11話 それは唐突に訪れる
深夜のドラストニア王都の城壁。守備隊の状況確認とアズランド側に動きがないか偵察も兼ねてラインズとセルバンデスは出歩いていた。暖かな昼間とは打って変わり不気味な暗闇が広がる森林地帯。深淵の中から時折、不穏な鳴き声あるいは咆哮が響き渡る。襲撃を仕掛けてくるのは何も『人間』ばかりというわけではない。薄っすらと霧も出ており、視界も良好とは言えない。近年では都市の発展と産業も盛んになったことで人口も急増傾向にある王都。城壁の外にも居住区が形成されているが、その外側にも建設中の城壁があった。内側の『壁』の中にいる中流、上流階級とは違い彼らは建設工事のための労働者で仮設住宅での生活をしている。それでも足りておらず、廃材を集めて作ったバラックが多く目立っていた。まるでスラム街にような街並みとなっており、深夜には小さな酒場が明かりを灯し客の賑わう声で盛況している様子が伺える。
「予定通りなら数週間で完成だったか」
「深夜組の労働者達に夜を徹して働いてもらってはおりますが、人手不足は否めません。現場からは逃げ出した労働者の報告も上がっております」
「奇襲されるかもしれないって時に前線で働くなんてなったら、そりゃ逃げたくもなるわな」
「守備隊も増やし、王都に駐屯している部隊もすでに待機させて、襲撃に備えさせてます。後は朝日を何事もなく迎えることを祈るばかりです」
セルバンデスの徹底した準備。それに加えて祈るという言葉に鼻で笑うラインズ。続けて彼がセルバンデスに訊ねる。
「何に祈るんだ?」
「可笑しいでしょうか?」
信じる神がいないセルバンデス。そんな彼の言葉にラインズは皮肉交じりに笑う。
「何も神にばかり願を掛けるわけでもないでしょう。時の運というものをございますから」
「祈ったところで結果なんて変わらんもんさ。幸運なんかをアテにする人間に国の命運を託すことなんて出来ないだろう」
セルバンデスもそれは理解していた。ラインズも祈りや願をかけるくらいなら行動に移すと説く。今、出来うることを尽くしている以上、問題が起これば対処するだけである。そういう現実的な物の見方をするのがラインズという男でもあった。ただ、彼のような人間にしては珍しい一面もあった。
「ロゼット様を擁立されたのも、それが理由でしょうか?」とセルバンデスも皮肉を言う。「嫌味を言うなよ」とラインズも返す。幼君を擁立すること自体が国家にとってリスクを伴う。十分に承知をしていたが、国王派のラインズ、長老派のシャーナルのどちらかが国王ともなれば派閥の対立がより苛烈となりうる。ひいては国の分裂による、新たな内乱の可能性も十分に考えられたからだ。どれだけの時を有することになるかは彼女次第ではあるが、十年、二十年と悠長にしていられるだけの時間はドラストニアにはなかった。続けてラインズはロゼットの今後について訊ねる
「今後のあの子の扱いはどうする?」
「ハウスキーパーとして、当面はメイド長に一任しております。修学に関しては私が務めます」
「王都に育成のために来たとはいえ、有識者って肩書にした以上、知識を出すような場面も今後出てくるだろうしな。そうしておかないと国王派の中でも納得しないだろう。何も知らない子供が君主なんて知ったら国王派の中でも分裂しかねない」
「そこは徹底致します。このような状況で一から陛下の育成に着手しなければならないのは、いささか悠長とは思いますが……」
セルバンデスはあくまで先代の意向を汲みロゼットに忠義を尽くし、臣下として支えるつもりであった。ラインズとしても派閥争いの中に今の彼女を巻き込むつもりはない。幼君である上に彼女の境遇を合わせると非常に危険な選択ではあった。
「言えるわけないよな、母親が暗殺されたなんて……」
「御身が危険な状況というのはロゼット様も勘づいておられます。我々に出来ることはなんとしても殿下が即位するまでお守り致すことです」
「今のあいつじゃ、風でも吹いたら飛んでいきそうだな」
今のロゼットを見た上での率直な感想、加えて冗談を交えるラインズ。王妃の死は派閥争いによる暗殺。当初は対立している長老派によるものだと意見もあったが、国内紛争に発展させるために外患という可能性も十分に考えられた。確固たる証拠もないまま長老派とすることも出来ず、ロゼットは隠遁生活を強いられることとなった。
現在の各派閥の動向によっては暗殺も十分ありうる。最も可能性が高いのはドラストニアと明確に敵対しているアズランド家。ロゼットが王位継承者とも公言できない現状においても隠遁時代と何も変わらない。
「外患の可能性はございましょうか」とセルバンデスは別の可能性を示唆する。
「先代の頃に関係はかつてよりも解消はされたが、実質的な友好国は『フローゼル』しかないからな」
