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泣きっ面にあだな①


 人の話し声が聞こえる。


 ゆっくりと瞼を開けて等間隔に並ぶ電灯に目を眇めた。自分の部屋じゃない--そう思って慌てて飛び起きる。


「……っ!」


 急に動いたせいだろう。くらりと眩暈がして咄嗟に頭を抑えて俯く。

 どうやらソファの上で横になっていたらしい。膝の上にあった誰かの上着が落ちそうになって慌てて掴んだ。


 ダークグレーの薄いストライプは確かに見覚えがある。


「――あ」


 --思い出した。


 受付に男が入ってきて、ガラスの壁を割って、五條さんが出てきて査定がどうのこうのって、また誰か来て--


「目が覚めましたか?」


 横の衝立から声を掛けてきたのはベスト姿の五條さん。見覚えのあるこの上着は彼のものに間違いない。

 部屋を見回せば、ここが一度案内して貰った事務所だと分かった。


「突然気を失われるので驚きました」


 そう言った五條さんの後ろから顔を覗かせたのは、最後に顔を合わせたあの亜麻色の髪の少年だった。


「大丈夫?」


 首を傾げた少年にそう聞かれて、咄嗟に大丈夫と返事をした。いや、しようとした。


 だけど口を開いた途端、ぽたりと何かが握り締めた拳に落ちた。


 --涙。


「橘さん……?」


 訝しげな声の五條さんが私の名前を呼ぶ。

 う、わ……止まらない。


 ぼろぼろと溢れる涙が頬を伝い、握り締めたままだった上着を濡らしてしまう。

 慌てて目を押さえるけど、止まる気配はなくそれどころが鼻まで詰まってきた。


「っ……ふ、……っ……」


 ……なんなの一体。


 会社辞めて弟の借金肩代わりして、怪しげな会社に就職してあげくがコレ!


 膝の上の上着をぎゅっと握って、五條さんをきっと睨む。

 だけどその姿は涙の膜でぼんやりと歪んでいて急いで目を擦った。


「う、……っうそつき! 五條さんっ……ぅ……ふ……絶対安全とか壊れないとか、…ひっ言ってたくせにぃいい!」


 途中でしゃくり上げてしまったせいで、言いたいことがちゃんとした言葉にならない。

 イイ歳して泣いてしまった恥ずかしさと、恐怖と、今の静かな空間と、上手く頭が処理出来なくて、心の声がそのままだだ漏れた。


 いやだって、五條さん言ったよね!?

 あのガラスの壁さえあれば安全だって!


 もうこの際ドラゴン相手とか関係ない、言いたいこと言ってやる!

 さかのぼって理不尽な雇用契約まで思い出してしまい、怒りまで込み上げてきた。


 やっぱり私は全然悪くない! どう考えても理不尽すぎる!


 私に近付こうとして中途半端な体勢で固まったままだった五條さんの瞳がきゅっと丸くなる。   

 灰色がかったその目に驚きの色が見えたけど気にしない!


「それは……、こちらとしても、想定外といいますか」


 多分、彼らしくなく言い淀む五條さんに、少年はにやにや笑っている。

 そしてわざとらしく肩を竦めた。


「あーあ。駄目だよ五條さん。約束破ったらちゃんと謝らないと」

 少年の言葉に五條さんは一旦黙り込む。そしてややあってから溜息をつくと、ぺこりと頭を下げた。


「……申し訳ありませんでした」


 しかしすぐに顔を上げた五條さんは明らかに不満気である。

 絶対悪いとか思ってないその態度に私は思いきり噛みついた。


「ごめんで、済んだらっ……警察、いらないっ……ばかぁ!」


 最後の一言は思いきり叫んで、私は結局そのまま--子供のように泣き出した。


「完全に幼児返りしてるね。あはは可愛い」


 事務机の椅子に後ろ向きに座っていた少年が、立ち上がったのが視界の端に映る。

 私の真正面に回り込んだ少年は、おもむろに手を伸ばして、よしよしと頭を撫でてきた。


 もうしゃくりが止まらなくて声にならない。

 ひっくひっく言いながら思いの外大きかった少年の手の温かさに気付き、よけいに涙を呼んだ。


「……笑い事じゃありませんよ。橘さん。泣き止んで下さいませんか」


「馬鹿だなぁ。こういうのは気が済むまで泣かせてあげた方がいいんだよ。ほら、ハンカチは間に合いそうにないからティシュどうぞー」


 少年から裸のボックスティッシュを受け取ったその後は、

 思いきり泣いて、泣いて。




 その中で、あの暴力男の名前は『ガザ』といってドラゴンの中でも一、二を争う魔力の強いドラゴンであり、王族の一人であること。


 今回起こした騒ぎののペナルティとして、今日から魔力封じの腕輪を一年間強制的に付ける事になったこと。


 その上で受付のガラス壁も今のものより強化すること。


 だから今度こそ本当に身の危険はありません、と何度も繰り返し説明された。


 喉も瞼も重くなり、勧められたお茶を飲んだ所でようやく涙も止まり、

 落ち着いたところで。


 

