業務内容を説明します
ドラゴン頭から人間バージョンに顔を戻した五條さんは、私に手を差し出した。もちろんこちらも普通の人間の手である。
手を乗せるとぐっと掴んで起こしてくれる。
捲れ上がったスカートの裾を慌てて伸ばしていると、五條さんが目の前の扉を押した。ノブが壊れているので何の抵抗もなく開いてビルの外廊下の手すりと青い空が見える。
「では早速ですが職場に案内しますね」
「え……いや、あの、まだ働くって決めた訳じゃ……」
ドラゴン頭を受け入れたものの、空いた向こう側が気になって仕方が無い。きっとそこはフリーダム。そこに身体を滑り込ませて逃げれば――
「往生際が悪い。何を仰っているんですか。この扉ですが先月取り替えたばかりだったのですよ」
それが私に何の関係が……
「弁償出来ますか?」
「は、……」
え、私のせい!? 今の言い方って壊れたから払えってニュアンスだよね?
「五條さんが壊したんじゃ……」
「何を仰っているのですか。あなたは確かにノブを握り締めていたでしょう? 私はドアノブに触れていませんし、そこで転がっているノブにはあなたの指紋しか残っていないはずです」
「し、指紋って、だってそれは私の手の上から、こう、ぐにゅって……!」
必死に言い募るものも、しらっとした表情で私を見下ろす五條さん。
滅茶苦茶です! おまわりさーん! 高額修理費用を請求する悪徳業者がここにいます!
「しかし安心して下さい。従業員なら保険で賄えます。と言う訳であなたには今年度いっぱいは働いて貰わなくてはなりません。それとも今すぐお支払い頂けますか?」
スーツの懐のポケットから小さな電卓を取り出して私の前に提示する。
ゼロが一つ二つ三つ四つ……
脳がそれ以上数える事を拒否し、固まっていると「行きますよ」と、すごい力で引きずられた。
「人間諦めが肝心です」
とどめのように、文字通り上から言われて、すとんと納得してしまう。明らかに人間よりも強い生き物に諦めが肝心とか言われたら、足掻く気力も湧かない……。
とうとう観念し、大人しく地面に足の裏をつけると、五條さんは掴んでいた私の腕を離してくれた。
面接していた部屋の扉を開き、廊下に出る。それほど大きなビルでは無いので、一つのフロアに部屋は二つしかなかった。
「ここの五階フロアはわが社が借り上げています。先程の部屋は、対人間用の応接室として、こちらは事務室とあなたに勤めて頂く受付が入っています。明日はこちらから入って下さい」
無造作にカードキーを差し出されて、戸惑いつつも受け取った。
白いシンプルなデザインのカード。前の会社で使っていたセキュリティカードに似ているというか、そのものだ。
五條さんも首から掛けていたらしい同じデザインのものを扉のノブに近付ける。ピッと電子音が響いて扉が鍵が解除された。
挿し込むタイプじゃなくて、ぴっと当てるだけのタイプ。……確かに高そうだよなぁ……。
電卓に表示されていた恐ろしい数字を思い出して、私は慎重にICカードをスーツの内ポケットにしまった。
そんな扉を開けて中に入るとそこには玄関らしいスペースは無く、カーペットの敷かれた長い廊下。一番奥には意味ありげな白い扉が見えた。
想像していたよりもそれなりに会社っぽい雰囲気。スタジオみたいだった向こうの部屋とは、内装から随分違う。
「手前の扉が女子更衣室、お手洗いはこちらにあります。左が私が普段詰めているオフィスになります」
私と五條さんが横に並べばいっぱいの廊下には、扉が二つ。向かい側は小さな給湯室とトイレ。
更衣室は今鍵が無いとの事で飛ばして、オフィスを見せて貰う。意外なほど中は普通で、デスクが二つにコピーやらファックス、ホワイトボードと、衝立からは、ソファが見える。部屋の広さは十畳くらいだろうか。
廊下も含めて綺麗だし、壁紙も内装もわりと新しい。
「橘さんに勤めて頂く受付はこの先になります」