「ロゼット様を匿ってくださった、あの王国には頭が上がりません。アリアス国王も陛下とは親密の中であったこともあり、北のグレトン公国に対する牽制にもなっておりました」
「じゃあグレトンが『あの一件』を?」
「所詮は憶測です。考えすぎると何もかもが疑わしく見えてしまいます」
ラインズも同じ思いであった。過ぎたことを考えたところで何の解決にもならない。目下の敵でもあるアズランドとの問題。これの隣国への波及が最も彼らが恐れている事態。そのため他国に助力を求めるという選択も出来ない。
「アズランドとの禍根か……。とんだ遺産を残してくれたもんだ」
ラインズが呟くとセルバンデスが足を止め、彼を呼び止める。
「ん? わ、悪かったよセバス。言い過ぎた」
先代に対する悪態に気を悪くしたのかと思い、すぐさま謝るラインズ。
しかし、そうではなかった。僅かにだが甲高く遠方から近づいてくる小さな音に反応したらしい。その音に耳を立てるラインズだったが、何かに気づき慌ててセルバンデスの身を屈めさせる。
「セバス!!」とラインズの叫びが響く。同時に城壁付近にて音と共に爆発が巻き起こる。彼らのいた城壁部分は破壊され、その場で見張りをしていた数名の兵が吹き飛ばされる。火薬の匂いが砂埃に混じる中、ラインズはすぐさま行動をとった。
「敵襲! 応戦!!」
見張りの兵達に号令を掛け、それに応えるように敵襲の報せを告げる鐘が鳴り響く。砲撃は次々と繰り出され、静寂な夜を迎えていた城壁は瞬く間に、怒号と轟音によって戦場へと変わってしまった。
◇
「え……? 何……?」
外の様子が騒がしくなり先程までの眠気もかき消される。静寂だった夜、虫の声も鳴りを潜め、人々の騒々しい様が自室にまで微かに届く。何事かと思い自室の扉を開ける。すると廊下では高官達と兵士が騒いでいた。覚めきっていない頭、外の様相に混乱し何が起こっているのか理解が追いつかない。高官の一人の『攻撃を受けた』という一言で一気に目が覚める。
「まさか……戦争……!?」
私の頭の中で夢で見た情景が駆け巡る。あの戦場の重苦しく張りつめた空気、人が斬られる音と焼ける音を思い出す。避難勧告のように鐘が鳴り響き、慌てて自室を出て城砦へ走り出す。城砦では物々しい雰囲気に変わっていた。高官の人達は慌ただしく書類を持ち出し、自分たちの私物だけを持って逃げまとっている。かと思えば軍服を着たリーダーのような人が兵士達に号令をかけ、町へと向かう姿も見られた。
「――そういえばセルバンデスさんとラインズさんは……」
王宮でも見かけることがなく、城砦内を駆け回ってみるが見つからない。慌てふためいているところで兵士達の会話から城壁前線にいることがわかった。二人の近くにいたいという気持ちはあったけど、戦場に行くことを意味する。迷い立ち止まっていると、背後からやって来たハウスキーパーの先輩に手を掴まれる。
「突っ立ってないで逃げるわよ! みんなと合流するの!」
「な、何が起こってるんですか!? 本当に戦争が起こったんですか!?」
手を引く先輩に訊ねてみても、彼女も知らないと答えるだけだった。ただ、こういうときにどうするべきかは知っているみたいだ。合流後、点呼を取る余裕もなく、すぐさまメイド長が指示を出す。
「良いですか、これは訓練ではありません。各々訓練通りに且つ迅速な行動を心掛けなさい」
「貴女達は兵ではありません。避難経路の確保に当たりなさい。たとえ敵兵に出会っても交戦してはいけません。逃げる、あるいは止むおえない場合は投降をしても構いません。自身の命を最優先に考えなさい」
「ドラストニアに仕えようとも、まずは自分の命を守ることを考えなさい」
号令と共に皆一斉に動き出し、私も後に続く形となった。初日でまさかこんな経験をすることになるなんて思いもしなかった。鳴り響く警鐘。怒号に加えて、城塞にまで響いてくる花火のような音。それは明らかに花火よりも重く、絶え間なく放たれている。嫌な緊張と吐き気に襲われる。視界が徐々に歪んでいく。この訳のわからない世界でたった一人、違う世界の住人でもある私自身。疎外感というか、独りぼっちなんだと思うと怖くもなり誰に頼っていいのか、わからない。
『独りぼっち』という言葉に不意に彼を思い出す。さっきまで感じていた緊張よりも彼も助け出さなくてはと、強い衝動に駆られる。あんなに重く感じていた足も動いていた。気づけば牢の前まで来てしまっていた。
「見張りの人がいない……? どんだけいい加減なのさ……!」
