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見えてきた事実と悪い癖

すみません……!時間を勘違してて修正してたら、予約時間が来て投稿されてました(汗

再読込で誤字脱字マシになってると思います。申し訳ありません……!


 しんと静まり返った廊下を歩きながら、五條さんが出てくる前に、ガザ様と話半分になっていた勇者の話を思い返す。


 よりにもよって愚弟が勇者の名前と一緒だとか、鼻で笑っちゃうような話である。 

 どういう事情で勇者さんとやらが引き受けたのかは知らないけれど、縁もゆかりもないドラゴンの世界を救う為に勇者になって魔王を倒すなんて、とてもじゃないけど斗真には出来ないだろう。

 日本ブームを起こしたくらい強かったらしいし、もし会えるような事があれば同じ名前のよしみで鍛えて貰いたいくらいだ。


「勇者トーマねぇ……」


 小学校の時、斗真がやっていたゲームの画面を思い出して呟けば、なんだか妙に心がザワザワしてきた。

 ほら、なんかあるよね。気持ち良く韻を踏んだような、よく耳にする標語のような――そんな感じ。

 嫌に、『勇者トーマ」という単語が、しっくりときてしまったのだ。


 ――ん? んん?


「……」


 いやいやまさかね?

 一人でいるのを良い事に、私はぶんぶん首を振る。

 ないない。さっき自分でも言ってたじゃん。斗真にそんな根性無いって。  

 仮にそうだったとしても、斗真がおじさんの所に行くまでは、しょっちゅう顔を合わせていたし、そんな――魔王を倒すような長い期間、行方不明になった事もないのだ。


 慌てて首を振って、空笑いでバカな妄想を吹き飛ばす。

 らしくないらしくないと首を振りつつ受付の扉を潜れば、既に受付の定位置に一子ちゃんが座っていた。

 お客様はまだ来ていないらしく、ぱっと振り向いて手を振ってくれる。


「マリモさん! お疲れさまでした。昼休み三十分くらい残ってますから、ちゃんと取ってくださいね。飲みかけのパックのジュース冷蔵庫に入れといておきましたから」

「あ、そのままでしたか。ありがとうございます」


 手を振って答えてから私はキッチンに向かう。

 うん。上司はまだちょっと未知数だけど、同僚には確実に恵まれたなぁ、私……。


 つい半年前まで荒みまくっていた職場環境を振り返れば、涙が出て来そうだ。

 業務用の大きな冷蔵庫から一子ちゃんが入れてくれたパックのジュースを取り出し、口に咥える。

 よく冷えていて、美味しい。今更ながら随分喉が渇いている事に気付いて、はふ、と息を吐き出した。

 お行儀が悪い事を自覚しつつ、受付スペースに一番距離が近いソファに腰を下ろす。 

 ここなら、忙しかったらすぐ分かるだろう。


 亀のように首を伸ばして一子ちゃんの手元を覗き込めば、そこには今朝二人でチェックした受付票が重ねられていた。


「昼一って予約ないんですっけ?」

「そうなんですよ。暇なんで整理と机周り片付けようかと」


 そう言いながら、一子ちゃんは受付票の端っこをとん、と揃えてから、受付票を一旦籠の中に戻した。 籠ごと並んだファイルの上に置いて、ごそごそと引き出しの中を整理し始めた。

 どうやら手持ち無沙汰が苦手らしい。

 働き者だなぁ、と感心してから、ふと思いついた。魔が差した――というヤツなのかもしれない。普段なら仕事中に全く関係ない話なんて振らなかっただろう。つまりは何となく、まぁいいかとは流せない第六感みたいなものが、頭の中をチラチラしていた訳で。


「一子ちゃん、ドラゴンの世界を救ったっていう勇者の事知ってます?」

「え? あ、はい。魔王を倒した勇者でしょう? アルから聞いた事あります」

「それって日本人なんですよね? フルネームとか……どんな外見だったとか知りませんか?」


 そこで初めて振り向いた一子ちゃん。私が突然勇者の話なんて振った事が意外だったのだろう。きょとんとした顔で首を傾げて私を見た。


「どうしたんですかいきなり。……えーっと、でもアルも生まれる前の事らしいですから、私もトーマっていう名前だけでフルネームは知らないんですよ」

「え、そんな、大昔の話なんですか?」


 今度はこちらが驚く番だった。

 だって、勇者がドラゴン世界を救ったのって最近じゃなかったっけ。……んん? 何で私はそう思った、って……ああ! 五條さんの面接を受けた時だ。その時に勇者は当時中学生で、行方不明って話も聞いたんだ。


