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緊急事態(二回目)

キリどころが悪かったので、短いです;


いつも通りに始業のチャイムが鳴り、受付の前にスタンバイ。

 籠の中の受付票は見るからに薄くて少ない。

 確認すれば今日の午前中のお客様は三人しかいないらしい。


「九時と……十時半と十一時か」


 朝一の最初のお客様が来れば次のお客様まで一時間もある。

 一子ちゃんがいなくて一人だし、暇よりは忙しい方が好きだから、いつもなら退屈だなぁと思うんだけど、今日だけは有難いかもしれない。考え事も捗りそうだ。


 さっき見たばかりの読み辛い五條さんの表情だとか、ガザ様の鬱陶しいくらいの心配。一子ちゃんの体調も気になるし、斗真に開口一番何を言うべきだろうとか、考えなければいけない事がいっぱいだった。


 胸の中に溜まっていた重苦しい空気を吐き出せば、誰もいない静かな空間でひどく大きな溜息になってしまい、慌てて口を押さえた。

 ……職場で、あからさまな溜息はよくないから。うん。


『ゲートが開きます』


 アナウンスが聞こえて瞬時に顔にスマイルを張りつける。この辺は前職からの条件反射だ。


 そして入ってきたのはお洒落な三つ揃えのスーツの男の人。

 ……どこかで見たような、と思ったら、二日目にやってきた子供連れの紳士だった。


 受付票に添付してある写真だけでは気付かなかったけれど、間違いなく一子ちゃんが聖母スキルを見せたあの親子連れのお父さんの方だ。

 ドラゴンにしては雰囲気も相俟って優しい顔立ちだったので、印象に残っていた。


「……やぁ、おはよう」


 足早にやってきたお父さんは、今日も三つ揃えのスーツに帽子、と紳士装備。

 受付票で素早く名前をチェックして、マイクのスイッチを押す。


「おはようございます。ガウリィ様、いつもご利用有難うございます」


 ドラゴンの名前のいいところは名前が一個しかない所だろう。

 覚えやすいし、比較的短い呼びやすい名前が多い。


 念の為、次の受付票も確認するけれど、今回の申請はガウリィさんだけらしい。

 お子さん……確かヤナ君、だったかな? ……は、いないみたいだ。


「今日はいつものお嬢さんはいないの?」


 ひょいっとカウンターに肘を乗せ、受付の中を覗き込むように見てそう尋ねてきたガウリィさん。

 常連さんだし、きっと一子ちゃんの顔を見たかったのだろう。

 一子ちゃんは、受付のアイドル的存在なのである。


 仲良さそうだったしいいよね? と、少し考えて「午後から出勤となっております」と答えると、ガウリィさんは、もう一度受付の中に視線を彷徨わせた。


「そう……一人で大変だね」


 少し違和感を覚えたけれど、私が見ている事に気付いたガウリィさんがそう言ったので、もしかして誰か代わりの人がいるのか確認したのだろうか、と納得する。


「お気遣い有難うございます。今日は息子さんとご一緒ではないんですね」

 少しぼうっとしているようなガウリィさんに、何となくお喋りしたい気分なのかな、と、こちらから話題を振ってみる。


「……ああ、うん。そうなんだ。――だからかな、ちょっと調子が出なくてね」


 確かにガウリィさん、前回と比べてなんだか元気がない。

 息子さんは確かに元気そうなお子さんだったから、余計に寂しそうな感じがするのかもしれない。

 でもこんな言い方をするってことは、連れ立ってこちらに仕事に来る事が多いのかな? それともお母さんがこっちにいるとか? ……というか、ガウリィさんの奥さんってやっぱりドラゴンなのかな。


 そんな事をつらつらと考えながらも、マニュアルに沿って認証システムに移動してくれるようにお願いした。

 私も少し浮かしたお尻を落として、もう一度パソコン画面に向き直ったその時、視界の端でガウリィさんがその場に崩れ落ちるようにして消えた。


「え、っ!?」

 慌てて立ち上がって覗き込めば、カウンターの上にはガウリィさんの手が置かれたままだ。

 どうやらその手を支えようとしたものの崩れ落ちてしまったらしい。

 もしかして元気がないと感じたのは、体調が悪かったから?


「大丈夫ですか!?」


 マイクに齧りつくようにそう尋ねる―――が、返事はない。

 カウンターの上に置いてあった手も、ずるずると滑っていって視界から消える。

 次いで倒れたような重い音がマイク越しに聞こえてきた。


「ガウリィさん!」


 私は立ち上がるとそのまま椅子を引っ掴んで引きずり、非常扉を開けた。

 そのまま椅子を扉に挟んで、受付の向こう側を見ればガウリィさんはカウンターの下で蹲って、胸を押さえていた。慌ててガウリィさんの元に向かう。


 どうしよう。緊急事態だしセダム?   

 ぱっとトモル君の顔が浮かんだけれど、ぐっと唇を噛み締めた。


 ……あのボタンはそもそもお客様が居座ったり暴れたりした時に押して下さい、って説明されている。体調云々の緊急事態は取扱い範囲外かもしれない。

 ――そんな言い訳が瞬時に思いついたのは、きっとまだトモル君と顔を合わせる覚悟が出来ていなかったせいだろう。


 様子を見てから五條さんに内線――うん、多分それが一番良い。

 ガウリィさんに駆け寄って、丸くなった背中を撫でて顔を覗き込む。


 さっきも顔色は悪かったけれど、今はもう真っ白、って言ってもいいくらいに血の気が引いている。


「立てないならとりあえず横になって下さい。顔を横にして……人を呼んで来ますね!」

 ガウリィさんの身体は見た目より重く、私が抱えて運ぶのは無理そうだ。

 一旦受付の部屋に戻って事務室に内線しようと立ち上がったその時。


「お嬢さん、すまない……!」


 悲痛な声が真っ白い廊下に嫌に反響した。

 え、と戸惑いガウリィさんを見下ろせばアイスブルーの青い目が光った。

 鮮やかな色が脳に焼きつくように明滅して、眩しさに思わず目を閉じてしまう。その後にやってきたのは凶暴な程の眠気で――。


「な、ん……で」

 喘ぐように尋ねた問いに答えはない。

 


 ――ああ、もう! 何回目だよ……!


 敢えて自分で突っ込もう。

 何回同じ手に引っ掛かるんだ、私!


 意識が遠のいて、一度――体験した感覚に必死に抗ったものの堪える事は出来なくて。


 生きて戻れたらパンドラの扉(非常扉)は溶接して二度と開かないようにしてやる――

 そう心に刻みつけたと同時に、意識が呑み込まれて暗転した。









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