予想していた通り白い扉を示されて、何となく唾を飲み込む。
さほど長くも無い廊下を歩いて扉を開けた五條さんに続き、私も一歩足を踏み入れた。
カツ、とさして高くもないはずのヒールの踵が鳴って、慌てて足を浮かして下を見る。
そこには大理石っぽい乳白色の床が広がっていた。
開放感に上を見れば、クラシックな鎖模様が刻まれた天井も高く、釣り下げられたシャンデリアがこれでもかというほど輝きを放っている。
これだけでも美術館みたいなのに、たっぷりとったスペースに最新型の広いオープンキッチン、アンティークっぽいダイニングテーブル、ソファセットが並んでいるる。
……確実にこれは会社ではない。
高級億ションの素敵なモデルルームとでも言えばいいのか。
雑居ビルの中だよね……? スペースからしておかしいんだけど。
「ここで受付するんですか……?」
思わず五條さんの背中に回り込む。なんだか入っちゃいけない所に入った感が半端ないし、自然と汚さないように爪先立ちになってしまう。
「ええ、ここでお願いします」
「あの、広さとか! ビルの大きさからしてもおかしいと思うんですけど!」
「それに関しては、部屋の扉のこちらから、次元を歪めているので日本側のビルの大きさと合わないのは当然です。それとも、受付としてこのスペースは広い、という事ですか? それはドラゴン側の人間が臨時で勤務していた一時期ありましたので、休憩中にドラゴン姿になることも考慮して大きく作られているのです」
ドラゴン姿で休憩……。
やっぱり人間の姿は窮屈で、羽を伸ばす感じなのだろうか。
「じゃあ、あの高そうな家具いらなくないですか?」
私の指の先にあるのは何だかすごく大きくて座り心地の良さそうなソファ。これテレビで見た事ある。海外セレブの豪邸訪問みたいな番組で紹介されていた細かい花が散らばった刺繍ファブリックの有名家具店のソファ。
偽物じゃなかったら確かウン百万したはずだ。だけど大きなドラゴンにしてみたら、枕にしかならないだろう。
「ああ、あれらに関しては寄付です」
「寄付?」
「ええ。異種族の架け橋となって頑張って働いてくれている受付の方が過ごしやすいようにと、送って下さる親切な方が定期的に現れるのです」
「……スゴイですね」
ン百万のソファを寄付……なんて太っ腹なんだろう。むしろ現金で欲しい。それがあったら愚弟の借金なんて――いやいや、済んだことを言ってもしょうがない。
とりあえずあそこで休憩するのは辞めておこう。染みでもつけて弁償とか言われても困るし、何より確実に寛げない。
「こちらに来て頂けますか」
すっかりソファに目を奪われていた私は、五條さんに声を掛けられ慌ててついていく。
五条さんが足を止めたのは、そんな豪華LDKのリビング部分。
扉からは見えなかったけれどそこだけぽこっと凹んだスペースがあった。端っこには非常用扉もついている。
壁にくっつけるように長い机が置いてあって、その上には内線番号が並ぶオフィス用の内線ボタンがいっぱい並んでいるちょっと古い電話とパソコンが二つ。
壁は机の上部分のみガラスになっていて、向こう側と会話する時に使用するのであろうマイクと小さなスピーカーが備え付けてあった。だけど窓口ならあるはずの、小さな受け取り口も、声を届ける為の穴も無く、完全に向こう側と遮断されていた。
ちなみにガラスの向こうは、真っ白い壁と廊下で、申し訳程度にパキラっぽい観葉植物がぽつんと置いてあった。病院とか学校の廊下位の広さだろうか。その両端はどちらも扉――と言うよりは空港の金属性の扉みたいなしっかりとした門があった。
……あれがゲート……。
確かに最初からドラゴン『ゲート』の受付係って言ってたもんね。きっとあれの事なのだろう。
あの先は多分、ビルの扉と同じでそれぞれお互いの世界のどこかに繋がっている、って感じ?
