「お試しエンチャント」
昼食もそこそこに、俺たちはグラウンドに向かった。雲一つない良い天気で、絶好のお試し日和な気がする。
「さぁ、始めようか、ネイ」
「はいはーい。僕はいつでもいいよー」
完成した魔法式を書き留めておく個人の書物、通称「魔導書」を開いて魔法式を選択、魔法陣を展開して入力する。先生に教わったコード、エンチャントを組み込んだ式だ。
ネイの体を覆うようにして火のベールが出現する。イメージ通りの魔法だ。これで攻防共に火属性が宿ったはず。
「じゃあ、先輩! よろしくお願いします!」
「お願いしまーす!」
「うん、いつでも大丈夫」
攻撃を受け止めてくれるのはゼノビア先輩だ。本当にありがたい事に、前々からこんな役目を買って出てくれる。聖騎士として防御力を高める訓練になるらしいけど、本当のところは優しさだろうと思っている。
ところで、これから確認するのは火属性がどのくらい宿っているか。弱点属性を突いた場合、理論上、最大で2倍の威力になるはず。先輩の属性は雷だから条件を満たしている。
「いっきまーす!」
ネイが駆け出し、加速。速い。もう目で追えなくなって、
「……あれ?」
打撃音がしたかと思うと、拳は、片手で受け止められていた。火属性が宿った証、爆炎は起こらない。接触した箇所から黒煙が立ち上っているだけ。傍目で見てもわかる。手応えは無さそうだ。
ほら、ネイは首を捻って、先輩もまた不思議そうにしている。
「ねー、シン。ちゃんとかかったのー?」
「あぁ、エンチャントの魔法は正常に動いたはずなんだけど……。どうですか、先輩?」
「普段と余り変わらないかな。多少、熱くは感じたけど」
先輩も変化を感じないとなると、失敗か。何がいけなかったのだろう。煙は上がっているから、全く駄目という訳ではなさそうだけど。ひょっとして火力の問題か。いや、エンチャントは属性を付与する魔法だ。倍率を操作するコードを別に組み込まない限り、基本的に2倍のダメージを叩き込めるはず。
「すみません、先輩。少し待ってください」
倍率以外に考えられるとすれば、魔法発動までに魔力を喪失し過ぎている可能性か。
さっき最大で2倍の威力になると言ったけど、それは適正な長さの魔法式になっている場合に限る。余分な式が混じっているとこの魔力喪失、通称「魔力ロス」が起こって効果が低下する。
式をじっくりと確認して、試しに自分に使ってみる。特に不備は見当たらない。このコードの力を100%引き出せる長さだ。
別の角度から探ってみよう。この魔法式自体が正しい場合、一体どんなミスが挙がるだろう。パッと思い付いたのは対象の選定ミス。今、俺はネイの体を全て覆うようにして火属性を付与した。これで攻防一体になると信じたからだ。
「なぁ、ネイ。手を出してくれるか?」
「はーい、わかったー」
次はこの手に対象を絞る事にする。薄く広く伸ばしていた火属性のベールを拳に集中させることで、目標の威力に近付けないだろうか。
魔法式を修正する。これで効果が上がった場合、エンチャントは攻防を分けた方がいい事になる。そういえば、支援魔法の文献の中に「レジスト」という抵抗の魔法もあったな。あれと組み合わせて防御するのかもしれない。
「先輩、お待たせしました。もう一度お願いします」
「お願いしまーす!」
「うん、いつでも来て」
ネイがまた駆け出して、振り被って、気が付くと打撃音がしていた。それで終わりである。
「……あれ?」
「うーん……」
また拳は片手で受け止められていた。それはいい。先輩は雲の上の人だ。例え目指す数値を叩き出せたとしてもビクともしないだろう。
問題はこの結果だ。2人とも首を傾げている。明らかに不満そうだ。
「ねー、シン。同じだったよー?」
「うん、大差無いかも」
黒煙は上がっているけど、言われた通り、俺も先との違いがわからない。失敗なのか。まさか先輩が強過ぎて、効果が発揮されているのに知覚されていない可能性も。