 --我に返った。





「……」


 すっかり空っぽになったティッシュの箱を足下に転がし俯く私。


 何してんの、私-!!

 両手で掴んだ湯呑みが、動揺でカタカタ揺れている。


 ……ぅわぁああっ--!

 我も忘れるほど大号泣してしまった。


 しかも途中から前の会社の上司やら愚弟の借金やら、ここ最近の鬱憤を片っ端から語ってしまっている。


 もちろんそんな事は五條さんにはこれっぽちも関係ない訳で、ただの八つ当たりだ。

 何言ってんだコイツみたいな感じだったろう。


 そもそも物心ついた時から家族の前ですら、あんな泣き方なんてした事ない。

 だって私は自他共に認めるご近所でも評判の、面倒見の良いしっかりしたお姉ちゃんだったのだ。


 ……ヤバい。パニックって怖い。


 むしろそんな酔っ払いばりに迷惑な私なんてほっといて、事務所から出てくれたらよかったのに。

 優しそうな少年はともかく「プライベートを会社に持ち込まないでください」とか言いそうな五條さんすら黙って聞いてくれていた。


 ……いや、しかしその優しさが今は痛い。トモル君っていくつなんだろう……ものすごい年下の前で号泣したとかもう死にたい。



 だけど、いつまでもこうしているわけにはいかないので、そろりと顔を上げた。


 さっきまで気付かなかったけど、いつのまにかセダムの少年が同じソファに腰を下ろして背中を撫でてくれている。

 ついでに五條さんは真向かいのソファだ。若干疲れた顔をしているのは、……スミマセン私のせいですね……!


「……あの、落ち着きました……もう大丈夫です」


 そう? と天使みたいな笑顔で首を傾げた少年は、最後に頭をぽんと撫でてから手を膝の上に戻した。

 泣き止んだからといっても、場所を移動する気は無いらしい。

 三人掛けのソファにしては近い距離に戸惑い、少年を窺い見ればにこっと笑顔をくれた。


 ……あの男を蹴りあげた怪力から察するにこの子だってドラゴンだ。油断してはいけない。

 でも背中を撫でて慰めてもらっといて、ちょっと離れてくれない? なんて口が裂けても言えない。


「おねーさん、苦労したんだねぇ。可哀想。だけどここはいい職場だからね。何か困った事とか五條さんに虐めらたりしたら、僕がボタン一つで飛んでくるから。ね?」


 慰めるようにそう言われてなんとなく流れで頷く。そして膝の上で握ったままだった湯呑みをテーブルに置いた。


 ……呆れられてはいないらしい。

 良かった、見た目だけでも可愛いらしい少年にイタイ人でも見るような視線を向けられるなんて堪えられない。


 私の引き攣った愛想笑いに気付いたのか、少年はぱっと明るく表情と話題を変えた。

 

「だけどおめでたいよねぇ。このゲート設立史上最速番認定だよ」


「……はい?」


「なんかいつもよりガザ激しいなーとは思ったんだけど、番見つけちゃったならしょうがないかぁ……。強制送還もうちょっとくらい待ってあげれば良かった」


 にこやかに続けられた言葉の意味が分からず、思わず少年を見つめる。


 きっちり目が合うから私に対して放たれた言葉で間違いない。


 おめでたい……?

 さいそく、って催促? ……ってなんの?


