業務内容実践編
「ああ。ちょうど四時ですね。予約のお客様がお一人残っていますから、私がやってみせますので見ていて下さい」
どうやら実践してくれるらしい。ほっとして、お願いします、と私が頭を下げると、五條さんは少し意外そうな顔をして、いえ、と小さく首を振った。
……嫌がってた割にやる気マンマンじゃないか、とか思ってんのかな。
やりたいとかやりたくないとか別にして、逃げられない以上仕事は仕事だし。
何より適当に聞いて分からなかった時に、後からもう一度五條さんに聞き辛い。
「ソレは一度説明しましたが?」とか眼鏡キランとかされて言われそう。
後が怖いから失敗もしたくないし。
覗き込んだ腕時計を見れば四時五分前。椅子に座るように促されて、五條さんが座ったのを確認してから私もその横の椅子に腰を下ろした。
うわぁ、座り心地いい。
固すぎず柔らかすぎず肘掛けの高さもちょうどいいし、なんか座面の角度が机の上で事務作業するのにちょうどいい。しかも機能的なのにデザインもスタイリッシュである。
……もしかして、この椅子も高いのかな? 革張りなんかではないけど小説家さんとか漫画家さんか使っていそうな機能的なワークチェアっていう感じ。
五條さんは机の上にあったカゴの中から書類らしきものを取り出すと、「どうぞ」と差し出してきた。おそるおそる受け取って目を通す。
……書式がそのまんま履歴書。
バストアップの写真に滞在先と目的……ちなみに京都で観光だった。証明写真はドラゴンではなく人間の。……結構なおじいちゃん。
平和過ぎて本当に異世界に足を踏み入れたのか不安になってくる。それ以外はよく分からないアラビア語みたいな不思議な文字で書かれていて、どう頑張っても読める気がしない。
「あの、五條さん……目的と滞在地以外読めないんですけど」
「基本は顔を確認して頂くだけで大丈夫です。認証は全て機械がやりますから」
……それだけ? いやそこまで機械が優秀なら顔認証もして貰った方がいいんじゃないの? 最終確認みたいな意味合い?
うーん、分からん!
再び見下ろせば、履歴書っぽい紙は予約票と呼ぶのだと教えてくれた。
「後で顧客情報の入力をお願いするので、持っていて下さい」
「はい」
そう返事をした所で、機械音のアナウンスがスピーカーから聞こえた。
『ゲートが開きました』
自然とぴっと背筋が伸びる。しばらくしてから最初のお客様が現れた。
『お、新しい子かい?』
マイクを通したエコーの掛かった声が、上のスピーカーから聞こえて、私は軽く会釈をする。
予約票の写真通り白髪のおじいちゃんだった。着物をお洒落に着流していて随分お年を召されているように思えるけど、背筋は真っ直ぐで体格もいい。声の大きさも合わさって、なかなかパワフルなおじいちゃんである。
……でも、この人もドラゴンなんだよね。
「いつも有難うございます。本日から受付業務にあたることになった橘です。ご挨拶を」
おお、笑顔……!
ここに来て初めて見る五條さんの笑顔に心の中で仰け反る。ビジネスマンのお手本ですみたいな、親しみのある爽やかな笑顔。一瞬前の無表情と同じ人だとは思えない。
……いつも、ということは常連さんなのだろう。五條さんが挨拶するように促されて私は、今度は少し深めにお辞儀をした。
「橘と申します。宜しくお願いします」
はいよ、よろしくな。と気負い無く言って片手を上げたおじいちゃんはなかなか素敵。斜めに被った臙脂色のハットが良く似合っていた。
「ではそちらの腕輪をはめて、機械に手を翳して下さい」
五條さんがそう声を掛ける。
腕輪……そういえばさっきも言っていたけど、なんでなんだろう。
少しお尻を上げて向こう側を覗こうとしたら、五條さんが、こほんと小さく咳払いして慌てて身体を戻した。
「こちらからは見えないのですが、魔力を抑える腕輪が向こう側の棚に並んでいます」
五條さんは、一度マイクを切ってそう説明してくれる。
それか、さっき言ってた協議の後に決まった約束の腕輪って……。いやでもそっちの方が人間側としても安心だよね。
ねじ切られたドアノブを思い出して、ぞっとする。うん、あんな感じで色んなモノ壊して回ったらイタズラ通り越してホラーだ。
おじいさんは五條さん言葉の通り受付の下部分に手を伸ばす。しばらくして銀色の細い腕輪をつけた右腕を軽く上げてみせた。
「ご協力有難うございます。それでは認証センサーの方へ軽く腕を向けて下さい」
おじいさんは腕輪をはめた腕を前のカウンターに置いてあった機械に当てる。こっちは銀行のATMにある指紋認証とほぼ同じで少し大きいくらいだ。
しばらくするとその手の甲の部分に、緑色の鱗が浮かび--一瞬で消えた。
再びこの状況が普通でないことが強制的に思い出されて、その場に突っ伏したくなる。
……緑色のドラゴンなのかな、そう思った次の瞬間には、ピッと電子音がして、許可の青文字がモニターに大きく出ていた。
「あとは、この許可のボタンに触れるだけです」
そう言いながら五條さんがモニターに指で触れる。短く高い音が三回繰り返され、扉が開くモーター音が聞こえた。
おそらく出口側の扉が開いたのだろう。
「はい。大丈夫です。良い旅を」