「あの、もう少し詳しく説明して頂けませんか?」
何を、と言われたら多すぎて困るんだけど。
そう思いながらも聞いてみれば、五條さんは嫌がる様子もなく答えてくれた。
「ここは異世界と、地球の日本を繋ぐ関所なのです。魔王の魔の手から我が国を救って下さった勇者が日本人である事もあり数年前から空前の地球ブームが起こり、こちらの……特に日本へ観光目的やビジネスでこちらに来る同朋が増えたのです。しかしトラブルも同じように増えてしまいました。
そこである程度素行のよろしくない者や、過去に犯罪歴がある者、まだ成人前の若いドラゴンを排除すべく行った人間界と協議を致しました。
その結果、ゲートにドラゴンの入国を審査する受付を作り、その際能力をセーブする腕輪の着用を義務づける事にしたのです」
……突っ込み所が満載すぎる。
えっと、まず勇者って日本人だったわけ?
あれか。女神特典でチート貰って、ハーレム作って魔王倒すヤツ。え、今時はそんなんじゃない?
「勇者って日本人だったんですね。あの、格闘家とかスポーツ選手とか有名な人だったりとかします?」
「いえ、一般の少年……こちらで言えば中学生でした」
……お約束だな、と思いつつも巻き込まれたのであろうその子を気の毒に思う。やっぱり、中学二年生だったんだろうか。案外若い子なら、勇者という立場に浸りきってノリノリで魔王を討伐したのかもしれなけれど。
……その人ならこの状況を助けてくれたりしないだろうか。数年前ならきっと彼も成人しているだろう。五條さんを止めてもらって、ぜひ詐欺られた愚痴を聞いて欲しい。
しかし日本人はおよそ一億二千……ほにゃらら人。その中の一人を探すなんて、途方もない事だろうか。
いや今はネットもあるしSNSで拡散すればなんとか……。
「……」
いやそれなんてイタい人……!
ハッシュタグなんだよ。♯勇者探し中とかか! 確実にどっか晒されるわ!
そもそも、いたずらでなりすまされても確認のしようもない。
現実的じゃない。
せめてヒントをお願いします……!
「その勇者って今」
「行方不明です」
……ドラゴンは心の中を読むような魔法でも使えるのだろうか。五條さんは私が問いを最後まで口にする事さえ許さず、すぱっと被せてきた。
え、でも今、勇者物騒な近況じゃなかった?
「行方不明って、その、大丈夫なんですか」
悪い予感に五條さんを見上げれば見、彼は少し呆れたような溜息をついて無表情のまま首を振った。
「誤解しないで下さい。勇者は我々がどうこうできるレベルの魔力ではありませんし、こちらの世界に戻られる時は盛大にお見送りいたしました。
それにこのドラゴンゲートの相談役としても設立にお力添えを頂いておりまして我々の関係は良好です。しかし、いささか自由な所がある方でして、時々ふらりと旅に出られるのです。こちらとしてもお探ししている最中です」
自由人……!