「何ですかソレ」


 そう聞き返して首を傾げる。少年は何度か目を瞬いてから「やだなぁ」とけらけら笑った。


「だから最速の番認定。お姉さんガザの番だったんだねぇ。もしかしてお姉さんもビビッと来た? ガザ、イケメンだもんねぇ。お金持ちだし玉の輿だよー」


 ……番、玉の輿。え、つがい……


 うっわぁあああ……


 悪い予感で思いきり険しくなっているだろう私の表情を見て、少年は「あれ?」と首を傾げた。


 微妙な沈黙が続いて、それまで黙っていた五條さんが溜息をついてから口を挟む。


「トモル、橘さんにはドラゴンの番の話をしていませんので、突然そんな事を言っても理解できませんよ」

「え、そうなの?」


 聞き返されて何となく視線を逸らして頷く。

 

 いや実はラノベとか小学校からわりと好きだった私。

 なので、……何となく『番』の予想はついている。


 いいよね! ラブファンタジー! 完全に別世界で現実逃避にはうってつけで社会人にだってオススメである。

 そんな感じで最近ネットで読んだ話が、獣人同士の恋愛モノで『番』設定だった。

 アレでしょ。唯一無二の運命の結婚相手みたいな。

 そうアレ……うん、えーと。


 い や だ。

 そう心の中で呟いて身震いする。


 だって大抵監禁が標準装備のヤンデレとセットじゃない。そういうの。

 とりあえず私が見た話は嫉妬の上〇〇したり、××したり年齢制限がかからないのが不思議なくらい犯罪チックだった。


 読み物としては面白いけど、実際に体験したいかと言われたら確実にお断り案件である。


 しかしまぁ自分が想像しているものとは違った場合、かなり恥ずかしい勘違いをしたことになる。

 何より自分にそんな惚れられるようなヒロインオーラは皆無!


 なので、少し迷いつつも敢えて分からないフリをすることにした。


 少年は特に引っ掛かった様子もなく「そっか、ごめんね」と前置いてから説明してくれた。


「ドラゴンにはね、一生に一人だけ番が現れるっていう言い伝えがあるんだ。

 ……こう、出逢った瞬間に魂を根こそぎ持って行かれるような感覚と、狂おしい程の恋情が湧き起こる。

 そばにいたくて、離れがたくて……でも広い世界で番が見つかる可能性はさほど高くない。だからこそ最初は大事に囲い込もうとするんだ」


 今までの明るい雰囲気は保ったまま、少年は遠くを見るように目を眇めて、穏やかに微笑む。

 ふと、この少年は見た目通りの年齢ではないのかもしれないと思った。

 そうか。ドラゴンだもん、かなり長生きしそうな気がする。いやもう、そう思っておこう。弟より年下の男の子に慰められたなんて姉の沽券に関わる。

 いやそれよりも、だ。

 囲い込む……って、あんまりいい言葉じゃない。やっぱり監禁とか犯罪チックな感じだろうか。

 私の中の番設定は正解だったけれど、全く嬉しくない。


 ……やっぱ無理! そもそも私の好みは気遣いの出来る優しい人だ。それがあんな暴力男とか無いわーナイナイ。結婚したいとか付き合いたいとか爪の先程も思わない。


「……あんな暴力的な人と、どうにかなるなんて有り得ません」

 

 ぽつりと呟く。

 でも大丈夫かな。一回番認定されたら、それはもうしつこく追い回されるんだよね。  


 いくらガラス壁だか結界が丈夫になったとしても、職場はバレてる訳だし、無理矢理誘拐されたりしないだろうか。


「いや、ガザもシールド越しだったから焦ってあんな行動しちゃっただけで、基本は番には甘くなるよ~強いヤツほど溺愛傾向にあるからね」

「やれやれ。また一から求人ですか」


 フォローのつもりかもしれない少年の言葉を受けて、五條さんが溜息まじりに呟く。

 その言葉に眉間に皺が寄ったのが、自分でも分かった。

 ……だからなんでそうなるの。


 言葉にする前に気付いたらしい少年は、ニッコリ笑って私の疑問に答えてくれた。


「大概のドラゴンは、自分の番を不特定多数の男がいる場所においておきたいとは思わないからね。

 昔と違ってそのまま連れ去るのは、国の法律で禁止されているし理性を失って実行に移そうとしても、僕達が止めるけどさ。求婚をおねーさんが受けた時点で、ここの仕事は辞める事になるかなー」


 少年は軽い口調でそう言い、背もたれに身体を預けると、スニーカーのまま膝を抱えてまるくなった。顔が可愛いから絵になるし、細いから邪魔ではないけれど、なかなか行儀が悪い。

 近いし紺色のリクルートスーツに触れそうだから、靴を脱いで欲しいけど、室内でも靴を履いているのがドラゴン国の常識かもしれない。


「仕方ありませんね。ああ、ドアの修理代はガザ様に払って頂きますのでご心配なく。なに、ガザ様は腐るほど資産をお持ちですから負担にはなりえません」

「……え?」

 隣の少年に気を取られて、言葉の意味を理解するのに時間が掛かった。

 ドアの修理代って言ったよね?