呆れた声が思わずこぼれるけれど、今はちょうど良かった。壁に賭けてある鍵を手に取り牢の扉を開ける。牢獄は静かだったけれど、外の騒々しさはこの中にも響いている。駆け足で彼のもとに行くとやっぱりそこにいた。この騒動に乗じて逃げることだって出来たのに、外の騒ぎを気に掛けていただけで逃げる気配が全く感じられなかった。鉄格子の扉の鍵を外し彼の元へかけ寄って足枷を開錠しようとする。
「紫苑さん! 早く逃げないとここも危険です!」
「アズランドが……まさか攻撃を?」
「わ、私にもわかりません!! でもとにかく逃げてください!」
「なぜ……? ドラストニアとまともにやり合っても勝てる見込みなどないはず。当主もそれをわかっておられるはずなのに」
私が彼の手を引いて逃げようとするが、彼は腰を上げない。無益な戦争をなぜ仕掛けるのかと、自問自答している。それでも手を引っ張るけど、逃げようとしない。彼に問い詰めても、頑なに拒もうとするだけだった。
「私は……行けません」
「なんで……!? こんな時に罪も何もないでしょ!!」
彼の意志の固さに言葉遣いも普段のものへと変わってしまい、思わず声を荒げてしまう。非常事態にも関わらず罪人であることを主張。彼がそこまでする意味がわからなかった。
「私は……この国によって裁かれるべきなのです。この機に乗じて逃亡したとなれば、弁明の余地もありません。戦を止めるべく私は……」
「だったら尚更逃げないとダメですよ! 止めに来たのにこんなところで死んじゃったら意味ないじゃないですか!!」
「意味がない……か。おっしゃるとおりです。戦になってしまった以上私の行為自体、意味など無かったのかもしれません」
彼が必死に止めようとしていたのに、起こってしまった戦争。この不条理に怒りがこみ上げてくる。誰も傷つかないために自分の命まで懸けようとしていた紫苑さん。そんな彼の行為を踏みにじるなんて、どうしても許せなかった。
だから、今この人は死んでしまってはいけない。戦争を止めようとしていた人が罪に問われてしまう。こんな理不尽があって言いはずがない。この人を守らなきゃいけない。そう強く心の中で叫んでいた。
頭で考えるよりも体が先に動いてしまう。牢獄の中で渇いた音が響き渡った。
「……っ」
私の手の平と彼の左頬が僅かに赤くなっており、思いっきりひっぱ叩いていた。私よりも遥かに屈強な体格の彼も驚き、目を丸くして私を顔を見つめる。
「じゃあ紫苑さんのことは誰が守るんですか!! 貴方は確かに、この国を守るためにいるのかもしれないけど」
「軍人である前に、あなただってこの国で生きてる『国民』でしょ!! それは誰とも変わらないじゃない!」
自分だけが誰かから守ってもらうことのない境遇に寂しささえ感じてしまう。
「誰もあなたを守ってくれないのなら、私が貴方を守ります!」
私は彼に面と向かい叫ぶ。勢いでのことだった。力もない私にそんなことを言われても説得力なんてない。それなのに彼は驚いた表情で私の目を真っ直ぐと見ていた。
直後の出来事。牢獄の壁から轟音が響き渡り、火が走る。紫苑さんに庇ってもらう形でその場に倒れ込んだ。砂煙と火薬の匂いであたりは充満する。壁には大きな穴が空き、そこから軽装の鎧と銃を装備した兵士たちが続々と入り込んでくる。見たこのない紋章を紫苑さんの表情でアズランド家が攻め込んできたのだと私でも理解できた。
「『黒き鬼』とまで呼ばれた将軍が……まさかドラストニアで本当に鎖に繋がれておられるとは」
兵達の上官と思しき人物が彼に銃口を向けて嫌みったらしい口調で話す。銃弾が放たれ殺されてしまうという状況にもかかわらず私は両者の間に割り込む。
「ま、待って! 紫苑さんは味方じゃないんですか!?」
「ドラストニアに処断されていたかと思ったが、やはり甘いな……。それとも引き入れようと考えていたのか。どっちにしても敵に回すわけにはいかない」
「紫苑さんはあなた達にも……ドラストニアにも背きたくないと言ってずっと牢獄にいたんですよ!」
私は彼の意志を訴えかけるが上官は一言「生かしておくわけにはいかない」と発し、引き金にかけた指が動く。目を閉じて撃たれるその刹那。銃声よりも先に上官の短い悲鳴が上がる。
何が起こったのか分からず目を開けると上官が吹き飛んでいた。私の目の前で目にも止まらぬ速さで、紫苑さんが武器もなく格闘で次々と兵士達を倒していく。至近距離での戦闘で兵たちは銃を上手く扱えず、今度は剣を抜いて斬りかかってくる。その騒ぎを聞きつけ、ドラストニアの兵も加わり入り乱れる。
「失礼いたします」と混乱に乗じて紫苑さんは私を抱えて、そのまま破壊された壁から外へと脱出。咄嗟の出来事で私は抱えられ、反射的に彼にしがみ付いていた。彼は颯爽と戦火が降りかかろうとする家々の屋根を駆け抜けていく。まるでドラマのワンシーンのような美しい夜空を背に。
けれども対照的に私たちの眼前に広がるのは戦禍となろうとしている街並みがあった。