「でも、勇者ってまだ生きてるんですよね?」

 確かガザ様が成人して間もないって言ってたから、二百歳くらいなはずだ。

 ……思えば凄い年の差だよね。寿命とかも全然違うじゃん……って、今そんな計算してる場合じゃなくて!


「ああ、それ……言葉で説明するとややこしいんですけど。なんかゲート以外で向こうの世界とこちらの世界を渡ると次元の歪みだとかなんとかで、百年後とか……逆に二百年前とかに行っちゃうらしいんですよ。で、勇者さんは現代日本から三百年前のドラゴン世界に行っちゃったみたいです」


 思っていた以上に昔の話だった。三百年前なんておとぎ話みたい。……だけど今考えれば、私がアルさんにドラゴン世界に放り出された時の雰囲気や、窓から見えた景色は平和そのものだったように思う。


 よく分からないけど魔王みたいな得体の知れないものに脅かされた生活をしていたとしたら、何かしら痕跡はあったんじゃないだろうか。数年より、数百年前って言われた方が確かに説得力があル。


「……勇者は魔王を倒してこっちの世界に戻ってきたんですよね? ゲートを通って帰って来たなら、こっちの世界も三百年前になってたりしなかったんですか?」

「あ、そうですね。でもその時はゲートって存在しなかったらしいですよ。勇者さんはすごい魔力が高かったらしくって次元の歪みすら操って元の世界に戻ったってアルが言ってました」


 随分な力任せなチート勇者だ。いや、それよりもゲートの話の方が意外だった。勝手に昔からあるものだと思ってたけれど、そうでもなかったみたいだ。


「つまり勇者がまだ生きてるって事は、こっちの世界で言えばゲートって出来て五十年は経ってないって事ですか?」


 考え考え纏めていって浮かんだ疑問を一子ちゃんぶつければ、ぶんぶんの首を振った。


「五十年なんて全然! 十年くらいらしいですよ。私受付四代目ですし」

「十年……」


 ふむ。さっきも考えたけど、十年前以前に、斗真が行方不明になった事はない。未成年だし、もちろんその頃は私も一緒に実家で暮らしていたから斗真が一日でも行方不明になれば、どんな幼い頃だとしても絶対に覚えているだろう。

 ただ、次元の歪みを操れる訳だから、もしかしたらドラゴン世界にきたその日その時に、戻った可能性もあるけれど。……そうなったらお手上げだよね。


「勇者さんがこっちの世界に戻ってきてから、数百年経ったドラゴン世界も魔法が発達してきて異なる世界を繋ぐ魔法が作られたんです。それがゲートなんですが……扉の向こうに続く道標が、当時勇者さんしか設定できなかったみたいなんですよね。それで、今の……この現在の時間に繋がったみたいです。……あー……あたし、こういう説明下手くそなんですよね。意味分かります?」

「うん、大丈夫。……」


 だと思う。でも時間軸の話がややこしくて頭を整理する為に紙に書きとめたい。

 結果、ちっとも拭いきれなかった疑念を、私は恐る恐る口にした。


「……あの、ウチの弟斗真って言うんですよ。二十四になるんですけど、どっか浮世離れしてて」


 途中で言葉が止まる。否定して貰いたかったから、話を振ったというのに、途中で不安に押し潰されてしまった。

 勇者トーマ。

 ザワザワと肌の下を何か嫌なものが這うような感覚に、思わず自分の腕を掴む。


「そうなんですか? えーすごい偶然ですねっ。弟さんが勇者だったりしたらどうします?」

「……」


 悪気なく放たれた言葉に固まった。人の心の機微に聡い一子ちゃんはすぐ真顔になって、遠目から私の顔を覗き込むように顔を下げた。


「……まりもさん?」

「あ、ごめんなさい。ちょっと……」

 