 もう数えるのを放棄した金額。え、あれ、払ってもらえるの……? 借金チャラ?


 ……いやいやいやいや!


 一瞬だけ心が揺れたけれど慌てて首を振る。甘い話には裏がある! 目を覚ませ自分!

 そもそもなんで求婚を受ける前提で、話が進んでいるの。


「無いです! なんで私があの人の求婚を受けなきゃ行けないんですか!」


 今度こそしっかりはっきり否定する。どうやらさっきの呟きは聞こえなかったらしい。


「え、嫌なの」


 それなのに、少年は驚いたように目を瞬かせて聞き返してきたので若干キレる。


「嫌じゃない要素がどこにあるんですか! 私は普通の人間と恋愛して平穏な家庭を築きたいんです。……扉の修理代は、約束通り一年働いてお返しします!」


 最後は一息に言うには詰まったものの、覚悟を決めて拳を握り締めそう宣言する。そんな私に五條さんは、おや、と意外そうに目を見開いた。


 少年も腕を組んで「うーん」と唸り、悩むように天井に顔を向ける。しばらくそうした後、再び視線を戻して、にこっと笑った。


「そうだね。うん、いいと思うよ。ガザはまだ成人したばかりで、さっきの様子じゃちょっと無茶しないか心配だったし……。そもそもさっき言った通り、無理矢理連れて行くのは処罰対象だしね。同意しないうちは、ちゃんと守るから安心して」

「……本当ですか」

「うん!」


 守ってくれる、と言うのは心強い。

 不意打ちとはいえ、あの暴力男を蹴り飛ばし強制的に退場させたのだ。だけど、じゃあよろしくお願いします、なんて素直には言いたくない。


「トモル。貴方はまた面白がって……ひっ掻き回すのは止めて下さいよ?」


 それまで黙っていた五條さんが、眼鏡の奥の瞳を眇めて苦言を呈す。だけど少年はそんな厳しい視線にも気にする様子もなく、軽く肩を竦めて見せた。


「えー五條さんだって、もう一回受付適性のある人材探すの大変でしょ? ある程度覚悟してたとしてもさ、一年くらいは保つと思ってたくせに」

「……確かにまた気長に待つかと思うと、頭が痛いですが」


 少年の反論に、五條さんは迷う素振りを見せつつも結局肯定する。

 ……求人って私が見た新聞広告だよね。そんなに来ないもんかな?


 文面だけ見ればかなり条件の良い求人広告だったけど……。


 いや、それより少年が言っていた『ある程度覚悟してた』っていうのが気になる。

 だってなんか聞き方によっては、私が最初から番認定されるの分かってたような言い方じゃない?


「でしょ? 今受付に入ってくれてる源さんが退職するの一ヶ月後だよ? 受付空っぽになっちゃうのもマズイじゃん。言っとくけど、僕はそうなっても受付手伝わないからね。退屈すぎて死んじゃう。ここは橘さんに頑張ってなるべく粘ってもらう方がいいって」

 

 少年が真面目な顔で重ねた言葉に、思わず「待った」をかけた。

 うん、ちょっと待とうか。


「その言い方だと、いつかは私があの人の番になるって思ってるんですよね」


 それだけは早急に選択肢から削除してほしい。本気でナイから。

 さっき、あれほど頭から拒否したのに、なんでそう思うのだろう。

 結局最後は力尽くなんじゃないの。そんな不安から胡乱な目を向けると、少年と五條さんはお互いの顔を見合わせて苦笑した。


「まぁ、人にはよるけどね。美形が四六時中傅いて貢ぎまくるんだよ。番至上主義だから愛の言葉は二十四時間囁くし、どんな我が儘も可愛いって叶えてくれる。


 なんだかんだと絆される女の人は多いんだよね。特に日本人は下地があるみたいで、受け入れてくれる人多いし」


 あー……下地というか素養というか。もしくは本気のお仲間《ラノベ好き》かもしれない。


 なんか笑い混じりの言葉に、探られてる気がするけど、そこはスルーしておく。





 しっかし、そういうもんなのかなー……昨今男子の草食化が進んでるらしいし、そんな中ガンガン来られたら、コロッといっちゃう? 


 いや人外だよ? 戸籍は? 親族に紹介する時は? そして子供はどんな形態で生まれてくるんだろう……。卵とかならちょっと羨ましい。いや、だって死ぬほど痛いっていうし。



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