何をふざけた事を。先輩は本気で攻撃を受けてくれている。明確な違いがあれば絶対に気付いてくれる。
「対象を絞るのも違ったとなると……」
更に狭めてみるか。拳全体ではなく、接触する面だけにするとか。そうすればもっと厚くなる。いや、それでも大した効果上昇は望めない気がする。なぜなら、覆う対象を体から拳に変えてこの結果。これほど圧縮しても差を感じて貰えなかったのだ。
他に着目できる点はあるだろうか。まさか、そもそも込める魔力量が足りていないのか。念のため魔法式を確認する。このコードに必要とされる量は十分確保されている。
「魔力量は十分、魔力ロスは無く、対象はそのままでいい……となると、発動してからの間に何かが起きているのか?」
もしかして、効果は減衰するのだろうか。付与してから攻撃までの間に、劇的に。そういえば、支援魔法が廃れた理由は不合理だから。安価なアイテムがあるから。でも、他にもこういう訳があったのだろうか。
そうなると狙いを定めないといけない。ピッタリと、攻撃が当たるその瞬間を。無理だ。戦闘が見えない俺には使いこなせないのか。いや、諦めるな。何かあるはずだ。
昔、アイテムがまだ高価だった時代、支援魔法士はパーティ必須の職として大勢いたらしい。全員が高速戦闘を目で追えたのだろうか。あり得ない。それにエンチャントは基礎的な魔法だ。そんな高等技術が要求されるとは考えにくい。つまり、魔力の減衰は考慮しなくていいはずだ。
「何か見落としがあるんだ……何かが……」
魔法発動後は、魔法陣を飛び出した魔法自体に何かが起こらない限り、例えば魔力減衰や何らかの干渉が起こらないと問題は起こらない。
「干渉……」
またひとつ可能性を思い付く。干渉とは、その全てが意図されたものではない。抵抗だってその一つだ。どういう事かというと、ネイの体に魔法への抵抗力が備わっていて、エンチャントの効果を弱めているのかもしれない。
これを確かめるのは簡単だ。今度は先輩にかけてみればいい。
「先輩、次は受けるのではなく、代わりにエンチャントの魔法にかかってくれませんか?」
「うん、わかった」
「ねー、僕は―?」
「少しお休みだ。ちょっと見ていてくれ」
対象を先輩にして、エンチャントの魔法をかける。バッチリだ。手応えはさっきと変わらない。これで爆炎が上がったら魔法式自体に問題は無いことになる。
でも、先輩は何も試さず首を傾げていた。
「あの、シン君。言いにくいんだけど……」
「もしかして、目に見えて弱いですか?」
「うん、ちょっと属性値が低過ぎる気がする。私のスキルと比べても……明らかに足りていない」
「スキル」とは、前衛職の戦士たちが使う攻撃技の事だ。詠唱無しで即効性がある分、その効果は一瞬に集約される。要は、魔力減衰が半端なく速いのだろう。更に魔法式みたいにあれこれ組み込む事が難しくて、効果を高めるのが難しいという欠点もある。
さて、先輩は剣技のスキルを多数所持している。属性を持つものも多く、どれも一級品ばかりだろう。それらと比べられると少し困る気もするけど、「明らかに足りない」となると、そういった差を考慮した上で教えてくれたに違いない。
「そうですか……ありがとうございます」
2人とも同様の結果となると、やはり改良すべきは魔法式の方なのだろう。今、この場でやれる事はもう無いかな。
「先輩、本当にありがとうございました。一度、持ち帰って考え直してみます」
「うん、わかった。お疲れ様。そろそろ教導の時間だから、行くね」
「はい、こちらこそお疲れ様でした。ネイもありがとう。改良したらまた付き合って欲しい」
「はーい。じゃあ、私はロードワークに戻るねー」
2人と別れて、俺は図書館へ行く事にした。いつか身に付けようと決めていた「あれ」を習得する時が来たと信じて。