いやでも勇者とかやっちゃう子だもんな。それくらいじゃないと務まらないのかもしれない。とりあえず用済みだから消しました、みたいなバッドエンドじゃなくて良かった。
「元気そうで何よりです……」
気にはなるけど、日本産自由人勇者の話は後で詳しく聞くとして、だ。
その後の関所が作られるようになったいきさつの方も気になる。
だってリアルに自分の身の危険に直結しそうだし。
「トラブルって主にどんな?」
「人間に比べれば魔力も物理的な力も強いですから、ふとした拍子にぶつかって器物破損してしまったり、絡まれて少し大人しくなってもらうだけのつもりだったのに、お気の毒な感じにさせてしまったりといったトラブルです」
なに、お気の毒な感じって! 聞きたいけど怖くてきけない。しかも絶対器物破損じゃなくて破壊だと思う。
でも、という事は、だ。
「あの、受付に入っている人間は危険は無いんですよね……?」
そう、最低限の保障は譲れない。何せドラゴンだ。尻尾一振りぶつかっちゃった、みたいな感覚でさらっと死にたくない。
目の前の五條さんはまあ友好的だけれど、他の人がそうだとは限らないし。
「あなたに危険は一切ありません」
そう断言されたものの、私はもう少し確実な安心が欲しくて食い下がった。
「……あの、失礼ですが、人間にも色んな人がいるみたいにドラゴンだって怒りっぽい人とかいると思うんですけど、例えば私が何か失敗してドラゴンを怒らせたとして、襲われたりとかしませんか?」
気を悪くするかな、と、言葉を選んで尋ねてみたけど。五條さんは一ミリも表情を変えることなく淡々と答えてくれた。
「大丈夫です。こちらのガラス壁は、特殊素材に加え、魔力で結界……特殊コーティングしていますからどんなドラゴンでも割る事は出来ません。壊せるのはおそらく王族くらいでしょうね」
だからガラスに声を出す穴も無いのかな?
しかも今さらっと王族とか言っていたけど、そんなのもいるんだ……さすがファンタジー! でも出来れば一生会いたくない。
とりあえず思いつくだけの疑問に答えは貰った。少しだけ身体の力を緩めて、ふと受付の隣にあった鉄扉が気になり、私は指でそれをさした。
「あの扉から向こう側に行けるんですか」
「ええ、でも開ける事はお勧めしません」
……意味が分からない。じゃあなんであるの。開かずの扉なの。
「だったらどうやってお客様をご案内すれば……」
「マイクで促せば大丈夫ですので、案内は必要ありません。まぁ緊急用の非常口とでも思って下さい。他の設備や備品に関しての詳しい事は、明日にでも前任者の源さんに引き継ぎがてら聞いて下さい」
思ってもみなかった言葉に肩が跳ねる。そういえば私、辞める人の後任として採用されたんだった。前任者って事は同僚なんだよね?
「……」
果たしてその人はドラゴンなのか、人間なのか。源さんって……日本名だけど、五條さんだってドラゴンなのにそうだし期待はしない方がいいかもしれない。
「その源さんって方は、今日はいないんですか」
「ええ、早退しています」
早退? ……仕事場所がアレだけに、理由を知りたい。
「そうなんですか……用事でもあったんでしょうか?」
はは、と愛想笑いしつつ尋ねてみたら、じっとあの細い瞳孔で見下ろされた。空白が痛い。
「病院です」
はい。これ聞かなかったら良かったヤツー!
「お怪我でも!?」
完全に声が裏返っていた。
そんな私をまた静かに見ていた五條さんはゆっくり首を振り、「個人情報なので」とそれ以上言ってくれなかった。中途半端! それなら最初っから言わないで……!
それから五條さんは仕事の流れだけ教えておきますね、と内心憤っている私を置き去りにして話題を変えて、ガラスの向こうの右側のゲートを差した。
「入室の知らせのアナウンスが入った後、お客様は向こうの扉から入ってきます。
この受付では予約票と顔写真を照合し、同じ人なら向こうに置いてある腕輪の着用を促します。そのあとは、このカウンターにある機械で照合してもらい、こちらのモニターに許可の文字が出たら、ロックを解除します。
入ってきた方とは逆のゲートが開きますから速やかにそちらへ誘導して下さい」
……長い!
さくっと説明されて、慌てて頭の中に叩き込む。メモ! メモ取る時間を下さい。
慌てて胸ポケットからメモ帳を出してボールペンを滑らせる。就活にボールペンとメモ帳は必須アイテムです。
覚えられるからと何もアクションしないと「聞いてないの」と怒る人が未だに一定数いる。
そしてスマホにメモるのは言語道断。
聞いてますよアピールは、古い会社ほど新人スキルとして必須だから!
しかし五條さんには何の効果も無かったらしい。
「真面目ですね」と、感心なんか一ミリもしていない顔で言われて、何か心に刺さった。