 ――そして。

 首を振って空笑いしたのと、受付の扉が大きな音を立てて開いたのはほぼ同時だった。


「マリ!」

 一拍置いてガザ様の怒鳴り声がする。こんな尖った声を聞いたのは初日以来じゃないだろうか。


「……なんですか。ガザ様」


 立ち上がって扉へと向かう。前と違って怖くてない。むしろ、がらりと話を変えて貰いたくてわざとそうしたのに。

 ガザ様の口から出て来たのは、不安な心を打ち抜く渾身の一撃――決定打だった。


「マリは勇者タチバナトーマの姉なのか?」


 ガザ様の後ろから追い掛けて入って来た五條さん。眉間に深い皺を何本も刻んでこめかみを指で押さえているその動きが妙にゆっくりに見えた。


 たったそれだけだったのに、パズルが嵌まるように、私は答えが分かってしまった。

 むしろ驚きを通り越して、何だかよく分からない笑いが込み上げてくる。


 ああ、なるほど。

 昔の斗真の写真を見たガザ様はさっきエレベーターでした会話から気付いたのだろう。それできっとさっき、五條さんに確かめたはずだ。その上で私にこう尋ねてくると言うことは、つまり。


「……同姓同名の愚弟は一人いますけど」


 思っていたよりも冷静な声が出た。

 良かった。一子ちゃんの前でみっともないところは見せたくない。

 それにしたってガザ様の『どこかで見た事ある』なんて完全なフラグだったな……。なんで気づかなかったんだろう、私。


「今持ってません」

 弟の、それも昔の写真なんて、肌身離さず持ってるわけがない。

 だけど、ふと高校の入学式に校門の前で撮った写真が母から送られた事を思い出した。十年前ではないけれど現在それに、一番近い。


「スマホにはあると思いますけど」

 基本受付には私物は持ち込まない。ロッカーに取りに行こうと扉の方に身体を向ければ、五條さんがその進路を身体で阻んだ。

 そしてゆっくりと薄い唇が開かれた。


「……必要ありません。ガザ様の仰る通り、まりもさんは勇者トーマの実の姉です」


 突然吐き出された疑問の答えに、茫然と立ち尽くす。

 ――本当に?

 呟いたつもりだった声は音にならず、私はただ静かに私を見下ろす五條さんを見つめていた。

 私の代わりに声を上げたのは一子ちゃん。


「……え……? じゃあ、つまりまりもさんの弟さんが本当に勇者だったって事ですか!?」

 驚いて立ち上がった一子ちゃんに肯定も否定もできない。だって私は知らなかったから。


「五條どういうことだ。お前マリが勇者の姉だって知ってて、なんで黙ってた?」


 なんで唐突にそうなるの、と思ったけれど、すぐにガザ様の言葉に納得してしまう。 

 そういえば妙にウチの家族構成やらお母さんの病歴やら詳しかった。あれは一日で調べたものではなく、前もって調べていた事? 


「……いつから気付いたんですか? ……というかむしろ、最初からですよね? ――という事は最初から斗真ありきの採用だったんですかね?」


 話している最中に、いろんな疑念が頭を擡げてくる。なんだ。この手の中で転がされてる感じ。

 冷静になりたいのに、自然と口調が早くなる。そして最後にはみっともなく声がひっくり返った。

 勇者の姉である私がここに就職する――事によって何が起きる? そして誰が得をするのだろうか。


 そもそもやましい事が一つも無いのなら、最初から斗真の事を話してくれていたはずなのだ。だから、間違いなく狙いはある。


 ぐっと唇を噛み締めた視界の端で一子ちゃんが不安そうな顔で私と五條さんの顔を交互に見つめている事に気付いた。


 ――ああ私、最悪だ。妊婦さんを不安にさせてどうするの。そう思うのに、胃の中に渦巻く言葉にならない感情が苦しくて、吐き出さずにはいられない。

 五條さんがふっと視線を外したのが動きで分かってそちらに視線を戻す。下がってもいない眼鏡を指で押し上げたその奥の目に感情を見ることは、出来なかった。

 そして。


「ええ。そうなります」


 分かっていた答えに、迷いはなかった。

 咄嗟に俯いて顔を片手で覆う。


「……はは」


 一体なに。勇者トーマとか……なんだそれ。

 あの馬鹿弟。なんで一人でそんな危ない事してんの。怪我したらどうすんのよ。それ以前に世界救う前に自分の借金肩代わりさせた姉を救えよ馬鹿!


