのか。紫苑は未だ、わからずにいた。
「もとより死は恐れていない。しかし……この場を捨て置くわけにも」
彼の表情をすぐそばで見ていたロゼットは胸を抑える。このまま一人にしてしまったら、きっと自分のことなど構わず無茶をする。どこか遠くへ行ってしまう、そんな気がしてならず彼の服を強く握りしめる。戦禍の届いていない場所まで来たところで兵が紫苑に声を掛ける。
「将軍、この少女を連れていくことは出来ません」
これ以上のロゼットの従軍は身の保証ができない。兵は彼女を別の場所へと避難させることを提案。紫苑は戦況を見ながら彼らに指示を送る。
「彼女を指令部まで送り届けてほしい。その後はドラストニアに投降しろ」
「っ!! 我々もその後、合流します。戦う覚悟はできております!」
紫苑の言葉に狼狽える兵卒。彼は兵卒を宥め、アズランドのためにではなく、ドラストニアの民のために最善を尽くすよう説得をする。
「この国には我々に対して理解を示してくれる人々もいる。彼らを裏切ってしまったら、我々は本当の意味で反逆徒となり果てる。我々も戦争を回避するために尽力してきたはずだ。それは一体何のためか」
紫苑の言葉に彼らの心は揺らぐ。民のために己を犠牲にする。現に自ら投降してまで、ドラストニアとの和睦を訴えてきた。己の死さえも厭わない彼の言葉であるからこそ、その問いかけが重くのしかかる。
「皆も聞いてほしい! 我々には戦う術があっても、民にはない。そして、それを強いるようなことは、決してあってはならない。それでは我々は何のために存在するのか」
今一度、紫苑は兵達に自分達の在り方を語りかける。たとえドラストニアから謗られることになろうとも、彼らは自分達の『責務』を全うする。責務という言葉が重く、ロゼットの心にも響いた。皆、紫苑と同じ顔つきになるのがロゼットにもわかった。
「付き合わせてしまってすまない」
「今更、何をおっしゃられます。部隊はどう編成されますか?」
「半分はそなたが引き受けてくれ。後方より左右から強襲する以外に他はない。真正面からぶつかるのは無理だ」
「でしょうな。仕掛けるタイミングはドラストニアに合わせましょう。彼らもなんら手立ても無しに防戦一方とは考えられません」
それから副将を一人寄越すようにモリアヌスに頼む紫苑。段取りを決めると、紫苑がロゼットの方へと向かってくる。さきほどまで話し合っていた険しい表情ではなく、彼女へは優しく柔らかな表情を向ける。
「巻き込んでしまい申し訳ございません。あの場に置いていくことも出来ず……私と共にいれば貴女にも危険が及びます」
紫苑が死地へ行くのだと、ロゼットも理解する。自分が言ったところで変わらないことも分かっていた。けれども止めたいと思う少女。紫苑の服の裾を弱々しく掴む。紫苑は屈んで彼女と目線を合わせる。彼女の頬にそっと優しく手で触れる。
「貴女から頂いた平手打ちは、もっと強かったと思いますよ」
不安げな表情のロゼットに冗談を言って元気付けようとする紫苑。ロゼットは思わず笑みを溢しながら、互いに額を合わせる。「いじわる、なんですね」とロゼットも冗談を溢す。目を閉じてお互いの安否を願うように寄り添う。紫苑は立ち上がり、彼らにロゼットの事を託すと、騎馬に跨り部隊を率いてその場を去っていく。ロゼットも護衛部隊に連れられ、名残惜しむように紫苑達の後ろ姿を見ているだけだった。
通り過ぎる城下町の風景は戦場そのものであった。逃げ惑う王都民、双方の軍が火花を散らしながら激突している。鉄の音と焼けこげる匂い、そこに混じる鉄の匂いが彼女の鼻の中に残る。おぞましくも恐ろしい光景を目の当たりにしながロゼット達は駆け抜ける。
「これが……戦争」
息を呑み、その単語を口にする少女。これまで実際に目の前で見たこともなく、彼女の日常とはかけ離れたもの。テレビや映像越しでしか見たことのない光景。夜風の寒さよりも戦火の熱さの方が勝っているのに、彼女の体は芯から震えていた。
―――――
城砦の窓からシャーナル皇女が王都の惨状を眺めていた。彼女を探してポスト公爵が足早にやってくる。避難経路の確保と被害状況の報告であった。
「皇女殿下、アズランドの攻撃です。すぐに避難を」
「今のアズランドでは無理でしょう」と彼女は涼しげな表情で返す。攻め込んできたアズランドの精鋭達だが、城砦までたどり着けないものと踏んでいる。退避の姿勢を見せない彼女に、ポスト公爵は再度進言。
「万一の可能性もございます。殿下だけでも退避を。我々や『彼ら』とはお立場が違います」
『彼ら』とラインズ、セルバンデス達を指す。シャーナルが王家の血筋であることを念頭に置いて話す。
「前線で指揮してるのは『彼ら』でしょう?」
シャーナル皇女が訊ねる。軍の主力はバロール将軍が率いていること。ラインズ達が近衛部隊を編成して応戦していることを伝えるポスト公爵。戦の経験においてはバロール将軍とアズランド軍に分があるが、城砦攻略、ましてや王都の拠点を落とすことは容易くない。奇襲とはいえ、戦力の数では足りているとは言えない。アズランド側にも決して余力があるわけではない。
「あの二人が相手なら万一にもここが攻め落とされるなんてことはないでしょう」
「しかし、もし落とされることがあれば?」と訊ねるポスト公爵に彼女は冷淡に「命運を共にするしかない」と答えるだけだった。彼にすぐに動かせる部隊を準備させ、自身も出撃の旨を伝える。