『ありがとよ』
マイクを切り、五條さんは私に向き合い、口を開いた。
「通った後は自動的にまたロックされます。簡単でしょう?」
「そうですね……」
確かに簡単だ。
案内すらしなくてもいいなんて、むしろこれだけで本当にいいのと思う内容である。
受付というよりも美術館とか遊園地のチケット売り場みたいな感じに近いかもしれない。
「残った時間は来たデータ入力です。これも慣れたらお客さんが来た時に一緒にやってしまえば楽ですし、接客に集中したかったら、ゲートにお通ししてからでも構いませんよ。
ただ溜めると立て込んだ時に面倒ですし、処理は当日中のみで次の日は持ち越せません」
前の会社の受付だってお客様対応以外の仕事はたくさんあった。雛形があるならデータ入力くらいすぐ出来るだろう。何しろ名前と滞在先と目的だけだし。
「あの、みんな人間の姿してるんですか?」
ふと思いついてそう尋ねる。さっきのおじいちゃんは人間の姿だったし、写真だってそうだった。やっぱりこれから人間界に行くのだから、ということなのだろうか。
「そうです。腕輪を嵌めて貰わなければいけませんし、橘さんもぱっと見て顔の判別は難しいでしょう? だからこの前の通路もドラゴン姿で通行できない様にわざと小さく作っているんです」
なるほど。動物と同じだ。飼い主や長い間一緒にいる人ならともかく、種類が同じなら慣れていないと皆同じ個体に見えるだろう。
でも私的には助かったのかもしれない。
まだ本物は五条さんしか見た事なかったけど、あの頭のサイズからして身体全体を考えるとかなり大きそうだ。そんな巨体を前に受付業務なんて怖すぎて指が震えない自信が無い。
その後は今のおじいちゃんのデータの入力方法を教えて貰う。目的地の欄に京都(観光)と打って、こっそりと溜息をつく。
……今まで普通に生きてきたけど、確実にどこかの観光地でドラゴンとすれ違っていそう。
「……例えばですけど。これ、不可って出たらどうするんですか」
今の内に聞けることは聞いておこうと打ち込んだ後、モニターを指して尋ねてみた。
「その時は、ここの印刷ボタンを押せば、向こう側の機械に不可理由が書かれた紙が出るんです。たいていそれを読んだら納得して帰ってくれるんですけど、……机の裏を見てもらっていいですか」
五條さんが机から椅子を離して頭を下げる。同じようにして机の裏を覗き込むと、机のちょうど真ん中あたりに赤いスイッチがあった。
「ここにスイッチがあるので、どうしても納得してくれなくて出て行かなかったり暴れたりするドラゴンがいたら、押して下さいね。
ただし回数制限があるので出来るならなるべく話し合いで解決するようにお願いします。一ヶ月に四回以上呼ぶと追加料金取られてしまうので気をつけて下さい」
「……追加料金ですか」
個人的に嫌な単語だ。
スイッチに近い位置に置いていた自分の手に気付き慌てて離して、五條さんを見た。
「四回目から一万二千円です。月に二、三回なら許容範囲ですが、五回を越えるとさすがに上から怒られますので、取り扱いは慎重にお願いします」
警備の人が来るって事だよね。追加料金って事は外注……前の会社……というか一般的の会社と同じセキュリティシステムだろう。
「警備システムセダムです」
私の心の中を察したように五条さんがそう答えてくれたんだけど。
……んーと! その名前色んな意味で大丈夫かなー!?
明らかに某民間警備会社意識してる上に、システムモロパクリだし、出張費異様に高くない? 確か前の会社は基本無料でこちらの不手際で呼んだとしても三、四千円だったような。……パクったくせに本家より値段設定が高いところとか悪意しか感じない。
あと何を聞いておくべきか悩んだ所で、五條さんの携帯が鳴った。
胸ポケットから取り出しておそらく相手を確認して椅子から立ち上がった。
「失礼。少し事務所に行ってきます。すぐに戻りますので」
「あ、ハイ」
遠ざかっていく背中を見送りながら、身体から力を抜く。
五條さん、忙しそうだよなぁ……そういえば、事務所はあまり広くは無かった。机の数から察するに五條さんとあと一人か二人でいっぱいになるだろう。
……求人の面接官だってやっているくらいだし、もしかしたら一人なのかもしれない。
今日お休みだっていう源さんは受付だろうし。……いい『人』だといいなぁ。
しかし、時間にして三十分。
なかなか戻ってこない五條さんに、手持ち無沙汰に机の上のアレコレを眺める。可愛いシロクマのメモ帳にボールペン発見。多分前任者は女の人で間違いない。個人的に使うのだろう付箋も可愛いキャラクターものだし、クリップだってカラフルなマスキングテープでデコっている。女子力というよりは若者力強い。
さっきのおじいさんで予約の人は最後って言ってたっけ? 覗き込んだ籠の中の予約票は空っぽ。
じゃあ、もう誰も来ないのかな。それなら私も五條さんと一緒に事務所に戻れば良かったんじゃない?
そう思うと急にゾワゾワしてきた。変に広いのもよくない。
……一人の時にドラゴンが来たらどうしよう。
しかし、噂をすればなんとやら、というべきか、唐突に機械音のアナウンスが部屋に響いた。
次こそヒーローを…!