 頭の中で思い切り悪態をついてから、小さく息を吐き出す。再び顔を上げて問いかけた。


「で? その勇者の姉である私を自分達の会社に就職させてどうしたかったんですか?」


 魔王を倒すくらい大きな魔力を持つらしい斗真。

 私を取り込んで、脅すなりすかすなりして斗真を利用したい――と考えるのが自然だろう。だけどそれにしては私は拘束されている訳でもないし、扱いが甘すぎる。それに既にここに通い始めてから一ヶ月も経つ。とっくに斗真と交渉に入っていてもおかしくない。


 だけど斗真からは相変わらず馬鹿馬鹿しいメッセージしか来ないし、変わった様子もない。昔から嘘をつくのが下手くそだからすぐ分かる――って、分からなかったから今のこの状況なんだよ私。しっかりしろ!


「五條さん、教えてください」

「それは……トモルがいないと話せません」


 難しい顔をした五條さんが小さく首を振る。

 答えて――と、怒鳴ろうとした瞬間、ガザ様が風のようなスビードで五條さんに詰め寄り、胸倉を掴んだ。

 勢い余って五條さんの眼鏡が飛ばされる。大理石の床に落ちたフレームの硬い音が足に響いた。


「マリが聞いてる。言え」

 掠れるほど低く凄んだ声に、逆にすっと頭が冷えた。


「……止めてください」


 もう、そういうのも鬱陶しい。

 ショックで、ショックを受けてることにもまたショックを受けてる。

 斗真が私のせいで利用されるかもしれない事も勿論、この居心地が悪くない空間が、用意されたものだった事に傷ついている。つまりこの職場は、私が選んで選ばれたものじゃない『勇者の姉』の為に用意された席で。


 ああもう昔からそうなんだよ。私は何かとやらかすくせに人気者だった弟の世話係。主人公にはなれなくて、ずっと脇役みたいな役回り。ああ、本当。勇者とその姉なんて関係図そのままじゃない。

 私は外面だけでも落ち着くべく、再び深呼吸する。はは、息吐きすぎてまた過呼吸起こしそう。


 眉間に深い皺を刻んだ五條さんを真正面からきつく見据えた。

 私はずるいんだろう。状況から言って私が五條さんに何かされたら、きっとガザ様が庇ってくれるのは分かっているから。


「……五條さんに話せる権限が無いなら仕方ないですね。トモル君に時間を取って下さいって、伝えて下さい」


 ……ここの『最高責任者』がトモル君だってことは、ガザ様が隣の部屋の結界に縫い止められていた時の二人の会話と雰囲気から何となく気付いていた。

 でも突っ込むのも何だが無粋な気がして、なんとなくトモル君のあの緩い空気や、それを諫めるような五條さんのやりとりが嫌いじゃなくて、そのままにしていた。聞くべきだった、なんて、今更後悔しても遅い。


「……分かりました。しかし、まりもさん――」

『お客様が参ります』


 五條さんの言葉を掻き消すようにちょうどいいタイミングでお客さんが入ってくる。

 私は表面上なんでも無いような顔をして、受付の椅子に向かう。腰を落ち着けてさっさと扉の解錠ボタンを押す。

 はっと我に返った一子ちゃんも慌てたように駆け戻って来て椅子に座った。


 入ってきたお客様ににっこり笑って手続きを済ませていく。その間にまず五條さんが受付から出ていった。

 その後も差し障りなく次々とお客さんを片付けていく。良かった。忙しい方が余計な事考えなくて済む。



「……マリ」

「仕事中は邪魔したら駄目っていいましたよ」


 一度だけ、話し掛けてきたガザ様に私はそっけなくそう返す。

 それからチャイムが鳴るまで、私は一度もガザ様を振り返らなかったというのに。

 ガザ様はずっとその場に立っていて、私は痛いくらいの視線をずっと背中に感じていた。




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